★宮崎の名所旧跡の旅

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宮崎の名所旧跡旅のページ


宮崎・日南海岸の夏

 
 このページは「宮崎名所旧跡旅三昧」とタイトルを付けていますが、広義に解釈すれば県の市町村を紹介することも名所旧跡の旅の範疇に入ると思います。
 コンテンツの数は、かなり多くなりましたが、直接宮崎を紹介するコンテンツが、これまでなく、今回新しくこのような形で設けました。
 宮崎の北部に位置する五ヶ瀬・高千穂から延岡、日向、入郷地区、高鍋、西都、宮崎、都城、えびの、日南、串間と宮崎県は南北に広く横たわっています。
 そのすべてを紹介しようとは思いません。
 なぜなら、あまりにも範囲が広く制約された時間で各地を回ることは、不可能に近いからです。
 したがって、用事で立ち寄った市や町などを時間のある限り散策して、それぞれの名所や旧跡を訪ねてテキストと写真を交えて紹介していこうと思っています。
 各地で行われる祭りや年中行事などは、それぞれのコンテンツで紹介していくつもりです。日常の風景、祭りや花々など他のコンテンツで紹介することのなかった出来る限り穴場的な情報があれば、積極的に出掛けて行ってアップロードするつもりでいます。名所旧跡と言う硬い題材にこだわらず、肩の力を抜いて宮崎のありのままの姿を紹介できればいいなあと思っています。
   

北海道を宮崎から紹介〜top

アメリカ再上陸【前編】

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         こ の ペ ー ジ の 目 次 (抜 粋)

   1、宮崎県延岡市の簡単な紹介
 
   2、2007年秋、宮崎県南部日南海岸
 
    3、宮崎市散策、垂水公園・サンマリン球場・南バイパス・英国式庭園

   4、延岡市のイチョウ並木

   5、宮崎市高岡町去川の大イチョウ

   6、好隣梅満開、こどもの国カンヒ桜満開

   7、尾鈴山系の瀑布群

   8、宮崎の奥座敷綾町の照葉樹林を行く

   9、宮崎県北郷町の猪八重渓谷から花立公園の見事な桜
   
   9−1、宮崎市堀切峠の山ザクラ

   9−2、南那珂郡南郷町の花立公園の圧倒的な桜
  
  10、宮崎県国富町法華嶽公園の桜

  11、西都市寒川を行く

  12、高岡町浦之名川を上流の広沢ダムまで歩く

  13、木城町へ小丸川文学ロードを歩く
延岡から高千穂へ 懐かしの旧218号線を行く
 2008426日、北方延岡道路が完成し、通り初め式が行われました。これで、高千穂方面から宮崎方面に行く場合、この北方道路を通れば、延岡市内の渋滞に巻き込まれずに、ほとんどノンストップで門川まで行くことが出来るようになりました。
 しかしながら、延岡から熊本まで繋ぐ予定の九州横断自動車道延岡線がいつ出来上がるのか、現在のところ見通しは非常に暗いと言わざるを得ません。
 東九州自動車道の完成に向けた工事が急ピッチで進んでいますがこれもまだ、しばらくの間、我慢を強いられそうです。
 まして
、大分と結ぶとなると果たしていつのことになるのやら。
 依然として県北特に延岡は夕暮れ状態が続いています。
 そんなことを考えながら、しばらく通ったことがなかった延岡から高千穂まで五ヶ瀬川に沿って、主に旧
218号線を使ってさかのぼってみました。
 ただ、‘
05の台風14号の影響で日之影町の深角から先は、山の中腹を抜けている現在の国道218号線を通ることになりました。
 ま、それでも昔はこんな離合も出来なかった、(現在は完全舗装ですが、)北方手前からは舗装もされていなかった五ヶ瀬川沿いの、昔と変わらぬ姿を見せている旧国道を懐かしく思い楽しいドライブをすることができました。
 まずはじめに訪れたのが、岩熊井堰(いわぐまいせき)です。延岡市内にほど近い所にある、かんがい用の堰いわば川の関所です。

 この岩熊井堰は今の時期ちょっとした名所になっています。
 海で生まれたアユが産卵のため五ヶ瀬川を上ります。そこで待ち構えているのがここに設置してある堰です。アユにとっては非常に難関で、そのままでは上流へは上っていけません。
 しかし、そこは、アユの気持ちを考えた優しい人間が、魚道を設けて、アユの遡上を助けているのです。
 5月の約1ヶ月間が、アユが魚道を通る時機なのです。銀鱗を光らせ跳ねながら上っていくアユの様子を見に多くの人々がやってきます。
 先日、地元紙がアユの遡上の写真を載せていました。またこれが鮮やかに撮れていて、きれいな魚体をくねらせ、飛びはねながら魚道を上って行くアユ
3匹を捉えていました。見事な1枚に思えました。
 私は、この写真に魅せられてここを訪れたようなものです。その何日か前もアユを狙う白サギの様子を写真で見ていましたので、行けば簡単に写せるとアマーイ気持ちで出かけた次第です。ところが、魚道でいくら待っても魚
1匹跳ねません。
 ましてやアユの姿など全く確認も出来ません。約
50分粘りましたが、頭に思い描いていた写真のカケラも撮ることができませんでした。場所と時間に問題があったのでしょうか。
 川の真ん中や向こう岸近くでは、白サギがさかんにクチバシを水面に突っ込み魚を食べています。もちろん、遡上するアユと思いますが、ここに居ついている白サギはゼイタクですね。
 毎日毎日、ジッと待っているだけで、足元を通り過ぎるアユと言う高級魚を好きなだけ食べることが出来るのですから。

 ところで、この岩熊井堰は、小学校、中学校、高校と遠足で何度となく訪れ、河原で遊んだ思い出の地です。
 この下をの道路は幾度となく通っているのですが、堤防があり井堰の様子は車の中からは見えません。
 今回、車を降りて井堰を見るのは
35年ぶりくらいでしょうか。
 当時とくらべ
(井堰の)上側は変わりありませんが、下側は何度もの出水で地形が変わっているように思いました。
 変わっていると言えば、道路です。高速が頭の上を通り、延岡市南部の土々呂への近道のトンネルが出来、非常に便利なっています。
 当時は、道幅の狭い農道でしたので堤防の上を歩いて行った記憶があります。
かなり遠いなあと言うことは鮮明に覚えています。
 井堰に関しては、案内板が建っていましたので、それをもとに後ほど紹介させて頂きます。
岩熊井堰 岩熊井堰魚道 岩熊井堰 岩熊井堰完成碑
天馬大橋 北方町八峡地区 北方町八峡地区 北方町八峡地区
干支大橋 干支大橋 干支大橋 干支大橋上流から
槙峰大橋 前日全焼した民家
               岩熊井堰の歴史
 時は江戸時代にさかのぼりますが、この地域は、むかしから水不足で田植えが出来ず、雨が降って稲を植えても日照りですぐに枯れるという状況が毎年続き、地元農民は、貧しい生活を送っていました。
 このため、江戸時代の享保9年(1724年)に延岡藩家老藤江堅物、郡奉行江尻喜多右衛門が五ヶ瀬川から水を引こうと10年の歳月をかけて、かんがい(米、野菜などを作るために田や畑に水を引くこと)工事を行い、1734年(徳川8代将軍吉宗の時代)に井堰が完成しました。井堰は、延岡市内を貫流する五ヶ瀬川の北岸貝の畑と南岸岩熊をせき止めて造られたので、地名をとって岩熊井堰と名付けられました。
 当時の堰は、木で枠を作ったもので、かなり丈夫なものでしたが、現在ではコンクリート造りに改められ、地域の農業の発展に大きく役立っています。
 井堰とは?井堰の大きさ

    堰の長さ    26155

    堰の高さ     160
    堰の幅      435
     かんがい面積   4600ha
 井堰とは?
 
川の水をせき止めて、水路を通して田畑に水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で す。別に「頭首工」とも呼んでいます。
 ここ岩熊井堰は、1秒間に
200ccの牛乳パックで、約3,000万本分の水を支えています。
八戸地区 日之影手前 日之影手前 日之影手前
日之影手前 日之影の町並み 青雲橋と鯉のぼり 青雲橋
脇は大絶壁 脇は大絶壁 車ほとんど通らず
かげまち付近の滝 かげまち付近の滝
左に同じ

深角滝
 岩熊の井堰を過ぎると、アユの本格的な漁場が続きます。写真がかなり上の方になってしまいましたが、北方町の八峡地区などは数とともに良型が出るポイントとして人気があります。
 例年、
6月はじめに解禁を向かえ、待ちわびた太公望が前夜から場所取りに精を出します。五ヶ瀬川は、九州では熊本の球磨川と並び称されるアユ釣りの本場で、シーズンには遠く北九州、大分辺りからたくさんの釣り師がやってきます。
 交通の便がよくなったのも一因ですが、この川は釈アユと言われる30cmを超えるような大物が釣れることで、通の間では名声を博しています。
 ところで、国道
218号線が非常に便利になったと感じましたのは、天馬大橋と干支大橋の完成です。この写真も上の方で紹介しています。もう15年近くになるでしょうか。(1994年竣工で支間長つまり主となる形の部分が275mの長大橋です。)
 それまで五ヶ瀬川の淵に沿って走っていた道路が、北方町の蔵田地区から右前方に向かって一気に駆け上がります。上がり切ったところにある橋が天馬大橋で、五ヶ瀬川をまたぎます。
 徐々に高度を上げて行きますと前方に真っ赤なアーチ式の橋が見えてきます。これが干支大橋です。
 一度渡った五ヶ瀬川をもう一度渡る、いわば最短距離で結んでいます。この橋のたもとには休憩所があり、橋からの眺めは壮大です。
この道を造る時、一番難所だったところで、橋を渡るとすぐにトンネルに入ります。ここから先は、北方トンネルを手始めに橋、トンネルの連続で、そんな状態が高千穂まで続きます。
 旧国道が五ヶ瀬川沿いを通るの対し現在の国道
218号線は、山の上を通ることになり景色も良く道勾配はあるものの、割と走り易いのでよくお巡りさんにご厄介になっている車を見かけます。
 この国道218号線は深い渓谷をまたいだ長大橋が多数存在していて、日本の土木工学の最先端技術を駆使した橋ばかりで専門家には、大変よく知られています。
 ここで紹介している橋はほんの一部ですが、日之影川に架かる青雲橋は1985年完成の支間長220mの長大橋ですが、橋面から水面までの高さが137mと国内最高で、道路アーチ橋としては東洋一の高さを誇っています。
 また、高千穂町の雲海橋は支間長は160mですが、橋の上から真下を見ると気分が悪くなるほどの高さです。
 また、橋の上手には、今は台風14号の影響で運休していますが、TR高千穂鉄道の高千穂鉄橋が平行して架かり周囲の緑とともに素晴らしい景観を見せています。
 さらにこの雲海橋は施行例の少ない左右非対称のアーチ橋として全日本建設技術協会賞数々の賞を獲得しています。

龍天橋 龍天橋 川は水量豊富 川はゆったり
天翔大橋 天翔大橋 天翔大橋 支流の岩戸川
高千穂鉄橋(休)
高千穂鉄橋(休) 高千穂鉄橋(休) 雲海橋
雲海橋 足がすくみます
上岩戸大橋
常光寺の滝


常光寺の滝


常光寺の滝
                  常光寺の滝
 標高1747mの祖母山から湧出する自然が創り出す荘厳な滝で落差は37mあります。
寺の住職がこの滝の水を飲んで大変長生きされたことから「長寿の滝」または「白糸の滝」とも呼ばれています。(日向公民館より)

 特別大きな滝ではありませんが、雰囲気のある上品な滝のような気がします。
 滝つぼ周辺はマイナスイオンが、ザックザック出ています。久しぶりの感触です。気分が非常に落ち着きます。
 地元の高校生3名が自転車に乗って泳ぎに来ていましたが、水の冷たさは手が切れるほど。高校生達も早々に陸に上がって切り上げていました。
 延岡方面からですと、雲海橋を渡って信号を右折、天岩戸神社の横を通って約
20分のところにあります。
 道路脇に
45台駐車できるスペースがあり、滝は道の脇にあります。
すぐ近くには古祖母山が鎮座し、その奥に祖母山があるところですが、道はそんなに険しくありません。民家も点在しているような所です。

木 城 町 か ら 石 河 内 文 学 ロ ー ド を 行 く

 ひと昔前、椎葉や当時の南郷村神門に行くとき、通ったことのある木城町・石河内。今回木城の街中からウォーキングで石河内に向かいました。
 この町には一級河川の小丸川が中心部を流れていて高鍋町を経て太平洋に注いでいます。その小丸川沿いに上流の石河内集落まで若葉と川の美しさを堪能しながら上がっていくつもりです。 ただ、以前このルートを車で通った時には川沿いには道がなく、途中からひと山越えて、石河内で川で合流していました。
 しかも印象としては、道路の工事ばかりがやけに目についていました。今回、事前に見た地図にも川沿いには道らしき標(しるし)がなく、道も途中から消えて渓谷の標(しるし)に変わっていました。
 まあ、歩いて行くのですから通れる程度の道があれば十分ですが。

2008
427日の日曜日、世間は今日からゴールデンウィークで浮かれています。行楽地には人出が多いことでしょう。
 しかし、私が選んだコースはいたってノンビリムードです。車を木城町の中心地に近い空き地に止め、いざ出発です。時計は丁度正午を指しています。

川原(かわばる)自然公園 水量豊富な一級河川・小丸川
小丸川の急流 木城から石河内へ通じていた旧道

日日新トンネル脇の滝

滝妙見三石神社
                  比木神社社記
 比木神社は、今から1800年前「第13代成務天皇」の御代、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じ国・県(あがた)・邑(むら)・里を定められた時、社領として百町歩を賜り、五社大明神を崇(あが)め奉祀(まっ)ったのが始まりと伝えられている極めて古い創建の神社です。
 以来、児湯地域の信仰の中心として住民の篤い崇敬を集め幾星霜特に、江戸時代には、高鍋藩・秋月歴代藩主が深く崇められたびたび参拝し、社殿改築、鳥居の建立、龍神絵など多く寄進奉納されています。
 御祭神は、@大己貴命(大国様
)お妃三穂津姫命
A事代主命
(恵比寿様)
B素盞鳴命・お妃櫛稲田姫命ほか全部で6柱ですが、なかでも、最も有名な祭神は、当時の百済王朝滅亡の折、日本へ父君とともに亡命を図ろうとした王族の1人福智王です。
同王は海でシケに遭い、父君と離ればなれになり高鍋の蚊口浦に流れ着き、その後、百済からの追兵を鎮定後、この地域を治め住民の崇敬を受け比木神社に祀られました。
 父禎嘉王は美郷町南郷区の神門神社に祭られていて、年に1度福智王が、父親が流れ着いた金ヶ浜で禊
(みそぎ)を受け日向・東郷を経て神門神社の父に会いに行く「師走祭り」は、つとに有名です。
 比木神社の大クスノキ、チシャノキ(03年町指定天然記念物に)
 比木神社の祭神は6柱祀られています。そのうちの1柱が先ほど紹介しました日本に亡命してきた百済王族である福智王です。この福智王は、現在の高鍋町の蚊口浦に漂着し、玉占いの末、住み着くようになったのが、現在の木城町比木と伝えられています。
 その父親の禎嘉王が、現在の日向市金ヶ浜に漂着し、宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区で神門大明神として、神門神社に合祀されたように、福智王は火弃大明神として、当神社に合祀されています。
 両神社の間にこのような伝説が古来より存在し、国の「記録作成などの措置を講ずべき無形文化財」に指定され、その存在は高く評価されています。

 この比木神社境内における、古木のクスノキは神社鳥居前に2本見られます。
慶長元年
(1596)高鍋藩記録において、この巨木が植えられていたことが、記されており、樹齢は推定500年を数え、威厳と言いますか、現在もその歴史的な様相を呈しています。
 尚、幹周りは右の木が6
m10pで樹高が25m、左のが幹周り5m50p、樹高20mと圧倒的な存在感を見せ付けています。
 また、チシャノキは別名カキノキダマシとも呼ばれ、県内でも屈指のもので宮崎県巨樹百選に指定され、高い評価を受けています。
 樹齢は推定
300年以上でその姿は神社全体を見守るかの様相で、参拝者の心に壮大な生命力を訴えようとしています。
 尚、幹周りは3
m60pで樹高は30mあります。このクスノキ、チシャノキはまさに巨木としての規模を有し、心のふるさとを感じる鎮守の森にふさわしい巨樹であります。
 今後とも大切に保存し、攻勢へ引き継いでいかなければなりません。          
(木城町教育委員会より)

比木神社 比木神社 比木神社クスノキ 比木神社社殿
小丸川取水ダム 川原自然公園 川原自然公園 川原自然公園へ
絵本の郷案内板 緑豊かな木城の森 小丸川渓谷 小丸川渓谷
小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷

 戻ってくる時間が午後6時の予定です。行き当たりばったりのウォーキングですので時間はアッと言う間に経ってしまいます。
 歩き始めて程なくすると、大きな木で囲まれた社が見えてきました。比木神社です。県内でも特に古い歴史と品格を備えた神社です。境内のクスノキの大きさ、古さは天然記念物にふさわしいものです。
 神社とクスノキについては前の項で紹介していますので、先を急ぎます。
 橋を渡ったところには標識が建っています。左に折れる、つまり山間部方面に向かうと、「えほんの郷」
11km。石河内の中心部にあるこども達に大人気の絵本の図書館です。今回は訪れる予定はありません。
 左折してしばらくは、小丸川を左に見ながら平坦な道を進んでいきます。民家もところどころにあり、どの内も花で美しさを競うように手入れが行き届いています。ツツジ、フジ、シバザクラ、アイスランドポピー、スミレ、パンジー、ビオラなどなど知らない名前の花もたくさん咲いています。
 民家が切れたところの竹林にはタケノコが顔を出しています。大方
2kmは歩いたでしょうか、前方右上に大きなパイプが2本見えてきました。直径が3mはありそうです。左下の川沿いには電線が張り巡らされています。
 ここが第
1のチェックポイント九州電力の川原発電所です。水は約10km上流の石河内にある浜口ダムから取っています。
 この発電所の斜め前に木城町が誇る川原
(かわばる)自然公園があります。小丸川の真ん中に浮かぶユニークなトンガリ帽子の島はこの公園の名物でしょうか。上に写真を紹介してあります。
写真の被写体としては最高です。
 広大な河川敷を利用した公園には「自然」の名が示す通りたくさんの木々があり、その間隙を縫ってアウトドア派にはたまらない施設が整っています。
 川原自然公園では、インストラクターにより、年間を通して初心者へのカヌー指導が行われています。丁度この辺りは下流にある河口堰の影響で湖のように水量が豊富でカヌーには最適な環境にあり、夏場には『カヌースクール』も開かれ、小丸川下流までの川下りを練習したり、中上級者は、合宿訓練により小丸川の自然を満喫することができます。
 自然条件に左右されるカヌーは、これまで初心者が安心して体験できる場所が少なかっただけに、ここは貴重なポイントとなっています。
 また、家族そろってのキャンプならこのキャンプ場がおすすめです。自然の景観をまるごといかした公園にはバーベキュ棟やコテージを備えたキャンプにぴったりのフィールドがあります。河川プールでひと泳ぎ、カヌーにチャレンジするのもいい。たっぷり遊んだ一日のフィナーレは降るような星の下でキャンプファイヤーなんて、都会の人には味わえない思い出の夏を自然が演出してくれます。
 さらに、最近静かなブームを引き起こしているボルダリングの屋内施設がこの春オープンしました。
 ボルダリングとは、靴、チョークパウダー以外の道具は一切使わず、飛び降りても或は落ちても安全と思われる岩、つまり、ボルダーを自分の手と足等の身体だけを使って登ることをいいます。
 ここはその疑似体験が出来る施設です、大岩つまり4〜
5m程度のカベに手掛け、足掛けを作り登っていくスポーツで床には落ちてケガしないよう厚手のマットが敷いてあります。
 擬似の突起が数百出ていて、登るコースは無数にあり、自分のテクニックとと相談しながらコースを選択し、頂上を極める快感は格別なものでその魅力に取り付かれたボルダーがドンドン増えています。

 結局、この川原自然公園はお邪魔することなく通過しました。駐車場には車一台止まっていませんし、川にはカヌーが見当たりません。
川遊びや水泳など小丸川が対象ですので、どうしても夏すなわち5月以降から徐々に訪れる客が増えるそうです。
 

小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷
小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷 小丸川渓谷
小丸川渓谷 小丸川渓谷 日日新トンネル 友情トンネル
  川原自然公園に気を取られていたらいつの間にか、東郷・西都線と合流しました。確か、以前はこの辺りから山に入り、越えて行った記憶があります。
 しかし、遠くまで真新しい道が小丸川沿いに走っているのが見えます。道路整備が進んだのでしょう。私にとっては願ったり叶ったりです。道もほぼ平坦上りも下りもほとんどありません。 木々もかなり増えてきました。小丸川も木々の隙間から見える程度で谷が深くなってきましたことを伺わせます。それでも水量は多く川が青々しています。
 素晴らしい景色ですが、木々が邪魔して写真が撮れません。まあ先は長いことですし、そのうち良い場面に出くわすでしょう。それにしても立派な道が出来たものです。片側一車線ですが、ちゃんと歩道も備えられています。
 ただ、車は通りません。せいぜい5分に一台程度でしょうか。と、後で車が止まろうとするのを感じました。「えほんの郷は、この道でいいのでしょうかね
?」「えぇこの道を真っ直ぐ行ってください。56kmもいけば集落がありますから、そこで聞けばすぐわかりますよ」・・・。
 私に道を聞くために止まるとは・・・。びっくりしましたが、「木城を過ぎて道を聞けるような人がいなく心細くなっていました。リュックを担いでいるから道に詳しいと思ったんです。ほっとしました。ありがとうございました。」と、小学校低学年と思しき孫を連れ、連休の思い出にと運転していた
60歳前のおばあちゃんは、何度も頭を下げながら過ぎていきました。
 木城を出て1時間ほど、やっとこの辺りから小丸川が見え始めました。正直、水は少し濁っています。しかし、それが深みでは青々と見え山の緑と素晴らしいコントラストを描いています。 道路からですと
560mくらい下でしょうか。とても下りて行くことは出来ませんが、地図に書いてあった通り深い渓谷が何`にも渡って続いていきます。
 水量が豊富で、ところどころ急流や湖のように水を蓄えているところがあり、バラエティに富んだ谷を形成しています。道の反対側からは無名の滝が道路下に埋められたパイプを通って小丸川に流れ落ちて行きます。
 前方にトンネルが見えてきました。「日日新トンネル」と書かれていました。全長は
704m、完成したのが7年前と言いますからまだ新しいトンネルです。
 しかし、すぐ横に道がありましたのでそちらを選びました。おそらくトンネルが出来る前はこの道を通っていたのでしょう。道幅は
2m程度、砂利道で崩落の跡がたくさんあります。
 しかも、途中からかなり急な上りです。雨の日は川替わりになるのでしょう。道の至る所がえぐれています。
 20分は歩いたでしょうか、重機を使用するエンジンの音が聞こえてきました。近づいてみると畑を造るために地面を耕している人がいます。その先には民家も見えます。かなり上がってきたところですが、こんな所にも人が住んでいるのですね。
 で、道を聞いてみました。「トンネルを避けてきたんですが、下の道路までどのくらいで行けますかね」と。
 その人は山の頂上付近を指差し「あそこまで上がらんといかんよ。道も悪りし、大変やぞ!」指差した方を見ると、まさに見上げる感じです。「あんなところまで上がらないといかんのか」ここは撤退しよう。残念ですが、そう決断しお礼を言って、上ってきた道をトンネル方向に下りて行きました。
 かなりの距離です。しかも急坂。これ以上はとても無理。この判断は正しかったのですが、あの地点に民家がなく人もいなかったら上まで行ってたでしょうね。下まで下りて見上げても相当の高さがあります。
 そこでトンネルを通ることにしました。
704mですから、普通に歩いても10分はかからないはずです。電気も点いているし、歩道も両側にちゃんとある立派なトンネルです。冷たい風も前から吹いてきます。非常に快適です。
 そんな気分で歩いていると突然、ガーーーと言う音がけたたましく鳴り出しました。
10秒経っても鳴っています。20秒経ってようやくわかりました。車です。それも軽自動車が後から追い抜いて行きました。
 トンネルの中が少しカーブしているので、わからなかったのですが、車一台ないトンネルの中に車が入ってくると、あんなものすごい音になるとは、てっきり大型トラックと思いましたが、とても軽自動車とは思えませんでした。
 いい経験をさせてもらいましたが、トラックなどの大型車が通るとどれくらいの騒音がするのでしょう。興味を持って待ちましたが、行きも帰りも残念ながら大型車は一台も通りませんでした。
武者小路実篤縁 小丸川渓谷 浜口ダム 浜口ダム湖

無名の滝

無名の滝

無名の滝

滝妙見

滝妙見
滝妙見 滝妙見の全景 滝妙見の社
 700mもの長い真新しいトンネルを、車が一台も通らないなんて、普通は考えられないでしょうね。
 そして、車が通る時の騒音、これは体験してみないとわからない不思議な感覚でしょう。
 トンネルを出たところに滝がありました。休憩用の駐車場もあり、滝の手前には手すりも付いています。この辺りでは比較的落差のある滝のひとつで、見た目も美しく、この道を通る人々には一服の清涼剤的な存在になっているのでしょう。
 このきれいな滝の下で遅めの昼食を取りました。メニューは例によっておにぎりとパンです。約10分ほど休憩して歩き始めました。相変わらず車はほとんど通りません。小丸川も雄大な景観を見せてくれています。
 2km弱もしない内にまたトンネルが見えてきました。入り口に「友情トンネル」と書かれています。カベには「友情」と言う文字に、武者小路実篤の実篤という字が刻印されています。
 そう、この地は、文豪・武者小路実篤が大正7年11月、人間が人間らしく生きる社会・理想郷を求めて「日向新しき村」を開いたことで有名です。
 石河内集落の対岸にその村はありますが、ダムの建設を境に、第2の新しき村として埼玉県毛呂山町に移り実篤の遺志がしっかりと根付き受け継がれています。
 石河内の第1の村は残念ながら老朽化が進んでいます。
 2つ目のトンネルは、平成9年に完成、498mと少し短めですが、このトンネルも両側に歩道を備えた立派なものです。
 この真新しい道路には、ゆかりの深い実篤に因んで、「武者小路実篤文学ロード」と言う名前が付いています。
滝妙見へ道険し 滝妙見へ道険し 青シートが滝妙見
実篤ロード
ノアザミの群生 ノアザミの花 ノアザミの花 ノアザミの花
  歩き始めて2時間。前方が明るく開けてきました。石河内の集落が近づいてきたのでしょうか。遠く前方にセメントのカベが見えてきました。これが浜口ダムなのでしょう。
 高さは30mほど、長さは200mくらいはあるでしょうか。比較的小規模のダムです。民家も何軒か見えています。ダムの手前に川に向かって下る道がありました。
 近寄ってみると標識に「滝の妙見三石神社まで車・徒歩20分」と書いてあります。滝の妙見とは、滝に関した神社で大きな滝でも存在するのでしょうか。折角ですから道に沿って行って見ることにしました。すぐに橋が見えてきました。小丸川に架かっている長さが70mくらいの鉄骨造りの頑丈な橋です。
 渡ってしばらくは上りが続きます。途中、鳥居がありましたが、古いしめ縄が緩んでいまにも落ちそうな常態です。道はセメントで舗装が施してありますが、この辺りに人が生活している気配は感じません。
 以前は何所帯か住んでいたのでしょう。道の両側に平たい土地が荒れたままで放置されています。その横を上がっていくと、車が3台留まっていました。
 聞くと土地を借りて野菜や花を作っているとのこと。こうして週に2〜3回来て、手入れをしているとのことでした。滝の妙見のことを聞いてみました。すると、滝があり神社もあるが、途中の道が崩落しているとの返事。「この道を真っ直ぐ行ってごらんなさい。15分くらいで着くはずですよ」
 とりあえず、崩落は横に置いといて行けるところまで行ってみることにしました。道はすぐに1m足らずの山道になりました。傾斜も急で竹の葉っぱが道一面を、覆っているのでよく滑ります。まさに山の中の一本道と言った感じです。
 しかし、何故かきれいに掃除されています。途中、2ヶ所谷がありましたが、しっかり足場が組まれています。どのくらい歩いたでしょうか。対岸を見ると「友情トンネル」が少し見えています。
 大分入ってきたのが判ります。坂の途中に、1mくらいの高さのミニ鳥居があります。ここにも大きなしめ縄が飾ってありました。
 その鳥居からほどなくして建物が見えてきました。かなり年季が入っているようです。これが神社なのでしょう。賽銭箱は社の中にしまい込んであります。丁度神社の前のガケが青いビニールテントで覆われています。ここが崩落の跡なのでしょう。
 で、滝はと言いますと、前に進んで行った先にありました。規模は小さく高さ自体は30m近くありますが、水量もチョロチョロと言った程度です。
 社には記帳簿が掛かっていましたが、中を開くとマッサラ、何も書かれていません。その横にアルバムがあり、こちらには写真がたくさん載っていました。例大祭の写真でしょうか。たくさんの人々が写っています。
 昭和の30年代、40年代、50年代ころまでは、ここで盛大な祭りが行われていたことが伺えます。
土地の人はこの滝と神社を崇め奉ってきたのでしょうか。
 上を見ると、宮司が書いたのでしょうか。平成20年1月13日の例大祭以降、諸般の事情や環境の都合などのため例大祭は取り止める。しかし、参道の整備は出来る限り続けていきたいとも書かれていました。氏子の減少や高齢化などを受けてのもので最後となった今年始めの例大祭にはたくさんの人々が訪れ、名残を惜しむように家内安全や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願したそうです。
 山間地は人口の高齢化と少子化のスピードが都会と、比べものにならないくらいの速さ進んでいます。この神社については、何の説明も持ち合わせていませんので、それ以上のことはわかりませんが、小丸川右岸の細く険しい山道の奥にあります。
 地元の人に聞いたところでは、神社奥にある高さ約30メートルの滝は、3つの隕石(いんせき)が落ちてできたとの言い伝えがあるそうで、「滝の妙見」として知られています。最後の例大祭に多くの人々が訪れるのは、その存在がそれだけ村に深く浸透していたからでしょう。
 少なくとも、古い時代から村人の心のよりどころであったことは確かです。私は、いろいろ思いを巡らしながら神社を後にしました。

武者小路実篤が提唱した日向新しき村の全貌
 もと来た「文学ロード」を左折、石河内の中心部へ向かいました。そして、時間とにらめっこしながら「日向新しき村」を目指しました。
 歩き始めて
10分でダム湖の上に出ました。下から見上げていたのとは違ってかなり大きなダム湖が広がっています。前方の景色も大きく開けています。
 途中、何回か脇道にそれましたが、とうとう石河内まで辿り着きました。時計を見ると丁度
300分。3時間を要しています。立派なレストランがあります。材木場や日曜日だからか閉まった酒店もあります。ちょっとした町です。
 前方に標識があります。見ると「えほんの郷
0.4km」と書かれています。そうか、この地には「えほんの郷」があったな。
 小さい子供や家族連れには格好の施設ですが、疲れた我が身には、今は字を読むのもおっくうなこと。今回はパスです。
 近くの民家に行き「あたらしき村」まで、どのくらいかかるか聞くことにしました。
 「ほら、向かいの林の中が、あたらしき村よ。でん、上流に架かっている橋を渡らんと行けんよ」「どのくらいかかりますかね?」「そやね、片道1時間と言うところじゃろう。行っても昔のような面影はないよ」・・・・・。

 うわぁー1時間、往復2時間。トンダ見当違いです。ちょっと動き回れば30分くらいすぐに経ってしまいます。どうしよう・・・。考えた末今回はここまで。断念することにしました。また、挑戦です。
宮 崎 県 西 都 市 三 財 か ら 寒 川 へ

 2008420日(日)、久しぶりに日曜の休みが取れました。
街場の喧騒をよそに今回もまた、山に入っていきました。
 前日、地図をみながら、ふと思ったのが西都の中心部から約
25q山奥に入ったところにあった寒川(サブカワ)と言う集落のことです。
 住んでいた村人は、農業と林業それにイノシシなどの狩猟で生計を立てていました。「25q山奥に入ったところにあった」と、過去形で書いたのは現在は、人が住んでいなく廃墟と化しているという意味です。

 村の成り立ちについては、専門外の分野で詳しいことはわかりませんが、平成のはじめ頃、廃村に絡めてNHKが特集を組んだのを観たことがあります。
 いわく戦国時代から続く歴史のある集落で、明治時代の往時には
200人を越える人々が暮していたとのことです。
 しかしながら、時代が進むにつれ一人去り二人去りして、昭和
53年には、寒川小・中学校が閉鎖、廃校となりました。
 そして、さらに高齢化が進み、人口は減り続け、集落がある高台まで台風や大雨時には、深い谷を縫って走る林道や、
4〜500m級の山の中腹にある集落まで、道路崩落の危険を覚悟で上らなければならない不便さ、危険さなど西都市の行政当局もサービスが困難と判断、村の住人に西都市の平地への集団移転を提案しました。
 そして、平成元年には、最後まで集落を守っていた
6世帯13人が、国の過疎地域集落再編成整備事業の適用を受け、麓の上三財地区の市営住宅に移り住み、村は廃村となりました。
 移転の際は、補助金を受ける見返りにもう二度と住めないよう住み慣れた我が家を、泣く泣く破壊して村を去ったと言われています。

いつか訪れてみたいと思っていた過疎の象徴的存在、いわゆる今で言う限界集落だった所です。

寒川集落の跡、今は無人の里 集落にはたくさんの生垣の跡が
まばゆい新緑、最高の森林浴 三財川の見事な渓谷美

シャガ
道中、無数の無名の滝がありました。
三財川の見事な渓谷美 三財川の見事な渓谷美
 
 
前の日、大方の予想をつけて時間設定や車のルートなどを決めて出発しましたが、はじめから道路1本を間違える、と言うとんだミスを犯してしまい、予定よりかなり手前に車を駐車するハメになり、歩く距離も6qほど延びてしまいました。
 このコースを選んだのは、寒川(サブカワ)という地名が、頭の奥深く刻み込まれていたことはもちろん、私自身のきまぐれもありますが、地図を見ると本流・一ツ瀬川の支流・三財川が道路とほぼ平行して流れていて、良い景色が撮れそうなこと、森林浴が十分満喫出来そうなことなどがその理由です。
 歩き始めて30分は、たばこや水田、牛舎など田園風景が広がりのどかな雰囲気を味わいながら、目的地に向かって歩を進めました。
 土地の人も、「よそモン」が来たとは思えないくらい親切で、「どこからきんなさったと?」「寒川ならこん先に標識があるかり、そこを右に曲がると良いわ!」「道が悪りかい、気をつけない」など、ほんと気持ちの良いフレンドリーな応対を受けました。
 やがて、教えていただいた標識から右に折れ、山道へと入っていきます。寒川は、この標識から5〜6
kmと聞きました。
 周囲で目立つのは竹林。いたるところにあり、タケノコも芽をだしています。いかにも美味しそうです。
 しかし、この日は日曜日ですが、車はほとんど通りません。しばらくすると左下から水の流れる音が聞こえてきました。
 目を凝らして見ると、竹やぶや杉林の隙間から白いせせらぎが見えます。三財川と合流です。
まだこの辺りは川幅も広く、しかもかなり下の方を流れています。
 歩き始めて1時間は経ちましたでしょうか。標識を曲がってからでも20分は経過しました。周囲の景色もだいぶ変わってきました。
 左下を見ると、九電の発電所があります。規模は小さいですが、上流にはダムがあることを地図で確認しています。発電所の横は50mほどの長さのトンネルになっています。真横が発電所とは言え、トンネルの中は、電気はありません。皮肉ですね。真っ暗で不気味な感じがします。
 「トンネルを抜けると雪国だった。」ではありませんが、トンネルを抜けると辺りが一変するほど、新緑がまばゆく私の目に飛び込んできました。
 予想通りの緑の多さです。歩いていて清々しい気分になります。対岸を見ると、緑一色の山肌にところどころ土色の部分があります。大小崩落の跡が何箇所も見えます。平成17年14号台風のつめ跡でしょうか。
まばゆい新緑 まばゆい新緑 まばゆい新緑 まばゆい新緑
三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美
三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美
三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美 三財川の渓谷美

対岸の無名滝

対岸の無名滝

対岸の無名滝

無名滝
 
 翻って自分が歩いている左岸は、いつの間にか道幅が狭く離合も難しいくらい狭まっています。
 上を見上げると断崖絶壁と、崩落防止用のネットが張り巡らされています。道路には、落ちたばかりの小石も散見されます。もう既にかなり入ってきました。
 平行する三財川は?というとこれがよく見えるんです。「どうぞわたしを撮って!?」と、ばかりに水色、岩や石ころの白色それに山の若葉の緑のコントラストが実に新鮮で心が癒されます。
 道路の左側の危険箇所にはガードレールが設置してあります。川も平坦で静かな流れや急流、大きな岩がゴロゴロしているところ、場所によっては下りて行けるところもあり、行く先々で姿を変え、色を変えて歓迎してくれているようで、全く飽きが来ない演出を施してくれます。
 そして、上三財の標識から1時間
40分が経過して、橋が見えてきました。川が分岐しているようです。
ここをまっすぐ

 右へ行くと蛇籠川、真っ直ぐ行くと前川です。傍らに標識が建ってました。
 それによりますと「寒川はここをまっすぐ」と書かれていました。迷わず直進することにしました。
 すると、
200m歩いたところで山の上に通じる舗装された急斜面の道と、砂利のまっすぐ延びた道に分かれています。
寒川へようこそ

 「ようこそ寒川へ」と書かれた標識が建っています。その横に天神山登り口と書かれた標識もあります。
 「やっと着いたなあ」と、ホッとした空気が私の身体を支配しました。
 途中、景色を見ながら、写真を撮りながら歩いてきましたので時間を要しています。上三財からここまで距離にして約
6kmほどでしょうか。
岐路、寒川は右へ

 見どころがいっぱい詰まった行程でした。しかしながら、感慨に浸っている暇はありません。先を急ごう。足は真っ直ぐ延びた砂利道へと向かいました。
 岐路からすぐのところに黄色の看板が見えましたので寄ってみました。すると、すぐそばに吊り橋が見えました。看板には定員
1名と書いてあります。
長さは
30mくらい、高さは1012mほどでそんなに目を見張るほど大きなものではありません。思い出に渡ってみることにしました。
 ところが、看板に書いてありましたように、よく揺れるんです。ちょっとしたスリルです。気の弱い人は途中で座り込みそうな、そんな吊り橋です。
 渡っても何もありませんが、足場に注意すれば渓谷にも降りられそうです。
 しかし、そんな時間はありませんので先に進むことにしました。
10分が経過しました。20分が経過しました。
 道は砂利のまま。ガケもだんだん険しくなり、ところどころ崩落の跡があります。谷はと言うといつの間にかはるか下方まで離れてしまっています。
 「おかしいなあ!地図によると、
15分から20分も歩けば寒川ダムがあるはずなのだが・・」。砂利道は歩きにくくなってきましたが、そんなに傾斜がきつくなったわけでもなく、このまま前に進んでみることにしました。
 ガケが高くなった関係で小規模ながら無名の滝がたくさんあります。対岸の山が迫り若葉のなんと目に染みること。
 多分、最高の森林浴に浸っていることでしょう。お腹も減ってきました。
 既に岐路から
40分が経過しています。あの山を回れば寒川、あのカーブを過ぎれば寒川と思いながらかなり入ってきました。
 元々、「寒川の集落は川沿いの開けたところにある」と言う先入観があったのです。だから、川に沿って歩いてきました。
 お腹もペコペコです。適当なところを見つけ昼を食べて引き返すことに決めました。
 昼食ですが、写真の通りいつも、このスタイルです。バナナは帰る途中歩きながら食べることにしています。
 もちろん、量的には全く足りません。しかし、ダイエットを兼ねてのウォーキングですので、ある程度の我慢は仕方ありません。
 その代わり、ゆっくりと味わって食べます。おにぎり1個がまさに、一流レストランの最高の味に思えます。
 バナナまで入れて
300円弱。山に入るとお金がかかりません。
 ところで、腰を下ろして改めて地図を確認しました。寒川集落は確認できませんが、寒川ダムは、やっぱり分岐している川の方にありました。
それも地図から推して歩いて
10分か15分くらいのところにです。完全に道を間違えたようです。しかし、行くとこすべてが始めてみる景色ばかり、まだ陽も高いので別に慌てたり後悔をすることなどありません。
 車一台通りませんが、道がチャンとあって危険なところがなければ、少なくとも足の向くまま気の向くままに進むのが私のウォーキングの姿勢です。

 道端の岩に腰掛けていると、聞こえてくるのは川のせせらぎ、それに鳥の鳴き声。特に寒川と言えば、愛好家には垂涎の的のメジロの宝庫です。
ここのメジロは姿かたちもさることながら、鳴き声が天下一品で、通にとっては高嶺の花です。いわゆるエリートメジロで有名なところです。そのメジロを目指して密猟の話しを聞いたこともあります。
 さてと、食事も終わりもう少しこの辺りの景色をカメラに収めたくて、10分ほど先に進んで引き返すことにしました。
 往きに写真は撮っていましたので、帰りは寄り道することなく足がスムーズに進みます。約40分弱で岐路のところまで戻ってこれるはずです。
 そう言えば3時間以上歩いているのに、足や身体に疲れを感じません。 
 これは、やっとウォーキングに身体が慣れてきたためでしょうか。
 そうであれば嬉しい限りです。右に吊り橋を見るところまできました。



無名滝

無名滝

無名滝

無名滝
揺る吊り橋定員1人 揺る吊り橋定員1人
看板注意
吊り橋の中央から
これは珍しい 景観抜群前川渓谷 前川渓谷 前川沿は未舗装に

いつもの昼食 直進と早合点
               寒 川 集 落 跡 を 訪 ね て
 
そして、もう一度標識と地図を確認しました。そして得た結論は、寒川集落は写真の急勾配を上った山の上にあると言うものでした。
 最初、橋のたもとで見た「寒川集落はここをまっすぐ」と言う標識が脳裏に焼き付き、さらに寒川集落は川沿いにあると思い込んでいた先入観が自分を前へ前へと進めたのでした。

 急勾配を上り始めましたが、5分、10分、15分セメント舗装は続きますが、かなりの急勾配です。坂が急過ぎてスイッチバック方式のように前に進んでバックして徐々に上へ上へ道が上がっています。
 途中からは道路一面枯葉で覆われています。道の山側はだんだん山肌がむき出しになってきました。谷側はガケ状態です。
 崩落の跡、落石などかなり厳しい道です。道の状態は極めて危険な感じです。
 もう
25分は経っています。「ほんとにこの上にそんな集落跡があるのかな」見上げると木々が道を覆っていて昼でも薄暗い状態です。
 正直、先がわからないので心細くなってきました。
(車一台通りませんが、道がチャンとあって危険なところがなければ、少なくとも足の向くまま気の向くままに進むのが私のウォーキングの姿勢・・・・・)なーんて書きましたが、訂正しなければなりませんね。
 道はほんといつ何時、石や岩が落ちてくるかわからないくらいでした。

 車ではさぞかし大変だろうなと思いながら、坂を上っていると前方が明るくなりました。
 どうやら集落に着いたようです。岐路から約
30分、2kmは歩いている勘定です。
 ここが寒川か。疲れもあり、しばし感慨にふけり立ち尽くしました。

 
直進して失敗 寒川集落登り口 寒川集落跡 寒川集落跡
寒川集落跡 寒川集落跡 寒川集落跡 寒川集落跡
寒川集落跡
寒川周辺の山々
寒川集落跡 寒川集落跡

 しかし、それにしても、これほど険しい山の中腹に、何故こんな集落を造ったのでしょうか。
 しかも、多い時には200名の人が暮らしていたなんて信じられません。
 集落の入り口は、「こんにちは!」と叫べば、返事が返ってきそうなほどキレイにしてありました。
 家々を見ると、なるほど全壊とまではいきませんが、とても住める状態ではないくらい壊してあります。高台などがないので集落の全貌を把握することは出来ません。
 前に進むと杉林があり、その先はロープが張ってあり立ち入りが出来ないようにしてあります。手前の天神山登り口から、少し入ったところの家は、(上の写真の一番下の右端ですが、)外から見ると人が住んでいるかのように、まだ新しいたたずまいを見せていました。
 私が訪ねた寒川の集落は、ほんの入り口の部分だけでしょう。その付近にある多くの家々は破壊されたり、石垣だけで全くなくなったりしています。
 かって、住んでいた人の気持ちはいかほどだったのでしょうか。
不便と言うことを経験したことがない私が軽々しく語るべきことではありませんが、百聞は一見にしかず。歴史の一端を知っただけでも今日のウォーキングは大変勉強になりました。
 ウィキペディアによりますと、限界集落と言うことばは、大野晃長野大学教授が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念とのことですが、その時期既に、寒川は廃墟と化していました。つまり消滅集落だったわけです。

宮崎市高岡町 浦之名川散策
 
 2008年4月15日。昨日と今日は連休です。
 おとといまで降っていた雨も昨日の朝、すっかり上がり、春を越えて初夏の陽気です。
 昨日は、青島から内海の山越えと何度か通った道を歩きました。
 今日は、宮崎市から西に入った旧高岡町の大淀川水系浦之名川に沿って上っていくことにしました。
 宮崎市の中心部から車で約30分。野尻町に上がる手前から右折してすぐの空き地に車を駐車させて、 ここからウォーキング開始です。
 果たして道があるやら、なにがあるやらはじめての道は興味津々です。
自生藤の花 自生藤の花
広沢ダムから真下を見る 広沢ダムのダム湖
ヤマブキの花 タケノコちょっと育ち過ぎ
 
 川があれば、ほとんど沿って道も通じているはずです。
 車を停めたところから少し歩くと、早くもバスの停留所がありました。民家もポツリポツリあります。
 と言うことは相当行っても大丈夫でしょう。むしろ、あまりにも山から離れたところに停めたなあと思いました。
 30分も歩いたでしょうか、周りの景色は、依然としてのどかな水田地帯が広がっています。
 その横を浦之名川が流れています。ほとんど稲作ですが、遊休地はレンゲのピンク色が鮮やかです。農家は、見渡しても数えるくらいしかありません。
 ほどなくバスの終点に着きました。時刻表を見ますと、運行時間は朝方と昼と夕方4時それに6時の1日4便しか走っていません。病人や高齢者は大変だろうなあと、正直思いました。
 バスの終着を過ぎて10分くらいのところから、上り坂がはじまりました。
 その横にこの辺りの地図がありました。それによると、距離は定かではありませんが上流にダムの印があります。
 これで目的地が決りました。

自生の藤の花 自生の藤の花 自生の藤の花 自生の藤の花
自生の藤の花 自生の藤の花 自生の藤の花 自生の藤の花
 
 両側とも広々していたのが、だんだん狭まってきます。やっと山に入った気分です。ここも新芽がたくさん芽吹いています。
 さして珍しい景色はありませんが、足元が上っていますので良い鍛錬にはなります。
 奥に入っても道幅はゆったり取ってあります。しかし、車はほとんど通りません。
 この一帯は伐採作業も行われていないし、隣町に通り抜けはできますが、何か用がない限りワザワザ山道を通るドライバーもいないでしょう。
 狭いより広々した道を歩くのが、気分的にラクですね。
 坂は依然として上っています。かなり急な上りです。道が広いのでジグザグしながら出来るだけ負担を軽減して上っていきました。
 脇のガードレールから見下ろすと、姿は見えませんがはるか下方からせせらぎの音が聞こえてきます。相当上ってきたことが判ります。
 そして、昨日も気づいたのですが、この辺りにも藤の花がところどころに咲いています。
 まだ、ピークーには少し早いのでしょうか。どれも小ぶりなものばかりです。
 ただ、数はこちらの方がかなり多いようです。
 歩き始めて1時間40分。道は平らになりました。川のある下方から滝のような音がします。
 見えないので判りませんが、ダムまではそう遠くないと言う気がします。谷までは相当深いようでダムがあっても十分の深さが取れるくらい上まで上がってきたようです。
 そして、歩き始めて丁度2時間。左前方に巨大なコンクリートのかたまりが見え始めました。

ヤマブキの花 ヤマブキの花 ヤマブキの花 筍だが手遅れ
広沢ダム 広沢ダム 広沢ダム 広沢ダムの車道

 沢ダムは、宮崎市高岡町浦之名から野尻に上がっていく坂道の手前から右に折れ、浦之名川に沿って約2時間15分ほどで辿り着きます。
 おっと失礼、ダイエットのためウォーキングでの所要時間です。
 ダムの周囲は原生林と杉などの人工林が半々の割合で山を覆っていて、特に今の時期、4月から5月にかけては、若葉が目に染みる森林浴には最高のシーズンを迎えます。
この広沢ダムの所在地は、高岡町ではなく宮崎県東諸県郡綾町大字入野になります。
 農林水産省が大淀川左岸地区の国営農業かんがい排水事業によって高岡町、綾町、野尻町の農地約2000haに対し、農業用水を確保するために大淀川水系浦之名川の上流部に建設したものです。
 平成17年度から本格的な取水が開始されたまだ新しいかんがい用のダムと言うことが出来ます。
 高さ62,3m、長さが199mあります。ダムの上は車が通ることが出来る道路になっています。
 宮崎県の年間降水量は、2500mm前後です。
 台風や梅雨時期のように降雨量が多い季節もあれば、夏の日照り、冬の少雨など場所と時機によっては大きく変動します。
かんがい用ダムはそのために安定的な農業用水を確保する施設として極めて大事です。
広沢ダム湖 広沢ダム湖 広沢ダム湖 上流から見たダム
広沢ダム 広沢ダム湖 上流から見たダム ダム下流の眺望
 
 やっと到着です。道路端からそっと見下ろしました。
 かんがい用ダムと先ほど通ってきたところに書いてありましたので、規模の小さなモノと思っていましたが、長さが199mは立派なダムです。
 しかも、まだ出来てそう時間が経っていない新しい施設のようです。ダムの頂上は右岸へ通じる自動車道が通っています。前方から軽自動車が向かってきました。
 このダムが橋替わりに使われているようで、この先も道が通じているようです。
 この広沢ダムまでは結構、道が広いと言っても両脇から山が迫って息苦しさを感じていましたので、急に開けた無限の空間は気分を爽快にさせてくれました。
 ダム湖もかなり大きなものです。花などの植栽もされていて、サクラやウメの開花時期は、鮮やかなんだろうなあと、ひとりつぶやいていました。
 ところで、よく見るとダム湖岸の至るところにダムへの立ち入り禁止の看板が立っていました。
 見るとどこも急峻なガケが湖面に繋がっています。湖面スレスレにテントや釣り座をこしらえた跡があります。
 釣り人が自分の縄張りを主張するために造ったのでしょうが、あまり感心することではありません。ヘラブナかコイか、はっきりしませんが、これだけの湖です。おそらく魚影が濃いのでしょう。隠れた穴場でしょうか。いずれにしても、事故のないようルールは守って欲しいものです。
 さあて、下ろうか。ひと通り景色を目に焼き付けて、帰りを急ぎました。
 上りはきつく感じましたが、下りは体重が直接ヒザに乗る感じで上りとあまり変わらないハードさです。
 ただ、どうしても重力の関係でスピードはあがりますが。
 車を停めていたところまで2時間、ダム以外何も目新しいものはありませんでしたが、またひとつウォーキングコースが広がりました。

4月の宮崎青島・内海・宮崎自然休養村
 
 早いもので、休みの日は健康とダイエットを兼ねてウォーキングで歩き回るようになって、半年が経ちました。主に名所・旧跡を選んで歩き回っているのですが、いつも家を出るのが昼前になり、遠くまで行くことが出来ず、近場でお茶を濁していると言うのが現状です。
 今回は、2008414日、15日と連休でしたので気合を入れて遠出しようと思ったのですが、なかなかどこにしようか決まらず。
 結局、宮崎市の青島に車を置いて海岸線を南下、内海から山間部を越えて駐車している青島までの
1周約25kmの周回コースを選びました。
 このコースは、今回が4度目になりますか。しかし、季節とともにコースはその姿を変え新しい発見や自然の偉大さを改めて感じる5時間のウォーキングになりました。
 青島の近くの駐車場をスタートしたのが、昼の12時ちょっと過ぎ。まず、青島の参道から宮崎県の亜熱帯植物園に立ち寄り南下しました。
 それにしても、青島の参道はまったく見るも無残の状態ですね。月曜日と言うことで訪れる人はいなく閑散としています。
 参道両脇のみやげ物店もシャッターが下りているところばかりで、新婚客で賑わった昔の面影は全くありません。
 この春、堀切トンネルが開通して多くの車は、バイパスを通るので青島へコースを取る車は激減しています。
 たまに通る県外ナンバーの車を客寄せしている駐車場の関係者がむなしく思えます。確かに、娯楽の多様化した現在、青島に魅力的なものを感じるものは、正直言ってありません。
 青島神社と亜熱帯、熱帯植物が自生していてもそれだけを目当てに駐車場からワザワザ歩いて行く観光客はあまり見かけません。
わずかに観光バスのコースに入っているくらいでしょうか。地元の人々も空店舗を利用して絵画の展示をしたり、若手の経営者が集まって、あれこれ方策を練っていますが、特効薬はなかなか見つからないのが現状です。
 参道に併設して宮崎県の青島亜熱帯植物園があります。玄関前にはキレイな花々が植栽されていますし、建物前には、下の写真のような素晴らしい花のオブジェがあります。
 今、青島に隣り合う「こどものくに」では、みやざきフラワーフェスタが開かれています。宮崎の大きなイベントのひとつで、宮崎県内でサテライト会場が設けられています。
メイン会場の「こどものくに」には、月曜日にもかかわらず多くの車が駐車していました。
青島の、折角お隣で大きなイベントが開かれています。
 もっともっとタイアップした企画が必要でしょう。

 

宮崎亜熱帯植物園(青島)
ハマヒルガオ

白浜海水浴場とサンクマール
白浜海水浴場
宮崎自然休養村内の新芽 宮崎自然休養村内の新芽
白浜城山公園の仏舎利塔
仏舎利塔の涅槃像
     紫波洲崎城(現在の仏舎利塔付近にあった山城)
 紫波洲崎城は、日向灘に突出した丘陵地帯に位置します。北西側から西眼下に突波川河口、青島漁港、折生迫漁港が広がり、北側に青島、東側に日向灘を一望できる天然の要塞上に築城されていました。したがって、その特異な立地条件から海(港)を治めた城と推測されます。現在、仏舎利塔がある平面L字形の平迫面(標高65m)が、当時の主郭と推定され、主郭を中心に北西側(現在の展望台がある場所)、南西側に曲輪が築かれており、南西側曲輪との間は、深い空堀で区切られていました。本城は、戦国時代を通して伊東氏、島津氏の争奪の舞台となりました。永禄年間(15581570年)には、伊東四十八城のひとつに数えられ、川崎上観府が城主でした。天正5(1577)以降は、島津氏領となり、宮崎地頭で上井寛兼の父、上井膿兼が在城しました。天正15年の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東氏領となり元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。
青島亜熱帯植物園 青島亜熱帯植物園 チューリップ チューリップ
チューリップ1輪 チューリップ1輪 チューリップ1輪 ハマヒルガオ
城山公園 城山公園 城山公園
白浜海水浴場 白浜海水浴場 白浜海水浴場 オートキャンプ場
  青島を過ぎて、青島漁港の横を通って目の前に「鬼の洗濯板」が見えてきます。ワンシトニアパームが植えてあり、白い砂浜があり、右前方の半島の突端には、白を基調とした瀟洒(しょうしゃ)な建物があります。
 ここは
JAが経営する、リゾートホテル「サンクマール」です。まさに海に対面していて、見晴らし抜群の温泉がウリです。露天風呂も人気があります。
 この手前一帯は、白い砂浜が続き、夏は海水浴客で賑わいます。ここが白浜海水浴場です。隣接してオートキャンプ場があり、現在は青島海水浴場より人気を博しているスポットです。
 この一帯の後背地に小高い山があります。城山公園と言い、
戦国時代から徳川幕府が出来るまで「紫波洲崎城」と言う名の山城がありました。
 現在、その山頂の城跡付近に
仏舎利塔がそびえ立っています。白浜はよく訪れますが、この山には登ったことがなく、いつか行ってみようと思っていました。
 もちろん、車道があり車で登ることが出来ます。しかし、今回はウォーキングの途中ですので徒歩で登りました。
 はじめての城山公園でしたが、写真を見ていただければ分かりますように山の頂上付近は、何も隔てるものがなく、太平洋と対面していますので、本当に景観が抜群でした。目の前に青島漁港がありその向こうに青島のホテル街、その東に青島が浮かんでいます。
 目を東から南に移すと眼下に白浜海水浴場と「鬼の洗濯岩」、白波が美しい太平洋に突き出た「サンクマールリゾート」
1度訪れて見てください。素晴らしい光景が広がっています。
 堀切峠と遜色ないと言っても過言ではありません。山頂には展望台や遊歩道、それに仏舎利塔がありますが、山自体がそんなに大きくなく設備もこじんまりとしています。

青島周辺の遠景 青島周辺の遠景 青島周辺の遠景 青島周辺の遠景
サンクマール温泉 サンクマール温泉 ハマヒルガオ ハマヒルガオ
 上側の写真は、城山公園から、北の方角を見たところです。パノラマ機能がわかりませんのでカメラを西から東へ動かして撮りました。
 よく雑誌や広告用に青島の写真を見ることがありますが、この場所から撮ったのもかなりあるよう気がします。反対に正反対の南にカメラを向けると「サンクマールリゾート」が鮮やかです。
 岬の突端ですので温泉に漬かりながら海を眺めると疲れも吹っ飛びます。
 たまたまこの日は晴れていたのですが、適度に海が荒れていて、青、白、オレンジ色がバランスよく、珍しくうまい具合に撮れました。

深い山にツツジ1本 深い山にツツジ1本 自生の藤の花 自生の藤の花
最高の森林浴場 最高の森林浴場 最高の森林浴場 最高の森林浴場
芽吹く木々 芽吹く木々 芽吹く木々 芽吹く木々
 青島を通って、白浜、「サンクマール」を過ぎれば、内海までの約6qは海岸線を歩くことになります。
 この辺りは一面「鬼の洗濯板」の特異の海岸線が続いていて、見応え十分の風景が続くのですが、訪れるのは地元の人ばかりで、それも釣り人ばかりで、地元・宮崎県人も、めったに来ることはありません。
 わずかに「サンクマール」に宿泊した人が、食事の前に散歩する程度でしょうか。折角の景色が知られないのはもったいないことです。
 海岸線を
30分も歩きますと、上方100mのところに、フェニックスの木が3本忽然(こつぜん)と現れます。
 そこが、あえぎながら坂道を上がってきて突然前が開けて太平洋が目に飛び込んでくる有名な堀切峠です。
 ま、海岸線を歩いていますと、「そんなの関係ない!」と言いますか、まったく違った感じに映ります。
 この海岸線を歩くこと約
1時間30分。舞台は山間部へと引き継がれます。内海から宮崎市加江田まで2時間の行程です。
 一山越えて下る難所でもあります。前回訪れたのが
2月。「梅はまだかいな」と言うころででした。ですから、約2ヶ月ぶりです。
 自然は偉大と言いますか、季節が変わり山の雰囲気も大きく変わっていました。
道端には黄色、白色、紫色の花があふれ木々は、もともと濃い緑色の上から黄緑色の芽を出しています。
 季節はまさに初夏の装い。何もかもが生き生きして見えます。
 行程の後半で少々疲れ気味の身体も気分的に癒されます。これが森林浴と言うのでしょうか。冬の間は、分からなかった藤の花やツツジがひょんなところに咲いていました。藤が小ぶりながらこんなたくさんあるとは驚きました。
 ところで、宮崎の春はほんと短いのです。サクラが終わったらもう初夏です。
これからはますます花々や木々の新緑が映える季節になります。
 同じコースばかりではなく新しい道や名所・旧跡をより多く紹介したいと思っています。

5月の宮崎自然休養村・日南海岸
 連休中に撮った写真がまだたくさん残り、早く整理しなければと思うのですが、休日はこうしてリュツクを担いで足の運動にでかけますので、なかなかアップロードする時間がとれずに困っています。
 その連休は近場を歩き回りました。5月5日は綾北川の上流を約3ヶ月ぶりに散策しました。
ただし、依然として落石や崩落防止の工事が行なわれているような危険箇所がたくさんあり、車はおそらく1年以上は通行することが出来ないと思います。
 何故なら数箇所で起きている崩落の規模が大きく、至る所落石の危険を伴う上に、この道路自体経済的にも生活にもさして大きな影響を及ぼす道路ではないため、予算がつきにくく部分的な小規模な工事に終始しているためです。
 この5日もそんな非常に危険な道路に足を踏み入れたのです。もちろん、途中からは進入禁止のための柵が設けてあり、危険を知らせる看板も何枚も目にしていますので何かあった場合はすべて自己責任です。
 そんな危険を冒しても入って行きたい衝動にかられるのは、この一帯にそれだけの魅力があるからでしょう。
 ただし、万一、落石や崩落でケガを負って動けないとしても、日曜や祭日は工事が行なわれていないので、だれも助けに来てくれたり、通りがかりという人はいないでしょうね。
 その時撮った写真は、後ほどアップするつもりです。
 その後、5月7日は自宅を午前9時丁度に出て、夕方18時まで、約1時間の休憩を挟み歩き続けました。これは、ゴールデンウィークのいずれか1日を使って自分に課している義務みたいなものです。ほとんど計画なしに歩くだけ歩くと言う無謀と言えば無謀ですが、ここ半年ウォーキングを行なっているお陰で今回、大分スタミナと体力が付いていることが、よーくわかりました。
ただ、下ろしたての靴を履きましたのでマメには泣かされました。結局、歩いた距離が40kmと、今までのなかでは、一番距離を延ばしました。このロングウォークは、ただ自分の体力と気力を試すためにやっているもので、カメラは持参していません。ただ、ひたすら歩くと言う単純そのものの鍛錬として、今後も続けていきたいと思っています。

知福川支流 好隣のせせらぎ 太平洋も荒れ模様 太平洋も荒れ模様
大丸川上流 大丸川上流 大丸川上流 大丸川上流
 2008年5月11日日曜日、今日はまだ1ヶ月前に訪れた宮崎市南部の宮崎自然休養林と海岸部を結ぶコースを歩きました。前の日降った雨のお陰で1ヶ月前、黄緑色の新芽だった木々も深い緑色にその色を変えていました。
 また、今回は前回と逆に、梅の名所の好隣梅公園の駐車場に車を停めて、時計と反対周りで歩くことにしました。1周するのに丁度4時間かかります。距離にして、約20kmです。
 前日の雨は、「こどものくに」を通って太平洋に注ぐ知福川の支流にも影響を与え水量が、かなり増えています。
 また、山の峠を越えると大丸川が現れてきます。こちらは、下流お内海港に注ぐ、普段はせせらぎですが、こちらも水量豊富に音を立てて流れ下っています。
 この前半の部分は約300m上って下るかなりハードなコースです。
 下り終えると内海の集落です。時間にして2時間丁度です。ここから、宮崎が誇る日南海岸を北上です。
海は大荒れ 海は大荒れ 無謀・大丈夫か? 無謀・大丈夫か?
無謀・大丈夫か? 無謀・大丈夫か? 海は大荒れ 無謀・大丈夫か?
 この日は、海がかなり荒れています。非常に強い台風2号が南大東島の南南東を北上していてそのウネリが入ってきているようで、いつもは太公望で賑わう沖の瀬一帯に人影一人いません。
 と、丁度道の駅「フェニックス」直下の堤防を下りた岩場で、若い男女が波を気にすることなく戯れているではありませんか。しかも、上の写真のようにすぐ近くまで大波が打ち付けていると言うのにです。
 当然、岩場に観光客はもちろん、釣り人一人いません。「なんと無謀なことするなあ」と、自分のことは棚に上げてそうつぶやいていました。ちょっと大きな波が来ればひとたまりもありません。おそらく、道の駅から下りてきた観光客だと思いますが、見ているこちらがヒヤヒヤしました。遠すぎて声が届かないのでそのままパスしましたが、その後、どうなったのか、ニュースで何もなかったので無事だったのでしょうが、かなり危ない位置を、ウロウロしていたのは事実です。

宮崎西部の名所 国富・法華嶽公園

+今年のサクラはいつもの年より、開花時期が長いように感じます。
 3月の26日に宮崎気象台が標本木の開花を宣言して2週間が経ちますが、宮崎県内の至るところで今盛期を迎えています。
 木によって、場所によって開花の時期にズレはありますが、「まだこんなに咲いていたのか」ともうけた気分になります。
 2008年4月8日(火)は、そんな1日でした。この日は会社が休みで、いつものようにトレーニングを兼ねてウォーキングです。
 このところの休みの日は、主に日南海岸や県南部を散策してまわりましたので、県央部分の紹介がおろそかになっていました。
 で、今回訪れたのは、宮崎の奥座敷と言われる綾町と国富町です。
 もっとも、綾町は綾北川に隣接する運動公園に車を駐車しただけで、底から国富町の法華嶽公園を目指しました。
 案内板によると駐車場から約3kmの急な上りです。この道を通るのは約20年ぶりでしょうか。駐車場の運動公園には、ナイターの設備がありますので、今からおよそ20年前は、よく草野球の試合をしに来ていました。
 グランドは当時と変わらず整備も行き届いていました。

ミツバツツジ

桃色ヤマツツジ
シャクナゲ
シャクナゲ

オオヤマツツジ

桃の花

八重ザクラ

ミツバツツジ
 法華嶽に続く道も広く立派になっていましたが、1kmも歩くと狭くカーブが多い当時と変わらない姿を呈していました。
 周囲は、杉林で小鳥のさえずりが心地よく聞こえてきます。丁度中間点辺りに温泉があったのですが、入り口が柵で閉められていました。いまはやってないのでしょうか。
 車はたまに通る程度で、杉の伐採作業をしている地元の人以外人の気配はありません。
 また、この山の周辺は竹林が多く、丁度今頃は、タケノコが取れることで有名です。そのタケノコを盗掘しに来る輩を撃退するために道路からは入れないよう柵や紐が、張り巡らされています。
 もっとも、盗んでいくのは何も人間に限ったことではありません。イノシシにとっては、大変なご馳走でキバをうまく使い掘り返した跡がたくさんあります。
 イノシシも賢く今の時期はタケノコにありつけると言うことをよく知っています。そうこうしているうちに国富町に入り法華嶽公園に到着しました。駐車場から約45分かかりました。
公園マップ 身投嶽展望台 宮崎方面
ミツバツツジ ミツバツツジ ミツバツツジ ミツバツツジ
抜群の眺望1 抜群の眺望2 抜群の眺望3 釈迦岳
法華嶽薬師寺 法華嶽薬師寺 法華嶽日本庭園 法華嶽日本庭園
 広さ330haにも及ぶ広大なこの公園には、リフトを併設したグラススキー場、テニスコート、500本の花木からなるシャクナゲ園、日本庭園、法華嶽薬師寺、展望台、流れる自然プールなど見応えのある施設が完備されています。
 また、お寺や和泉式部の伝説が残る由緒あるところでもあります。
 これらをひとまとめにして公園が形成されていて国富町の大きな目玉になっています。
 もちろんサクラも、ソメイヨシノや山ザクラそれに八重サクラなど
1800本とたくさん植栽されています。
 まずは、上方にある日本庭園、法華嶽薬師寺を目指しましたが、この道が少々難関でまさに急峻な坂が
800mも続きます。車もエンジンを吹かせて上っていました。
 途中、身投嶽展望台と何やら意味ありげな展望台からは遠く国富町や宮崎市、太平洋などが見渡せます。
 周囲は林ですが、真っ赤な葉っぱの木があり、何かと近づいてみましたら、ミツバツツジが満開でした。
 私、近眼で近くに行かないと判りづらいんです。さらにその横を見るとなんとシャクナゲが
3輪ほど花をつけているではありませんか。
 つぼみもたくさんあり間もなく開花を迎えようとしています。展望台からほど近くの杉などの雑木林の中に、なんでこんな花木が咲いているのか不思議でした。
 でもそれは後で「なんだそう言うことか」と理解はできました。公園の一番上部には日本庭園があります。とびきり素晴らしいというほどではありませんが、花園や休憩用の建物、枯山水など憩える施設ではあります。サクラも目を楽しませてくれます。
 庭園の真横には標高
830mの釈迦岳の登山道入り口へと続く道があります。この山の頂上まで約2時間もあれば到着するでしょうか。
 約
4kmの登山道はきつくもなく、易し過ぎることもなくまた、眺めが最高で多くの登山者に人気の山です。
 私も5回ほど登ったことがあります。日本庭園脇には法華嶽薬師寺があります。
こじんまりとしたお寺ですが、日本に3大薬師寺のひとつと言うことで春の法要の際は多くの参拝者で賑わいます。(法華嶽薬師寺については後ほど少し触れます。)

法華嶽日本庭園 法華嶽日本庭園 オオヤマツツジ オオヤマツツジ
桃色ヤマツツジ 桃色ヤマツツジ シャクナゲ シャクナゲ
シャクナゲ一輪 シャクナゲ一輪 シャクナゲ一輪 シャクナゲ一輪
シャクナゲ シャクナゲ ミツバツツジ ミツバツツジ
 上のその上の写真は、薬師寺の近くの展望台から撮ったものです。
 こんなにサクラがたくさんあるとは思いませんでした。しかも、満開状態で麓から斜面上部にかけて見事なものです。
 すぐ横には広大な広さを誇るグラススキー場があり、サクラの白色とスキー場の緑色が鮮やかなコントラストを描いていました。
 ちゃんとしたリフトも備え付けられていて、冬場のシーズンには多くの愛好家が訪れるそうです。
 このリフトを利用して上部の寺や日本庭園に行くこともできます。ただ、この日はグラススキー愛好者が皆無で、その上リフト利用者もなく、ひとり寂しく動いていました。
 折角ですので下りはこのグラススキー場を使わせていただきました。ソリスキーで遊べる子供用コースと長さ500mの上級者向けの本格コースに分かれていて、上級者コースはかなりの急勾配です。コースの芝生もきれいに刈り取られ整備が行き届いている印象を受けました。
 広大なグラススキー場に私ひとりだけ。急斜面ですが足元はしっかりしていてスキー場を独り占めして何か爽快な気分にさせられました。
 下りきったところに管理棟ヤクラブハウス、テニスコートが4面、その奥には、バーベキューの設備があり、持込みもそこで購入することもできます。
 地元特産の宮崎牛はさぞ美味しいことでしょう。その他こどもから大人まで楽しめる設備が完備されています。
 私もじっくり見て回ったのは、はじめてでこんなにたくさん見どころがあるとは思いもよりませんでした。中でもシャクナゲの鮮やかさには恐れ入りました。
 昨年、訪れた三股町のシャクナゲ園には規模で劣りますが、小さな池の周りにピンクや白色、朱色の花が約500本、満開状態で、中に一本ここにもミツバツツジが真っ赤な花を付け、見応えのある園を形作っていました。
 園内地図を見るともみじ谷があり、恐らく紅葉のシーズンには素晴らしい景色が観られるはずです。
 ひと通り見終わって公園を出ようとしたとき、目に飛び込んできたのがサクラの並木です。
 シャクナゲ園を出たその先に、芝生広場を囲むように満開のサクラが花開いていました。
しかも、人っ子ひとりいない芝生の上から四方のサクラを独り占め。都会では考えられない光景でしょう。芝生広場の真ん中に小川が流れその上からヒラヒラと花びらが散る様は、平安朝の宮廷でのサクラ遊びを彷彿とさせる美しさです。
 訪れたのが火曜日と言うこともあり、きつい山道を上がってきた疲れは、いつの間にかどこかに吹っ飛んでいました。
 四季を通して楽しめるこの法華嶽公園しっかりと頭の中に仕舞い込み先を急ぎました。


テニスコート 桃・白色混合花 桃・白色混合花 桃・白色混合花
見事なサクラ 抜群の雰囲気 見事のひと言 素晴らしい!!

風情ある桜1本 桃と八重ザクラ 桃と八重ザクラ 桃・白色混合花
マナーが問われています!!

 下の写真は、法華嶽公園から歩いて500mの範囲に棄てられていた不法投棄のゴミです。
 公園では「ゴミは持ち帰りましょう」と呼びかけても、車が少ないのをいいことに窓からのポイ捨ては良いはずがありません。
 それどころか、中にはダンプの荷台ごと棄てたと見られる大量のゴミの山もありました。
 綾町から法華嶽に向かって上っている途中の光景です。
 歩いて上っているので分かるのですが、はじめのうちは、「ゴミが棄ててあるな」程度にしか思いませんでしたが、あまりにも投棄場所が多いので怒りが込み上げてきて、写真に撮りアップしました。
 もちろん公園を訪れた人々はそんなマナーの悪いことはしないでしょう。規制や監視の目が厳しい宮崎など遠くから、はるばるここまで来て棄てて行ったのでしょうか。
 平行して走っている須志田・綾町入野線のガケ下も似たり寄ったりの光景が随所に見られました。
 確かに宮崎市内の山道は、どこも「これでもかこれでもか」と、不法投棄禁止やカメラ監視中の看板が立っています。
 それに比べこの法華嶽に通じる道沿いには、そうした看板がほとんど立っていません。だから棄てても良いという訳はありませんが、一度通って見ると目を背けたくなるマナーの悪さにへき易するはずです。綾町、国富町もたいへんでしょう。お察しします。

残念!不法投棄 残念!不法投棄 残念!不法投棄 残念!不法投棄

身投嶽展望台

平安時代の頃、女流歌人和泉式部が、悪病にかかり法華嶽薬師寺に参籠(さんろう)して大慈大悲の仏の御手にすがってひたすら読経を続けて平癒(へいゆ)を祈ったが、少しも効果がなく、我が身の業を嘆き生きる望みも絶え果て「南無薬師諸病しつ除の願立てて身より仏の名こそ惜しけれ」と辞世の一首を残し、千尋の谷底に身を投じました。しばらく気を失っていた式部は、あかねの日かげに薬師如来の御姿を見て「村雨はただひと時のものぞかし蓑笠(身の瘡)そこに脱ぎおけ」の御返歌を賜り正気に戻ったとき、悪病は平癒して再び玉の姿となり、喜んで京へ旅立ったといいます。ここはその伝説が残された地であり、宮崎平野を一望できる眺望絶景の地です。          (国富町 

法華嶽薬師寺の文化財

ここ法華嶽薬師寺は、養老2年(718年)に金峯山長喜院として釈迦岳山頂に建てられたのが創建とされています。越後(新潟県)の米山薬師堂、三河(愛知県)の鳳来寺薬師とともに日本三薬師のひとつとされ、かっては本堂伽藍のほか12の僧坊が立ち並ぶほどの隆盛を誇りました。寺の本尊である薬師如来及び両脇侍像は、その三尊他の仏像が安置されている須弥壇(しゅみだん)とともに、昭和40年8月17日に宮崎県指定の文化財になっています。薬師如来は、人間の病苦をいやし、苦悩を除くなど12の祈願をたてた如来です。この薬師三尊は、ともにヒノキ材の漆箔(しっぱく)仕上げ、玉眼かん入づくりです。入念かつ技巧的な作風で、平安時代の末期から鎌倉時代の初めに作られたと思われます。須弥壇(しゅみだん)は、唐様で朱塗り仕上げ、金箔押しのつくりです。黒漆と朱漆が交互に塗られ、唐獅子と牡丹が透かし彫りで美しく彫刻された、室町時代作製の優品です。(国富町教育委員会)
変化に富んだ宮崎県北郷町猪八重渓谷
 2008年4月2日曇り、宮崎県の南部に位置する北郷町の名所・猪八重渓谷にはじめて行ってきました。
 
猪八重渓谷は、広渡川の支流の猪八重川の更に支流猪八重谷川にはスケールは大きくはありませんが、姿形の美しい五重の滝をはじめ、流合の滝、岩つぼの滝など数々の滝があります。
 
猪八重谷川の周囲は猪八重風景林に指定され、岩山と森林が綺麗な自然林を形成しています。渓谷の入り口は猪八重線の終点の駐車場に位置しています。
 そこから一番奥の五重の滝まで約3km、ほとんど渓谷と平行してさえぎる木々があまりないので刻々と姿を変える渓谷の美しさを堪能しながら歩を進めることが出来ます。
 ここは年間を通して降雨量が多いので、樹木の育ちがよく幹の周りが3m、樹高が20〜30mにもなろうかと言う巨木を数多く見かけることが出来ます。
 イチイガシ、アラカシ、ツクバネガシスダジイなどブナ科の木々やカブノキ、イスノキ、ツブラシイ、クブノキなどのクスノキ科の木々が高さを競っていました。
 また、スギヤヒノキなど天然ものの巨木やハルニレ(ニレ科)などの樹木も多く自生しています。
 渓谷に入って程なくすると、きれいに整備された学習林があり、主な木々には説明板がついているので植物に造詣の浅いわたしなどは、大変勉強になります。
 さらに、この渓谷は降雨量が多いため年間を通して湿気が多く、コケの種類は日本有数と言われています。
一番奥に存在する五重の滝までは遊歩道が整備されていて、無理をしなければ約50分の道のりです。
ただ、エントランスや記帳小屋付近、3号橋付近など2〜3ヶ所、傾斜のきついところがありますので注意が必要です。

猪八重渓谷の吊り橋と巨大岩 猪八重渓谷・岩つぼの滝

 2008年4月2日(水)宮崎市田野町から30分。
 左の山の上に、北郷フェニックスを見ながら北郷中学校横を左に曲がって、5kmも走ると、猪八重渓谷入り口の駐車場に到着します。
 うっそうとした原生林と遊歩道から見える渓谷は、いろいろな顔して私を迎えてくれました。奥に進むと小規模ながら散在する滝群からほとばしる清涼の水しぶき。
 春から初夏にかけては輝く新緑が、夏には涼を求めて、秋は紅葉と広葉樹林を満喫するために訪れる人で賑わいます。
桜がきれいです 猪八重渓谷
猪八重渓谷 猪八重渓谷 猪八重渓谷 猪八重渓谷
大吊り橋3号橋 猪八重渓谷 猪八重渓谷
イチイガシ
        北郷 音色香の季 合歓のはな
 猪八重渓谷の入り口近くになにやら、平屋ですが、豪華な建物が建っていました。
 全部で
10数棟でしょうか。町の広報4月号を見ますと、高級リゾートが完成と、紹介されています。
 建物はアースカラーで彩られていて高級感を醸し出しています。
 地元特産の飫肥杉もふんだんに使われているとのことです。建物は宿泊棟のほか、レストラン棟、管理棟などに分かれています。
 宿泊棟はそれぞれが、独立した建物でプライベート空間が確保されています。
 専用の庭やテラス、温泉が楽しめる露天風呂も備え付けてあり、すぐ脇を流れる清流のせせらぎや小鳥のさえずりを聞きながら、ゆったりした時間が過ごせるようになっています。
 場所柄、四季折々山々の風景を味わえ、雄大な大自然と一体となり癒しのプライベート空間を過ごすには最適の施設ではないでしょうか。
 
 ただ、入り口には「合歓のはな」と言うプレートしかなく、もう一方の入り口は、ロープが張られていて「関係者以外の出入を禁ず」との看板は、はじめ胡散臭ささを感じたのが正直なところです。ですから写真は撮りませんでした。あまり、宣伝などはしない方針なのでしょう。
 土地の人に訊いてホテルと知った程度で詳しいことは判りませんが、なんでもかなりの料金らしいよと、こっそり教えてくれました。
流合の滝 岩つぼの滝 五重の滝 五重の滝
新装の温泉足湯
新装の温泉足湯 新装の温泉足湯
                 温  泉  足  湯

猪八重地区の入り口に「温泉足湯」(上の写真)ができました。」と広報に載せても、「温泉足湯場」に看板ひとつありません。
 確かに、北郷フェニックスへの入り口の看板に温泉足湯
3,8qと書かれても丁度道が分岐しているところ、それも看板ひとつなければ見逃してしまうでしょう。
 事実、私は花立公園デサクラを観てから歩いて猪八重渓谷に向かいましたが、何かあるなと言う程度の認識で通り過ごしていきました。
 帰りに女性が
2人いましたので、やっとわかった次第です。
 北郷町は宮崎県3番目の森林セラピー基地として認定されるそうですが、
 折角、遠くから来ても看板ひとつなければわかりません。
 場所的には、猪八重渓谷を散策した帰りに疲れを癒すには絶好のロケーションです。
 心身共にリラックス出来ることでしょう。と、書いていましたら、この
4月号の北郷町広報では、オープンは4月中頃とのこと。
 しかし、既に何人か漬かっています。ま、これが田舎の良さかもしれませんが。お代はただとのこと。嬉しいですね。

北郷町花立公園の見事な桜
 

飫肥街道随一の景勝の地

            花立山展望台
  
 「歴史の道100選」(平成8年文化庁指定)に選ばれた「飫肥街道」(通称「殿様街道」)は、1587年に飫肥藩初代藩主伊東祐兵により、飫肥から清武を結ぶ主要街道として整備されたと伝えられています。
 飫肥城・領地を巡る伊東家と島津家の度重なる合戦が繰り広げられた戦国時代から、歴史的なドラマに彩られてきた飫肥街道ですが、徳川幕府時代は城下間を人や物資が行き来する要路、そして、藩主が参勤交代のために上り下りする街道でした。
 城下を出発した参勤交代の行列は200名を越す大行列で、飫肥城から内之田を通り郷之原神社を過ぎて広渡川を渡り、一之瀬河原から急な坂道にかかります。
 この山道を登り詰めたところが、花立峠、つまり花立山の頂上です。
 ここで一行は「お膳立て」つまり籠を下ろし一休みしました。

 そして、飫肥の山河や遥か油津の港を眺め、故郷とのしばしの別れを惜しんだのです。遠い江戸に住む飫肥藩士たちの脳裏に絶えず思い浮かぶ光景であったに違いありません。
 「下にい。下にい。」と甲高い声が響き渡り、江戸まで約
40日間の長旅だったと伝えられています。

 飫肥街道は花立の山並みに囲まれながら、遠い歴史を今にとどめる貴重な文化遺産です。
 因みにこの街道の北の終点の清武と宮崎の境界沿いにある椿山森林公園には
2000種の椿とともに飫肥街道の名残の道があり、同公園のウリモノのひとつとなっています。

北郷フェニックスリゾートと桜 北郷フェニックスリゾートと桜
北郷・花立公園の見事な桜 北郷・花立公園の見事な桜
北郷・花立公園の見事な桜 北郷・花立公園の見事な桜
北郷・花立公園の見事な桜 展望所からの眺めは絶景
               
             宮崎県北郷町花立公園のサクラ

 
 標高489メートルの花立公園は、20ヘクタールの広い園内にソメイヨシノや山桜など1万本の桜があり、3月下旬から4月上旬の花見のシーズンには、山全体が鮮やかな白色に染まる桜の名所です。
 各所に遊歩道や休憩所、展望台が整備してありますので運動を兼ねて麓から徒歩で登るのも良いでしょう。
 ただ、その場合は車に注意が必要です。
 展望台から眼下を望めば北郷フェニックスカントリークラブが広がり、北郷の田園や遙かに日南市、そのまた向こうに太平洋までも一望に見下ろす絶好のロケーションが広がっています。
 フラワーガーデンも整備してあり、
1年中、花を楽しむことができます。
 心地よい風、小鳥のさえずり、美味しい空気。ここは「花立ビューパーク」。
 春の桜、つつじ、マンサク、夏のアジサイ、秋の萩、彼岸花、紅葉、冬は椿、サザンカなどなど。四季の移り変わりを樹木たちが演出してくれます。

 「フラワーガーデン」では季節の花々が優しく出迎えます。
 サクラとともに今は菜の花がきれいに咲いています。
また、足元のシバザクラはこれから5月にかけて鮮やかな深紅の花を咲かせます。
 ガーデニング好きの皆さんのお花畑(マイガーデン)も散策してみましょう。

 宮崎方面から日南海岸ロードパークを南下、日南市風田の太平洋と別れを告げる辺りから国道220号線を右折。
 約
15分も走ると、前方の山の上に鮮やかなホワイトカラーのホテルが見えてきます。これがシーガイアの一翼をなしていた宮崎県北郷町の北郷フェニックス温泉リゾートです。
 盛期に
2度ほど宿泊したことがありますが、温泉施設やホテルの目の前にはゴルフ場が広がっていて素晴らしいロケーションです。
 20084月2日、今回訪れたのは、噂でしか耳にしていなかった桜の見事さをこの目で確かめるためにです。
 で、その足で近くにある猪八重渓谷もトレーニングの一環としてついでに散策する魂胆です。
  北郷の町の中から見える鮮やかなホテルは、逆に上から見るともっともっと素晴らしい景観を呈します。これがホテルの大きなウリのひとつでもあります。
 しかし、過去訪れた時には、桜はどこにあるのだろうと言うのが、素朴な疑問でした。
2度訪れた際も、ゴルフ場にばかり気を取られて桜がどこにあるやら。
 見上げる山々は、ただの雑木林にしか見えませんでした。
 もちろん、訪れたのが夏場の暑い時期、サクラがどうのとか、花がどうのとか言う季節ではありませんでしたので当然と言えば当然です。
 ところで、その見事なサクラですが、北郷町のホームページで前知識を入れていましたので、スムーズに辿りつくことができました。
 そして、一目見て思ったことは、「やっぱり見事」、「素晴らしい」の一言しか言葉が見つかりません。
 標高
489mの花立山の6合目から上が、雪が降り積もったように、山一面が満開のサクラに覆われていました。
 麓から頂上まで車で登れますが、途中、フェニックスリゾートとの分岐店を右に曲がり、
5合目を過ぎた辺りからいきなり飛び込んできた別世界の光景に思わず息を飲み込みました。
 まさしく、噂通りの美しさです。
 頂上までの道には、展望所、休憩所や駐車場が完備してあり、自分の好きなところからサクラの樹海を満喫することができます。
 また、ホテル北郷フェニックスの広々とした駐車場をメイン会場に、カラオケ大会、和太鼓実演、お楽しみ抽選会、花の寄せ植え体験教室、花火大会などなどたくさんのイベントが企画されていました。
 ただし、イベントは
329日の1日のみ。サクラのライトアップも329日の1日のみ。
なんとも、もったいない話しですね。
 訪れたのが水曜日と、平日だったせいか、予想以上に車は多かったもののラクラク駐車できました。
 サクラの美しさと展望は写真を見ていただければ、納得されると思います。
 頂上をはじめ数箇所に休憩所を兼ねた展望所があり、日南市内や油津港まで遠望が利く上からの眺望や、下から見上げるサクラなど、いつまでもどこまでも欲張って写真を撮りましたが、悲しいかな腕の悪さは仕方ありません。

 よくソメイヨシノが3000本、○○サクラが500本と、ある面、大方の数字を誇っているサクラの名所がありますが、「ほんとにそんなにあるの?」と常に疑問に感じていました。
 ここ花立公園のサクラの数は
10000本とのこと。
 しかし、ここだけはあながち誇張でもないような気がします。
 豪華さ、スケールの大きさなど、私の心の中では、いままで見た限り県内では最高のサクラの名所でしょう。
 ただし、都城市高城町の観音池公園が麓の遊園地から背後にそびえる山の頂上まで立体的に整備を進めていますので数年後には、この公園がサクラの名所ナンバーワンを勝ち取るはずです。

 北郷町の観光情報はこちらから仕入れてください。

北郷町温泉観光協会 0987-55-2111


宮 崎 日 南 市 富 土 林 道 no2
 2008年3月25日、この日は、日曜出勤の代休です。前日までぐずついていた天気が見事に晴れ渡り、絶好の行楽日和です。
 ただ、寒気が入り西の風が吹いて花冷えと言った感じです。
先週の休みは雨に泣かされ、十分身体を動かすことが出来なかったので今日は、その分まで取り戻そうと、朝から勇んで出かけました。
 行く先は丁度1ヶ月前に訪れた日南市富土の北郷越林道です。
 前回、のぼった後、となり部落の伊比井から入る林道にものぼりましたが、急勾配の上、途中から砂利道でかなりハードでしたので、今回はこのコースを選びました。


しょかっさい うすあかかたばみ
ゼンマイ こんにちは!
富土の山ザクラ1 富土の山ザクラ2
 
 3月の下旬ともなると、山や道沿いの風景はかなり華やいで、1ヶ月前と比べると違った場所に思えました。
 道端にはたくさんの名前を知らない野草が咲き乱れています。
 白色、黄色、空色、紫色、赤色などなど。みな太陽の光を一身に浴びて生き生きしています。
 帰りも同じ道を通るので、主なものだけ写真に収め先を急ぎました。
 ところで、ウグイスとメジロの多さにはびっくりです。四方八方から、ホーホケキョウ・キョキョキョキョッ・・・・。
 メジロも、鳴き声大会に出たら優勝しそうな美声を辺り一面に響かせています。
 まさに生命の息吹を感じ、私自身もそのエキスを十分もらっている感じがします。
 さらに、上を見上げると、あんなところやこんなところに、あったのかと思うほど、山ザクラがあちらこちらに咲いています。
 山の頂上や中腹の原生林の中、杉林をかき分けて花を咲かせています。
ただ、若干、時機を逸したようで、茶褐色の葉だけと言う木々も大分ありました。
 山ザクラと言えば、宮崎市の堀切峠の山頂付近の群生が有名でしたが、こうして一歩山に入ると今まで知らなかった世界が目の前に広がるのは何か非常に新鮮で、得をした気分になります。
 ここに自生している山ザクラは、みな樹高が20〜30mもあります。
 日光を浴びるためには周辺の木をかき分けて必死に幹を伸ばさなくてはなりません。
 特に、杉の林の中に自生しているものは杉自身がそびえるほどの高さなので大変です。
 そんな自然界の「弱肉競争」に打ち勝ち、日光が吸収出来るほどに幹を伸ばしたものだけが、樹木いっぱいに花ビラを咲かせることができるのでしょうか。
 遠くから鮮やかな白色やピンクの花ビラを観ることが出来ました。マチのサクラと比べものにならないくらい過酷な自然の中で長生きする山ザクラの生命力がなせるワザなのでしょう。
 そう考えると山ザクラに感動を覚えました。
 しかし、写真を撮ろうとするのですが、なかなか良い位置で撮れません。
 ほとんどが逆光の位置にあります。また、林道は両脇とも木々に覆われ見通しが利きません。残念ですが、仕方ありません。
 前回は土曜日で車は2台しか通りませんでしたが、今日はウィークデーの火曜日、かなりの量の車が私を抜いて行きました。
 その数往きが6台、帰りが3台の計9台です。
 大半は杉の植林作業をしている人たちで、あとは頂上付近に居を構える住人と、北郷まで近道を決め込んだこの林道をよく知る人が2人と言った割合です。

しょかっさい しょかっさい うすあかかたばみ オオジシバリ
富土の山桜 富土の山桜 富土の山桜 富土の山桜
富土の山桜 富土の山桜 富土の山桜 富土の山桜
ゼンマイ ゼンマイ ゼンマイ 鳥肌が立ちそう

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 麓から折り返しまでは、約14qあります。山越えの林道ですので往きはほとんど上りです。
歩き始めて20分もすると、花冷えながら汗がでてきました。
 2度目のコースなので精神的には比較的ラクですが、ここ3週間長い時間を動いていなかったので少々バテぎみです。
 約1時間40分のぼったところの丸太が一本あるところで昼食を取りました。
 メニューは、いつもほとんど一緒。途中のコンビニで仕入れる105円のおにぎり一個と菓子パンそれにバナナ一本です。しめて290円です。
 ときにはゼイタクして130円の明太子入りおにぎりにすることもあります。
安上がりですが、身体をひとしきり動かして、大空の下で食べるおにぎりの美味しさは、超一流レストランのコース料理にヒケを取りません。不思議なもんですね。
 特に食事は場所と状況により美味しさがまるで違うことはよくあります。
 しかし、そんな昼食でも10分ほどですぐ出発します。出来るだけいろいろなものを見たいので。
 3月も下旬の時期が時期。山にはいろんな生命が溢れています。
 中でも苦手なヘビだけは遭わないように、道の真ん中を意識してのぼりましたが、やっぱり遭遇してしまいました。ヤマカガシのようです。それも道の真ん中で休んでいるもんですから、ビックリです。
 啓蟄はとっくに過ぎているのでべつに出てきても何もおかしくはありませんが、前述したように今日は気温が高くありません。
 ヘビも凍えているのでしょうか、むしのいき状態です。
 とりあえず今年初の顔合わせです。長居は無用ですので軽くアイサツを交わしてその場を立ち去りました。
 結局、往きは前回とほぼ同じ3時間弱かかりました。
 時計を見ると、午後の3時を過ぎていました。のぼりはバテぎみでしたが、くだりはヒザが心配です。
 ソロリソロリと時間をかけてくだりました。が、のぼる道すがらあんなに咲いていた野草はどこへ行ったのだろう。
 目をこらしてみると、花びらを閉じています。
 そう、帰りの道は陽が傾きほとんどが日陰です。
 花に素人の浅はかさ。ひとつ勉強しました。

 

宮 崎 堀 切 峠 の 山 ザ ク ラ

08`3月14日

08`3月14日

08`3月14日

08`3月14日
 山ザクラは、同じ地域の木々でも個体変異が多く、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡、新芽の色、樹の形など様々な変異があります。
 したがって、同じ場所に育つ樹木でも一週間程度の開花時期のずれがあるため、短期間の開花時期に集中して花見をする必要はなく、じっくりと観察することができます。
 上の写真は3月14日に写したものですが、3月21日に訪れた時は、既に葉桜と化していました。替わりに周辺のべつの樹木が開花していました。
 ソメイヨシノの植栽の普及する前の花見文化はむしろ、このように長期間にわたって散発的に行われるものでした。
 新芽から展開しかけの若い葉の色は特に変異が大きく、赤紫色、褐色、黄緑色、緑色などがあり、裏面が白色を帯びます。
 花弁は5枚で、色は一般的に白色、淡紅色だが、淡紅紫色や先端の色が濃いものなど変化も見られます。樹皮は暗褐色または暗灰色をしています。



2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日開通直前のR220

2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日堀切峠

2008年3月21日堀切峠
 
 2008年3月22日、東京、静岡、熊本などではソメイヨシノの開花宣言が出ました。 
 今年は、2月に寒い日が続き開花も例年と比べ遅れることが予想されていましたが、 
 2月になって暖かい日が続き平年並の開花宣言になったようです。
 開花宣言から約一週間から 10日で満開を迎えますので、月末から月初めにかけて関東以南の日本各地はサクラの見ごろとなり多くの人々が繰り出すことでしょう。 
 ところで、私は、まだ山ザクラを追いかけています。
 昨年は、始めての経験で自生しているところに何回も通いましたが、まだ早過ぎたり遅すぎたりとなかなかタイミングが合わず、結局、良い写真を撮ることが出来ませんでした。
 今年は、去年の轍(てつ)を踏まないように自生地に何回も足を運び、なんとかまともな写真をと、願っていましたが、残念ながら今年も去年とさして変わり映えしない写真しか撮れませんでした。
 写真はいずれも 宮崎市の南部・堀切峠近辺の山ザクラです。 
 3月21日の撮影です。先程も紹介しましたように、山ザクラは変異が多く個体によって開花の時期が違います。
 ソメイヨシノなどのように、開花宣言が出た後、 1週間で一斉に満開と言うことはありません。
それだけに堀切峠のようにかなりの数の山ザクラが群生して、開花も比較的同時期と言うスポットは、宮崎県内ではあまりみかけません。
 堀切峠の頂上付近と山中、国道220 号沿いは開花しますと、とても鮮やかです。
 今年は特に国道220号堀切トンネルが開通し、今まで観ることの出来なかった内陸部の群生が観られるようになったのは、朗報です。
 この日はまだ開通前で、ガードマンにお願いして自生地近くまで行って撮ったものも紹介してあります。 ここでは、例年ですと、3月中旬頃から咲き始め3月下旬まで楽しめます。
ただし、年によってや場所によって開花にずれがありますので、欲張って山一面に淡いピンクを堪能できるわけではありません。 
  

     
宮崎堀切峠の山ザクラと開通前日の国道220号堀切トンネル周辺
 山ザクラ(山桜)は日本に自生するサクラの野性種のひとつです。
 これを原種として選抜された栽培品種もたくさんあります。
 落葉高木で、サクラの仲間では寿命が長く条件さえ良ければ大木になる可能性がたかい品種です。
 多くの場合葉芽と花が同時に開きます。
 日本の野生の桜の代表的な種で、和歌にも数多く詠まれています。
 日本列島、朝鮮半島に分布。開花時期は3月〜4月頃。
  幹の直径は1mを越えるまで生長し、サクラの仲間では巨樹となり、長寿な種であります。
 春、葉が展葉すると同時に開花し、葉桜となります。
 吉野の山の「1000本ザクラ」はこの山ザクラでその美しさは、将に絶品です。


日 向 岬 そ の 1

 宮崎県日向市は、背後を山に東面を太平洋に向き合っています。
 昭和39年には日向延岡新産業都市に指定され、静かな内湾が埋め立てられ広大な土地が工業用地として出現しました。
 当時、地元の人々は大企業が次々と埋め立てた土地に進出し、日向延岡は日本有数の工業地帯として発展すると信じばら色の夢を描いていました。
 ところが、埋め立てた広大な用地に進出した企業はほんのわずかで、大半はペンペン草の生える荒地と化しました。地元市民が描いた夢はつゆと消えました。
 現在まで、埋め立てた土地が全て利用されることはありませんでした。
工業港には数万トン級の船が接岸出来る岸壁を有していますが、関西地方と首都圏を結んでいたカーフェリーは、利用客の減少と宮崎港の整備が進み、その基地が宮崎に移ってしまい、今は昔の寂しい姿をさらしています。
 それとは対照的に工業用地の南に位置する日向岬一帯は、素晴らしい自然の景観を利用して観光地として、整備が進み、多くの人々にかなり知られる存在になってきました。
 2008年3月18日、そんな整備が進む日向岬を久しぶりにおとずれました。
 ただ、今回は時間がなく、ほんの一部しか紹介できませんが、少しだけ触れさせていただきます。
 岬の突端には日向岬灯台がありますが、岬は道路が整備されていて突端近くまで立派な道が岬に張り巡らされて、とても便利です。
 例によって、私の目的はこの岬を2本の足で歩くことです。つまり、ダイエットの一環です。
 車を岬の南に位置する小倉が浜運動公園の駐車場に停めたのが午後の2時。そこから日向岬の突端までは、約8kmで、結構きつい上り下りの勾配がありますので、片道2時間往復4時間はかかる予定です。しかも、運動公園の駐車場は午後5時で閉まるので、この日はとても時間が足りません。
 駐車場の東側一帯は、小倉が浜と言って約6kmに渡って白砂青松の美しい海岸線が続いています。
 その南端はサーフィンのメッカになっています。
 日向岬は、運動公園から北の方角へ向かいます。深い緑で覆われた松林の中には、ジョギングやウォーキング用のコースが設置されています。舗装されていなく足や膝の悪い人には格好のコースです。
 運動公園から松林に入り北へ向かって約30分歩くと川に出ます。
 日向市内を貫通して丁度太平洋に注ぐ河口に当ります。
 この川は塩見川と言い、車で橋を通過するには100円を払わなければなりません。
 つまり有料道路です。宮崎方面から北進する際、日向市の南部地区は、国道10号線が片側一車線なので混んでいる時、この橋を利用すると、渋滞に巻き込まれずに日向市の北部地区に出ることができます。 この塩見大橋を渡って、しばらく行くと右手に海岸が見えてきます。
 そこを突っ切っていくと日向岬へと通じる道路に出ます。火曜日とウィークデーだったせいか、通る車も少なくゆったりと歩くことが出来ました。
 途中にはいろんな花が咲いています。野草もたくさんありましたが、あまり詳しくないので名前が分かりません。あとで調べて書き込むことにします。
 付け根付近から道は上っています。大した勾配ではありませんが・・・・。
 途中、標識がありました。この岬の代表的な名所4ヶ所が、書かれていました。
 今日はその全部を回る予定でしたが、時間的にとても無理です。
 しかも、皮肉なことに天気予報は午後3時頃から雨が降ると言っていましたが、全くドンピシャッ当りです。丁度3時に雨が落ちてきました。出来るだけ軽装でと、雨具などは用意していません。
 この雨も今日の私の行く手をさえぎりました。

 まだ、3月ですが、ツツジが一輪いや二輪可憐な花を付けていました。道路わきからは、ウグイスやメジロの鳴き声が聞こえてきます。
 道路わきを見ると遠くに白いものが咲いていました。何だろうと入っていくとそれはモクレンの花でした。そんなに大きな木ではありませんでしたが、花の直径は随分大きく20cmもありました。椿は定番です。何とかまともにカメラに収めることができました。
日向市伊勢が浜海水浴場の賑わい

日向市伊勢が浜海水浴場
日向市伊勢が浜海水浴場

日向市グリーンパーク野外音楽堂
落下した椿の花
皆景観抜群 自生の大木蓮 自生の大木蓮 自生の大木蓮
早咲きツツジ
  ここが伊勢が浜海水浴場です。
 外海に面していますが、入り口付近が若干狭くなっていて、また、遠浅で、しかも水質は抜群にキレイで、「日本の海水浴場88選」に選ばれている日向が誇れる海水浴場です。
 ここの砂浜は、水辺から100m近くもあり、凹凸が少なくサラサラしていて、とても広々しています。
 ただ、気をつけないといけないことは、外海に面していますので、結構波が高くなりやすいと言うことです。
 砂浜と対照的に両側は奇岩・大岩が迫り抜群の景観をなしています。 
 下の写真のように遊歩道やヤシの木や売店、脱衣場、駐車場など完備されていて、シーズンには多くの人で賑わいます。サーフィンやボディボードも出来ないことはありませんが、海岸線がそんなに大きくないため、多くは南の「小倉が浜」やもう少し南下したところにある「金ヶ浜」がメッカになっています。
 伊勢が浜海水浴場は、日向岬の丁度南面の付け根に位置しています。
伊勢が浜海水浴場 伊勢が浜海水浴場 伊勢が浜海水浴場 伊勢が浜海水浴場
日向岬の椿 日向岬の椿 日向岬の椿 日向岬の椿
グリーンパーク グリーンパーク グリーンパーク グリーンパーク
 岬の道路に入って30分やっと広々とした所に着きました。ここが下の写真でも紹介していますグリーンパークです。野外ステージを備えた立派な施設です。
 四季を通してイベントヤコンサートなどが開催されています。野外ステージは、前後両方向で出来るようになっていて山側は傾斜の付いた観客席に。
 反対側はどこまでも広い芝生が続いています。こんな立派な施設を有していますが、名の通ったコンサートやイベントは少なくとも私は、聞いたことがありません。
 いろんなイベントはやっているのでしょうが・・・。なんかもったいないほど、広大な施設です。
 ここまで来て雨は強くなるばかりです。
 まだ、昼食も済ませていなかったので、野外ステージでやっと腹ごしらえすることが出来ました。日向岬のハイライトはこれから先に集中しているのですが、雨と時間がなく今回は断念することにしました。最後に、登る途中見つけた珍しい風景です。
 一番下の写真ですが、竹笹が電柱を支えているワイヤのプラスチックの筒を成長してきて顔をのぞかせていました。
 よく竹林の近くではコンクリートを突き抜けて地表にあらわれたり、屋根を突き破って天を目指すタケノコをテレビなどで見かけますが、この笹も少しばかり珍しいと思い写真に収めました。
 
あれれれれ・・?
あれれれれ・・?

あれれれれ・・?

あれれれれ・・?
宮 崎 育 成 牧 場 横 の 椿
 宮崎市の北部地区、JR宮崎神宮駅のほど近くに宮崎育成牧場があります。温暖な気候条件を生かして競走馬の育成を行いながら、「馬のいる公園」としても施設を一般開放しています。
 かつてこの場所は宮崎競馬場として、明治40年から昭和38年まで競馬が行われてきました。途中、戦争激化により昭和18年に国営競馬が中止となりますが、終戦後は昭和38年まで地方競馬が開催されてきました。
 この育成牧場の周囲にはワシントニアパーム、クスノキ、クロガネモチ、イチイガシなど街路樹が植栽されています。なかでも、今の時期はツバキが見事に咲き誇っています。

宮崎育成牧場横のツバキの花1

宮崎育成牧場横のツバキの花2

宮崎育成牧場横のツバキの花3

JRA宮崎育成牧場
 昨年、3月始め気づいたのですが、53本のツバキの木が一斉に深紅の花を咲かせる様は、それは見事です。花木はそんなに大きくありませんが、枝いっぱいに花を付けます。
昨年は、一度観てすぐに終わるだろうと、タカをくくっていました。
 ところが、何時まで経っても次から次へ花をつけるのです。朝、通るときは道路にたくさんの花が落ちています。
 でも木の枝には次の花が咲いているのです。約3週間は続いたでしょうか。生命力の強さ、スタミナ?にはほんと感心させられました。掃除をする人も大変です。
 毎日、毎日たくさんの花を掻き集めるのですから。
 で、今年は3月8日頃から本格的に咲き始めました。宮崎も2月が少々寒かったので開花時機も遅れたようです。しかし、咲き始めるとあっという間に枝いっぱいに花を付けます。正直なところツバキは種類が多すぎて正確な名前は分かりませんが、今年も見事に咲いています。3月下旬近くまでは、下の写真のように、こんな感じで人々の目を楽しませてくれそうです。
育成牧場横の椿1
育成牧場横の椿2 育成牧場横の椿3 育成牧場横の椿4
育成牧場横の椿5 育成牧場横の椿6 育成牧場横の椿7 育成牧場横の椿8
育成牧場横の椿9
育成牧場横の椿10
育成牧場横の椿11
育成牧場横の椿12

 因みに、宮崎育成牧場で育てた馬で中央競馬でも名の通った馬はたくさんいます。
 活躍馬には、タムロチェリー(2001阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)、2001小倉2歳ステークス(GIII))、ユウミロク(1983カブトヤマ記念(GIII)、1986オークス(GI) 2着、:ユウセンショウ、ゴーカイ、ユウフヨウホウの母)、ミナミノアカリ(1992アルゼンチン共和国杯(GII))、キングデール(1999サラブレッドチャレンジカップ(GIII))、イシヤクマッハ(2001グランシャリオカップ(GIII))、ミツルリュウホウ(1998若草S(OP)、1998ダービー(GI) 5着)、リスクフローラ(1994報知杯4歳牝馬特別(GII) 2着)、トラストカンカン(1993いちょうS(OP)、朝日杯3歳S(GI) 3着)などがいます。
また、オールドファンには懐かしい往年の名馬カブトシローもここで一時期トレーニングしていたことがあります。
見どころいっぱいの綾南川散策

 2008年5月26日(月)、久しぶりに綾南川(本庄川)を上流へ向かいました。月曜日と言うことで名所の照葉大吊り橋を訪れる車は少ないと思ったからです。
綾町の中心に位置する役場から吊り橋までは約10qあります。歩くには丁度良い距離です。
とりあえず、車を役場の近くの駐車場に停め、いつものようにリュックサックにはおにぎりとパンを仕入れいざ出発です。時間は午後0時30分。
 実は、このコースを歩くのは今回が初めてです。綾町に来たら、もっぱら綾北川に沿って歩いていました。南川沿いは大吊り橋を訪れる人々が多く車も当然多いので敬遠していました。ただ、南川沿いの道路は、吊り橋と言う観光地を控えていますので、写真の通りほぼ完全2車線と整備状態は綾北川と比べ、「月とスッポン」ほどの違いがあります。
 吊り橋の約2q手前から上り坂が続く程度であとは、ほとんど平坦に近く歩きやすい道路です。もちろん、車では何度も通った道ですが、歩くとどこでもそうですが、今まで通った道と全く違って見えるから不思議です。
 今回もそうでした。道路に沿って流れている綾南川が、こんなに見られるとは思いませんでした。行程のほとんどでV字谷の峡谷を見ることが出来ます。道路端からガードレール越しに見ると、まさに絶壁で足がすくみます。
 そんな光景を見ながら進むと時間もあっと言う間に過ぎていきます。途中、写真のような子イノシシが道路脇で死んでいました。まだ、そんなに時間は経っていないようです。おそらく車に跳ねられたのでしょう。
 この辺りはイノシシはもちろんニホンシカ、ニホンカモシカも多く生息しています。
 紹介している写真は歩く途中に撮った写真ですが、車ですとこうはいきません。ほとんど見過ごしてしまうはずです。
 千尋の滝など、私も何度もこの道を通っているのにその存在すら気づきませんでした。道路から50mと書いてありましたので、狭い道に張ってあるロープを伝い下りていくと、案外簡単に滝に辿りつきました。
 高さ30m強でしょうか。滝つぼもある立派な滝です。真下まで下りると、滝風の気持ち良いこと。マイナスイオンを身体いっぱい吸い込んだ感じです。
 今日はことのほか暑く、都城市で33.1度を記録していますので、この辺りでも32〜3度はいっているはずです。滝の下はまるで冷蔵庫のようです。いい場所を見つけました。暑い時に来ると最高の場所です。
 大吊り橋までは、1件食堂があるだけで飲料水の自動販売機も見当たりません。その食堂からは、美味しそうな地鶏の炭火焼きのにおいがしてきます。ビールでキューッといっぱいやると最高ですが・・・・。

清流綾南川 清流綾南川 清流綾南川
吊り橋手前の坂 道路整備は十分 照葉大吊り橋 照葉大吊り橋
照葉大吊り橋 照葉大吊り橋
吊り橋から 狭い道 急峻な道 時には平坦地も
社殿に人が 神社の説書き 社殿から見た鳥居
正面社殿 側面にも社殿が 周りは杉の大木 真新しい社務所

宮崎の奥座敷 新緑の照葉樹林
 私が前回、綾北川沿いを歩いたのが2008年2月24日です。
今日は、5月4日ですので、まだ2ヶ月しか経過していません。たった2ヶ月ほどですが、山の様子も随分変わるものですね。
 たまたま、時機が冬の終わりから初夏となると、山には新芽が出て色合いも、生き生きしていていかにもエネルギーを放出しているかのようです。
下の右端に紹介した写真なんぞ、まさにその典型でしょう。
 ラジオを聴いていたら、地元民放のアナウンサーが番組の中で、「山の新芽のうち白い新芽は遠目に見ると、まるでサラダみたい。ドレッシングをかけて食べたい!」と、話していましたが、まさに言い得て妙。
しかし、私には、下記の写真は、白いカリフラワーの周りに、こんもりしたブロッコリーが取り囲んでいるように見えました。酢ミソをつけて食べたら美味しそうです。
 上に山の全体像を地図を紹介紹介していますが、この川には3箇所のダムが、架かっています。
しかし、今回2度目のウォーキングですが、一番下流のダムにさえまだ、たどり着いていません。
 下の写真を見ていただくと、よくわかりますが、道路から下の渓谷まで100m位はあるでしょうか、そんな上の方を山肌にしがみついて道が通っています。
 したがって、前回もそうでしたように、崩落の危険と改良工事のため、発電所から3km先で道路は封鎖されているのです。
 そこは、ほんとうは立ち入り禁止なのですが、あえてと言いますか、自己責任で奥へ奥へと進んで行っているのです。
 その立ち入りが制限されている柵から歩くこと1時間30分で、下の写真の滝に到着します。
写真で紹介しているのは、道路から川面に落ちる様子を撮ったものですが、まさに直角に100mはあろうかと言う川面に向かって落ちる、即ち滝の真上から撮っていますので迫力満点です。ただ、両脇に岩が迫ってきて、「昼なお暗き」状態で鮮度が落ちているのが残念です。
 前日、雨が降ったことも影響して水の量が多く、周囲の木々も十分水を吸って一層緑が目に鮮やかに飛び込んできます。
 2月の山の様子とまるっきり違っていました。森林浴を堪能したと言う感じです。
 道に問題がなければ一番先に進めたい素晴らしい照葉樹林が見られます。
綾の2本の川の様子、吊橋は綾南川沿い
下りたいのだが? 上流は迫力満点 崩落跡の河川敷 川まで人はムリ
下まで100m? 迫力満点の滝
左に同じ
山はエネルギッシュ

宮崎の奥座敷綾の照葉樹林紀行

歩き始めは広々

奥に進むほどに対岸が迫ります

絵のような素晴らしさです

冬でも緑一色の照葉樹林

台風による崖崩れの跡
至る所に大木が幹周り3m50

 2008年2月23日、私は暖かな、日南海岸に面した山の東面をゆっくりゆっくり上っていました。
 気温16度、まさに春そのものです。道路脇の奥の方からは、メジロに交じって、「ホーホケキョ」と、ウグイスの鳴き声も聞こえてきます。(この辺りのウグイスの初鳴きが何時頃かわかりませんが。)
 汗ばむほどの陽気に誘われて、春を告げているようです。
 そして翌日、こんどは宮崎市の奥座敷と言われる綾町を訪れました。
 町の中心部一帯ではこの地方独特のヒナ飾り、雛山(ひなやま)祭りが賑々しく行われ、たくさんの観光客がスケールが大きくかつ、きめ細かな雛山に感嘆の声を挙げていました。
 雛山祭りについては、「宮崎の祭り」のページで詳しく紹介していますので、今回はパスさせていただきます。
 今日の目的は、綾町を囲むように流れる2つの川の一つ、綾北川沿いを歩くことです。
 因みに過去、日本一を誇った「照葉大吊り橋」が架かっているのは、綾南川(本庄川)の上流です。
 北の方を選んだのは、南と比べ、通行量が圧倒的に少ないからです。
 と言いますのも、道自体は綾町から小林市須木まで通っているのですが、崖がせり出して土地の確保が難しく整備が遅れたり、災害に弱いなどの理由で、ポツンポツンと点在する民家の自家用車や下流域近くの湧き水を汲みに来る人以外通行する車がないのです。この道を通って須木に行く人はいないでしょう。
 車輌といえば、工事の車くらいでしょうか。もっとも、歩いた日は日曜日で、工事も行われてなかったために工事車輌の通行もありませんでしたが。
 ただ、車を置いて約40分歩いた奥から先は、災害復旧工事につき「車両通行禁止」の看板が掛かっていました。
         
      
道路の整備は遅れていてしかも、台風の爪あとが至る所に

 なるほど、対岸を見ると、至る所で崖崩れの跡がそのままの状態で残っています。一方、こちら側の山肌を見上げると、いつ落ちてきてもおかしくないような絶壁の連続です。
 「車両通行禁止」の標識を潜(くぐ)り抜けて来た手前、心の中が落ち着きません。
 この一帯は、2年半前の台風のつめ跡が、まだまだ色濃く残っています。
 歩き出した地点は視界も大きく広がっていましたが、進むに従い対岸が間近に迫ってきます。樫の木や椎の木、イチイ樫の大木など照葉樹特有の原生林が山を埋め尽くしています。
 この光景は、綾南川沿いの光景と何等変わりがありません。人が入っていないだけ、こちらの方がむしろ秘境のように感じます。

 道路はほとんど平坦で、舗装されています。昨日と比べ足がドンドン前へ進みます。
 しかし、昨日と違うことがひとつだけあります。寒いんです。
 午後2時に、麓をスタートした時の気温が6度です。昨日の日南海岸と比べ10度も違うんです。かなり奥地まで来た現在はもっと低くなっていることと思います。
 ただ風はありませんが、昨日の北西の強風が寒気を運んできたようです。
おまけに、川の左岸は日の光が、ほとんど当らない日陰状態です。手袋をしている指の先がかじかんで動きません。

 寒くて、緑一色に覆われた迫力の照葉樹林を味わう余裕もありません。
 歩き始めて1時間20分。この辺りは、落石の跡が無数にあり、斜面崩壊の跡も多く、かなり危険な状態です。
 工事が入っていたら当然来ることが出来なかったことでしょう。ラッキーなんでしょうか。無謀なんでしょうか?

 答えは、後者でしょう。
 と、その時です。崖の斜面でガサガサと音がしました。
 見ると、山バト(アオバト)がバタバタしているではありませんか。
 逃げる前にカメラを大急ぎで取り出し写真に収めました。しかし、じっくり見ると、落石防止ネットの中から抜け出せないでもがいています。
 「どうやってそんな所に入り込んだのだろう?」ネットは10m以上上から地面までビッシリ張り巡らされています。入る隙間は私の目からは見えません。
 少なくとも低い位置からはとてもそんな所に潜り込むような芸当は出来ないはずです。
 ネットと斜面の間は狭い所で10cmほど。少し余裕のあるところまでは2mほどあります。

 なんとかしてあげたいのですが、ネットの隙間に手を入れるのもやっとの状態で、わずかにハトの身体が楽になるところまで誘導するのもやっとの状態です。

            
 ハトはどうなったかなあ? 気になります。

 2〜30分格闘したでしょうか。じっとしていれば身体が自由になるスペースまで導き、とりあえず先を急ぐことにしました。「どうせ帰りはこの道を通るのだから、その時救出策を考えよう」と言うつもりです。

 奥に進むに従い、両岸がますます迫り、大木が至る所で見られます。
 森林浴には最高のシチュエーションですが、前にも書いたとおり、この道は非常に危険です。工事も確かに所どころで行なわれているようですが、一般の車両が安全に通れる見通しは相当先のような気がします。まだ午後の3時過ぎと言うのに太陽の日の光を浴びることは出来ません。
 そろそろ折り返しにしなければ、帰りが暗くなります。約1時間40分でしょうか。道端に座り込み、例の如くおにぎり1個とアンパンの少し遅めの昼食を取りました。粗食ですが、相変わらず最高にうまいです。
 しばらく、休憩して帰りの道を急ぎました。この辺りの綾北川は、道路から約100
m下を流れています。所々に水の溜まった深場があります。これは、恐らく台風で斜面が崩れせき止められているのでしょう。木々が多くてなかなか確認できません。
 そうこうしていると、ハトがいるところまで戻っていました。往きと比べ3mほど、狭いところを移動していました。ハトにとっては必死の思いなのでしょう。羽がたくさん散っています。
 さて、どうやって助けようか?上を見ても下を見てもそこから逃れられる隙間が見つかりません。ハトは丁度私の目の高さでもがいています。2mほど斜め上にネットと、地面の間が50cmほどの隙間があります。とりあえず、私に出来ることはその隙間までハトを導いてやることくらいです。
 ハトにとっては、金網のネットを切って大空ヘ離してやるのが一番でしょうが、そんなことは出来る状況にありません。
 とにかく隙間の方へ導くことに全力をあげました。金網の狭い隙間に手を入れるだけで大変なのに隙間まで誘導するのは大変です。約30分ほどかけてなんとか、ハトにとって
自由に動ける隙間まで導くことができました。
 車1台通らない山奥の辺鄙なところで、それ以上のことは無理な話しです。あとは、かわいそうですが、ハトの運命に任せるしかありません。

 そして、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れました。
 ハトの救出に時間がかかり、車にたどり着いたら時計は18時を回っていました。近頃は、陽が長くなりまだ周囲は明るいのですが、とにかく寒さには閉口しました。
 ハトはどうなったかなあ?車の中で考えることは、一人ぼっちのハトのことばかりでした。

       
  綾北川沿いには素晴らしい自然が広がっています。
 今回、綾北川の上流に向かって歩を進め感じたことは、とにかく手付かずの大自然が数多く残っていると言うことです。奥に入るに従い「緑の洪水」が押し寄せてくるような感覚とでも申しましょうか。
 「日本有数のこの照葉樹林帯を世界遺産に!」と、数年前盛り上がった地元綾町は、九州電力の送電線用鉄塔が出来上がり、ひとまず沈静化しました。
 しかし、この貴重な資源を後世に残すのは、我々今生きている人間の義務です。
 この森には、たくさんの鳥やニホンカモシカ、イノシシ、ニホンシカなどの鳥獣から照葉樹など動植物が生息しています。
 また、下の写真のように道の至るところから検査結果でお墨付きをもらった美味しい湧き水が出、多くの人々がその恩恵に預かっています。
 今回、寒い寒い初春のウォーキングでしたが、萌えるような若葉の季節にまた、歩くつもりです。皐月の生き生きとした大自然は、私に生きる活力をくれそうです。

        お墨付きの美味しい水があっちにもこっちにも


宮崎県日南市富土〜北郷町

かなり道は痛んでいます

小さな渓谷がしばらく続きます

JR日南線列車の気配はありません

直径18cmの巨大な椿の花です

白梅がきれいに咲いていました

紅梅も鮮やかに咲いていました

 2008年2月23日(土)、久しぶりの連休で明日との2日間は、このところの運動不足を解消する意味でロングウォークを考えていました。
 ところが、朝起きて外を見たら強風が吹き荒れているではありませんか。昨日、雨をもたらした低気圧が急激に発達して爆弾低気圧になり、北日本を中心に強風が吹き荒れています。なんでも東京では、瞬間風速が28m/sと大荒れです。宮崎県地方は、生暖かい風が吹いています。
 この時期の強風は「春一番」のケースが多いのですが、残念ながら北西の風で南よりの風とは違い、「春一番」ではないようです。
 さて、西よりの強風をまともに受けたら寒いうえにロングには歩けません。思案した挙句、日南海岸を南下して以前、「サボテンハーブ園」があった所の集落=富土(ふと)から西に入って北郷町に通じる林道があることを思い出し、今日はこの道を歩くことにしました。
 南北に5〜600mの山が幾重にも連なり、今日の風向きなら影響は軽微と踏みました。また、海に面したこの地方は暖かいはずです。と言うことで正午に麓をスタートしました。道幅が3mと広く、出発してしばらくはJR日南線が、道と平行して走っています。
 
渓流を見ながら 渓流を見ながら これ踏み切り? 向こうは藪の中
もっとも、この路線を通る列車は1日10便ほどでしょうか。まさに赤字のローカル線です。約2km位歩くと、いつの間にか線路が見当たりません。「どうしたんだろう。」と疑問に思いましたが、すぐに疑問は消えました。この辺りは急峻な山になっていて、線路は長い長いトンネルへと消えていました。
 その長いトンネルを抜けると、北郷の町と言う訳です。私は、と言うと線路際に車を置いて、歩き続けています。案の定、風は全くありません。しかも、気温が正午で16度を超えています。
 しばらくすると汗が出てきました。滑り出しは、平坦地が続いています。道と平行して渓谷も流れています。周囲はこの地方特産の杉が植林されています。
 道中、民家は全く見当たりません。生活道路でも観光道路でもないので車は全く通りません。歩き始めて約20分経ったころから、少しずつ傾斜が出てきました。そんなにきついと言うほどではありませんが、結構、ダラダラと続きます。
 麓の富土から北郷町までは、約20kmの道のりで往復するには時間がありません。今日は行けるところまで行くつもりです。1時間も歩くと、かなりきつさを感じます。
 依然として道は上っています。と、前方から煙が見えてきました。「何の煙だろう」と近づくと、民家があり、煙突からの煙のようです。昼食の準備でしょうか。
 しかし、それにしてもこんな山奥で、どうやって暮らしているのだろう。と言う疑問がわいてきました。そこから10分位歩いたでしょうか。
 また1軒民家が見えてきました。車は止まっていますが、人の気配は感じられません。この辺りは杉林の中を縫うように道が通っています。その杉も樹齢が100年近くの大木で昼なお暗い道が上へ上へと続いていきます。
 
 スタートして1時間30分が経過しました。
 前方で道が分かれています。はじめての標識も建っています。「へぇーもう8、5kmも来たのか。北郷まではまだ、12kmもあるのか。ふっー」と、ためいきがでます。見晴らしが良ければ、遠くに青い太平洋が見えるはずですが、山が幾重にも重なり、眺望はあまり良くはありません。その上、杉の木立や雑木林が邪魔をしています。
 この辺りから上ったり下ったりと、かなり標高をかせいだことが伺えます。しかし、道はしっかりしています。アスファルト、石畳、セメントと、ところによって状態は違いますが、舗装は完璧です。
 かなり、お腹が減ってきましたので、昼飯にすることにしました。
 歩く時は、約1時間から2時間位歩いて、食べるのはコンビニで買ったおにぎり1個と菓子パンです。ほとんど決まっています。動いた後のおにぎりの美味しさは格別です。目的が、運動不足の解消と痩せることですので、食事量はこれで十分です。
 本当は、何人かでワイワイガヤガヤ言いながら歩いたり食べたりすると愉しいのでしょうが、私は退屈しません。今のスタイルで十分満足しています。食べた後は少し休憩してまた、歩き始めます。
 すると、前方から車らしき音がしてきました。しかし、なかなか近づいてきません。
 「なんでかな?」音は空の上を通過して行きました。そうジェット旅客機の音と勘違いしていました。それほど車が通らないのです。
 もうかなり登ってきているはずです。少し麓と比べて気温が下がった気がします。前方に建物が見えてきました。製茶業の自宅兼工場のようです。そして、また1軒かなり立派な家です。
 こんなところで何で生計を立てているのだろう。疑問は募ります。もう1軒、そして引き込み道があって、「○○邸 関係者以外の立ち入りを禁ず!」なあんて看板があったりすると余計に何しているのだろうと言う疑問がフツフツと沸いてきます。
 杉林を抜けて明るくなった所に梅が2〜30本植えてありました。
白梅1 白梅2 紅梅 白梅3
 今が満開と白い花を付けています。平地よりやはり2週間ほど遅い開花です。
 しかし、よくもまあこんな奥地にたくさん植えてあるなあ。何故だろうと不思議がっても、人っ子ひとり居ませんので疑問は解けません。と、遠くから、チェンソーの音が聞こえてきました。
 道路脇から下方を見ると、はるか下方で伐採している人やブルトーザーが見えます。
 切って植林しても親木になるまで50年はかかります。そう言えば登ってくる途中、植林した1年木、3年木、10年木など場所により大きさの違う杉の木々をたくさん見かけました。
 山は一度切ってしまえば、元の山に復元するまで50年から100年単位の長い年月がかかります。
 その間、山は保水能力を失い降った雨は一目散に山を駆け下ります。
 源流から河口まで急峻な谷が続く、この富土川ではちょっとした雨でも、いっぺんに水かさが増し常に災害の危険因子をはらんでいます。
 さっきチェンソーと思ったエンジン音は、実は草刈機の音でした。
 日南市シルバー人材センターから派遣された男女20名の人たちが、道路の草を刈り、みんなで掻き集めていました。
 こんな山奥の道をきれいにすることに驚きを覚えました。
 「やるべき道は平地にいっぱいあると思いますが、何も車がほとんど通らないこんな奥地の草を刈る必要がどこにあるのでしょうか。」
 しかし、派遣されて草を刈っている人たちは、みんな楽しく談笑しながらどこまでも純粋で親切な人たちでした。
 麓から歩いてきたと話したら、ビックリしていました。ひととおり挨拶を交わし、北郷までの情報を聞きました。ここまで約2時間40分かかっています。
 北郷までは、あと2時間はかかるだろうとのこと。しかも、30分も行けば、急な下りが始まるとも話していました。
 とりあえず、下りが始まるところまで行くことにし、一旦皆さんと別れました。
 もうすぐ折り返しかと思ったら、急に足取りが軽くなったような気がしてきました。
 もう山の頂きき近くですが、集落とまではいかなくとも民家を何軒も目にします。それも結構立派な家ばかりです。
 
 
キィウィフルーツ1 キィウィフルーツ2 キィウィフルーツ3 キィウィフルーツ4
そして道沿いには、枯れ果てたブドウ状の枝を張った木々の畑がいくつも目に入ってきます。今まで見たこともない木々です。
 しかも、畑の周囲には電線が張り巡らされています。
 「何だこの枯れた木々は?」知らない土地を歩くと、いろいろわからないことがありますが、今日のコースはそれこそ分からないことだらけです。
それらを一つひとつ解き明かしていくのも楽しみではありますが。
 と、後から急に犬が追っかけてきてじゃれつきます。首輪をはめていて野犬ではなさそう。
 非常にフレンドリーで、崖を登ったり、急な斜面も臆することなく入っていったり、私に自分の特技を披露してくれます。
犬が離れない 犬が離れない
 猟犬か?いやまだこどものよう。元気が有り余っていて全力で走っていき、ズーと先で待っていたり、戻ってきて後から追い抜いたりと、どこまでも付いてきて私から離れません。
 「一体この犬は何なんだ。」さっぱりわかりません。途中にあった民家で飼っているだろうか。
 振り切るにも相手の運動能力が何倍も上でどうしようもありません。
 「折り返しまで行けばなんとかなるだろう。」草刈りの人が言ったとおり約40分歩いてそれらしき急な坂まで辿りつきました。
 朽ち果ててはいますが、「ようこそ富土へ13、5km」と描かれた看板も横たわっています。
 はるか下方に北郷町の町並みが木々の間から見えています。
 やっと山の西側にでたのでしょうか。そこは、ものすごい風が吹いています。「そうか今日は強風が吹き荒れていたなあ」山の東面をズーと歩いていたので風のことはすっかり忘れていました。
今日はここまで 北郷の家並 気持ち良い道 遠くに太平洋
 「さあ引き換えそう」帰りは下りなのでかなり早く着けそうだ。
 戻り始めて、またまた犬が離れません。ほんと不思議な犬だな。
 普通、こんなに遠くまで人に付いてくること自体が信じられません。
 迷い子になっていたらもっと落ち込んでいるはずですが、この犬は元気があり余っています。
 仕方なく犬をお伴に下りを急ぐことにしました。道がきれいに刈ってあると気持ちも清々しくなります。
作業していた所から引き返したところまで3kmはありそうです。
 この間、道の両脇がきれいに刈ってあります。歩いていても元気が出てきます。往きで出合った人たちは帰りには、相当先まで進んでいました。
 「犬が離れないんですよ」「この犬は、2〜3km下ったところの犬じゃが・・・」・・・。やっぱりそうか。
 近所(と言ってもかなりの距離があるが)の家で飼われている犬か。ここまで付いてきた犬でしたが、人が大好きなようでこんどは、草刈り中の人たちのところから離れません。やっと開放された感じです。

 あっそ言えばこの人たちに聞かなければならないことがあったっけ。
「あのう、道の脇にブドウの枯れたような木々をたくさん見かけましたが、あれは何かわかりますか。」「キウィーフルーツよ。今は枯れているが4月頃から芽が出て夏から秋に収穫よ」 そうか、あれはキウィーフルーツだったのか。胸のつかえが少し取れた気がしました。
 午後5時30分無事車まで到着。名所旧跡とは若干、趣きが異なりますが春になると山菜が豊富に獲れる愉しいピクニックコース。そんなにきつくなく、適度に運動がデキルコースをまたひとつ確保しました。

宮崎 椿山森林公園
 2008年2月11日、建国記念日のこの日、宮崎南部地域に位置する椿山森林公園に行ってきました。
 ここは、1月にも訪れた所です。その時は、加江田渓谷の景色を堪能しながら登って行ったのですが、今回は加江田渓谷の近くの県道宮崎・北郷線沿いに車を停めて、県道を徒歩で登りました。
 距離にして約10kmです。もちろんダイエットを兼ねての運動のためです。
 午後1時過ぎから行きが約2時間50分、帰りが2時間20分かかりました。
 椿山森林公園は標高400mのところにあります。椿山と言う名前がついているだけに、将に椿の公園です。
 椿山は、宮崎市鏡洲と北郷町との境界の山頂付近にあり、加江田川上流加江田渓谷西側に隣接しています、付近一帯の山は飫肥杉が植林されている宮崎市内でも有数の森林地帯です。
 この近辺は、以前から多くの薮椿が自生し「椿山」と呼ばれていた地域を、昭和59年から平成2年5月にかけて現在の公園に整備したもの、面積41.3haの広大な敷地に約1千種類、約5万本の椿が植栽されています。
 椿山は、世界一の椿園を目指して整備が進められ、2003年3月8日には世界ツバキ協会の国際優秀ツバキ園の認証を受けるなど、椿園の規模・椿の種類及び本数において日本一の椿園を確立し、現在も整備が続けられています。
 公園の管理は宮崎市が行い、公園入り口には立派な管理等が設置してあり、管理人が常駐しています。駐車場も広々していてゴミひとつ落ちていませんでした。

 ただ、椿の種類が一口に1000種類と言ってもちょっと想像できません。私が知っているのは藪ツバキ位のもので、とても理解出来る種類ではありません。
 赤色、朱色、ピンク、黄色、白色など色もさまざまで、花が咲く時機も種類により千差万別です。管理人さんによると、今年は例年と比べ寒く開花時期も遅れているそうです。
 管理棟周りには藪椿が自生していて、花の盛期は3月の上旬と話していました。標高が400mあり、平地と比べて気温が2〜3度低く開花は2週間ほど遅れるそうです。今回訪れた時咲いていたのは主に外国産とのこと。

 椿は、学名をCamellia Japonica(カメリア・ジャポニカ)と言い日本原産の植物です。現在約4000種以上(正確には判らないほど多い)があり、その内2000種ほどが日本種と言われています。同属にサザンカがありますが学名をCamellia sazanqur(カメリア・サザンカ)といいます。違いは、開花時期が椿は春(1月から3月)に咲き、サザンカは秋(11月から12月)に咲きます。椿の花には匂いはありませんが、サザンカの中には匂いがある種類もあります。又花が終わると椿は房がどさっと落ちますが、サザンカは花びらが散ります。更にお茶の木も同族だそうです。
現在、椿山には1111種の椿が確認されていおり、種類・数共に全国一の規模です。

 椿山森林公園の見所は、照葉樹の自然林と飫肥杉の人工林の景観の対比です。
 椿山には2ヶ所に展望台があります。視界良好の時は、ここからは遠く宮崎市内や太平洋などを見ることが出来ます。また周囲に広がる山々葉壮観です。
 双石山から斟鉢山(くんぱちやま)へと続く宮崎自然休養林の山並みとその間を分ける加江田渓谷、山並みは更に花切山から岩壷山へと続き北郷町猪八重渓谷へと連なっており、日本有数の飫肥杉と照葉樹の森林地帯です。
 開花が盛期を迎えると椿山森林公園には、椿の花の蜜を求めてメジロやウグイス・カケスなど沢山の野鳥の群れが飛来し、野鳥のさえずりが谷間にこだましています。
 ここではウグイスの谷渡りなども聞くことが出来ます。
公園地図 公園管理棟 展望塔
殿様道路関所 殿様道路立て札 殿様道路1
殿様道路2
展望塔から 椿園 椿園 椿園
 殿様道路
 上の真ん中の写真は、「殿様道路」と言われています。「天正から慶長の頃(1573〜1614年)に開削されたと伝えられる。飫肥藩 伊東氏が参勤交代で利用した道路を整備したものです。」と、書かれた立て札関所様の入り口の横に立っています。石畳状になっていますが、狭くて険しかったであろう道を江戸まで、通った当時の様子が目に浮かびます。

 一番上の右端は、周囲の山々や遠く宮崎市内、太平洋が眺望出来る展望塔です。望遠鏡や飲料用自販機などはありませんが、見るからに頑丈に造られています。材質は地元で生産される飫肥杉で出来ています。
展望塔東の方角 展望塔北の方角 双石(ぼろいし)山 展望塔西の方角
 上の風景は左端が東の方角で、左の遠くに太平洋が見えています。ただ、この日は雲って居て視界がもうひとつ不良で見えにくく残念でした。真ん中辺りが、徳蘇山系の斟鉢(くんぱち)山、赤松展望所に花切山が見えます。
 真ん中の2枚は、北の方角で中央の山が双石(ぼろいし)山でその向こうが宮崎市になります。一番右端は西の方角で丁度真ん中付近がテレビ塔が建つ鰐塚山が見えています。
 しかし、いずれの山も標高はせいぜい500〜700m程度でそんなに高くありませんが、双石山などは、結構厳しい岩場があったり、各山を繋ぐルートがしっかりしていて、しかも宮崎市内から1時間もかからず登山口まで来れるので、休みの日には多くの登山客が訪れます。

宮崎「こどものくに」のカンヒザクラ
カンヒザクラ1 カンヒザクラ2 カンヒザクラ3 カンヒザクラ4
 上と下の写真はカンヒザクラです。2008年1月30日の夕方、宮崎市の「こどものくに」の柵の外から写したものです。
 時間が遅かったこともあり、園内には入ることが出来ず、遠目の撮影となりましたが、約30本の花木に紅色の花が咲き八分咲きと言ったところでしょうか。非常に鮮やかな色を楽しむことができました。
 この櫻は、ヤエやヨシノなどの一般的な種類と違って、1月中旬から2月上旬の少々寒い時期に開花します。それにしても早いですね、花に慣れていない私など、今の時期にサクラと言われても実感が涌かないのが本当のところです。昨年は、時機を失い写すことが出来ませんでした。
 早いと言えば、「こどものくに」から3〜4kmほど南下した所が、日南海岸で一番のビューポイントの「堀切峠」ですが、3月の初旬にはその山肌一帯に自生したヤマザクラが満開になります。山がピンクに染まる様は、大変見応えがあります。
 ところで、ヒカンザクラは沖縄など南方で多く見られる品種です。宮崎では、これほどまとまって咲くところは、この「こどものくに」が一番です。花が筒状に真下を向いているのが特徴でしょうか。
 名前の由来ですが、このサクラとは別に「彼岸桜」(ひがんざくら)と いうのがあり、裏返せば良く似た名前で間違えやすいので、混同を避けるために、”緋寒(ヒカン)”を”寒緋(カンヒ)”にひっくり返して「寒緋桜」と言う呼び方に変えたと言われています。

ヒカンザクラ1 ヒカンザクラ2
宮崎 好隣梅 満開 !
 

好隣梅の白梅

好隣梅の紅梅
好隣梅1 好隣梅2 好隣梅3 好隣梅4
好隣梅5 好隣梅6 好隣梅7 好隣梅8

 2008年1月30日に下記で紹介しました「宮崎のJCの山」の登り口近くに位置する梅の名所・好隣梅へ行ってきました。先日行った時とは大分様子が違って、梅の花が鮮やかに咲いていました。
 白梅、紅梅がまさに満開状態でした。平日でしたが、駐車場には10台の車が止まり梅園に咲いた可憐な花を楽しんでいました。まだまだ咲き切っていない花木もたくさんあり、おおよそ2月中旬までは観梅が楽しめそうです。
 この他、宮崎市高岡町の樹齢400年宮崎の巨樹百選に選ばれている月知梅や、『国指定天然記念物』で宮崎の巨樹百選に登録されている樹齢600年を誇る新富町の座論梅、宮崎市市民の森梅園などが有名で、他にも延岡市の梅園や川南町の天龍梅など多くの梅園でしばらくは観梅が楽しめます。

宮 崎 J C の 山

1月7日には梅が開花していました。
宮崎JCの山手造り展望所
 
 2008年が始まったばかりと言うのに今年は、昨年より異常な高温が続いています。年末から年始にかけては、ほほ平年並みの寒さだったのが1月12日には、西都で25.1度と宮崎県では実に39年ぶりに1月の夏日を記録しました。低気圧の通過後、南海上から温かい湿った気流が入り込み、宮崎県内はまるで初夏のような陽気でした。1月に気温が25度を超すとは・・・・。いくら南国宮崎と言えども、これにはビックリです。地球温暖化は確実に進んでいるのを実感する1日でした。ところで、今年は時間があれば、可能な限り動くことにしています。動かなければ宮崎の良さを伝えることが出来ないとおこがましくも思っています。また、昨年1年間の運動不足がたたって、体重が一気に増えたのも落とさなければなりません。出来ればジョギングで、無理なら時間をかけて歩く。このスタイルで通すつもりです。まず、手始めに1月4日は、既に紹介しました加江田渓谷で、続く7日の日曜日は、宮崎市南部青島に隣接する遊園施設「こどもの国」近辺から西に入った加江田地区に車を留めて、麓から標高300m程度でしょうか、斟鉢山(くんぱちやま・標高606m)の東斜面から内海に抜ける林道を一山超えて青島の南・折生迫地区に下りて元の場所に戻る約12qの周回コースを歩きました。この林道は日南海岸沿いを走る国道220号が、台風などで通行止めになった時などに、迂回路として重宝がられています。もちろん、完全舗装されています。麓から20分ほど登ると、好隣梅と言う梅の名所があり、道路のすぐ脇を下る谷川、展望所とともに風情を醸した公園になっていて宮崎市民の憩いの場所として知られています。天気の良い日には多くの人々が訪れます。この周辺は、「JCの山」として昭和51年、宮崎青年会議所が創立25周年の記念事業として約1,8ヘクタールの宮崎市所有の山林を借り受けて、40年と言う気の遠くなるような計画のもと、杉やヒノキの植林事業を展開、地域の緑化運動のキャンペーンの一環として成林した樹木からの収益は、奨学生制度の基金して運用されています。その真っ只中にあるのが好隣梅と言うわけです。ただ、この公園はさすが山間部に位置しており、頂上付近の展望所からは宮崎市南部地区や太平洋、堀切峠など眺望は満点なのですが、少々急なところが、たまに傷と言ったところでしょうか。はじめての地でよく分かりませんが、写真のように1月7日には、ところどころ梅が花を咲かせていました。恐らくかなり早い開花と思います。
 上の写真は、宮崎JCの山に咲いていた梅の花と展望所です。杉の丸太で造ったいかにも手造りのぬくもりを感じる展望所です。道は十分なのですが、少し急坂になっています。下の4枚は展望所から撮った写真です。左2枚は、宮崎市南部の光景で、総合運動公園の「このはなドーム」やサンマリンスタジアム宮崎が手の届く所にあるように写っています。真東には、左手に青島が、右端には温泉リゾート・「サンクマール」が見えています。さらに南の方角に目を移すと、丁度写真の真ん中の山間部を縫って走る国道220号線の先に、宮崎の代表的なビューポイント・「堀切峠」を確認することが出来ます。
 幸 島 と 宮 崎 県 南 部 の 光 景

キダチアロエの花1

キダチアロエの花2

 1月13日の日曜日は、宮崎県南郷町の「道の駅なんごう」と、「宮崎県総合農業試験場亜熱帯作物支場」(別名:有用植物園)を歩き、その足で芋を洗って食べる文化サルで有名な幸島まで行き、元の「道の駅」まで戻ってきました。
 もちろん徒歩です。が、植物園の急な坂や幸島周辺の4kmに及ぶ砂浜、帰りの旧道の急な上り下りなど、わずか約20 kmの行程ながら、かなりハードなコースでした。
 今回この有用植物園を訪れた目的はアロエの花の写真撮りです。植物園の中ほどに「アロエの丘」があり、一帯がキダチアロエで覆われているスポットがあります。
 この植物は南アフリカが原産の常緑低木で、日に焼けたりした時、葉の中のゼリー状の駅を塗ると痛みが和らいだり、胃に効く植物で一般に「医者いらず」と言われています。
花の盛期が丁度1月から2月で、たくさん咲いているとの情報で出かけた次第です。
 実は昨年6月、この地を訪ねました。そして、(アロエの丘に)隣接するジャカランダの見事な群落をカメラに収めていたのです。その時季、アロエは真茶色に枯れていました。植物園の人からアロエの花が咲くとそれは見事と聞かされていましたので、期待して訪れた次第です。
 しかしながら、期待に反して花は写真のとおり寂しい限り。精一杯集合している写真を撮ったつもりですが、失敗に終わりました。
2000年に、この一帯に約14000本を植栽したそうですが、現在、残っているのは7割程度。家庭やちょっとした畑などでよく綺麗な花を見かけますが、気候が合わないのでしょうか。それとも手入れが十分ではないのでしょうか。

アロエ アロエ アロエ
タチバナ
タチバナ
築島1 鳥島と幸島 幸島1 幸島2 幸島3
 幸島(こうじま)は、宮崎県串間市東部の市木地区石波海岸から200m沖合いにある無人島です。周囲約3.5キロ、標高113m。野生猿が棲息することから猿島ともいわれています。
 中でも海水でイモを洗う猿は非常に有名で、「文化ザル」と呼ばれています。島内には京都大学の霊長類研究施設が設けられていて人は住んでいないのですが、京都大学の研究員が渡ってサルを研究しています。

道の駅なんごう南側のビューポイント

 石波海岸と幸島の間は海流によって砂が堆積しているために浅く、潮が引くと歩いて渡航することも可能ですが、渡航に際しては渡船を利用するのが一般的です。
 本格的な研究を始めたのは京都大学の今西錦司氏と伊谷純一郎氏ら門下生たちで、戦後間もない1948年頃だったと言います。
 彼らは当初、都井岬の半野生馬「岬馬」を対象とするため、調査に来ていましたが、幸島に野生猿が棲息していることを知ると、「馬では複雑な家族関係や社会が成り立っていない」と、もの足りなく感じるようになり、 関心は幸島のニホンザルに向けられたとのことです。

猿棲息の幸島

猿棲息の幸島入り口

 そして、ここでの研究から「人間以外の動物にも文化がある 」という説が初めて出されました。1952年に野生ザルの餌付けに成功し、より綿密な観察が可能になりました。そのうち、若いサルがもらった芋を海水で汚れを落としてから食べるようになったり、泳ぐサルも現れました。この「芋洗い行動」は最初は同年代の仲間に、次には上の年代へと広がりを見せるようになえい、さらには子や孫が受け継がれていきました。従来「文化は人間固有のものであり、動物にはない」と考えられていましたが、世代をこえ時代をこえても伝わっていることは、「芋洗い行動」を文化であるとする根拠のひとつとなっています。
 また、多くのサルが芋2つを両手に持って走る様子が撮影され、一時的にサルが自然に二足歩行することが知られるようになりました。
 サル一匹ずつすべて名前を付ける(個体識別法)、親子・兄弟関係を記録し家系図も作るといった手法もここで始められ、京都・岩田山のニホンザルやアフリカでのチンパンジーなど他所の研究でも広く取り入れられるようになっています。

幸島の猿1 幸島の猿2 猿カキも見事

 幸島手前の海岸は石波海岸と言い、約4kmに渡って広々とした砂浜が続いています。
 海に向かって左端の、舳(へた)地区の真向かいにある島が築島で現在(2008年1月1日)、17世帯、41名が暮している有人島です。
 海岸沖には2つの島があり、左は無人島の鳥島、手前が幸島です。
 しかし、この海岸は砂浜が広くおまけに砂が足の甲まで埋まる非常に歩きにくい海岸で、やっとのことで幸島の対岸まで辿りつきました。3年ぶりに訪れた幸島ですが、さすが日曜日、観光客や釣り人もかなり見えて島に渡っている様子でした。今回の目的は、この幸島まで来ることでしたので行程の丁度半分を終えたことになります。掛かった時間が2時間50分。約10km、途中の高低や砂浜を歩いたことなどを考えると、予定通りです。
キンカン1 キンカン2 キンカン3 梅の開花1 梅の開花2
 そして、これからまた、車を置いている「道の駅なんごう」まで歩かねばなりません。
 所要予定2時間丁度です。行きと違い、帰りは集落と山道が主の市木地区を通りました。
 道が狭くたまにしか車が通らないので、こういう所は十分注意しなければなりません。
 沿道にはキンカンがたくさん植栽されています。
 この地区は路地モノの特産地で、今は収穫直前の時期に当たっています。ほかにポンカンや日向夏、タチバナなど柑橘類を多く見かけました。確か南郷町の町のクダモノは「みかん」だったと思います。
 このあたりは冬でも雪はおろか霜も降りないと聞いていましたが、さすが宮崎辺りと比べるとかなり暖かいですね。おまけに前日の異常な陽気に誘われたのでしょうか、家の塀の梅はもう5分咲きです。畑の中の1本梅も白くほころんでいます。
 市木の集落を過ぎると、ダラダラ坂が続く難所です。道も狭く滅多に通らない車も、逆に人が歩いているのを見てビックリしていました。より注意が必要です。
 丁度登りきったところに約100mほどのトンネルがあり、ここが帰りの中間点辺りです。
 ここにも1本大きな梅の木があり、5〜6分咲いていました。
 そして、2時間と10分掛って、ようやく車まで辿り着きました。
 コースは結構ハードでしたが、途中の景色や出会う人々と話しをしながら歩くと、案外あっと言う間に歩けるものです。苦しくも感じません。
 今年は時間を見つけては歩いて沿線の模様を紹介していこうと思っています。歩くと車では見えないものが見えてきて得した気分になれます。

梅の開花1 梅の開花2 梅の開花3 梅の開花4 梅の開花5

宮 崎 自 然 休 養 林
 宮崎自然休養林は、宮崎市の南部巨人軍のキャンプで有名な「サンマリンスタジアム宮崎」などがある宮崎県総合運動公園の丁度西部一帯に広がる標高5〜600mの山々や、それらの山々に源を発する加江田渓谷からなっています。特に、8kmに渡って延々と続く加江田渓谷の変化に富んだ美しさとハイキングコース沿いの設備は将に至れり尽くせりで、他のさまざまな施設と比べても替え難く日本有数と言っても過言ではないと思います。写真を交え紹介させて頂きます。と言っても私自身あまり通っていませんので細かいところまではご勘弁下さい。
           宮崎加江田渓谷の変化に富んだ渓谷美

飽きさせない宮崎加江田渓谷1

飽きさせない宮崎加江田渓谷2
飽きさせない宮崎加江田渓谷3
飽きさせない宮崎加江田渓谷4
飽きさせない宮崎加江田渓谷5
標識もバッチリ!迷いません!
 年も改まった2008年1月7日(月)、宮崎市南部に位置する宮崎自然休養林に行ってきました。登り?始めたのが、午後2時30分。前日の雨で足元はあまり良くはありませんでしたが、それでも水量の少ない冬場。適度なお湿りと、前日から急に気温が上がり休養林一帯に霧が立ち込め、渓谷を一層迫力のあるものにしていました。私にとり一番奥の椿山キャンプ場ははじめてで、帰りも同じ道を下ると言う行程。
単調で無策ではありましたが、下りの1時間近くは真っ暗。既に辺りに夜のとばりが下り、真っ暗な駐車場に戻ってきた6時30分まで十分、休養林を楽しみ休養林で癒されました。
 宮崎自然休養林の加江田渓谷一帯はシイノキ、イスノキ、タブやカシなどの照葉樹林が真冬でも青々とした葉を付けていて、まるで初夏の趣きです。また、双石山、花切山、斟鉢山(くんぱちやま)と言った5〜600m級の山の尾根伝いには赤マツ、モミ、ツガ等の巨木もみられ、シダ植物などを含め多種の植物が残存していて学術的にも貴重なことから、昭和44年に九州に残る原生林として天然記念物の指定を受けています。ここの照葉樹林帯は宮崎西部に広がる綾照葉樹林帯に匹敵する規模ですが、自然探索のハイキングコースは約8Kmに渡って楽しむことが出来、設備、変化に富んだシチュエーションとも日本有数の魅力的なコースと思って間違いありません。ハイキングコースの登り口手前に丸野駐車場と言う100台は有に停められる立派な駐車場があり、その駐車場から散策コースが始まります。途中までは、民家が点在していますが、500mも歩くと、左下にキャンプ場が見えてきます。この辺りからは舗装はされていませんが、幅が2〜3mと十分なスペースが確保され、しかもほとんど平らな状態でとても歩き易いコースです。車でも楽に通れる道幅ですが、完全遊歩道仕様のため途中、写真のように車両通行禁止の柵が敷いてあり、ズル下人は麓の丸野駐車場までバックしなければなりません。
 このハイキングコースは1939(昭和14)年に、宮崎営林署(現・森林森林宮崎森林管理所)が事務所を設置してから伐採がはじまりました。主に杉などの巨木で、今の遊歩道は木を運ぶ森林鉄道の跡を利用しています。登り口付近の丸野駐車場周辺が貯木場となっていて、奥の家一郷周辺で伐採された木材は、トロッコでここに集められていたそうです。この森林鉄道も木材の需要が減るととともに、昭和40年代後半には撤去されました。
この照葉樹林帯を割って流れ落ちる加江田川には巨岩、奇岩、断崖から静かな小石が敷き詰められたような広々としたオアシスのような川原が出現したり、まさに奥に進めば進むほどハイカーを飽きさせません。
 流れに向かって右の尾根が双石山(ぼろいしやま)山系、左側の尾根が「とくそ山系」で第3紀層の基岩が隆起した断崖絶壁は砂岩、礫岩からなっており、山中には貝の化石を含んだ岩石を発見することも珍しくありません。
 宮崎市の中心地からでも20km足らず、道路も完備されハイキングコースには写真のように、疲れた時のベンチが置いてあったり、途中休憩する小屋のトイレは、驚いたことに洋式で、男女別々に造ってあります。もちろんトイレットペーパーも十分備わっています。利用者はもちろん、地区や管理者の自然保護に対する意識の高さが伺われます。

 上の写真のとおり、疲れたらそこにベンチがあり、用を足したければ、ご覧のような完璧なトイレがあるハイキングコースは、全くのはじめての経験でした。しかも、いたずら書きは、もちろん全く汚れていないのがいいですね。ハイカーに配慮した造りは全国に誇れますね。ただし、渓谷の美を堪能するのは良いのですが、私はよく滑りました。まだ、完全に岩が乾き切っていなかったこともありますが、全体に一つひとつの岩石が大きいので、どこでもここでも渓谷に下りるのは危険な気が致します。多目的広場や所どころに比較的なだらかな所から川面の冷たい水に触れられるところがありますので、場所を選んで下りると安全です。
 最後に昭和44年8月22日、国の天然記念物の指定を受けた双石山(ぼろいしやま)に関し宮崎市教育委員会の記述がありましたので紹介します。
『双石山は、海岸に最も近い低地の自然林であり、標高509mで尾根の両側は屏風状の岸壁がそそり立ち危険な山容を呈している。東側の斟鉢山(くんぱちやま)と徳蘇山の連峰との間に曲折多い日向ラインの峡谷が入りくんでいる。地質的には、第三紀中新世で砂岩及び礫岩の傾斜隆起層からなっている。樹林としては、自然林として稀有であり、シイ、カシの典型的な暖帯林である。植物では北限植物、南限植物、稀有植物、暖地植物などシダ類以上の高等植物115科579種、コケ植物157種を数える。動物においては、南方系昆虫、局地産昆虫など、昆虫類115科約660種を数え、鳥類50種、その他数種の獣類、両棲類が生息している。しかし、未だ未調査の部分が多く、ベールに覆われている部分も少なくない。それだけに市街地に最も近い自然観察の好地である。』
宮崎 尾鈴山系の瀑布群
 

 下流の名貫川が源を発する尾鈴山には無数の滝が存在します。農免道路から標識に沿って山間部へ向かうこと約9kmのところに登山者用の広々とした駐車車が2ヶ所あります。
 尾鈴山の瀑布群は主に3ヶ所に分かれます。丁度駐車場辺りから右へ降りていくと、尾鈴キャンプ場があり、その脇を流れる谷が矢研谷で、キャンプ場から20分約1km登ると、日本百名滝に選ばれている矢研の滝があります。

矢研の滝1

矢研の滝2

矢研の滝3
                    矢研の滝
 高さ75mの矢研の滝垂直にまっすぐ落ちる様は優雅であります。滝つぼ周辺でマイナスイオンを腹いっぱい吸い、清々しい気分になりました。今日のメインはこの滝でしたので、いろんな角度から写真に納めました。林道からはるか遠くに見える滝の姿には感動を覚えました。
また、河原には、小石が何個も積んであり、天岩戸を思い出しました。私も滝つぼの一番滝の近くに、良い事がありますようにと、小石を積み上げました。
 
 その他、矢研谷には青葉の滝、若葉の滝、二見の滝、鈴見の滝などがありますが、標識がなくどの滝か特定できませんでした。上の写真の右2枚は、林道から見える岩見の滝です。あまり身を乗り出すと急なガケになっていますので注意が必要です。
 今回は、右ひざが痛くて無理ができないので、有名な矢研の滝を中心に矢研谷を散策しました。この周辺こは、九州自然歩道が通っていて、ほんの一部を除いて、ひざも傷まず登ることが出来ました。私の現在の膝の状態から一番の難所は、矢研の滝の底から頂上にかけての標高差約100mの所でした。と言っても急峻な岩場を登ったり、ロープを使ったりと言うような難所ではなく、まさに自然歩道と言った感じです。その矢研の滝の上まで登ったところから、約200mも歩くと、上の写真の左端の大きな岩ガ見えてきます。これは、「天の盤船」と言われる岩です。長さが12m、幅が3m、高さが3mの大岩です。
この岩は船の形をしていて、霊峰高千穂に降臨されたニニギノミコトの皇兄ニギハヤヒノミコトが、高天原から天の盤船で尾鈴山においでになった時、乗り捨てられたものだとの言い伝えがあります。
 木々が生い茂っていて、船の形には少し見にくいように感じました。
 さらに九州自然歩道を登っていくと、上の写真のように、おびただしい大きな石が今にも壊れそうな所があります。ここ数年何度も襲った台風の影響でしょうか。ひとつ動かすといっぺんに壊れそうで不気味な感じがします。岩の質からして一つひとつの岩は硬そうで、これが石英斑岩の特徴なのでしょうか。
 しばらく登っていくと、林道に出ました。この辺りは周囲の山から推定して海抜7〜800m位でしょうか。写真右のようにまだまだずーと先まで水量豊富な渓谷ガ続いています。このことからしていかに雨量が多いかが分かります。そう言えば、主に夏場ですが、麓の国道10号線を走っていると、この尾鈴山の真東に当る都農町や、川南町を通るとよく雨に遭遇します。これは、尾鈴の高峰にぶち当たった海からの気流により雲が発生し雨を降らせることが容易に伺い知れます。
          
             
2008年正月の宮崎県都農瀑布群
矢研の滝1 白滝下流 矢研の滝2

駐車場から林道を少し登り、キャンプ場の手前から左にコースを取ると欅谷に沿って瀑布群が点在しています。この谷では一番奥に位置する高さ73mの白滝が有名です。白滝までの途中には、紅葉の滝、さぎりの滝、すだれの滝などがあり、尾鈴山瀑布群を形成しています。さらに林道を約1、5kmほど登っていくと林道と尾鈴山の分岐点があり、ここから尾鈴山の登山道になっています。この登山道に沿って甘茶谷があり、蜂の巣滝、えのは滝、千畳滝、甘茶滝などが点在しています。
 このように尾鈴山にはたくさんの谷があり標高1000m辺りでも滝やきれいな渓谷美を見ることが出来ます。この山に無数の瀑布が形成されたのは、地質が酸性岩類で石英斑岩からなっていて長い年月を経て豊富な降水量により削り取られたからと言われています。また、尾鈴山は、シャクナゲの大自生地として有名で開花時期にはたくさんの登山者が訪れます。さらに、寒欄の自生地として有名で、30数年前まで私の父もよく採って帰っていました。もう時効ですが・・・・・。
 2007年12月10日、滝の写真を撮ろうと尾鈴山に出かけました。尾鈴に入山するのは私にとって2度目です。前回は1年半前、父が遭難した時、県北の山から捜索の範囲を広げてこの山の中腹まで登った程度です。


宮崎県延岡市のイチョウ並木
 
 宮崎県延岡市の愛宕町から大瀬町を通り、大瀬川をまたいで延岡市役所から北小路までの約2qの沿道には、イチョウの木が植えてあります。
 その高さは約10〜15mと言ったところでしょうか。この通りが毎年晩秋を迎えるころ黄金色に染まります。その色の鮮やかさは何にも例え難い美しさです。
 近くの人に尋ねたら、毎年だいたい勤労感謝の日頃が一番鮮やかと言われていました。
 昨年は気づいたのが12月中旬と遅く、ほとんどの葉が落ちてなくなっていました。
 「来年こそは」と、昨年誓って今年の紅葉を待ち構えていました。
 ところが、今年はちょっと様子が違うようで、盛期にまだ、青々とした葉をつけた木々ばかりで、例年の面影が全くありません。
 ところどころに黄金色に染まった木がありますが、沿道の並木全体が黄金色に染まった光景が見られません。確かに、今年の10、11月の気温は、異常なほど高く推移しました。地球温暖化の影響がここら辺りにも暗い影を落としているのでしょうか。
 12月2日に再度、写真を撮りに行きましたが、まだ青々した木があるかと思えば、黄金の葉っぱが散っている木があったりで、今年は写真の出来栄えと町の景観とも、今ひとつでした。


去 川 の 大 イ チ ョ ウ
 

 カエデの赤と大イチョウの黄金色のコントラストが実に見事です。

500m手前遠景1

500m手前遠景2

500m手前遠景3

11m超の幹周り

 宮崎市から国道10号線を都城市方面に走ること約40分。宮崎市高岡町の郊外、周囲を山に囲まれた去川地区にそのイチョウの木はあります。国道10号線から約500mの奥にありますが、今は黄金色に輝き、注意して見ると国道からもはっきりその色を見ることが出来ます。私が訪れたのは2007年11月29日。どんより曇った日でした。晴れた日にはもっと素晴らしい景観を見せてくれるはずです。そんな日和でも多くの見物客が訪れていました。その様は周囲を圧倒し、まさに威容を誇っています。
 この大イチョウの木は、平成10年12月24日に、国の指定天然記念物に指定されました。幹の周りが11、2mで樹の高さは41、0m、樹齢はなんと800年と言われています。幹がまっすぐ上に伸びた直幹形で、太い枝が少なくボリューム感には乏しいですが背の高いスマートさは天下一品と言えましょう。スマートと言っても幹の大きさからは九州一の巨木と言われています。
 この木は、島津藩主初代忠久公(1179〜1227年)が当時、薩摩街道であったこの地に植えられたものと伝えられています。幹の周囲が11、2m、高さ41m前述のとおりですが、枝張りは東に約103m、西に約130m、南に102m、北に16、1mあります。
例年からすると1週間から10日遅いようですが、現在、黄葉の盛りを迎えています。

 幹の側には駐車場が完備されていて、休憩室もあり、地場産品も安くで提供されています。
宮 崎 市 垂 水 公 園
 
                 
                 垂水公園の歴史
 ここ垂水公園は、宮崎市の西北部に位置し、標高120、5mの垂水台地にあります。読み名は、「たるみず」とも言われていますが、正確には「だるみず」と呼びます。
 周辺からは約1万年前のものと見られるナイフ形石器などが発見されており、旧石器時代の人々の生活のようすを知ることが出来ます。
 「垂水」という地名は、古い伝説に由来しており、第十四代仲哀れ天皇(192〜200年)が、熊襲征伐の途中、重い病気にかかられ、この地の湧き水を死に際に飲まれて、生涯を終えられたという伝説があります。それ以来、この湧き水は、どんな日照りが続いても枯れたことがないと言われ、この事から「垂水」の地名がついたと言う説があります。
 ところで、1921年(大正10年)長崎県出身の吉田熊之丞、宮崎市神宮町の金丸重平の両氏が、約500本の桜の木を植えたのが、垂水公園の始まりです。
 その後、瓜生野在住の大野恒吉氏が二人の意思を引き継いで、私財を投げうち、瓜生野、池内の人々の協力を得ながら、公園の整備や桜の植栽に積極的に取り組まれました。
 この結果、桜の名所としての基礎が形づくられました。
 1951年(昭和26年)旧瓜生野村が宮崎市に合併されると同時に、垂水公園は宮崎市に寄贈されました。

 1955年(昭和30年)瓜生野・池内地区が中心となって、垂水公園振興会が発足し、現在も垂水公園振興会によって、桜祭りなどの行事が毎年行なわれています。
 1957年(昭和32年)宮崎市が公園として開設し、公園施設の整備を年々行なってきました。
 1994年(平成6年)宮崎市が旧農免道路から公園に至るまでの市道約1、5qを「チェリーロード」として整備しました。
 現在では、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤマザクラ、ヒガンザクラなど、その数約4000本が春になると咲き誇る、宮崎市内でも有数の桜の名所として多くの市民に親しまれています。
 上の写真が「チェリーロード」と言われる桜並木です。いまはひっそり静まり返っていますが、桜の季節になると、大勢の桜見物の人々で賑わいます。
 また、この公園は、宮崎市により整備が進んでいて遊歩道や多目的広場、遊具などが完備されています。
 さらに、上の写真のごとく今は、紅葉が見事です。深紅に染まった山肌は見ていると、萌えるようで言いようのない美しさです。
 これは、宮崎北ロータリークラブが国際ロータリークラブ100周年記念事業として取り組んでいるもので、「ロータリーの小路」と名付けられたくさんのカエデが植栽されています。
 今年は異常高温が続き、若干時機がずれていますが、霧島連山へと沈む夕陽は非常にきれいで鮮やかです。

サンマリンスタジアム 宮崎

 宮崎市の南部、青島に行く途中に、宮崎県総合運動公園があります。当初は昭和54年宮崎国体開催のメイン会場として、それまで湿地だったところを整備し、陸上競技場、サッカー場、ラグビー場、水泳場、自転車競技場、その他各種スポーツの競技場が作られ、選手強化のために合宿所も併設されました。もちろん野球場もあり、市営のメイン球場は巨人軍のキャンプの中核として使われました。野球場の隣りには3面の軟式球場が作られ、その横には20面からなるテニスコート、さらにはソフトボール会場など、当時としては、けたはずれのスケールで東洋一の規模と言われていました。

サンマリンスタジアム宮崎1
サンマリンスタジアム宮崎2

あっ!やべぇー
稲葉あえなくタッチアウト
 その後、全国高校総体、世界ベテラン陸上競技大会などビッグな催しを経験しながら、公園内の施設も充実していきました。宮崎県武道館、ひむかドーム、中でもサンマリンスタジアム宮崎は、出色で両翼100m、中堅122m、しかもファールグランドも広く取ってあります。この球場の特色はダイヤモンドを含め、外野まで天然芝で作られていると言うころです。球場の命名は、一般公募で行われましたが、サンマリンスタジアムと言う名が選ばれました。丁度キャンプを張っていた巨人軍の当時の長嶋監督が「宮崎の海と空からサンマリンなんていいね」と発言したことで、長嶋氏も名付け親の一人になっています。
 来年はオリンピックの年です。11月12日から19日までの日程で星野ジャパンの五輪アジア予選の強化合宿が、ここ宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎を中心に行われています。
 11月17日(土)は、西武ライオンズとの練習試合が行われました。練習試合と言っても、春のキャンプと違って選手の身体は出来上がっていて、春より迫力のある試合を堪能することが出来ます。
 西武はほぼベストメンバーで試合に臨み、日本代表もメジャー組を除くと、青木、多村、阿部、川崎など国内のそうそうたるメンバーがスタメンから登場し、しかも入場無料ときては、こたえられません。
さらに先発がダルビッシュと、まさにオールスターの雰囲気です。
 試合開始1時間前に到着して、西武の打撃練習、両軍のシートノックと、淡々とスケジュールをこなす選手を見守るスタンドも何か異様な雰囲気です。普通、キャンプで場内に流すBGMが全くありません。始めて聞いた音楽が、試合開始直前の「君が代」だけ。日本代表はもちろん、西武も鳴り物の応援は一切なし。その代わり選手紹介の時の拍手は、まさに万雷。何かアメリカの野球を観ているような感じです。試合が始まっても、プレーの一挙手一投足に拍手は起きても、投手が投げる時はシーンと静まり返っている様は経験したことがありません。当然、選手の掛け声やミットに納まる音や打撃音ははっきり聞こえますし、何より外野スタンド最上部に飾り付けてあるのぼりのパタパタと言う音が聞こえるのにはびっくりしました。
 ところで、試合の方ですが、先発のダルビッシュは12月初旬の、台湾での対韓国戦に向けての調整登板で、見た目にも70%程度の力で投げている感じがします。
 ストレートの球速はほとんどが140km前半止まり。時折、切れ味鋭いスライダーで空を切らせるなど片鱗は見せていましたが、2回には西武の中村に左中間に一発を運ばれるなど、本来の出来には程遠い印象を受けました。打線も前半は西武先発の大沼の切れのあるストレートと変化球に散発の2安打に抑え込まれ、塁に出ると巧みなけん制に、対応が出来ない場面も露呈しました。
 4回の予定イニングを投げ終えた西武・大沼がガッツポーズをしてマウンドを下りていたのが印象に残りました。
 まだ、調整と言っても予選は2週間後。率直に言って大丈夫かな?と危惧する内容でした。明日ハソフトバンクとの一戦、月曜日葉巨人戦と組まれていますが、ここで、特に打線がきっちり結果を出さないと、台湾、韓国ともにレベルアップしていますので、厳しい戦いになりそうです。
宮 崎 南 バ イ パ ス
 

こんな所になんで白鳥が?1

こんな所になんで白鳥が?2
 北京五輪日本代表の練習試合が始まる11月17日の土曜日からは、球場周辺の道路は混雑し、運動公園内の駐車場も確保が困難と言う情報がありましたので、宮崎空港付近の空き地に車を置いて歩くことにしました。
 サンマリンスタジアム宮崎までは約5kmの道のりです。何故そんな遠い所に車を置いて・・・?と思われるでしょうが、車を置いた所から運動公園までは、田んぼの中に宮崎南バイパスが一直線に延びています。
 中央分離帯には延々とワシントニアパームが植栽され、始めてこの道を通った人は、まるでカリフォルニア南部みたいと印象を語ります。
 沿道にも季節ごとに色々な花が咲き、長距離ドライブで疲れた身体を癒してくれます。
 今回、こんな所に車を置いたのは、そんな沿道の景色を自分の2本足で確かめたかったからです。歩き始めて600m。車で通ると分かりづらかったコスモスが姿を現しました。
 幅が4〜5mの帯状にバイパスと平行に植栽されています。規模は、50や100mではありません。延々と、どこまでも続いています。もう時期的には終わりですが、こんな所にコスモスがこれほど咲いているとは思いませんでした。
 決して奥行きがあるわけでも、広大な面積を誇っているわけでもありません。
 ただ、バイパスや歩道に沿って植えられているだけです。
 結局、測ってみました所、その長さは1、3kmありました。1m当たり100本として10万本以上が植えられている勘定です。
 ここ最近、宮崎県内でも小林市の生駒高原やえびの市の自衛隊敷地、西都市の西都原古墳など100万本から500万本も植栽されている大規模コスモス畑や休耕田を使った色彩豊かなコスモス畑を多く見かけるようになりました。
 ところで、南バイパスに沿ってのもうひとつの楽しみは、平行して流れている蠣原(かきはら)川を眺めることです。幅7〜10m、総延長も10kmにも満たない小さな川で生活廃水が流れ込むような、あまりキレイな川ではありませんが、それでも以前と比べるとかなり浄化が進みたくさんの魚が住み付いています。コイ、フナ、ボラ、ライギョ、時にはチヌやはたまたスッポンもたくさん見かけることが出来ます。

そんな魚たちを見ていると心が洗われます。
 この日は、またまた、珍客と遭遇しました。なんと白鳥です。幅わずか5mの川で白鳥を見られるとは思いませんでした。成鳥が3羽盛んに川藻を食べていました。
 なんでこんな所に白鳥が・・・・?
 はじめはなんのことか、夢でも見ているのかと思いましたが、パンくずを投げると寄ってきましたのでピンときました。人間によく慣れています。
 そこから約1、5km南下した川幅が少し広くなっているところにも、ツガイが2羽水の中をスイスイ泳いでいました。持っていた携帯で心当りの施設へ電話しました。
「そちらの川に現在、白鳥はいますか?」
「そういえば、9月の台風以後ちょっと少ないですね」
「南バイパスの川で5羽の白鳥が遊んでいるのを見ましたが、そちらのではないですか?」、
「最近、2〜3、そんな情報が舞い込んでいます。ここの白鳥は飛べないのですが、どうしてそんな所まで行っているのか分からないんですよ。」・・・・。
 電話の相手は、白鳥が遊んでいる所から南に約10kmのところにある遊園施設「青島子供の国」の係員です。応対もいたってノンビリしています。まるで他人事のような感じです。
 子供の国の中を流れる知福川には白鳥や黒鳥などがたくさんおり、そのうちの何羽かが「遠征」してきたのでしょう。
 ただ、知福川と蠣原(かきはら)川は、全く繋がっていません。
 この間には、2本の大きな川が太平洋に流れ込んでいて、蠣原(かきはら)川には、飛んでいくか、太平洋を泳いでくるしか方法がないのです。さて、どうやってきたのでしょう。
 因みに白鳥は、この川が大変気に入っているように見えました。野球の帰り同じ所を通ったのですが、2羽のツガイの姿は、ほぼ同じ所を泳ぎ回っていました。残りの3羽は、行きに見かけた所にはいなく、さらに上流約2kmのところで子供達にエサをねだっていました。
英 国 式 庭 園

 宮崎市のフローランテ宮崎は、四季の花々が咲き乱れる花の楽園とともに、ガーディニングの講習会や室内園芸装飾展ほか、生け花、園芸など各種の展示、催しを通して宮崎が世界に誇る「花のまちづくりの推進拠点」として、市民や観光客が四季折々に花と共にある生活を楽しめる都市緑化植物園の機能をもつ都市公園です。
英国式庭園は、そのフローランテ宮崎の南隣りに位置していましたが、なかなか訪れる機会に恵まれず延び延びになっていました。今日2007年11月18日に、たまたま時間が出来、少しだけ覗いてきました。
深い松林にその庭園はあり、いかにも英国的な風情を醸し出していました。1999年に宮崎グリーン博が開かれた時に造られたものです。設計に携わったのが英国を代表するロビン・ウイリアムス氏で、同氏はイギリスの2大フラワーショーに当たるハンプトンコート、チェルシーの両コンテストでいずれもゴールドメダルを受賞しているイギリスを代表するガーデンプランナーで現在は、英国王立園芸協会理事の要職を務めています。氏が宮崎に来て始めて建設場所の景観を見たとき、松林の中に既に英国的なムードが漂っていると感じたと言います。すぐに頭の中に青写真がしっかりとインプットされ、すぐにガーデンハウスや庭のデザインにとりかかりました。ここは、イギリスの典型的な4種の庭が味わえるだけでなく、さまざまなこだわりを持って造られています。訪れた人々が色んなヒントを得て、自分の庭に取り入れるなど、ごく身近に素晴らしい教材が存在するのはガーディニングに関心のある人にとりこの上ない喜びです。
この英国式庭園は、1999年のグリーン博終了とともに取り壊す運命にありましたが、折角の素晴らしい庭園を取り壊すのはもったいないと存続運動が起こり今に佇まいを残しています。




英国式ガーデン
その1:Cottage Garden

田園に暮らすイギリスの庭です。日時計や蜂巣箱、井戸、ハーブや果物など、日常的な生活を醸し出しています。色彩豊かな植物に古いレンガの園路、ロビン・ウイリアム氏がデザインしたビクトリアンゲート、昔ながらのピケットフェンスなどが加わって、淡い水彩画のような雰囲気が味わえます。実際、宮崎市内でもこのガーデンを参考に取り入れたご家庭を3軒ほど訪ねました。あるご家庭は、このガーデンとほぼ同じ造りでガーデニングを楽しまれています。
その2:Formal Garden
イギリスの伝統的な整形式庭園です。1本の軸を中心に直線と曲線が対照的になるように構成されています。シンプルに仕上げられた植栽と、常緑樹の垣根、石の彫刻、噴水、オペリクス、外壁などが、雰囲気を醸し出しています。イタリアやフランスの流れを組む整形式庭園に、モダンさを加えたと、ウイリアムスしは語っていました。レンガの柱に支えられたバーゴラのブルーグリーンがこの庭全体のテーマカラーです。
その3:Meadow Garden
イギリスの牧歌的な風景を取り入れた牧草地の庭で最近、ワイルドガーデンとして本場イギリスでも注目されています。この庭園は、松林を活かし自然形の池と水面に映える黄金ヤナギ、アヤメ、サクラソウなどと一緒に静かな空間を生み出しています。
その4:Seaside Garden
厳しい潮騒や日ざしの強い気候を生かした海辺の庭です。地中海をイメージし、乾燥に強い植物を中心にユーカリ、アカシアなどの銀葉の常緑樹、日ざしのまぶしい海砂に似合うローズマリーやギガンジュームなどの植物が配置されています。古いボートや魚網、ロブスターネットなどは実際にイギリスで使われていたものです。家の壁にはブライトン地方の自然石が使用されています。




2007年 秋 日南海岸
 
 2007年11月11日(日)、鵜戸神宮に参拝した後、鵜戸漁港の入り口付近に車を止めて南の方角に向けて歩き始めました。普段、車でしか通ったことのない国道220号線ですが、歩くのはもちろん初めての経験です。
 鵜戸から宮浦、小吹毛井、大浦、立石と小さな集落がポツンポツンと点在しています。ほぼ、歩道が整備してあるので車を心配する必要はいりません。
 歩くと目に飛び込んでくるすべてのもの、即ち海・空・木々・通過する車など、全く違って見えます。いつも見慣れた海がこんなにもキレイに見えたのは初めてでした。駐車できない海岸線をつぶさに見て歩くと、なんか得をしたような気分になります。
 宮崎が誇る日南海岸の景色に見とれながら、いつの間にか日南市風田の、国道が海岸線を離れる所まで来てしまっていました。片道8kmがアッと言う間に過ぎ去った感じです。
 その辺りに、下の写真のソテツやハイビスカス、マルバビスカスなどの亜熱帯植物が植栽されていました。マルバビスカスは、樹全体が真っ赤に染まるほどの花を付けている大木が国道沿いを明るく豊かに南国情緒を醸し出していました。

 上のサーフィンポイントは、日南海岸随一のビッグウェーブが押し寄せることで有名な日南市大浦のスポットです。上の真ん中の写真の半島の突端がそのポイントになります。
 訪れたのは2007年11月11日の午後の3時頃、12〜3名のサーファーが波と戯れていましたが、人間の大きさから比較しても結構大きな波が立っていて風もなくコンデションは良さそうでした。10分おき位に写真の倍までは行かないまでも5m位の大きさの波が打ち寄せていて、サーファーは戯れると言うより波に翻弄(ほんろう)されていました。
 ここは特に外国人の姿を多く見かけます。県内や九州内の自治体で働いている英語指導助手や塾の講師、ここの波が気に入って宮崎に住みついた外国人などさまざまで、見かけたらよく話しかけます。やはり、ビッグウェーブが魅力と話していました。
 海底は岩場で岬の突端でもあり、潮の流れが速く慣れないと危険でもあります。上級者向きのスポットと言えます。
 写真を見てもわかりますが、手前でも適度な波があり、いくらでもサーフィンが出来そうですが、この周辺で波に乗っているサーファーを見かけたことはありません。
 やはり、ここは岬の突端が魅力の、一級スポットなのでしょう。
 「この波はちょっと」と言うサーファーは、ここから約2km北にある鵜戸の湾内のスポットでよく見かけます。宮崎は南国と言っても、もう11月です。普段の年ですと昼間でも冷たい北風が吹くよううになりますが、今年は一体どうしたのでしょう。この時期になってもまだまだ暖かい日が続いています。サーファーなどは、上半身裸で闊歩していました。
 この日は、身体を動かすために日南海岸の日南市部分を15〜16kmほどジョグとウォーキングしました。景色の素晴らしさと雲ひとつない好天で足はドンドン進みました。鵜戸神宮から南の部分は、このページの前のほうで少し紹介しましたが、ここに挙げた写真は宮崎市から青島、折生迫(おりゅうざこ)近辺です。つまり、より宮崎市に近い所です。
 一番上のサーフィンスポットは、宮崎市の木崎浜です。ここは交通の便がよく宮崎市内からも近いので県内のスポットで一番多くのサーファーが訪れる場所として宮崎県内外に良く知られています。国際大会も開かれ、広々した海岸のほとんどがポイントになっています。海底は砂で比較的安全ですが、2つの川が流れ込んでいる付近は、潮の流れが複雑で細心の注意が必要です。
 南に青島を仰ぎ見、北の方角にはシーガイアのリゾートホテルや旧オーシャンドームを見ることが出来ます。
 また、海岸に隣接して西側には我国有数の敷地面積を誇る宮崎県総合運動公園が控えていて、巨人軍やJリーグのキャンプは、つとに有名です。
 現在、つまり今日11月12日から、五輪予選を控えた星野ジャパンの最後の調整合宿が、公園敷地内のサンマリン宮崎でスタートし、月曜日と言うのに駐車場は満車状態と大入りの盛況を呈していました。

 上の写真の下側は青島とその近くの白浜にある「サンクマール」と言う温泉リゾート施設です。
リニューアルオープンしてから、そんなに年数が経っていなく館内は、大変きれいで展望風呂からの海の眺めは最高です。
 9月1日からは、毎年、「伊勢海老祭り」を実施していて多くの観光客で賑わっています。
 一番下の行は、日南海岸ロードパークの玄関口・堀切峠とビューポイント「道の駅フェニックス」を下って南側から撮った写真です。
 左端の写真の拡大写真をご覧になると分かりますが、写真の一番右側の岬から2番目の山の中腹に、椰子の木が見えますが、あの地点が坂道を登ってきて、海がパッと開ける所、いわゆる堀切峠です。そこから500mほど下ったところに「道の駅フェニックス」があります。
 また、海岸の岩場を拡大していただきますと、日南海岸独特の波状岩が見事に見えるはずです。この波状岩を、「鬼の洗濯岩」または「鬼の洗濯板」と言ったりしていますが、県外客などに分かり易くするため宮崎県観光協会は、「鬼の洗濯板」で呼ぶことに決めたようです。


愛 宕 山 ( 宮 崎 県 延 岡 市 )
 宮崎県の北部に位置する延岡市。愛宕山はその延岡市の象徴的な山です。もちろん古来より多くの伝説が残る名所旧跡としても有名な山です。
 延岡市の中心にそびえる愛宕山。四方が手に取るように見渡せ、頂上までの道路も整備されていますので市民にとっては、とても親しみ深い憩いの山として愛されています。健康ブームの現在、歩いて登る人、ジョギングで登る人の数は、相当な数に上っています。また、花火大会では特等席に早変わり、4〜5時間も前から場所取りが始まります。
 昔は、地元の新聞社が「30年後の延岡」と言う正月特集記事で愛宕山から城山までロープウェイを架けたり、頂上までケーブルカーの軌道を敷設したり、東西にトンネルを貫通させたり・・など等夢を描くに格好の山でもあります。また、春になると毎年のように山火事が発生し、イメージはあまり良くなかったことが思い出されます。

=延岡市の愛宕山・画面左に展望台、一番高い所にテレビ塔が見える=

 標高251mの頂上には、テレビ関係の電波を受ける塔が建っています。そこから2〜300m下りたところに展望台があります。因みにこの展望台の真下一帯も焼けてしまったことがあります。当時は何もない雑木林でしたが。その時火事で周囲が開け最初の展望台が造られました。売店を備えた当時としては立派な展望台だったと記憶しています。
 その後、展望台の北側直下を整備する動きがありましたが、いつの間にか立ち消えになり、初代展望台も一時は、管理が手薄になり荒れるに任せる苦難の時代を過ごしたことがありますが、市民の要望が強く現在の展望台が出来上がりました。
 県内でも夜景が間近に見えるのはここだけで、夜は満天の星空を見ながら愛を確かめ合うのでしょうか。カップルで賑わいます。写真の南京錠は展望台の屋上の手すりの足元に掛けてある「愛の南京錠」です。見渡すと約100個位ですかね、2人の堅い愛を確かめるために、錠の狭いスペースにメッセージが書かれています。
 いつごろ、誰が始めたか定かではありませんが、中には、古くなり錆びかけているものや自転車のビニールの鎖状のものなど、さまざまな南京錠が掛かっています。果たして鍵を開けることなく堅く結ばれたかのか、途中で外しにこざるを得なくなったのか、当人達でないとわかりませんが、延岡の密かな名所になっていることだけは確かなようです。
 展望台下の駐車場に、愛宕山の由来が欠いてありますので紹介します。
標高251mのこの山は、もと笠沙岬とか笠沙山と呼ばれ、ニニギノ尊と木花咲耶姫の宮居の神話にちなんだ伝説の地である。周辺には沖田・片田などの貝塚が多いことから古代は海に突き出した半島であったと考えられる。慶長年間高橋元種が延岡築城の際、山上にあった愛宕神社をこの地に移したことから山の名も愛宕山と改められたと言われる。
 神社の境内は頂上から北一帯に23万余坪(76万u)もあり、当国随一の広さと言われた。
すぐ近くに生目神社(目の神様)もある。
 頂上を極天様(ごってんさん:天空を極める聖地)と敬称し、あわせて頂上の西部を妙見菩薩(北斗七星の神化仏)在座の妙見と称し、また男坂を設けて、国守が直接斎主を務める神社としたので、女人禁制の霊山とされた。
 日向御前が禁を破って登山をしたという逸話が残っている。


延岡市南部 延岡市南東部 延岡市東部 延岡市北東部
 山と川と真っ青な空。延岡の魅力はなんと言っても緑豊かな自然に恵まれていることです。この愛宕山に登れば、ほぼ360度の延岡市のパノラマを堪能できます。この日は確認できませんでしたが、天気のよい澄み渡った日には、遠くに四国を見ることも出来ます。
延岡市中心部1 延岡市中心部2 延岡市中心部3 延岡市西部
延岡の夜景1 延岡の夜景2 延岡の夜景3
 宮崎県で唯一市内中心部の夜景が撮れるのが延岡市の愛宕山です。この山の展望台から同市の夜景を撮ろうとしましたが、写真の腕が未熟でなかなか鮮明な画像が撮れませんでした。
 しかし、ひと際高い旭化成の煙突でだいたいの位置関係が分かると思います。延岡市は旭化成抜きでは考えられませんから。この、夜の画像にもそのことが反映しています。もっと鮮明な画像が撮れるよう再度挑戦したいと思っています。
延岡市の中心を流れる川は五ヶ瀬川の支流・大瀬川です。画面に見えている川です。その向こうに本流の五ヶ瀬川が流れています。この五ヶ瀬川は鮎が豊富でしかも、大きいことで九州では熊本の球磨川と並び称されています。
 解禁を迎える6月始めから、地元はもとより九州各地の太公望がたくさん訪れます。過去に36cm強の、鮎としては巨大なサイズが上がっていて幻の「尺鮎」を目指す釣り人が絶えません。
また、秋になりますと、丁度、今の時期ですが、この川の上流に鮎やなが架かります。川全体を「ウマ」と呼ばれる柱を軸に竹柵で仕切られ、産卵のため川を下る鮎の習性を利用して中央部に導き、すのこの上に落ちてくる鮎を手や網ですくう伝統的な漁法が、江戸時代から伝えられています。
 漁期は10月1日から11月末までで、やなの側には、鮎を食べさせるプレハブの鮎小屋が建ち、獲れ立ての鮎を食べさせてくれます。この時期になるとたくさんの観光客が訪れ、香ばしい鮎の香りをかぎながら、塩焼き・せごし・うるか・鮎めしなどの鮎づくしに舌鼓を打つのが延岡の風物詩になっています。

川水流やな場 鮎の塩焼き堪えられない美味です

 
 恐縮ですが、また愛宕山に戻ります。上の写真は前述の南京錠です。展望台の手すりの下にカギを掛けた状態でたくさん並んでいます。何時の頃から始まった儀式かわかりませんが、恋人たちの気持ちがよく分かりますね。錠はそんなに多くありませんが、中にはサビかけているものもあり、かなり以前から行われている儀式でしょう。

 錠の表面に書いてある二人の誓いなど、ついその後どうなったのだろうと想像してしまいます。
番外 関西へ行ってきました。

南禅寺三門
 南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院です。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは「太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)」と号します。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)です。皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものです。京都五山の上位(五山第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇っています。
南禅寺正門 法堂(はっとう)1 法堂(はっとう)2 法堂(はっとう)3
 南禅寺の三門は、日本三大門の一つとして名高く、天下竜門との名がついています。
三門の拝観は有料で急勾配の階段を上ると、二階の回り縁に出ます。
  現在の三門は、藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したものと言われています。
 創建は、永仁3年(1469)、西園寺実兼の寄進により建てられましたが、火災で焼失していました。三門の高さは22メートル。内部には宝冠釈迦坐像を本尊として、脇侍を安置し左右に十六羅漢が配置され 、また徳川家康、藤堂高虎の像と一門の位牌も安置されています。天井の極彩色の絵は、狩野探幽、土佐徳悦の合作とされています。
 ところで、石川五右衛門が三門の上で「絶景かなー」と言ったというのは、五右衛門の死後30年ののちに建立ですから俗説でしょう。
 法堂(はっとう)は南禅の公式の法要などをおこなう場所です。意外に新しく明治42年創建。法堂(はっとう):三門から東へ一直線上に建つ。豊臣秀頼に寄進されたが、明治28年に焼失。同42年に再建された。南禅院は、離宮禅林寺殿の「上の宮」の遺跡

 天授庵は南禅寺の塔頭です。1602年に細川幽斎が再建しました。
長谷川等伯の筆による方丈襖絵が有名です。商山四皓図、禅宗祖師図、鶴松図は、ともに等伯の晩年の剛直な画風をよく表しています。

天授庵 南禅院1 南禅院2 法堂を背に
 私たちが訪れたのは、2007年の10月14日の日曜日で、京都市内の名所は修学旅行生でごった返していました。特に清水寺や二条城などの人気スポットは人・人・人・・・・日頃、あまり人ごみを経験することのない私たちは目を白黒させながら、はぐれないよう付いて行くのがやっとでした。5年前訪れた時は、11月でこの南禅寺や東山界隈は、もみじの紅葉の真っ最中でまさに山が萌える雰囲気を堪能しました。
 ところで、京都と言えば湯豆腐ですね。南禅寺を訪ねたのは実は、湯豆腐料理を食べるのが一つの目的でした。
料理は、コースになっていて、田楽、天ぷら、ごまどうふ、サツマイモ等など、そしてメインの湯豆腐と次から次へと出てくる京料理を満喫しました。

水路閣1
水路閣2
水路閣上部
                    史跡琵琶湖疎水「水路閣」
 
疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、明治18年に起工され、同23年に竣工しました。
 同疎水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市の琵琶湖で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上までの区間のことを言います。
 水路閣は、この疎水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっています。
 また、ここから西500メートルにあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと、南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の船便による交通事情がよくうかがえます。
 いずれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものとして、昭和58年7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定されました。
 また、平成8年6月には、この水路閣.インクラインに加え、第1疎水の第1・第3隧道の各出口、第1竪坑・第2竪坑、明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号機)、同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定されました。


元離宮二条城
 二条城は、慶長6年(1601年)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役の力により着工され、翌年3月に完成しました。
京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであったと言われています。家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行われました。
 その後も、造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3年(1626年)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣も備えていました。しかし、寛永3年(1750年)、雷火のため天守閣を消失、また、天明8年(1788年)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓(やぐら)の多くを消失しました。
文久3年(1863年)、十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応3年(1867年)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意し、上表の使者を出しています。
明治4年(1871年)、二の丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治26、7年には、本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されています。昭和14年(1939年)、京都市の所有に移り、史跡に指定されました。城構は、平城(ひらじょう)で、本丸・二の丸よりなっていて、周囲は幅13mから17m
の濠(ほり)をめぐらし、東西約480m、南北360mあり、国宝二の丸御殿をはじめ、台所・御清所(おきよめどころ)・東南・西南両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財があります。
徳川氏以後の「二条城」の歴史
 関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、上洛時の宿所として大宮押小路に築城を決め、慶長6年(1601年)5月から町屋の立ち退きを開始、12月に西国諸大名に造営費用および労務の割り当てを行ないました。造営総奉行に京都所司代板倉勝重、作事(建築)の大工棟梁に中井正清が任じられました。慶長7年(1602年)5月に、御殿・天守の造営に着工、翌8年3月に落成しました。
 但し、天守は、慶長11年(1606年)に完成。
 家康は、慶長8年(1603年)2月に伏見城において征夷大将軍補任の宣旨を受け、3月に竣工間もない二条城に入城、室町幕府以来の慣例に基づく「拝賀の礼」を行うため、御所への行列を発しました。それに続き、二条城において重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行いました。この将軍就任の手順は、2年後の慶長10年(1605年)に第2代将軍秀忠が、元和9年(1623年)に第3代将軍家光が踏襲しますが、第4代将軍家綱以降は行われなくなりました。
 慶長16年(1611年)に、二条城の御殿(現在の二の丸御殿)において、徳川家康と豊臣秀頼の会見が行われますが、このとき家康は秀頼の成長ぶりに驚き、徳川家の天下が覆されるかもしれないとの危機感を抱き、豊臣家を滅ぼすことを決意したとも言われています。
 そして、慶長19年(1614年)、大坂の役が勃発。二条城は、大御所(家康)の本営となり、伏見城から出撃する将軍秀忠の軍勢に続き、家康は二条城から大坂へ駒を進めました。
 翌慶長20年(1615年)の夏の陣においては、二条城に火をかけ、混乱の中で家康を暗殺しようとした陰謀が明らかとなり、徳川方についていた古田織部の家臣が捕縛されました。
 このため、古田織部は切腹、家財没収となる事件もありました。
 元和2年(1616年)に家康が没した後、元和5年(1619年)から秀忠は、娘和子の後水尾天皇への入内に備え、二条城の改修を行いました。
 このときの縄張(基本設計)は、秀忠自らが藤堂高虎と共に行いました(秀忠は、2つの案から一方を最終選定しただけでしたが、将軍自らの縄張りであると高虎に持ち上げられたのでした)。
 翌元和6年(1620年)6月18日、和子は、二条城から行列を作り御所へ入りました。
 家光が将軍になり、秀忠が大御所となった元和9年の翌年、寛永元年(1624年)から、二条城は後水尾天皇の行幸を迎えるため、大改築が始まりました。作事奉行には小堀政一、五味豊直(後の京都郡代)が任じられました。行幸は、寛永3年(1626年)9月6日から5日間に渡っておこなわれ、その間、舞楽、能楽の鑑賞、乗馬、蹴鞠、和歌の会が催されました。この行幸が二条城の最盛期です。行幸のために新たに建てられた行幸御殿は、上皇となった後水尾院の御所に移築、その他多くの建物が解体撤去されました。秀忠死後の寛永11年(1634年)7月、家光が30万7千の兵を引きつれ上洛し、二条城に入城したのを最後に、二条城が将軍を迎えることは途絶え、幕末の動乱期までの230年間、二条城は歴史の表舞台から姿を消ました。
 その230年の間に、暴風雨や地震、落雷で徐々に建物は破損し、老朽化していきました。
 寛延3年(1750年)には落雷により天守が炎上、焼失。
 さらに、京の町を焼き払った天明8年(1788年)の大火の際には、飛び火が原因で、本丸御殿、隅櫓などが焼失しました。破損部分に関しては修理が行われましたが、滅失した建物については再築されることなく、幕末を迎えることとなりました。
 二条城には、寛永2年に、将軍不在の間の管理と警衛のために、二条城代と二条在番が設置されました。元禄12年(1699年)に二条城代が廃止され、その職務は二条在番が担当することとなりました。文久2年(1862年)閏8月には、交代制の二条在番は廃止され、それに代わって常勤制の二条定番が設置されました。なお、朝廷の監視および折衝を担当する京都所司代は、二条城の北に邸を構えそこで政務を執っていたため、将軍不在の二条城は幕府の政庁としては全く使用されませんでした。

幕末 
 14代将軍家茂は、文久3年(1863年)3月、朝廷の要請に応えて上洛をします。これに先立ち、文久2年(1862年)から、将軍上洛を迎えるため、荒れ果てていた二条城の改修が行われました。二の丸御殿は全面的に修復し、本丸には仮御殿が建てられました。
 家茂は、慶応元年(1865年)に再度上洛し二条城に入りますが、すぐに第二次長州征伐の指揮を執るため大坂城へ移りました。しかし、ここで病に倒れ、翌慶応2年夏に死去しました。
 二条城では幕閣によって次の将軍は一橋慶喜と決定しますが、慶喜は就任を拒絶。幕府関係者のみならず朝廷からの度重なる説得の末、ようやく、その年の12月に、二条城において第15代将軍拝命の宣旨を受けることとなりました。
 ただし、慶喜が宿所を若狭小浜藩邸から二条城に移したのは翌慶応3年9月のことでした。
 10月には大政奉還、将軍職返上、12月には朝廷より辞官納地命令が二条城に伝達されました。
 このとき二条城には、旗本を中心とする徳川家直属の兵約5000、会津藩士約3000、桑名藩士約1500が集結して、朝廷を操る薩摩藩の挑発に対し激昂していました。
 軍事衝突を避けるため、慶喜は二条城からこれらの兵を連れて大坂城へ向かいました。
 二条城には、若年寄永井尚志と水戸藩士約200名が守備のため残りました。
 しかし、命令系統の混乱から別に二条城守備の命を受けた新選組が到着し、水戸藩士との間で押し問答になりました。
 この件は、永井の機転で、新選組が伏見奉行の守備に回ることで解決しました。
 翌慶応4年(1868年)正月、鳥羽・伏見の戦いが勃発。大坂に召還された永井尚志に代わり、二条城は水戸藩士梅沢孫太郎が留守役となっていましたが、1月5日に、朝廷(新政府)の命を受けた議定徳川慶勝に引き渡され、太政官代が設置された。閏4月に太政官代は、宮中に移転しました。
明治以降
 東京奠都後の明治3年(1870年)に、二条城は留守官の管轄下に置かれますが、
 明治4年(1871年)二の丸御殿は京都府庁舎となりました。
 明治6年に陸軍省の所管に移された後、明治17年(1881年)に宮内省の所管となり「二条離宮」と改称されました。翌明治18年(1882年)に京都府の新庁舎が完成したため移転した後、二の丸御殿の修理が明治20年まで行われました。
 明治26年から27年にかけて、京都御苑の今出川門脇に位置する旧桂宮邸を本丸へ移築し、本丸御殿としました。
 大正4年(1915年)、大正天皇即位の儀式である大典の饗宴場として二条城二の丸が使用され、それに伴い、南門や二の丸御殿の附属建物が増築されました。
 第二次世界大戦後、GHQの意向で、二の丸北側にテニスコートが作られましたが、昭和40年(1965年)に庭園に変えられました。
 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(53番)に選定され、平成19年(2007年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始されました。(この項ウイキペディアから引用)



二条城の濠

東大手門

二の丸御殿車寄せ

二の丸庭園
二の丸御殿(国宝)
 桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、城へ参上した大名の控室の「遠侍」・参上した大名が老中職と挨拶を交した「式台」・将軍が外様大名に対面した部屋で、慶応3年(1867)には15代将軍慶喜が大政奉還を発表し、徳川幕府265年の幕を閉じた歴史的な部屋でもある「大広間」・「蘇鉄の間」・「黒書院」・将軍の居間と寝室の「白書院」の6棟が立ち並んでいます。部屋数は33、畳は800畳余り敷かれています。
 各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。
 また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。
 御殿内には当時の様子を模した人形などが置いてあり、テープで各部屋ごとの説明が聞けるようになっています。

二の丸庭園(特別名勝)
 小掘遠州作の池泉回遊式庭園で、大広間から眺められるよう造られたものです。蓬莱島・鶴島・亀島の3島を置き、4つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は変化に富んで秀麗であり豪壮な趣があります。

大阪梅田スカイビル
 大阪もこんなに空気がきれいなのかと、驚きました。30数年前、大学に通っていた頃はスモッグがひどかったですからね。今回は、クライアントの皆さんと大阪、京都、神戸を周りました。
 しかし、ちょっと来ない間に大阪の高層ビルがこんなにたくさんになっていることにはびっくりです。この梅田スカイビルからの風景を見て改めてそう思いました。ここのところ何度か訪れていますが、途中、20数年のブランクがありましたので、どうしても学生時代のあの阪急梅田駅や十三、淡路、吹田の阪急沿線の光景が目に浮かびます。
 ところで、ここに来るまで「空中庭園とは、一体何ぞや?」・・・・・「高層ビルの屋上に日本式の庭園が広がっているのだろう」くらいにしか思い当たりませんでした。
 ところが、屋上に出ても樹木一本ありません。
 それより、170mの高層に居ながらにして肌で風を感じる建物にはびっくりしました。
 人間の発想とはなんと素晴らしいものでしょう。
 空への憧れ、空への夢をカタチに変えた異次元の空間、未来へ向けてさらに進歩しようと言う人類の英知が見事に再現されています。と、パンフレットに書いてありました。まさしくそのとおりなのでしょう。
 私のような凡人には、ただ高い所に趣向を凝らした庭園があるのだろうというくらいにしか浮かばない発想の貧弱さ。
 大都会のど真ん中に位置し、170mの高さから何にも邪魔されることなく360度の大パノラマを堪能出来るのもこの建物の醍醐味。170mの高さから見下ろすビルと言う名の植物や周囲の風景も、朝・昼・晩・姿、形、色を変え、観る人それぞれにイメージを膨らませます。
 途中から真下が見える長い長いシースルーエスカレーターに乗っていると、山頂直下の、あの山でのワクワク感に似た興奮を覚えました。
 一度、「登頂」を経験してすべての疑問が消えました。
 そして、どうせならアッと言う間に人間を運んでくれるエスカレータとともに、汗をかきかき、休憩を挟みながら自分の足で登ってこれる「ルート」があったら、もっともっと高い山を極めた時と同じ達成感と、ピクニックのようなアウトドア感覚を楽しめるだろうなと勝手に想像しました。


目が回りそう1 目が回りそう2 目が回りそう3
シースルーエスカレータ シースルーエスカレータ

梅田駅南部 遠く生駒山 名物観覧車 淀川方面

宮崎の県鳥コシジロヤマドリ

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