★宮崎の名所旧跡ウォーキングNo5★

宮崎の名所旧跡、その5 宮崎ぐるり旅★宮崎の名所旧跡★

宮崎の名所旧跡ウォーキングのページNO5


宮崎平和の塔
宮崎県内の隠れた名所・旧跡を巡り、宮崎のあんなことこんなこと、「ヘェーッこんな所もあるのか」等など宮崎に存在する小さな隠れた名所旧跡を再認識してもらおうと、このコンテンツを追加して2年6ヶ月。会社の休みを利用してほぼ、、毎週宮崎の色々なところ巡ってこのサイトで紹介してきました。ほとんど、行き当たりバッタリの徒歩の旅ですが、季節により全く別の所に見えることもしばしば。私自身にとっても宮崎再発見の旅になっています。これまでも説明してきましたように、あくまでも、あまり話題に上らない地味で目立たない、それでいて昔から存在する由緒のある史跡や建造物、植物つまり大木や、名木その地区地区に伝わる伝説や昔話など、宮崎人が宮崎に住んでいても知らないようなマイナーなところにスポットライトを当てたいと思っていますが、いろんな制約と情報不足で消化不良の感は否めません。しかしながら、これからも生活に密着したものを足で歩いて、見て周り紹介して行くスタンスに変わりはありません。ただ、言い訳じみますが、宮崎県は、北の端から南の端までくまなく歩くにはかなり広範囲に移動しなければならず、また時代の流れとともに失われていく伝統の文化を掘り起こして行くのは容易ではありません。このページは健康維持のためのウォーキングの一環で、目に留まった宮崎の今、またそこに暮らす人々や自然、しきたり、伝統などを通して、感じたままを書き記していこうと思っています。
 

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1、宮崎市椿山のツバキふれあい祭り


2、宮崎県日南市飫肥の城下町のたたずまい

3、春の宮崎日南海岸から内海へ

4、桜満開 宮崎〜小林〜都城

5、西都原の桜と米良街道の春

6、宮崎市高岡町から綾町広沢ダム湖を歩く

7、宮崎県野尻町「萩の茶屋」のツツジと八重ザクラ

8、宮崎市高岡町の芝ザクラとツツジ

9、宮崎県都農町の野山を歩く

10、宮崎県日南市の細田から南平を歩く

11、宮崎市東部のサイクリングロード散策

12、宮崎県綾町照葉樹林帯と照葉大吊橋

13、宮崎県西米良村の九州山地を行く

14、宮崎から高岡ー清武ー青島まで45kmを歩く

15、木城町実篤ロードを歩く

16、宮崎の秘境・椎葉村大藪川を歩く

下の公園名をクリックしてください。昨年(2008年)訪れたサクラの名所の画像につながります。


★南郷町花立公園 ★堀切峠の山城 ★子供の国のヒカンザクラ  ★国富町法華嶽公園の桜

★桜満開 ★宮崎衛生公社〜★延岡市新小路の桜並木〜★観音池公園〜★都城母智丘公園


★高岡天ヶ城公園〜★国富大坪の一本桜
★米良市房ダム湖の桜★京都・大阪の桜

番外編:新富町黒木邸の芝サクラ

秘境・椎葉の大藪川沿い散策
 5月15日(金)、このところズーッと晴れの日が続いています。
久しぶりに平日の金曜日に休みを取りましたが、里山歩きには日曜も祭日もあまり関係ありません。
むしろ平日は車が少なくて便利なくらいです。
ただ、道路工事が至るところで行われていて迂回させられたり、時間規制で目的地の変更を余儀なくさせられたりと少々のトラブルはありますが、いつもマイペースのウォーキングですのでさして問題ではありません。
山間部の工事の多くは災害復旧工事です。
宮崎県の場合、山間地は急峻な所が多く、しかも降雨量が多いので山あいを縫って走る道路は常に災害の危険をはらんでいます。
今日はそんな宮崎県の代表的な山間地・椎葉村に足を踏み入れました。
椎葉は平家落人の里として有名ですが、面積の95%以上は山地で1000mを超える山々が連なっている九州山地のちょうど背骨の部分に位置します。
今回は西都市から西米良村を経由、国道265号線を北上、平行して流れる一ツ瀬川の支流のひとつ大薮川沿いを上流に歩くことにしました。
かなり山の奥に入り込んでいます。
西米良村の中心地・村所から約20km近く、大半は対向車と離合困難な狭く曲がりくねった道が続きます。
沿道は今の時期若葉がきれいですが、晩秋には素晴らしい紅葉を川伝いに見ることが出来ます。
昨秋、ここを訪れその美しさを実感しました。
また、一ツ瀬川の水の綺麗さは例えようがなく、アユ、ヤマメ、マスの宝庫で、この一帯の道は「フィッシング街道」と呼ばれ、シーズンには九州一円から太公望が訪れる渓流釣りの有名ポイントでもあります。


市房山

市房山

樋口・石堂山

大藪周辺

大藪周辺

山野草

山野草

山野草

山野草

野バラ
 ところで、大薮川がどんな川なのか、上流になにがあるのか全く情報がありません。
ただ、地図を見ますと、道が奥まで通っていることだけは分かります。
しかし、周囲は樋口山(1435m)、石堂山(1547m)、一ツ瀬川西方には市房山(1722m)と、高い山が連なっていて、多分上りが続くだろうなと言うことは想像できます。
国道265号線から大薮川沿いに車を走らせること約500m、ほどよい空き地があり、そこに車を停めて歩き始めました。
このわずか500mほどの区間でも道はズーッと上っていました。
何が待っているのか楽しみな反面、かなりきついコースに右ヒザが悲鳴を上げないか不安な面もあります。
かなり奥地の、しかも山に挟まれた支流ですので川幅は広くありません。
上っていくにつれ川が次第に下方に離れて行きます。
木々に遮られてよく見えませんが、意外にも川岸に沿って民家が点々と続いています。
しかも、上流へ2〜3Kmに渡って点在しています。
ほとんどの民家のちかくに猫の額ほどの棚田が見え隠れしています。
人里離れた山奥に、こんなにたくさんの人家があるとは思いもしませんでした。
しばらく歩くと視界が開けてきました。
下方を流れる川が良く見えます。
川の対岸に農家とその前に、こじんまりとした棚田が広がっています。
予想外の光景です。
素朴と言いますか、昔どこかで見たような光景です。
川の反対側から、しかもかなり高いところから見ていますので、全体が一望できます。
棚田農家をあとに上へ上へ歩いていきますと、川幅はますます狭くなり道は、目の前の険しい山の方へと向いています。
見上げると、かなり高い所に、道らしき白いガードレールが見えています。
どうやら一山越さねばならないようです。
しかし、山を超えて何があるか分かりません。
道はより厳しくなってきましたが、時間的に余裕がありましたので行けるところまで行く事にしました。

野に咲く山野草

野に咲く山野草

野に咲く山野草

大藪川の防災施設

大藪川支流の渓谷

大藪川渓谷

椎葉山間地の棚田

大藪地区のネムの巨木

市房山の遠景
 山に入った途端、道はより急坂となり、九十九折りの坂が果てしなく続いています。
右ヒザはなんとか持っていますが、気持ちが切れそうになります。
山に入って40分。
下から見上げたガードレールのところまで辿りつきました。
はるか下方まで視界が開けています。
ここから見る景色はまさに絶景です。
目の前に樋口山、その右奥に石堂山、西に目を転じると市房山と1400〜1700mの山々が、手を伸ばせば届きそうな所に鎮座しています。
私のいる地点もかなり高いようで風がひんやりしています。
吹き出ていた汗も引いてしまっています。疲れも吹き飛びました。
元気が戻ってきましたので、もう少し上って見ることにしました。
道は急坂には違いありませんが、ドンドン前へ進んで行く感じです。
そして約15分後、道端に高さ30m、幹周が4m以上はゆうにありそうな大きなモミの木が見えてきました。
その先に4〜5軒の民家が連なっています。
畑には野菜が栽培されています。
こんな山奥に民家が・・。
今日何回目の驚きでしょうか。
と、1軒の家から出てきた女性と、バッタリ出くわしました。
「こんにちは・・」 「・・・こんにちは?」 
びっくりしています。それはそうでしょう。
ほとんど訪れる人のいない集落に一人の何物か分からない男が歩いて上ってきたのですから。
「どうやってきたのですか?」 「国道そばから歩いてきました。この先の道はどうなっていますか?」・・・・・。
「真っ直ぐ行けば大河内ですが。歩きなら何時間かかるかわからんですよ」  「行くだけ行ってみます」 
「帰りに寄んなさい。お茶でも飲んでいきなさい」  「有り難うございます」ひとしきり話しをして、もう少し上を目指しました。
大薮と言う集落と言うことで、この一帯に10軒ほどの民家が点在しています。
集落の中心には研修センターという立派な施設があり、地区の伝統的民俗芸能の臼太鼓踊りや神楽なども舞われると聞きました。
この辺りで標高が約1,000mと言うことで、冬の一時期は雪に覆われるそうです。
集落から10分ほど歩いたところで道は、大河内と美郷町南郷区を結ぶ村道と合流しました。
この辺りがほぼこの山の頂き辺りです。
帰りの時間を考え引き返すことにしました。

大藪川支流

大藪川支流

大藪川渓谷

大藪川

大藪川

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の棚田

山間部の農家
 帰り際、約束通り先ほどのご婦人宅に寄り、お茶をごちそうになりました。
丁度、ご主人も牛の世話から戻ってきたばかりでした。
昔の集落の様子や現在のたたずまいなどいろいろ聞かせていただきました。
昔はたくさんの人々が暮していたそうですが、やはり、過疎化と高齢化が進んでいるようで寂れる一方と淋しそうに話してくれました。
長居すると帰りが暗くなりそうなので、秋の紅葉を観にくることを約束して集落をあとにしました。
この集落で4〜5人の人に会いましたが、どの人も表情が柔和で親切な人ばかりでした。
人情味にあふれる接待はどこにも負けないと強く思いました。
土地の人々が、素朴で純な、都会の人々が忘れてしまった日本の心を持って生活していることに感銘を受け山を下りました。

畑の警備人

鹿除けネット

今盛りツツジ

今盛りツツジ

昔小学校

合歓の巨木

合歓の巨木

合歓巨木

椎葉大藪地区

九十九坂
宮崎県木城町実篤文学ロード
 2009年5月10日(日)
この道は、昨年の4月27日に歩いたコースです。約1年ぶりにまた歩きます。
「日向・新しき村」は、武者小路実篤(1885〜1976)が創始しました。
清流と緑豊かな山々に囲まれた木城町石河内の田園に様々な野菜が栽培されています。
実篤がこの村を開村したのは1918年(大正7年)で、開村に参加した人たちはここで自由を学び、自己を生長させ、自他ともに個性を活かし合える新しき社会を創ろうと思い描いていました。
入村したのは、3家族など大人18名、子供2名の男女で、農業出身者はたった1名だけでした。
そこで、地元の農家の助言を受けながら試行錯誤の日々が続きました。
農業生活が軌道に乗り始めると、美術、文芸、演劇、音楽に親しみ、それぞれが人間向上に励むようになりました。
さらに、地元の専門家の指導でクリやナシも栽培。
また印刷所も興し、村の文庫を出版しました。
一番隆盛を極めた時は、会員が50名を超え、村外会員も数百名に上りました。
実篤は実母の老後を診るためと子育てのため、村の経済力を高めるため大正15年に一村外会員になり、村の更なる生長に力を尽くしました。
 新しき村は今年91年。
現在、5ヘクタールのこの村で生活している村内会員は3所帯5名のみです。
水稲や畑作を協力しながら日々を過ごし、地域・自然と日日新に耕し合っています。
「自然の調和が無かったなら、美も我らも無い」。
小丸川が囲むように流れる村内には、住宅三棟、食堂それに資料、写真などを展示した武者小路実篤復元旧居があります。

実篤文学ロード

日日新トンネル

友情トンネル実篤刻印

日日新トンネル横の無名滝

小丸川渓谷

小丸川渓谷
 木城町から、小丸川沿いに上ること12km。
宮崎県でも辺鄙(へんぴ)な山村に武者小路実篤は、理想郷として日向新しき村を造りました。
現在は開村当時の活気はありませんが、わずかの村人が実篤の教えを守り実践しています。
そんな大文豪に影響を受け、石河内地区には「えほんの郷」が造られ、休日を利用して多くの子供達が訪れます。
小丸川沿いの道路は「文学ロード」と名付けられ武者小路実篤著「この道を歩く」から引用した木製碑が描かれ、「この道橋」、「童心橋」、日日新トンネル、著書から取った「友情トンネル」など実篤に因んだ名称の施設が文学ロードの雰囲気を醸し出しています。
ここを訪れたのは2度目。
前回も時間がなく新しき村まで行くことが出来ませんでした。
今回も2つのトンネルをくぐったところでUターン。
ただ、小丸川の深く切れ込んだ光景や周囲のまぶしいばかりの若葉の息吹は、4時間ほどのウォーキングでしたが、十分過ぎるほど堪能することが出来ました。
中でも「日日新」、「友情」の2つのトンネルの中での「実験」はここでしか味わえない体験でしょう。
つまり、音がトンネルの壁に跳ね返って、いつまでも余韻を残しているのです。
大きな声を出すと、「あーあーあー・・・・・。」十秒以上に渡って音が響いています。
また、車がトンネルに入った途端、音が津波のように押し寄せてきます。
それから30秒後一台の軽トラックが私を抜いていきました。
498mと708mの2つのトンネルともそんな感覚を味わうことが出来ました。
普通は、排気ガスの充満する長いトンネルはあまり歩きたくないものです。
しかし、この道は特別です。
車が少なく、長いトンネルの中を歩いていてもすれ違ったり抜いて行く車はせいぜい5台程度。
そんなに車が少ないからこそ味わえる体験・快感です。

文学ロード案内

文学ロード

文学ロード

文学ロード

文学ロード

実篤刻印

実篤刻印

無名滝

無名滝

無名滝

新緑の小丸川

新緑の小丸川

新緑の小丸川

新緑の小丸川

新緑の小丸川
初夏の県北・延岡から日之影
 5月7日(木)、時間の流れの何と速いことか。
ついこの間、サクラが例年より2週間も早く開花したと、話題になっていたと思っていたら、ゴールデンウィークがアッと言う間に終わり5月の中旬を迎えようとしています。
季節は、既に初夏の真っ只中にあります。
気温変化も2月からズーッと高目に推移していて、植物の芽吹きや花卉の開花も例年より相当早いように思います。
水のぬるむ時期を迎え、魚たちも恋の季節を迎え活発に動き回っています。
この日は、アユで有名な延岡の五ヶ瀬川を訪ね、上流へと遡上する様子をカメラに収めるつもりでいました。場所は延岡市の岩熊の井堰です。
ここの川幅は約250mあり、川の中央部と両端の3ヶ所に魚道が設けてあり、アユはいずれかの魚道を通って上流へと上っていきます。
魚道と言ってもアユにとっては、滝を上るのと一緒のこと、渾身の力で流れに逆らい一つひとつ滝を飛び跳ねながら征服し、上へ上へと進んでいきます。
海で育ったり下流で放流されたアユにとっては、ここが一番の難所で、使命感と言いますか、本能の趣くままと言いますか、身体をくねらせ何度も何度も飛び跳ねながら、上っていく姿は感動的ですらあります。
アユにとり難関は、自分達から見れば山のような落差があるこの激流ばかりではありません。
アユの習性を熟知しこの堰に集まるのを知っている白鷺が、浅瀬で待ち構えていて足元を上って行くアユを次から次に捕食していきます。
人間にとって美味であるアユは、当然、白鷺にとってもこれ以上ないグルメでもあります。
訪れた日は曇り空。たくさんのアユが上流へ向かって飛び跳ねていましたが、いずれも5cmから10cm程度の小ぶりなものばかり。
しかも、曇り空の上、カメラマンの腕が悪く飛び跳ねるアユの写真撮影は失敗に終わりました。
遡上は、まだしばらく続きそうですから機会を見つけて、また挑戦したいと思います。


延岡・沖田ダム

延岡・沖田ダム

延岡・沖田ダム湖展望所

日之影・八戸観音滝

日之影・八戸観音滝

日之影・八戸観音滝

日之影川の鯉と青雲橋

青雲橋と鯉のぼり

アユを狙う白鷺
 この日は写真撮影に専念してウォーキングはオフ。
まずはじめに延岡市の南部を流れる沖田川の上流に架かる沖田ダムに行ってみました。
この川の源流がある小野町から海までは10qほどと非常に短い川です。
私が子供だったころは、水量が豊富で親たちが大きなアユをたくさん獲っていたことを今でもはっきりと覚えています。
平成13年に完成した沖田ダムは下流域の灌がいと防災を目的に造られました。
今回初めて訪れましたが、もともと非常に短い川でよくもまあこんな所にダムを造ったものだと、感心するやら呆れるやらと言った印象です。
今年は、雨が少ないこともあり、ダム湖の水位ははるか下方、水が満杯になるには相当の雨量が必要な感じです。
まだ完成して間がないためこじんまりと小ぎれいにまとまっています。
また、すべては見て回ってはいませんが、ダム湖の周辺は整備が行き届いていて、ダム湖を見下ろす展望台や親水公園などがあり、市民の憩いの場としての役割を果たしています。
湖を取り巻く道路は、距離表示がされていて、ジョギングや旭化成陸上部の練習コースになっているのでしょう。
さすが「アスリートタウン延岡」の面目躍如と言った感じです。
知らないうちに知らないところで着々と設備が整っていますね。
またひとつ新しい発見です。

沖田ダム案内

沖田ダム

沖田ダム

沖田ダム湖

沖田ダム湖

八戸観音滝

観音滝入口

観音滝

観音滝

観音滝
 2つ目の目的は、滝の写真撮りです。
延岡から国道218号線を高千穂方面に向かいます。
北方町の中心部を過ぎてしばらく行くと、旧道と新しく出来た国道との分岐があり、そこを左折、五ヶ瀬川を左に見ながら車を走らせます。
もともとの220号線、延岡から熊本へ続く九州横断道路でした。2昔前までは、曲がりくねって見上げるような柱状節理の絶壁が続くこの狭い道をたくさんの車が往来していました。
大型車同士の離合が困難で、普通車や軽自動車は前へ進んだりバックしたりと、離合の度に翻弄され、左側のタイヤを踏み外すと、そこは五ヶ瀬川と言うもう少しで奈落の底と言う怖い思いを経験したのは数知れない「酷道」でした。
現在は山の中腹に新しい道が抜け、この川沿いの道は釣り人や地元の人など通る人はごく限られています。五ヶ瀬川を見ながら走ること約15分。
前方に、八戸の集落が見える手前に大きな縦書きで、「八戸観音滝」と書かれた案内板が目に飛び込んできます。
滝の入口には車を停めるスペースが十分過ぎるほどあります。
駐車スペースからすぐ細い坂道があり、滝はそこからすぐのところにあります。
登り口の所には、急坂を気遣って地元の人が作った竹製のツエが20本ほど束ねてありました。
約5〜60mほど上ったでしょうか。
前方から滝の音が聞こえてきました。
丁度ピークに差し掛かったところから、こんどは一気に下った所に滝と滝壺が見えています。
周辺の木々にさえぎられることなく、ほぼ全景を見渡すことが出来ます。
滝と滝壺がコンパクトにまとまった、まさに滝らしい滝です。
案内板に「名勝」と書いてありましたが、まさに名勝にふさわしい眺めです。高さ約3〜40mのところから一本の筋のごとく真っ直ぐに水が滝壺に落下しています。
滝壺の正面には太鼓橋が渡してあり、そこを渡るとつまり、川の右岸には国道から車が入れる道が延びていました。
何のことはない、無理して坂道を上らなくてもこの右岸を通れば簡単にたどり着けたのです。
旧道と平行して走る、TR高千穂鉄道、3年半前の台風14号の影響で今は廃線となってしまいましたが、車窓から見る滝もこの鉄道のセールスポイントだったに違いありません。
由来などは残念ながら書いてありませんでしたが、この辺りも柱状節理の断崖絶壁。
地質的に阿蘇の火山群の溶岩が冷えて固まった凝灰岩質の岩を長い年月をかけて五ヶ瀬の流れが浸食して生成された滝でしょうか。

八戸観音滝

八戸観音滝

青雲橋と鯉

アユ狙う白鷺

宮崎から高岡ー清武ー青島遠回り45kmを歩く
 5月6日(水)、今年のゴールデンウィークも今日が最後。
この春から高速道路ETC料金が日祭日に限って1000円ポッキリとなり、連休期間中は盆正月を上回る記録的な渋滞が至るところで起きたようです。
テレビを観ていたら、@たとえ道路が混んでも安い方が良い、A通常の料金でも良いから渋滞するのはゴメンの、どちらが良いかと言うアンケートをやっていました。
結果は渋滞はゴメンと言う回答が60%を超えていました。
いくら安くても行きたい所に無理して行っても、残るのは不便さを我慢した疲れだけと、そう言うことでしょうか。宮崎県の道路も県外ナンバーが多く見かけられました。
高千穂や鵜戸神宮など、代表的な観光地は人が押し寄せて大混雑したと、テレビや新聞が伝えていました。ただ、不況の真っ只中、サイフのヒモはなかなか緩まなかったようです。
ところで、私はここ5年ばかりこの連休中の1日を自宅から青島まで約45kmを歩くことにしています。
今年は昨日(6日)、いつものようにロングウォークを実行しました。
出来るだけ距離を稼ぐため、山手をまわり、高岡から清武、双石山麓を通って目的地に向かいました。
このコースは今年6回目で、もはや新鮮味はありませんが、何故かこの時機になると足が向いてしまいます。ひとつには、自分自身の体力を試す目安になっています。
始めて歩いた時は、途中で何回も足がつり、2度目の時はふくらはぎが痛くて歩くことさえままならない状態に陥りました。
3度目からは、日頃歩いたりジョギングしたりしていましたので、ほとんど苦になりませんでした。
今回はと言いますと、昨秋に傷めた右ヒザが途中から痛みだし、きついきつい45kmとなりました。
それでも見慣れた光景に出くわすと、疲れが取れ痛みも和らぎますから不思議です。
コース自体はほとんど平坦地で、何の変哲もありません。
ただ、緑が濃く若葉が輝いていて、さわやかな気候の中を歩くのですから、気分がリフレッシュします。

清武黒坂観音堂

観音堂石塔群

観音堂石塔群

みかんの花

みかんの花

みかんの花

民家のツルバラ

サルビア・マリーゴルド等

白色ブーゲンビレア

ブーゲンマウンテン

ブーゲンマウンテン

パープルブーゲンビレア
 特に、この季節は1年中で一番花々がキレイに咲き誇る時機でもあります。
ツツジは、ほぼ終わりましたが、アヤメやシャクナゲ、名も無きたくさんの山野草、みかんの花、それに道中の民家の庭先では、赤、白、黄色のツルやミニ、イングリッシュのバラの花が鮮やかに咲いています。
途中の名所を訪ねるのも楽しみの一つであります。
今回は、初めて清武町木原にある黒坂観音を訪ねました。
この神社は歩行コース沿いにあり、これまでもその気になれば簡単に行ける所にありますが、いままではそんな名所、旧跡に関心が無くパスしていました。
今回訪れて、この神社境内にたくさんの石塔群があるのを知りました。
石塔(せきとう)とは、供養などのため石を積んで塔の形にしたものを言います。
または石造の仏塔のことで仏舎利を安置するための供養塔の意味で使われることもあります。
三重、五重、七重、九重などの石塔が日本全国に分布しています。
清武町教育委員会によりますと、この黒坂観音に安置されている石塔は、実際は周辺の丘陵部に存在していたもので、昭和57年から発掘調査が始まり、五輪塔が約450基、板の碑が80基ほど確認され、保存を目的にこの地に移されました。
出土したときはすべて倒壊した状態でありましたが、10数区に区分されていてそれぞれがコの字形に五輪塔や板碑が配置されていました。
この境内の中に安置されている弘安8年(1285年)の銘のある宮崎県指定有形文化財の「五輪塔」も同一の場所から出土しました。
五輪塔は、供養塔の一種で、四つの部分からなっていて、それぞれ下から地輪、水輪、火輪、空風輪と称し、密教の五大思想を表しています。
県の指定を受けているのはその内の地輪と水輪で他は別個のモノです。
水輪には前面と背面に弘安8年(1285年)の刻名があり、鎌倉期の五輪塔として大変貴重なものです。
この五輪塔は、もともとは約1km南東の勢田寺境内にありましたが、同寺が廃寺となった明治時代の初め頃に現在地に移されたと言われています。
出土した石塔には紀年銘のあるものも数基確認されています。
最も古いものは応永25年のものですが、さらに古い特徴を持つ五輪塔も存在しています。
大部分のこの石塔群は鎌倉時代末期から江戸時代初期の約300年間に作られたと伝えられています。
石塔群は前述のように日本各地に存在しますが、これほど大規模の石塔群となると国内でもあまり例がなく、中世の武士文化の一端を知る貴重な文化的遺跡として現在の地で保存されています。

黒坂観音堂

観音堂石塔群

五輪塔

観音堂石塔群

観音堂風景

みかんの花

ツルバラ

みかんの花

ツルバラ

ツルバラ

ベゴニアほか

サルビアほか

ブーゲン等

ブーゲンビレア

ブーゲンビレア

ナタリー

パープル・レッド

オレンジ

ブライダル

カリフォルニア
この日、自宅を出たのが午前9時ちょうど。
今までの経験をもとにすると、目的地の青島に着くのは午後の5時30分の予定です。
昼食の時間は10分しか計算していません。
つまり8時間以上歩きぱなっしと言うことになります。
ただし、この行脚は片道のみ。
帰りは電車を利用するのが、自分で勝手に作ったルールです。
何故なら行程は1日のみであり、片道8時間もかけていたら、到底1日で消化し切ることは出来ません。
これが仮に、往きに4時間歩いて、同じコースを戻るとしたら、疲れは倍増するはずです。
見慣れたコースでも毎年毎年新しい発見があります。
それらの発見を楽しむのもウォーキングの醍醐味です。
歩いていると、すれ違う人々が必ず挨拶してくれます。
道を尋ねたり、野や庭先に咲く花の名を訊くと、必ずそのあとに、「どこから来なさったと?」と聞かれます。
そんなふれあいも楽しいものです。
午後5時10分、ほぼ予定通り青島の入口まで辿り着きました。
連休最後の休み、しかも夕方ですが、青島へ通じる参道はいつもより少しだけ訪れる人の数が多いようです。しかしながら、往時の賑わいは望むべくもありません。
沿道の3軒に1軒はシャッターが閉まっています。
「夢よもう一度」と、地元商店街の有志もイベントを企画しますが、大挙して観光客が訪れるには、正直魅せるものがないと言うのが今の青島の姿です。
帰りに、青島へ渡る沿道沿いにある県立青島亜熱帯植物園を訪れました。
折から、「宮崎フラワーフェスタ」の関連イベントとして「ブーゲンビレア・マツリ」が開催されていて、「ブーゲンマウンテン」を始め80品種約400株のブーゲンビレアが園内を彩っていました。
普通はパープルカラーしかお目にかかれませんが、ダイダイ色、白色、赤などまさにここでしか見ることの出来ない品種のオンパレードです。
5月24日まで開かれていますので、一度足を運ばれることをお奨めします。

宮崎県西米良村・九州山地を歩く
 427日(月)  昨日、宮崎の奥座敷・綾町の照葉樹林帯を5時間ほど歩き、萌えるような若葉のエネルギッシュな輝きを身体一杯に浴びることが出来ました。
連休
2日目はもう少し九州山地の奥に入って、春をダイナミックに味わおうと、車を北の方角に向けて出かけました。
と、言っても何を見ようとかどこを歩こうとか、具体的な計画は何もありません。
ただ道があれば、その先に何があるか、どうなっているかを確かめたいと言う好奇心を満たすいつもの行動パターンです。
で、今回は宮崎県の中央に位置する西都市から西米良村に向かいました。
この道は
3月に、道路と平行に流れる一ツ瀬川と、街道の桜を観に来たばかりです。
しかしながら、一ツ瀬川の至る所から支流が流れ込み、しかもその多くの支流に沿って道が延びていて、標高
1,000m級の山の中腹や麓に集落が点在している、大小はありますが、そんな似たような景色が広がっています。
その一つひとつに足を踏み入れるだけで
1日かかってしまいます。
今日はその中で比較的集落の規模が大きい小川地区に通じる小川川に沿って車を走らせました。
西都市から国道
219号線・米良街道を走ること約40分、長さ1,000mを超える鏡鏡隧道(しろみずいどう)と山之戸隧道をくぐると、西米良村越野尾地区に出ます。
ここは、支流としては大きい方の小川川が本流に流れ込む合流地点に当ります。
その昔、林業や農業などで多くの人々が暮し、小学校や中学校にはたくさんの児童や生徒が通っていました。
しかし、昭和
30年代に一ツ瀬ダムが出来きてそれらの施設は全てダム湖に水没、多くの人が村を去り、今ではわずかの人々が暮らす過疎の集落になっています。
越野尾橋のたもとには、水没した学校を表す碑が建っています。

小川渓谷

小川渓谷

虹の滝

虹の滝

布水の滝

布水の滝

色鮮やかな藤も花

まだヤブツバキが・・

天包山、標高1188m

雄の若鹿

雄の若鹿

雄の若鹿
 小川の集落はここから、約8kmほど小川川沿いを上ったところにあります。
18年前の夏の暑い日、川に漬かろうとこの道を小川まで行ったことがありますが、その当時はまだまだ、道路が整備されてなく資料館なども記憶にありませんでした。
車ですと、越野尾集落から
15分ほどで到着する距離ですが、山あいの渓谷を抜けると、辺りの景色が一変します。
特に小川城址公園を中心とする地域は、米良の歴史や民話を題材に村が積極的に村おこしを進め、観光に結び付けて、今では多くの人々が訪れるようになりました。

 ()小川は旧米良領主の居城址で、江戸時代中期から明治維新に至る約200年間、米良の中心地として栄えたところです。
米良・菊池氏の歴史は、1501(文亀元)年、南朝方の武将として名高い肥後・菊池氏第22代能運がその一子を日向の国米良山にひそかに落ち延びさせたことから始まります。
入山した菊池氏は米良姓を名乗りましたが、文武に優れ礼節を重んじ、合議制による民主的な施政を敷き、幕末までの約400年にわたり村を統治しました。
最後の領主の則忠公は領地のすべてを領民に分かち与え、人々の生活を援助。
その遺徳は今もなお米良の歴史とともに語り継がれています。
小川城址公園、資料館を訪れると、ここ小川の歴史を詳細に渡って知ることができます。
今回はもう少し奥に入るつもりでしたので、小川地区はパスしました。
その奥ですが、狭いながらもアスファルト舗装が施されていて山道でも、快適なドライブが楽しめます。
特に、道と平行して流れる小川川の水のきれいさ、冷たさ、渓谷美は手付かずの自然があってこその景観です。
前夜の雨で水かさが少し増していることも、その景観をより引き立たせています。
越野尾集落から入って約14km、「蛇渕」と言う滝の看板が見えて来ました。
近くまでは行けないので道路のすぐ脇に滝見の木製の展望所が設けられています。
案内板に書かれた謂(い)われを紹介しますと、

「うるし兄弟伝説」
小川川に蛇渕という渕があり、昔「うるし」をとって生活する兄弟がいて兄は上質のうるしをこの渕に隠し金に替えていました。
これに気づいた弟が盗んで売り歩きました。
そこで兄は木彫の竜を渕に仕掛け弟を近づかせないようにしました。
あとで兄がうるしをとりに行くと、竜は生きており兄は必死の思いで逃げ帰りました。
兄は欲を出したことを反省し、以後兄弟仲良く暮しました・・・・・。
そして、徐々に高度は上っていきます。
相変わらず小川川の水量は豊富で音を立てて流れています。蛇渕から7〜8分ほど急坂を上ったところで、日向市の西方の美郷町南郷区から通じている道と合流しました。

西米良探索

蛇渕展所

蛇渕

蛇渕

蛇渕

虹の滝案内

虹の滝

虹の滝

虹の滝

虹の滝

布水の滝案内

布水の滝

布水の滝

布水の滝

布水の滝

 ヤブツバキ

 ヤブツバキ

 フジの花

 フジの花

 天包山
 大き目の地図には、道路の存在がありませんでしたのでビックリしましたが、標識板に南郷区(美郷町)と書いてありましたので来た道を引き返さず上っていけば、新しい発見があるかもしれないと少しホッとしました。
丁度、合流地点には「虹の滝」と言う高さ40m位でしょうか、2段式の滝がありました。
風がありましたので、落ちてくる水が霧状になっています。名前の「虹」の由来は、霧状に落ちてくる途中で太陽の光りの影響で虹を作るのでしょうか。
水量が結構ありますので見応えのある滝です。
さらに、そこから約1q、越野尾の合流点からですと18kmの地点に「布水の滝」がありました。
実は、今日の目的の大部分はこの二つの滝の写真撮りです。
いずれも少々の地図には載っていて知る人は知っている滝なのでしょう。
こんな山道にどんな滝があるのか。どうせ大したことはないのではないか。
何故なら、先ほどの「虹の滝」が小川川の本流のはず。
それより水量があるはずもないし。とまあ、あまり期待せず車を走らせていました。
すると突然、道路の真横から水が流れ落ちるのが見えてきました。
見上げると、葉を伸ばす木々にさえぎられて滝の落ち口が見えません。
しかし、まさに断崖絶壁、90度のそそり立った岩肌の上部から水が落ちています。
あまりに高いので水が風に翻弄されて、右に左に揺さぶられながら落ちています。
「これが「布水の滝」か!?」見上げると、首が痛くなるほどの高さです。
しかも、車を降りて歩くことも要りません。道中は長かったですが、車を降り見上げると滝、しかも二つの滝とも同じようなシチュエーションです。
どちらも滝壺はないようです。
「布水の滝」は1m50cmほどの高さの落石防止用のセメント壁が造られています。
そこを飛び越えて水の落ちる所まで行こうとしましたが、急傾斜と岩がゴロゴロしていて、前へ進むことは出来ません。
足場も良くありません。
早々に撤退し、道の反対側から見上げて写真に収めました。
それにしても、すごい高さです。
案内板には75mと書いてありましたが、いつも見慣れた、大量の水が滝壺に落ちる滝とはまた違った趣きです。一ツ瀬川水系では最も落差のある滝と言われています。
このように「布水の滝」の滝は高さがありますので、梅雨などの雨量の多いときの迫力は相当なものです。また、標高700m前後の高地にありますので、秋の紅葉シーズンや厳冬期には滝が凍り、素晴らしい景観を見せてくれます。

雄の若鹿

雄の若鹿

雄の若鹿

雄の若鹿

雄の若鹿
 折角ここまできたのですから、滝の駐車スペースに車を停めて、周囲を散策がてら歩くことにしました。
南郷の方面に上っていくと、山の頂上付近で、杉の伐採が盛んに行われていました。
その真下を通ってさらに上って行き、峠の頂点が大体標高900m位でしょうか。
少し雲って風が強く気温3度と肌寒さを覚えますが見晴らしは最高です。
南を見ると天包山(1189m)、その北側に石堂山(1546m)、石堂山の西には市房山(1721m)がそびえています。
この3つの山は米良3山と言って登山愛好家には人気の山です。
翻って東の方角には烏帽子岳(1125m)がすぐ近くに見えています。
西米良村商工観光課では、この美しい山々や周辺の観光地・菊池氏資料館、歴史民族資料館、元米良星兜出土地、井戸内養鱒や天包山高原、布水の滝から小川城址公園そして最後に西米良温泉「ゆたーと」などを巡る何種類かのコースを設定、「西米良探索」として観光客誘致に努めています。
峠を下ると、どこまで下りが続くか分からないため、適当なところで車に引き返すことにしました。
ここまで片道1時間40分経過しています。
肌寒いこの辺りには、まだヤブツバキが群生していました。
帰りは1時間以上下りが続きます。
山の上の林道にしては、道幅も広く完全舗装されていて気持ちよく歩くことができます。
と、カーブを曲がってしばらく進んだ道路脇の空き地に、1頭の雄の若いシカがこっちを見て立っています。興味深そうに私を見つめています。
近づいても逃げようともしません。
その距離6〜7m、ジッとしてポーズを取ってくれるので、記念写真を何枚か撮ってやりました。
その間約5分。
写真を撮り終えると、満足したのか?後を振り返りながら名残惜しそうに森の中に消えていきました。
この周辺には杉の苗がたくさん植えてありますが、周囲はネットで囲まれています。
シカの食害を防ぐためのものです。
最近は、シカやイノシシなど動物による農作物の被害が深刻になっています。
どうにかして人間と動物が共存できる環境の、早い段階での実現を期待したいものです。
午後4時過ぎ車まで戻ってきました。
帰りは歩いてきた方向をひた走り、越野尾集落より2山ほど東側の銀鏡(しろみ)集落を目指して山を下りる予定です。
ウォーキングの時間は3時間弱と少なかったですが、山のキレイな空気と景色で十分リフレッシュすることが出来ました。


布水の滝

布水の滝

布水の滝

布水の滝

布水の滝
新緑の宮崎県綾町・照葉大吊橋周辺散策
 4月26日(日)、何時以来でしょうか?  空模様を気にしないでウォーキングを楽しむことができました。
ただ、久しぶりに大陸から寒気が南下し、このところ暖かいと言うよりも暑い日が続いていたので、北風が身体に凍みる1日でもありました。
新緑がまばゆいこの季節は何故か、昨年と同じ行動パターンを取ってしまいます。
昨年もこの季節に訪れている宮崎の奥座敷・綾町の照葉樹林帯に足を踏み入れました。
歩く距離をかせぐため、車は綾町の役場に近い体育館に置いて、そこからスタートです。
目的地は綾の照葉樹林内にある照葉大吊橋です。
役場から丁度10kmの距離にあります。

新緑の綾南川

新緑の綾南川

新緑の綾南川

照葉大吊橋高さ142m

照葉大吊橋高さ142m

大吊橋とカジカ吊橋高さ22m

照葉樹林の真っ只中

照葉樹林の真っ只中

照葉樹林の真っ只中
 この吊橋はお隣の大分県の九重に大吊橋が出来るまでは東洋一の名をほしいままにしていました。
訪れる観光客も現在とは比較にならないほどでした。現在は、一時激減した時機から回復傾向を辿っています。
特に緑がまばゆい今の時期は森林浴に、夏はキャンプや川遊びにと、一番人々で賑わう季節を迎えます。この綾町の照葉樹林帯は日本有数のスケールで、東北の北上山地のブナ林のように世界遺産指定に向けて地元が積極的な運動を展開していました。
結局、登録までには至りませんでしたが、手付かずの原生林が広い範囲で伐採をのがれ、自然の姿で残っていることに変わりはありません。
道中の10kmは徐々に上りながら、そんな照葉樹林の息吹を身体いっぱいに浴びて、生き返ったような新鮮な気持ちになることが出来ました。
大吊橋までの道路は整備が進み、折から黄金週間の始まりのこの日は、訪れる観光客が多く、中でも県外ナンバーの車がたくさん私の横を抜いていきました。
吊橋には約2時間と10分で到着です。
この吊橋は長さ250m、水面からの高さは142mあります。
吊橋の中央部には床が透けて見える演出が施されていて、スリル満点ですが、高所に弱い人にとっては背筋が寒くなるような耐えられない恐怖を味わうことになります。
大吊橋の上流には水面から約22mのところに「カジカ吊橋」が架けられていて、大吊橋の対岸から遊歩道を通って行くことが出来ます。
しかしながら、道中はかなり起伏が激しく、遊歩道と言っても自然に優しく造ってあるので人間にとっては反対に厳しいかもしれません。
大吊橋を何回も渡っている私にとっての今回の目的は、このカジカ橋周辺の散策です。
大吊橋から時計と反対周りで1周するコースを敬遠して、ちゃっかり出口から入って急坂を一気に150mほど下って行った先にカジカ橋と言う寸法です。
このコースだと、時間と距離が節約出来、一石二鳥です。
ただ、この反対周りは、出口から入ろうとしても、回転式ドアが逆方向には回らず、柵や金網で入られないようにしてありますので本当はNGです。
大吊橋から回るコースを取れば、カジカ吊橋を渡って急坂を上ると、大吊橋のエントランスに当る国道沿いの入口まで戻ることが出来ます。


新緑の綾南川

新緑の綾南川

新緑の綾南川

新緑の綾南川

新緑の綾南川

千尋の滝

千尋の滝

千尋の滝

千尋の滝

綾南川

照葉大吊橋

照葉大吊橋

照葉大吊橋

照葉大吊橋

照葉大吊橋

カジカ吊橋

カジカ吊橋

カジカ吊橋

カジカ吊橋

カジカ吊橋
 カジカ橋を渡るのは、今回がはじめてです。
吊橋の上から見上げると、大吊橋が小さく見えています。
周囲の深い緑に銀色の吊橋が映えていて他では味わえない素晴らしい景観です。
下を見ると綾南川が前々日、降った雨で水かさを増して勢いよく流れています。
ここまで来たついでに河原へ下りられないか探したところ、遊歩道が下流の大吊橋に向かって延びていましたので、そこを下り途中から比較的容易に下りられるなだらかな傾斜の所からなんとか河原に出ることができました。
ここからだと、2つの吊橋がカメラに収められます。
水量が多く周囲には誰もいないので川に落ちたら助からないでしょう。
滑らないよう細心の注意を払い何とか写真をモノにすることが出来ました・・・・・・。
綾の照葉樹林と言っても、これまでは遠くから眺めて写真を撮ってと言う程度でしたが、今回は実際にその真っ只中に入って、その迫力を実感しました。
何本もの大木が朽ち果て無造作に横たわっている姿で大自然の厳しさを実感し、幹周りが4mを超え、樹高が30mはあろうかと言うタブやカシ、イスノキの大木がそそり立つ姿は迫力満点で自然のたくましさを感じました。
石ころがゴロゴロしている遊歩道の真ん中に、普通は邪魔で切ってしまう樹木がここでは堂々と立っています。
1歩樹林に足を入れた瞬間から、悠久の時を超えて醸成されたかけがえのない森に圧倒されて足がすくみました。
そして畏怖の念を抱きました。
何か特別の場所にいるような感覚を覚えました。
ところで、亡くなったジャーナリストの筑紫哲也氏が、「日本で一番美しいと思うものは何か」と、言う問いに「綾町」答えたのを聞いたことがあります。
もちろん、主にこの照葉樹林を指してのことでした。
同氏はこの素晴らしい自然をこよなく愛していて何度もここを訪れ、担当していた『ニュース23』などで、「一度手を入れたら二度と再生しない」と、この樹林の保護を強く訴えていました。
今回、私が始めて経験した綾町の照葉樹林は、ほんのごく一部ですが、それでも大きな感動を味わうことが出来ました。
少しだけ筑紫氏の気持ちが分かったような気がします。
ただなんとなく吊橋を渡って引き返すだけでは、この照葉樹林の本当の魅力は理解できないでしょう。
時間があれば、実際にこの森に入って体感されることをお奨めします。

大小両吊橋

大小両吊橋

大小両吊橋

照葉樹林

照葉樹林

照葉大木

照葉大木

照葉大木

照葉大木

照葉大木

厳しい自然

厳しい自然

厳しい自然

豊富な水源

豊富な水源

宮崎市東部のサイクリングロードを歩く
 4月21日(月)、昨日出勤の本日は代休日。
しかし、昨日まであんなに良かった空模様が朝起きると、遠くがモヤって雲が低く垂れ込めています。
天気予報も午後から本格的な雨と伝えています。
先週こそ晴天に恵まれましたが、その前の週までは、私の休日は雨にたたられ満足なウォーキングが出来ませんでした。今年から雨男になったような感じです。
そしてこの日も予報は芳しくありません。
雨が降ると、あまり長い時間歩くことが出来ません。
とりあえず、自宅で様子をみることにしました。
午前中は雲が覆ってはいますが、何とか持ちました。
午後0時30分、見上げると雲が薄くなっています。
折角の休日、少しでも身体を動かそうと、自宅を出ました。
車を走らせながら適当なウォーキングコースを思い巡らせるのですが、なかなかコースが浮かんできません。

佐土原温泉石崎浜荘

野バラ

野バラ

ハマヒルガオ

トベラ

ヒロハレンリソウ
 晴れていればすぐにでも行きたい所はあるのですが、どうしても空模様が気になります。
そうこうしていると、いつのまにか海の方に向かっています。
「そうだ!サイクリングロードを歩こう!!」
私にとってのサイクリングロードとは、宮崎の海岸線から、佐土原を通って西都市の西都原古墳群へと通じる道路を意味します。
車を宮崎市佐土原町にある国民宿舎「石崎浜荘」へ向けました。
この宿泊施設は海岸の防風林の中にあってその東側をサイクリングロードが通っています。
車は石崎浜荘の横を抜けて海岸へと通じる道路の空き地に置きました。
サイクリングロードはすぐそばを通っています。
ここから南に下って行くと宮崎市の海岸線沿いを走っている一ツ葉有料道路に出ます。
北に向かうと、一ツ瀬川沿いを西都原古墳群の方へ行くことが出来ます。
しかし、今回は途中で降ってきそうですので、まず南に下りました。
今日は、身体を動かすだけでヨシとし、雨が降ってきてもあまり濡れないよう有料道路のインターチェンジまでのせいぜい1時間程度のコースを歩くことにしました。

野バラ

野バラ

野バラ

野バラ

野バラ

野バラ

レンリソウ

レンリソウ

レンリソウ

レンリソウ

このサイクリングロードは道幅3m弱、完全舗装の上、所どころにベンチなどが設置してあり、当然車はシャットアウトの安全快適な道路です。
道端は、1年中で一番山野草が綺麗な時季を迎えています。
野バラ、白藤、ハマヒルガオなどが咲き誇っています。
約30分で有料道路へ出ました。
道はまだ、南へ延びていますが、空からポツリポツリ落ちてきました。
ここで無理をせず、引き返すことにしました。
しかしながら、本降りではないので花々をカメラに収める余裕はありました。
車があるところまで戻ると、雨は止んでいました。
折角です。「北にも足を延ばそう。」と、5km先の一ツ瀬川を目指しました。
道中には石崎浜荘や石崎川に架かる渚橋、KDDの電波タワーなど見どころ一杯です。
また、一ツ瀬川に近い海岸の護岸堤の脇にはハマヒルガオの大群落が今や盛りと大輪の花を咲かせていました。
マイクロ波通信タワー
空にそびえ立つ巨大タワーは、KDD宮崎海底線中継所(宮崎市佐土原町大炊田地区)の」『マイクロ波通信タワー』で、国際通信のための重要施設です。
高さ90m、鉄筋コンクリート製で、当地の美しい自然環境を配慮し、外観に工夫が凝らされています。
このマイクロ波通信タワーは、山口県にある同社の衛星通信所、さらには東京の国際通信センターとの間で電波信号を送信、受信するため、上部にアンテナが搭載されています。
みなさんがかける国際電話を鮮明に、確実にそして、大量に運ぶためより大きくより高く建てられたのです。なお、同中継所には、世界各地と直接結ぶ海底カーブル(光ファイバー)が、収容されています。
佐土原温泉石崎浜荘
国民宿舎と国民保養センターを併設した「佐土原温泉石崎浜荘」は、宮崎市佐土原町の東部、太平洋に程近い松林の中にあります。
この温泉は、約1500万年前、尾鈴山付近の噴火活動によって出来た、花崗岩類の亀裂から湧出する放射能泉で、ラジウム、ヨウ素、塩化物を含みリュウマチ、切り傷、湿疹などに卓効があります。
石崎浜荘は、周りを緑深い松林に囲まれ、その先には青い海原が広がり、潮風の心地よい抜群の環境の中にある養地です。
建物の東側には静かな池が広がり2階展望風呂からの眺望は、素晴らしく、何度でも来たくなる魅力を秘めています。
宮崎市から車で30分と、非常に便利なところに位置しています。
日常生活の喧騒から逃れて1日静かな温泉に漬かり、至福の時を過ごし英気を養うのもまた、明日への大いなる活力につながります。

石崎浜荘

石崎浜荘

電波塔

電波タワー

渚橋

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

 ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

無残にも?

無残にも?
ただ、残念だったのは、釣り人でしょうか四輪駆動車をこの砂地に乗り入れ、ハマヒルガオの花が無残にもタイヤ痕で踏みにじられていたのです。
花は全くの素人ですので、この花がどこでも見かけるただの山野草なのか、あまり観ることのない珍しい花なのか分かりませんが、少なくとも入ってはいけない所に車を乗り入れる行為は、責められるべきでしょう。さらにこの海岸には天然記念物のアカウミガメが産卵に上陸するのです。
ワダチが残れば、カメは産卵する場所までたどり着けません。
孵化した子ガメは海への進路を塞がれます。
海岸線が、侵食で後退したり砂浜のゴミなど、環境悪化でこのところ、上陸するカメの数は減り続けています。
地球温暖化が叫ばれて久しい今日、一人ひとりが自然に目を向ければ、かけがえのない地球、かけがえのない自然の存在をより身近なものとして大事にすると思うのですが・・・。
アカウミガメの産卵地
昭和55年宮崎県指定天然記念物
5月から9月にかけて、日本の太平洋岸にやってきて産卵するアカウミガメは、甲長90センチメートル、体重100`超にもなる雑食性のカメです。
南北に長い海岸線を持つここ佐土原の海岸には毎年、数百頭の上陸が確認されています。
産卵は、砂浜に幅20センチメートル、深さ40センチメートルほどの穴を掘り、一度に80個から150個のピンポン玉ぐらいの卵を産み落とします。
普通は約60日ぐらいで子ガメとなり、海へ帰って行きます。
産卵のため上陸するアカウミガメは毎年その数が減少しています。
そのため天然記念物として県に指定されました。


山フジ

山フジ

マツヨイグサ

マツヨイグサ

マツヨイグサ

トベラ

トベラ

ミヤコグサ

ミヤコグサ

ミヤコグサ
 
宮崎県日南市の細田から南平を歩く
 4月13日(月)、2〜3日前、ラジオを聴いていたら宮崎県日南市の大窪小学校近くでツツジ祭りが行われると言う話しを伝えていました。
前日の日曜日が県の北部よりの都農町ですから、連休の2日目は県の南部地区で適当な所がないか探していましたので渡りに船です。
日南市は先日、飫肥の城下町を訪ねたばかりですが、今回はそれよりも2山南にある中山間地域を歩くことになります。
隣町の旧南郷町に入る手前から右に折れ山がある方に入ります。
約2qほどのところ、細田地区の川のたもとに車を置いて南西の方角に向けて歩き出しました。
時計は、午前11時30分を回ったばかりですので時間は十分あります。
ただ、前日5時間歩いたばかりなので右ヒザの具合が気になります。
まあ無理せず気楽に沿道の風景を楽しみながら歩くことにしました。
前日と違って片側1車線の広い道路が続いています。
車は1〜2分で一台あるかないか程度で、歩道がついていて比較的安全です。
難点と言えば、道が広くて前方の視界が良いのでなかなか進んだ感じがしないことでしょうか。

細田川の渓谷

日南特産の飫肥杉

入道山の滝

南平神社のツツジ

南平神社のツツジ

フジの花

日南特産ツワブキ

南平神社のツツジ

宮崎特産日向夏

南平神社のツツジ

道端に咲く野バラ
南平神社のツツジ
 最初の30分は平坦だった道が徐々に坂道と変わってきました。
地図を持っていないため分かりませんが、当然のことながら山に差し掛かるに連れ高度は増していきます。体力のある往きですのでなんとかしのいでいますが、帰りが心配です。
時計が午後1時を過ぎた頃、やっと緩やかな下りになり沿道に民家が数軒見えてきました。
その中に大書された大窪小学校と言う文字が目に飛び込んできました。
子供の元気な声が道まで聞こえてきます。
「やっと着いた。」
昨日のツツジ祭りはこの周辺で行われたはずです。
ひととおり学校の周辺を歩いてみましたがしかし、祭りが行われるようなツツジの園は見当たりません。
まばらな民家の戸をたたいてもどこも留守。1軒住民がいましたが、ご高齢で要領を得ずです。
仕方なく先へ歩を進めることにしました。
道路だけは相変わらず広々としています。
周囲の山々はこの地方特産の杉(飫肥杉)で覆われています。
民家もポツリポツリあるのですが、どこも留守のようで人の気配がありません。
小学校から既に30分が経過しています。2kmは進んだことになります。
あのラジオのお知らせは聞き違いだったのだろうか。半分諦めの境地です。
道端にはツツジや芝ザクラが植えてあります。
芝ザクラのあの紫色は良く目立ちますね。
前方に脇道が見えてきました。民家も軒を連ねています。
新しい道ができる前はこちらが本道だったのでしょう。300mほど歩くと、また広い道に合流です。

日南の渓谷

日南の渓谷

日南の渓谷

日南の渓谷

エノキの大木

薄紫の藤の花

薄紫の藤の花

薄紫の藤の花

薄紫の藤の花

薄紫の藤の花

滝への案内

入道山の滝

入道山の滝

入道滝

入道滝

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ
 その合流地点にある畑で、やっと、花を手入れしていたご老人に会うことが出来ました。
早速尋ねますと、意外にも簡単に答えが返ってきました。
「ツツジん神社はこん先にあるが・・・。500mくらい行ったとこを右に曲がりない、すぐじゃが・・・。」
「もうないと思っていたツツジの園がまだ先にあるとは・・・!」
想像していたのとはかなりかけ離れた場所ですが、坂道でクタクタの身体に元気をもらった気分です。
聞いたとおりに道を進み坂道を駆け上がったところにそれはありました。
見た瞬間、「なんと鮮やかなんだろう。キレイだ!」
こんな過疎の集落にこんな素晴らしいツツジ園。
神社横に石で出来た休憩用ベンチとテーブル、その横に郷土の銘木と書かれたエノキの大木がそびえ、右手の10mの土手には色とりどりのツツジが咲き誇っています。
群落の中には小道があり、登ると広い庭の向こうに南平公民館があります。
この庭の周囲には東屋があり、そこをツツジが取り巻いて咲いています。
この辺りが園の目玉でしょうか。
周囲の山々が緑一色ですので、このツツジ園の色鮮やかさは一層引き立って見えます。
昨日はさぞかし多くの人々が訪れて、感嘆の声を挙げたことでしょう。
神社とツツジと東屋とエノキの大木、すべてがマッチしてコンパクトながら時の過ぎるのも忘れるほどの見事な空間を演出しています。
残念ながら?この日は人っ子ひとりいない貸し切り状態で存分に楽しむことが出来ました。
さて、これでこの日は十分なのですが、ツツジの園に来る途中に見かけた案内板が気になるのです。
「入道山の滝→」周囲は高い山が連なっています。
どんな滝か、どのくらい奥にあるのか、全く情報はありませんが、地形的に見ても名前が付いていることからもかなりの滝なのでしょう。
折角、ここまで来たのですから行って見ることにしました。
車が通るのがやっとの細い道がドンドン上っています。
民家がところどころにあり、塀や庭にはツツジを筆頭に色とりどりの花が咲いています。
沿道には宮崎名産の日向夏の実が、たわわになっていて強烈な香りが漂ってきます。
ツツジ園からは既に40分上りっぱなしです。
案内板が途中2ヶ所ありましたが、矢印だけで滝までの距離が全くわかりません。
かなりな勾配です。ちょっと脱落しそうです。
目の前には山が迫っています。
「どこかで道を聞かなくちゃ。」この辺りはビニールハウスが結構あり、人がいるらしくラジオの声が聞こえてきます。
一番山沿いで勾配のきつい坂道の脇にあったハウスの中に入っていきました。
すると、ご夫婦でしょうか、その奥にもう一人、日向夏の収穫に追われている最中でした。
「この辺りに滝があると聞いたのですが・・・。」
「あぁ〜滝ならこん山を上って向こう側に下りたとこんあるが・・・。かなりきちぃよ・・。」ご主人でしょうか、親切に教えてくれました。
「山の向こう側・・・・?」一瞬、たじろぎました。「有り難うございました・・・・・。」
山の向こう側とは尋常ではありません。たどり付けるのだろうか。
ズーッと坂道で足が重くなっています。
目の前の山も杉で覆われていてどこまで上ったら下りになるのか見当がつきません。
しかし、ここまで来たら引き返せません。
気を取り直して前進あるのみです。

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ

神社のツツジ

道名の由来

往還馬場

往還馬場

往還馬場

往還馬場

南平関所跡

ツワブキ

野バラ

大窪小学校

大窪中学校跡
 時計は3時を指そうとしています。
帰りを考えたらギリギリの時間です。
幸い右ヒザは何ともありません。
気力をふりしぼり峠へ到着、後は下って行けば滝があるはずです。
そしてようやく、道端に立つ案内板を見つけました。到着です。
案内板の脇を林に入ると誘導ロープがあり、下りて行くと谷に出ました。
ところが、滝の気配がないのです。下流に行ってもありません。上流をみてもありません。
とてもとても滝があるような流れではありません。
一体どういうことでしょう。
そう思いながら上流に10mも進んだでしょうか。
ふと右側のガケを見ると、水が7〜8mの地点から岩を伝って落ちているではありませんか。
「何!これが滝か・・・。それにしても小さいのう・・・。」小さ過ぎてびっくりです。
拍子抜けです。
しかし、考えて見ますとこんな滝でも「入道山の滝」と言うちゃんとした名前が付いていて案内板も何枚も設置してあります。
地元の人に聞けばきっと謂われがあるはずです。
大きさはどうであれ地元の人々にとっては、昔から大切な滝なのでしょう。
とりあえず、目的は達しました。
さて、ここからは帰路です。
まず難関は、下ってきた山を上らなければならないことですが、峠を過ぎればあとは下り坂が延々と続くはず。
そして、日没まで3時間ちょっとでしたが、まだ明るいうちに車まで戻ることが出来ました。
2日間で約11時間、距離にして40q余りですが、新しい発見の連続、知らないことが何と多いことか、まだまだ歩かねばならないことを痛感しました。
往還馬場のいわれ
ここの道路、関所馬場通りは、昭和5年頃、下の県道開削まで主要街道であった。「おかんばば」と、愛称されて子供の遊び場であり、十五夜の綱引きや盆踊りなどの色々の催しが行われた所だった。平成6・7・8年に南平住民の努力で舗装整備された。
宮崎県都農町の野山を歩く
 412日(日)、宮崎県地方は丸1週間、晴天の日が続いて気温もグングン上昇しています。
まさに初夏の陽気です。
この日と翌日は久しぶりの連休と言うことで、ここしばらくウォーキング不足で溜まっていたストレスを全て吐き出すつもりです。
2日間とも、しばらくご無沙汰しているか、初めて足を踏み入れるコースをえらび、山々の若葉のように新鮮な気持ちで歩く計画を立てました。
初日の日曜日は、都農(つの)町の山里です。
都農町は宮崎市と延岡市のほぼ中央にあり、東は太平洋に面していて漁港があり、西側には標高
1,
400
mを超える尾鈴山を筆頭に比較的高い山が連なっています。
そんな都農町は、「山と滝とくだもののまち」と言われています。
ナシ、ミカンなどくだもののなかでもブドウは、
50数年前に困難な条件の下、生産が始まった歴史があり、幾多の改良を加え「尾鈴ブドウ」と言うブランドを不動のものにしました。
現在では、観光農園をはじめ町のあちこちで「尾鈴ブドウ」が生産されています。
1996年、尾鈴産ブドウを100%使用した「都農ワイナリー」が完成。
味と品質が評判を呼び、都農ワインは瞬く間に日本国内はもとより世界に知られるようになりました。
世界的権威[
Wine Report 2007]でスパークリングワイン キャンベル・アーリーが[世界の最もエキサイティングな100のワイン] に選ばれました。
国内では第四回国産ワインコンクール(山梨県)に出品した『シャルドネ・アンフィルタード
2005』が、欧州系ブドウ品種を使った白ワイン部門で、最高ランクの金賞を受賞、同部門の最優秀賞も受け全国の頂点に立ちました。
また、アジアランキングでは[最もエキサイティングなワイン]で第
1位を獲得、都農ワインのキャンベル ・アーリーが「ワインリポート2005」で、「アジアで最もお買い得なワイン」として紹介されたのです。
キャンベル
・アーリーは2,004年版でも「世界のワイン百選」に選ばれており、今や押しも押されもしない都農ワインが完成、ワイナリーには多くの観光客が訪れています。

2009年4月12日ウォーキング周辺図
 残念ながら今回は、このワイナリーに立ち寄ることは出来ませんでした。
ワイナリーがある丘の手前、国道10号線から入って200mほどでしょうか、牧神社があります。
今回の目的のひとつはこの神社の周囲を彩るツツジの群生を写真に収めることです。
3年前に車で来たことがありますが、牧神社裏手の岩肌が露出して、ゴツゴツした小高い山の斜面に赤や白、紫の久留米ツツジが咲く様は、大変見事なもので丁度見頃のこの時期に多くの花見客が訪れます。
この日も30人ほどの団体が2組、花を見ながら車座になり酒を酌み交わし宴を催していました。
ところで、花の方ですが斜面の岩肌のツツジは少し遅かったかなあと言う感じで初めて来た時ほどの感動はありませんでした。
牧神社の「いわれ」についてはこちらをご覧下さい。
国道10号線からこの牧神社を通り、都農ワイナリーの登り口辺りまでは、歩道にシャクナゲ街道と書かれてあります。
ただ、サクラは確かに立派な木がズーッと続いていますが、シャクナゲは手入れがあまりうまく行ってないのか花は枯れて、花木自体も少なく名前負けしている感じがしました。
この街道を抜けると民家が少なくなり、道幅も細って山里と言った風情です。
地図には周辺に不動の滝と記してあったのですが、案内板が見当たらずパスすることにしました。

牧神社のツツジ

牧神社のツツジ

牧神社のツツジ

都農シャクナゲ街道

都農里の道

今(4月初旬)が旬のタケノコ

都農観音滝

道沿いには芝ザクラ

早い開花!カキツバタ
 初めて通る道ですので、先に何があるのか。
歩いて行った先が建設資材置き場で引き返したり、道が途中から未舗装となり、まん前には高い山、とても前へ進める状態ではなく後戻りしたりと、いつものペースで大地を踏みしめ先を急ぎました。
しばらく歩くと池が左手に見えてきました。地図の通りです。
途中は目印になるような物がなく、ただ、西の方角に進んでいたら地図の道に戻っていた、てな具合で道中はハプニングの連続。
それにしてもさわやかな天気です。周辺の木々からはウグイスの音色が響き渡り、帽子を取るとそよ風が汗をかいた額を吹きぬけこの上ない心地良さです。
車を出発して2時間が経過しました。
不動の滝は逃しましたが、もうひとつの観音滝はなんとか見れそうです。
地図を見ますと、国道10号線からだと非常に分かりづらいのですが、平行して約5km西側を走っている広域農道からは脇道を少し入れば滝に到着です。
お腹も空いてきた午後1時30分過ぎ、水田やビニールハウスが現われ周りが少し広くなりかけたところに観音滝はありました。
ところが、滝は滝でも滝上に到着です。
滝の横に道がありましたが、滝壺の下にはとても行けません。
「ロープより前へ出ないでください」との看板が立っています。
ここの滝は上から見下ろすと言うことなのでしょう。
高さは約20mほど。
滝壺もありますが尾鈴山系にたくさんの滝を有する都農町にあっては、小規模の部類にはいります。
ひとしきり写真を撮り、河原で昼食を食べることにしました。
かなり歩き回り腹も減っていて、いつもの粗食であっても「高級レストランの味」を久しぶりに満喫しました。滝を後にすると、ほどなく広域農道に出ました。
道脇に「観音滝入り口」の標識が立っています。
滝が目的ならばすぐにいけそうです。
広々とした片側一車線の農道が高岡町から国富町、西都市を通り川南、都農を抜け日向市から延岡市まで続いています。
地元の人は国道10号線が混雑するとこの道を使います。
ほとんど信号がなく渋滞することもないので予定通り目的地に着くことが出来ます。
ただ、難点は山を何度も上って下りなければならない点でしょうか。
そんな農道に出てから北に進路を取り、約5q歩いて征矢原の交差点から右折、一路国道10号線を目指します。
この辺りは緑が多いところで、森林浴には絶好です。
車もほとんど通りません。
約1時間で国道10号線に出ました。
車のなんと多いことか。
道路を横断出来ないほどの交通量に、ただ絶句です。
残りは車を置いている都農神社の駐車場まで約7qこの国道を歩かねばなりません。
しかし、車の多さからして脇道を探しました。

牧神社案内

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

牧神社ツツジ

シャクナゲ街道

シャクナゲ街道

里山の道

里山の道

タケノコ多数

都農観音滝

都農観音滝

都農観音滝

都農観音滝

都農観音滝
 すると、「山陰(やまげ)百姓一揆記念碑まで1,2km」の案内板がかけられていました。
→が西を向いています。
また、山手に向かうのは精神的にシンドイのですが、好奇心と国道の車の排気ガスを吸いたくないと言う気持ちが上回り、記念碑を訪ねました。
「ほほう!こんなことがあったのか。」
山陰、坪谷の農民が高鍋に逃避行なんて、初めて聞く話しです。
車で通っている限りはこんな郷土の歴史の一齣など触れる機会はまずありません。
郷土再発見と言いますか、歩いているからこそ出会える、経験できることは数知れずです。
そして午後6時前、無事に車がある都農神社に到着です。
約5時間のウォーキングでしたが、溜まっていたストレスも少しは発散できたようで、素晴らしい1日を過ごすことが出来ました。
明日は南部の日南市を歩きます。
山陰百姓一揆
時は元禄の頃、あいつぐ天災にくわえ、延岡藩役人の容赦ない年貢の取り立てなどの悪政に堪えかねた山陰・坪谷両村の百姓299所帯、1422名が元禄3年(1690年)9月19日に一斉に村をすて高鍋藩領を目指して逃散した。高鍋藩は百姓たちを股猪野原(現在の都農町又猪原)に小屋を作り全員を収容した。逃散の百姓たちは高鍋藩から飯米の給付を受けたが、拘束された不自由な生活を送っていた。月日が経つにつれ老人や子どもなど、79名もの死亡者がでるほど悲惨な生活状態であった。約11ヶ月に及ぶ小屋掛け生活の間に延岡、高鍋両藩の帰村の説得には応じず、ついに幕府評定所の裁定によって一揆首謀者等関係者ははりつけや打ち首などの死罪、島流しの刑を受けた。その他の村人は放免となり、元禄4年7月に帰村した。逃散事件から310年を迎え、自分たちの生きる権利の獲得のためにこの股猪野原で強く生きた逃解百姓たちの霊を供養しこの碑を建立する。

芝ザクラ

芝ザクラ

カキツバタ

カキツバタ

カキツバタ

一揆説明板

一揆記念碑

一揆記念碑

一揆記念碑

一揆記念碑

宮崎市高岡町浦之名の芝見事な芝ザクラ

高岡の久留米ツツジ

高岡の久留米ツツジ

高岡の久留米ツツジ

高岡の芝ザクラ

高岡の芝ザクラ

高岡の芝ザクラ
2009年4月11日(土)、仕事で宮崎県小林市に行った帰り道、国道268号線から少し寄り道して写真を撮りました。
1週間ほど前、ラジオで情報を流していた高岡町浦之名の芝ザクラですが、その後何度か通ってみてもどこにそんな花園が存在するのか、全く見つけることが出来ません。
浦之名地区と言えば国道268号線沿いに細長く例えれば、「ウナギの寝床」のような地形ですので、すぐに分かるはずですが、少し国道から入っているのかなあと思い、諦めかけていました。
ところが、この日小林市に向かって車を走らせていましたら、国道沿いに「芝ザクラ→」の案内板が目に飛び込んできました。
その場所は想像していた所は大きく違っていて、一旦、西隣の野尻町に入り、国道から左折して1kmほど下った先の久木野地区と言うところでした。
高岡町には違いありませんが、ちょっと分かりづらいところではあります。仕事を終えて帰り際にちょっと寄ってみることにしました・・・・・。
国道から入って少し行くと、道端には芝ザクラやツツジが植栽されていて、まるでエスコートしてもらっているような感じです。
赤白に塗り分けられた高い送電線の鉄塔を過ぎた辺りから花の量が増えてきます。
左の畑には赤や白の鮮やかなツツジが花咲いています。
その畑から右折すると、道は一方通行になります。さあここが入口です。
芝ザクラやツツジが、ここからほほ1kmに渡って道端の土手に植栽されています。
時間がなくあまり写真を撮る余裕がありませんでしたが、上のような光景がズーッと続きます。
途中には駐車場やトイレなどが完備してあり、住民が案内に追われいて、地区を挙げて取り組んでいる様子がよく分かります。
それにしても知りませんでした。こんな素晴らしい花園があるなんて。
芝ザクラばかりではなくツツジやスイレンなど、赤や白、紫色の花々がまさに咲き誇っています。
地区の人に聞いてみました。
やっぱり、休みの日になるとたくさんの人々が訪れるとのこと。それを楽しみと励みに花々を育てたと話していました。
地元の人たちには自慢の花園なのでしょう。
4月いっぱいは楽しめそうです。
一度訪ねてみてください。その鮮やかさに驚きますよ。過疎の山間地に桃源郷を見る思いです。
宮崎県南西部 野尻町「萩の茶屋」のツツジ

宮崎県野尻町の久留米ツツジ=その深紅色の鮮やかさに圧倒されます。=

萩の茶屋ツツジ

萩の茶屋ツツジ

萩の茶屋ツツジ

萩の茶屋ツツジ

萩の茶屋ツツジ

八重江戸桜

吉野サクラ

八重福録寿

鞍馬関山桜
 宮崎県地方は、昨日(6日)からようやく天気が回復、初夏のような陽気になりました。
実際、サクラのシーズンが終わるとツツジが満開になり、山は緑が日1日と濃さを増していきます。 
天気予報もこれから1週間は大きな崩れがなく穏やかな晴れの日が続くと伝えていますので、一気に季節が進むことでしょう。
そんな今日4月7日(火)、仕事で宮崎県南西部に位置する小林市に国道268号線を利用して向かっていましたら、野尻町の休憩施設・「萩の茶屋」の駐車場西側斜面が真っ赤に染まっていました。
そう、この時期、ここ「萩の茶屋」はツツジで山が萌えるような鮮やかな姿に変身します。
訪れた日は、斜面のツツジの中に白やピンクの八重の江戸桜や吉野ザクラが、まだ観れる状態で深紅のジュウタンに白やピンクのコントラストを描き、まさに絵のようで、たくさんの人々が訪れて写真に収めていました。
ここが宮崎交通グループだった頃から、春は主に八重ザクラやツツジ、夏から秋にかけては萩や彼岸花、冬はサザンカの花が人々の目を楽しませてくれていました。
宮崎交通が手を引いた後、平成17年の台風14号などで斜面が崩壊し、しばらくの間、手つかずの時期もありましたが、関係者の努力で素晴らしい景観が蘇りました。
ツツジは40年も前から植栽されていると聞きました。
種類は主にクルメツツジの仲間の今猩々(いましょうじょう)で約30,000本が植栽されています。
取り急ぎ小林市で仕事を済ませ、帰りに少しの間、寄って写真に収めました。
確か一昨年に訪れているはずですが、その時はもう少し後の4月16日でここでもツツジの開花は例年と比べてかなり早いようです。
今猩々 今猩々 今猩々 今猩々 今猩々

今しょうじょう

今しょうじょう

今しょうじょう

今しょうじょう
今猩々
八重桜 八重桜 八重桜 福録寿 福録寿

八重桜

鞍馬関山桜

鞍馬関山桜

鞍馬関山桜

鞍馬関山桜

宮崎市高岡から綾へ 広沢ダム湖を行く
 2009年4月5日(日)、宮崎県地方はこのところ雨の日が多くなっています。
この日も朝起きると、霧が立ち込め視界不良の空模様です。
いわゆる菜種梅雨と言うヤツでしょうか。雨がシトシト降っています。
それと同時にズーッと気温の低い日が続いていたのでサクラもなんとか持ちこたえたようです。
午後から徐々に回復すると予報が出ています。
ところで、2月から3月にかけては、梅やサクラの開花の季節ですので花を写真に収めることに夢中になり、
歩く距離が少なくなってここんところ運動不足ぎみです。
この日は、なんとしても歩こうと前々から決めていましたが、雨の中のウォーキングはあまり得意ではありません。
天気予報に従い、午後からの回復を待ちました。
テレビを観ていると、いきなり「北朝鮮が物騒なものを打ち上げた」と速報が出て画面がそちらに切り替わりました。
60年以上戦争を経験していない日本、言い換えれば、戦中に生まれた人を含めると日本人のほとんどが戦争を経験していない世代に変わってしまいました。
平和を謳歌すると言うより少々平和ボケに浸ってしまっている日本人。少し緊張するのもいいかもしれません。
しかし、テレビやラジオ、新聞の騒ぎようはなんのでしょうか。
特に、テレビの仰々しさは、それこそ北朝鮮の思うツボのような気がします。
日本が騒げば騒ぐほど北朝鮮は調子に乗るのは目に見えています。
日本にとって最も恐ろしいのは、航続距離1300kmと、日本全土がスッポリ射程に入ってしまうノドン1号の大量配備の方と思うのですが・・・・。
そんなことを考えながらテレビを観ていましたが、雨はなかなか止みそうにありません。
仕方なく午後の1時前に自宅を出て、宮崎市西部の高岡町へ向かいました。
今日は高岡町の一番西部の野尻町よりを流れている大淀川支流の浦之名川沿いを歩くことにしました。
とりあえず車の中で雨が上るのを待ってからのスタートです。
本を読んだりラジオを聴いたりしながらジッと待つこと2時間。
ようやく雨が上りましたが、時計の針はすでに3時を回っています。
この時間からではそんなに長くは歩けません。
はじめの計画では、国道268号線脇に車を置いて、浦之名川の上流にある広沢ダムまで歩くつもりでいました。
この行程は2008年4月15日に歩いています。
最初は平坦ですが、山間部に入りダムへの上りがかなり急なコースです。
その時はダムまで上り詰めてダム湖を少しだけ歩いて引き返しました。
今日はとりあえずダムまで車で上りそこに車を置いて、ダム湖に沿って行けるところまで行き引き返すことにしました。

 広沢ダム

広沢ダム湖

広沢ダム湖

広沢ダム湖

広沢ダム湖

広沢ダム湖上流

広沢ダム湖上流

ハナダイコン

芝ザクラ
 広沢ダムは防災や灌がい用に造られたダムで、堤の長さが199m、堤の高さが63.5mと規模は、それほど大きくはありません。
ダムの上には道路が通っていて車で渡れるような構造になっています。
ダム湖沿いの道路は、ほとんど平坦でアスファルトで舗装されていて、道幅もかなり余裕があります。
それでいて車はほとんど通りません。
雨上がりで少しモヤっていますので山の頂上は見えませんが、丁度この辺りは宮崎市の奥座敷・綾町にある日本有数の照葉樹林帯の南隣に位置し、原始の森がダム湖を覆っています。
これからのシーズンは、若葉が芽吹き絶好の森林浴を楽しめるコースでもあります。
オゾンを吸って、マイナスイオンをたっぷり浴びれば身も心もリフレッシュ出来るでしょう。
約1時間20分ほどそんなダム湖沿いを上流に向かって歩いていますと突然、前方が開け水田が見えてきます。
この辺になりますとダムに溜まっていた水もなくなり、1滴の汚れもない清流が姿を現します。
夏に訪れると水浴びには最高のところになるはずです。

完成記念碑

広沢ダム

広沢ダム

広沢ダム

広沢ダム

ダム湖下流域

ダム湖下流域

ダム湖下流域

ダム湖下流域

ダム湖下流域

ダム湖中流域

ダム湖中流域

ダム湖中流域

ダム湖中流域

ダム湖中流域

ダム湖上流域

ダム湖上流域

ダム湖上流域

ダム湖上流域

ダム湖上流域
 水田があると言うことは、集落があることを意味しています。
道が開けてから5分もしないうちに農家が3〜4戸見えてきました。
生活観があり、庭先にはキレイな花やツツジが植えてあります。
畑の土手には芝ザクラを以前植えたのでしょうか、その名残の花がところどころに咲いています。
話しはそれますが、
芝ザクラと言えばここをおいて他にないでしょう。
しかし、どの家も留守のようですが、よーく見ると以前見たような家ばかりです。
最初はわからなかったのですが、どうやらこの辺りは昨年の10月に訪れたところのようです。
ただ、前回は別のルートで、高岡町からさらに霧島よりに走った野尻町に車を置いて、上流部から下ってきたました。

今回、ダムから前回歩いた間の空白部分を埋めた格好になります。
いずれにせよ、車や人がほとんど通らない自然がそのまま残ったこんな山奥を歩くのは、どこに出るのか、何が出てくるのか。不安ではありますが、スリルに満ちた魅力があり楽しい山歩きを堪能することが出来ます。もっと若葉が濃くなり太陽の光が燦々と降り注ぐような快晴の下で歩いてみたいと思います。

ハナダイコン

ハナダイコン

ハナダイコン

芝ザクラ

芝ザクラ

ハナダイコン

フジの花

フジの花

湖上流の集落

湖上流の集落
宮崎県西都原の桜と西米良サクラ街道
2009年3月31日(火)、朝起きると、うっとおしい雨が降っています。
しかも、霧が濃くて遠くが全く見えない状態です。
2〜3日前までの天気予報では確か晴れると言うことでしたが・・・。
折角休みを取りましたが、これではどこへも行けそうもありません。
しかし、今朝の天気予報では、午後から徐々に回復するとのこと。
「それなら出かけよう。」今年はサクラの開花があまりにも早かったために、予定していたサクラの名所をなかなか回ることが出来ません。
そうこうしている内に4月を迎えてしまいました。
南郷の花立公園、米良のサクラ街道、西都原古墳、浄専寺のしだれザクラ、延岡の城山公園、門川の遠見半島などは、どうしても行きたかった所ですが、時間が取れないため行けそうにありません。
そこで雨ではありますが、天気予報を信じて、この日は西都原古墳公園のサクラと菜の花を写真に収め、その足で米良街道を村所まで行くことにしました。

西都原のツツジ

西都原のツツジ

西都原のツツジ

西都原のツツジ

西都原古墳と桜

西都原菜の花と桜

西都原菜の花桜

西都原の桜並木

西都原菜の花と桜

西都原の桜並木

西都市吐合の廃校と桜

西都市吐合の廃校と桜

西都市吐合の廃校の春

米良街道の桜

一ツ瀬ダム湖と桜
宮崎県西都原古墳の桜と菜の花とツツジ
昼前に自宅を出ましたが、雨は止む気配がありません。
西都原公園までは車で約30分の道のりです。
もう何度も訪れた宮崎が全国に誇れる古墳の名所ですが、春のサクラや菜の花秋のコスモスなど花畑のスケールには圧倒されます。
ただ、私はサクラや菜の花の季節となりますと、訪ねるのが少しずつずれて完全に満開の時に出くわしたことがありません。
今日も、多分少し満開は過ぎているはずで、しかも雨。条件はあまりよくはありません。
まあー雑誌などでよく目にする菜の花とサクラのコントラストが、少しでも画像で見て取れればいいか。と言う程度の気持ちです。
西都原公園には午後1時30分に到着しました。
見渡しますと思いのほか多くの人々がサクラを観にきています。
丁度、サクラ祭りが開催されていて、たくさんの露天が並んでいます。
特設ステージもあり、2〜3日前の土日には、カラオケ大会や歌謡ショーなどが行われたようです。
さすがに、この雨では野外ステージは、なにも出来ないようでイベント中止の立て札がでていました。
ところで、サクラですが、一部葉ザクラになっている花木もありますが、まだ何とか観れる状態です。
菜の花もOK。いけます。
で、撮ったのが下のサムネイルと上の写真です。
ただし、雨が降っていて上空も少し薄暗かったので全体に明るさに欠け、出来はよくはありません。
いつものことですが、ご容赦ください。
ここのサクラの木ですが、結構大きな木が目立ちます。
根元から幹が枝分かれしている花木が多く、花の密度が濃いのが特徴のようで、並木道も大変広く取ってありますので見応えがあり壮観です。
特に、広々とした菜の花畑の黄色と淡いピンクのサクラの花とのコントラストは、まさに自然の芸術で、宮崎観光のシンボルとしてよく観光パンフレットや雑誌などで見かける光景です。
とりあえず、写真を撮ることができましたので、久しぶりに公園を車で一回りすることにしました。
始めに西都考古学博物館へ向かいました。
すると、どうでしょう。博物館の西側の小高い山にツツジがビッシリ植栽されているではありませんか。
だいだい色、薄紫色、ピンク色、白色、緑色。
まるで絵の具のような鮮やかな光景が私の目の前に広がっています。
ミツバツツジや岩ツツジの間にサクラの淡いピンク、言葉では言い表せない美しさです。
ツツジは、ところどころ満開ですが、山全体が満開になるまでは、あとしばらく時間が必要でしょう。
一方、サクラはギリギリのタイミングです。
小高い山の頂上には遊歩道が整備されていて、ツツジの花を楽しみながら登ることが出来ます。
頂上には、展望台があり、真下にツツジの群落と考古学博物館の全容、深い西都原の森など実に多彩な景色を堪能することが出来ます。
晴れていて、しかもツツジの花が盛期を迎えれば、えもいわれぬ素晴らしい光景が眼下に広がることでしょう。その時は、もう一度来て見て写真に収めるつもりです。ここが、一遍に気に入りました。
西都〜村所 米良街道と桜
 西都原古墳のサクラが、なんとかギリギリで間に合いましたので、国道219号線・米良街道のサクラは十分に見れるはずです。
米良街道は西都市から九州山地へと延びていて、宮崎県の一番小さな村・西米良村の中心地村所まで約45kmあります。
前半部分には九州最大規模の一ツ瀬ダムとそれに続くダム湖があり、変化に富んだ湖は風光明媚な名所として多くの人々が訪れます。
ダム湖河畔のところどころにサクラが植栽されていますが、前半部分は、そんなに目立つほどではありません。
さらにダム湖沿いに西へ西へ走っていくと、長いトンネルがあります。銀鏡(しろみ)トンネルです。
このトンネルの丁度真ん中に境界線があり手前が西都市、その向こうが西米良村になります。
トンネルを出ると、いきなりサクラの木が増えてきます。
ただ、少し峠を過ぎた感じで葉桜が多くなっています。
もう一本トンネルが続けざまにあり、ここを過ぎると越野尾と言う集落です。
サクラの時期に訪れるのは10年ぶりくらいでしょうか。
以前通った時は、街道沿いに延々とサクラ並木が続いていたような印象が残っていたのですが、今回通って見るとそうでもありません。
記憶違いでしょうか。
 と、何気なくダム湖の上を見上げるとサクラが集中して植栽されているではありませんか。
以前は確かなかったはずですが・・・。それとも気づかなかったのでしょうか。
いずれにしても記憶がありません。
対岸ではありますが、すぐ上流に米良稲荷橋と言う名の橋が架かっていてそのたもとから、そのサクラの咲いているところまで行くことが出来るようです。
車が十分通れるほどの道がありますので行ってみることにしました。
この道は、約2km先に児原(こはる)稲荷神社があり、そこへ続いていると案内板に書いてあります。
サクラの群生は入り口から500mほど上ったところにありました。
花木はまだ若くそんなに年月が経っているようには思えません。
しばらく来ない間に植栽されたのでしょう。
この辺りは地上からは150m以上は上ってきています。
車を降りてのぞくと丁度サクラの群落の下に青色のダム湖が浮かび上がり素晴らしい光景が広がっています。
写真を撮るには最高のシチュエーションです。
今日はこれだけで十分の収穫です。それだけ素晴らしい眺めです。
写真を撮り終わり、さらに村所方面に車を進めましたが、やっぱりどの花木もピークを過ぎていて絵にはなりません。
進めば進むほど沿道の並木の密度は濃くなっていきますが、来るのが4〜5日遅かったですね。
で、結局途中で引き返しました。
不思議なものでより暖かいはずの西都原古墳のサクラがまだ見られる状態なのに、奥に入り気温が低いはずの地域のサクラが終わっているのですから・・・。自然界の出来事ですから単純にはいかないようです。帰る途中、気になっていたところがありましたので寄って見ることにしました。
それは、一ツ瀬ダムの登り口にある瓢箪渕(ひょうたんぶち)と、言う集落の下流にまだ出来たばかりのトンネルを通ってひむか神話街道に入ってすぐのところにあります。
そこは吐合地区と言って、過疎が進み今では住んでいるひとはほんのわずかの限界集落です。気になっていたのは、その集落にあり、昭和62年4月1日に廃校となった西都市立岩井谷小学校の光景です。
廃校後しばらくはキャンプ場として賑わっていましたが、今は校庭の教員住宅をはじめ、校舎もひっそりと静まり返っています。
ただ、いつ植えたのか分かりませんが、サクラの大木数本が主のいない校庭脇や教員住宅の庭に鮮やかな花びらを咲かせていました。
なんだか切なくなる光景です。

桜 1週間早く満開!! 宮崎〜小林〜都城

3月24日(火)少し風がありますが、スッキリ晴れ渡った絶好の行楽日和です。
宮崎県地方のサクラの開花宣言が出たのが3月16日です。
平年と比べますと約10日も早い開花宣言です。あれから9日。
とすると、今日辺りは見頃を迎えている頃です。
ただ、開花の目安となる標準木があるのは宮崎市ですので、特に宮崎県の南の地域が当然開花スピードが速いはずです。
私の今日の休みは先日の日曜日に出勤して、その代わりに、恐らく桜ガピークを迎えているだろうと、この日を選んだ次第です。
サクラの名所を巡り堪能するつもりでいました。
ところが、この日は野球のWBCの日本と韓国の決勝戦が、午前10時30分から行われるのです。
今、日本中はこのWBCの話題で持ちきりです。昨日(23日)は野球の母国・アメリカと準決勝を行い、歴史的な勝利を挙げました。
テレビ、ラジオ、新聞などメデイアの大半はこの話題であふれかえっています。
そして、今日はそのWBCの頂点を決める試合が、韓国との間で行われるのです。
しかも、この大会両チームは、ここまで4回戦って2勝2敗。
文字どおり雌雄を決する一戦がまさしく今日行われるのです。
しかも、試合の行われる時間帯も最高。ゆっくり観戦することができます。
「いや−ッ困りました。どうしようか?」非常に迷っています。
確かにWBCの決勝戦が日本と韓国となれば、やはり野球ファンの私にとってはこの上ない魅力的なカードにほかなりません。
ましてや2月16日に宮崎で誕生した侍ジャパンです。非常に身近に感じています。
さらに、今までの日本代表ですと、例えば「長嶋ジャパン」だとか「王ジャパン」だとか「星野ジャパン」などと、その時々の監督の名前を冠していましたが、今回は、原監督が、「今まで監督をされた偉大な方々と比べ私など足元にも及びません。私の名前を冠するのではなく、何か良い名前を付けて下さい。」とNPBにお願いしてこの名前が決ったと言う話しを聞いています。この辺りに原監督の人柄が出ているような気がして、大変好感が持てます。

延岡愛宕山の桜と煙突

宮崎・高岡天ヶ城公園

宮崎・高岡天ヶ城公園

宮崎・高岡天ヶ城公園

宮崎・高岡天ヶ城公園

宮崎・高岡天ヶ城公園

小林・まきばの桜

小林・まきばの桜

小林・まきばの桜

小林・まきばの桜

小林・まきばの桜

都城・高城観音池公園

 都城・高城観音池公園

 都城・高城観音池公園

   都城・高城観音池公園

そうこうしている内にも決勝戦前のセレモニーが終わり、試合が始まりました。
日本は、初回イチローがいきなりの中前安打で出塁し、この大会2度封じ込められている韓国の左腕・奉重根に襲いかかります。
ノースリーからでも打って出てチャンスを広げる積極的打法が目立っていました。過去2度苦杯を舐めさせられているだけにさすがプロ。
研究の成果を随所に発揮して3度目の失敗は絶対繰り返さないと言う決意が伝わってきます。
しかしながら、今までの試合と同じく、私にはイライラがだんだん募ってきました。そして、五回裏、韓国の五番秋信守が、好投していた岩隈の高めに入ったスライダーをセンターバックスクリーンに持っていき、ついに同点に追いつかれました。
韓国打線の中で唯一のメジャーリーガーである秋信守。
さすが甘い球は見逃しません。
韓国にとってはベンチが一気に盛り上がるところです。

逆に日本特に、先発の岩隈は追加点をやったら非常に厳しくなる場面です。
そんな場面でレフトを守っていた内川が、難しい当りに対し一世一代のスーパープレーを披露し、傾きかけた流れをイーブンに押し戻しました。

もちろん、歴史的に韓国はパワー野球が身上でしたが、ここのところは日本のスモールベースボールを見習い、飛躍的にレベルが向上してきたのは、最近の大会の結果が証明しています。
というところで五回を終わって時間は昼を回っています。
野球を、もちろん観たいのはヤマヤマですが、結果は後からいくらでも観ることができます。
しかし、自然界に咲くサクラは待ってはくれませんし、テレビや新聞では、なかなか自分の思った映像を観ることは出来ません。
丁度前半が終わったところでしたので、ヤッと重い腰を上げ花の写真を撮りに出掛けることにしました。
行く先はと言いますと、以前から気になっていました宮崎県南西部の小林市の細野地区にある「牧場(まきば)の桜」です。

たくさんの牛が遊ぶ牧場があるこの地区。
後方には霧島連山のひとつ、標高1344.1mの夷守岳(ひなもりだけ)が控え、その裾野は昭和48年4月8日に第24回全国植樹祭が、昭和61年9月16日には第10回全国育樹祭が開催されました。
それらのイベントを境に、「ひなもり台県民ふれあいの森」として、森林学習展示館のほか、芝生広場、森林体育館、テニスコート、フィールドアスレチック、自然観察路などの施設が整い、さらには公園の一角にオートキャンプ場が整備され、夏のキャンプシーズンには県内外から多くの利用者が訪れる北霧島随一の憩いの里が展開されています。
また、霧島連山を背後に控え、大幡山や大幡池への登山口としても知られ、春の新緑、夏の清涼、秋の紅葉、冬の雪景を求めて訪れる人が絶えません。


都城・高城観音池公園

都城・高城観音池公園

都城・高城観音池公園
自宅から約1時間もすれば行くことが出来ます。
国道10号線を小林に向かいました。宮崎市の南西の高岡町のトンネルを過ぎた時です。正面の小高い山の頂上付近を見上げると、サクラが鮮やかに咲いているではありませんか。つい忘れていました。ここ宮崎市高岡町には天ヶ城(あまがじょう)公園と言うサクラとツツジの名所があることを忘れていました。
当然、寄り道です。
宮崎県延岡市の愛宕山の桜
桜と旭化成煙突 桜と旭化成煙突 愛宕山の桜 愛宕山の桜
愛宕山の桜 愛宕山の桜 愛宕山の桜と延岡市街
 上の写真は県北延岡市の中心部に位置する標高約250mの愛宕山のサクラです。山の北側から頂上付近まで自動車道が通っていて、その道沿いに頂上下の展望台公園までサクラが植栽されています。この写真は3月23日のものでところどころ満開の木もありましたが、全体に7分咲きと言ったところでした。したがって、この時点ではあまり写真を撮ってなく、この程度です。また、山を下りたところに春日神社があり、その前のから北に向かって約1qに渡って道路の両側にサクラが植栽されていて、満開時はサクラのトンネルが出来て実に鮮やかです。今年はそんな光景を撮れるかわかりませんが、以前撮った写真を、この新小路ばかりではなく、例えば日南市の隣町の北郷の花立公園や都城市母智尾公園、市房ダム湖ほかあでやかなサクラの花をこのページとリンクするつもりです。
宮崎市高岡町の天ヶ城公園
天ヶ城公園
天ヶ城公園は、宮崎市高岡町の中心部西方、丁度国道10号線の西側に横たわる標高120mの小高い山=城山一帯を指します。
天ヶ城公園の一番の魅力は、なんと言っても「城」「サクラ」「ツツジ」のコントラストです。
その3つに付け加えるとするならば、「眺望」でしょう。
3月下旬にサクラが満開を迎え、花々が散り始めると深紅も鮮やかなクルメツツジやヒラドツツジが見頃を迎えます。
サクラは主にソメイヨシノが植栽されていて、満開時には国道10号線のバイパス手前から公園への取り付け道路に沿って、花のトンネルが訪れた人を頂上へと導いてくれます。
山の中心部側の山肌と、頂上周辺の多目的広場に約1300本、樹齢40〜50年の立派な大木が薄ピンクの花を咲かせます。
特に多目的広場の休憩所を兼ねている「あずまや」周辺には、クルメツツジが整然と植えられています。
今年は暖冬の影響で7分ほど花を咲かせていて、サクラのピンクと真っ赤なツツジの対照が際立っています。
また、多目的広場の後背地に威風堂々と立つ歴史民族資料館を訪れますと、この天ヶ城の歴史を知ることができます。
慶長5年(1600年)関が原の戦いで西軍に属した第17代島津家当主・島津義弘は、戦いに敗れ、日向細島に上陸後帰国し、東軍の伊東勢の追撃に備え、久津良名(現高岡町中央部)を城地に取り立て、城を「天ヶ城」と命名し、島津氏と関係の深かった地域から武士多数を強制移住させました。
そして、比志島紀伊守国貞を初代地頭に任命し、「高岡」を前線の要としました。
これが、いわゆる山城・「高岡郷」の創設とされています。
「高岡郷」は、標高が120m余り、見晴らしの良い自然環境に恵まれ、山城としては理想の場所に築城されましたが、その後、元和元年(1615年)一国一城令で天ヶ城は廃城となりました。
頂上からの眺めは抜群で、眼下に雄大な流れの大淀川、その川筋をたどると、遠くに宮崎市の市街地から日向灘が一望できます。
一方、西に目を転じますと霧島連山がくっきりとその姿を映しています。

また、この天ヶ城公園には、たくさんのスポーツレクリェーション施設が整っています。
比較的低部には室内体育館や軟式野球場からローラースライダー、パターゴルフ場にレストハウスの天ヶ城茶屋。
歴史民族資料館を覗きますと、江戸時代初期の高岡周辺の勢力図や当時の人々の暮らしぶり、大淀川との係わりなどが紹介されていて、この地方の中世から現代に至るまでの様子を詳しく知ることができます。
例年、3月下旬から桜祭りが開かれ、サクラの花がライトアップされ、和太鼓の演奏やフリーマーケット、地元獲れの物産展などさまざまなイベントが用意されています。
さらにツツジ祭りと何度来ても飽くことのない素晴らしいこの天ヶ城は、宮崎の中心部から20分ほどで来れますので、たくさんの花見、行楽客が訪れ年中賑わっています。
ただ、今年は思いのほかサクラの開花が早まったため祭りの実行委員会の方々も花が持ってくれるようヤキモキしながら祭りの開催を待っています。
宮崎県小林市の牧場(まきば)の桜
牧場(まきば)の桜
この名前は以前から良く知っていました。
しかし、なかなか開花時期とタイミングが合わず、小林市の霧島連山の麓にある桜並木と言うことぐらいしか知識はありませんでした。
3月24日(火)、野球のWBCを五回までテレビ観戦して、いざ出発。
国道10号線を南下、途中高岡町から268号線に折れ、さらに小林市の手前の野尻町から霧島方面に左折、麓町の高原町から「みやまきりしま道路」と言う山の麓を通る広域農道から一路、桜の園を目指しました。高原町は湯の町で知られています。
至る所に温泉があり、湯治客がたくさん訪れます。
しかしながら、いずれの温泉も規模が小さく、農作業を終えた地元の農家のご主人や奥さんが疲れや肩こりを治しに湯に漬かりにくるような湯治場的な印象で知名度は今ひとつです。
泉質には素晴らしいものがありますので、もう少しPRに力を入れれば、もっともっとたくさんの客が訪れるのになあと、いつも思っています。
ところで高原町から小林に向かっていると、左手前方に長い長い桜並木が見えてきました。(下の画像)
全長はおよそ700m。
道の両脇のサクラが満開を迎え、花のトンネルがこれまた最高です。
が、なんと言う所か案内板がないのでわかりません。
まさかこれが「まきばの桜」ではないでしょいうが。
と、一台の車が停まりました。
年配のご夫婦が下りて来ましたので聞いてみますと、ここは「宮崎県酪農支場」と言うそうで、まだ高原町内と教えてくれました。
ご夫婦はこの美しい桜をカメラに収めに毎年訪れるとのことで、以前は気軽に支場まで入ることが出来ていたと話し、今は入り口に鍵がかかっている状態で、中に入れないことを残念がっていました。
幹が大きく樹齢も相当いっているのでしょう。
歴史を感じる桜並木です。開放しないのが不思議でなりません。
 「まきばの桜」は、そこから10分余りで到着です。
あまり仰々しく案内板は出ていませんが、石の碑から大変歴史を感じる桜の名所と観受けました。
まだほんの一部しか見ていませんが、思っていたより花木が小ぶりで正直なところちょっと拍子抜けです。花のトンネルと言うには似つかわしくありません。
写真を撮っていましたら、着物を着た熟年のご婦人が話しかけてきました。
しばらく、話しを聞いていましたが、このサクラの名所は、昔大変な賑わいを呈していたことやサクラの木はその当時道を覆い、まるでトンネルだったと言うことなどを詳しく話してくれました。
例の花木が小さいことも聞きましたところ、以前植えていた花木は100年以上も前に植えたもので、ほとんどが寿命を迎え枯死し、今の木は植栽してまだ日が浅いなど、大変親切に教えていただきました。
何でも、ご主人は海上自衛官だったそうで、今は一人身。昨年は日本の豪華客船「飛鳥」で、100日間の世界一周をされたとのことで、その時の色々な出来事を聞かせて頂きました。
さて、今日は高原町から広域農道を利用してきました。
小林市の市街地からですと、JR小林駅の西側の踏み切りを渡って、コスモス牧場への看板を目印に、比較的簡単にたどり着くことができます。
霧島連山を背景に細野中学校辺りから桜並木が霧島に向かって一直線に延びています。
途中、T字路を左折したところがこの桜の園の中心地、広い駐車場が設けてあります。
ここも例外ではなく桜の開花が早過ぎ、訪れたこの日は、市の職員や観光関連の人たちが祭りの準備に追われ、やっとボンボリが付けられたところでした。
この駐車場から西へ並木は延び、その途中から左折すると目の前に夷守岳が飛び込んできます。この通り沿いに、家畜改良センター宮崎牧場の看板が掛かっています。つまり、この道沿いで牧場がある風景を見ることが出来ます。

宮崎県小林市「まきばの桜」周辺図(小林市観光協会より)

丁度桜並木の真ん中辺りを宮崎自動車道が横切っています。
並木は私が通ってきた「みやまきりしま広域農道」まで延々と続いています。
まさに噂通りのスケールの大きな、それでいて霧島と言う山を控えた雄大さが売り物の桜の名所です。
ざっと目分量で見て全長が5qはあるでしょうか・・・・・。
ところが、小林市のHPで、この「まきばのサクラ」の由緒を見て驚きました。
ここは、ほんの50年前は九州一の桜の名所で、期間中なんと40万人の人々が、桜を観に訪れたと言うのですから、にわかには信じ難い数字であり賑わいです。
当然、全国的にも桜の名所として名が轟いていたことでしょう。
全く知りませんでした。
「まきばの桜」が産声を挙げたのは、さかのぼること約100年も前のことです。
当時、この地で軍馬育成がさかんに行われていて、その軍馬補充部小林分厩所の所長・二宮信中尉が、牧場の沿道に植栽したのが始まりとされています。
植栽から約20年で桜並木は大きく成長、見事な花を咲かせるようになりました。
当時は「軍馬の桜」と呼ばれていました。
大正から昭和の初めにかけては小林商工会が観桜会を開催、その後一般にも開放されると、桜のトンネルを堪能出来る「軍馬の桜」として、広く九州一円にまで知られるようになり「さくら祭り」は大いなる賑わいましを呈しました。
列車は臨時便を増発、花見列車を仕立てて花見にやってくるほどの大盛況ぶりでした。
戦中戦後の一時期、祭りは途絶えましたが昭和22年復活した桜祭りには大群衆が押し寄せたと言います。そして、敗戦により軍馬補充部の廃止とともに、名称も「まきばの桜」と変わりました。
しかし、栄華を誇っていたこの桜並木も、暗黒の時代を迎えることになります。
九州一とうたわれたこの「まきばの桜」が50年前から衰退していく道をたどり始めました。
普通、ソメイヨシノの樹齢は60年と言われています。
100年前、植栽された花木が寿命を迎え、昭和30年を境に次々と枯れていきました。
小林市も手をこまねいていたわけではありません。
補植や植え替えなどによって昔の桜並木の復活に力を注ぎました。
しかし、連作を嫌うソメイヨシノは思うように成長してくれません。
老木と若木が大半を占め昔の景観を取戻すことはなかなか出来ません。
加えて小林市は昭和48年、天皇皇后陛下を迎えての全国植樹祭の開催や宮崎自動車道の建設などで、サクラどころではなくなり、「サクラ祭り」は中止されました。
サクラの衰退とともに、小林の観光は昭和38年開業した、生駒高原のコスモス園へと移っていきました。
 
 しかし、牧場のサクラは市民の記憶から消えたわけではなく昭和50年の市制30周年を記念して募集された市の花としてコスモスとともにサクラが選ばれました。
これを受けて「まきばのサクラ」の復活への動きが急となり昭和63年から市の事業として整備が進められ、現在も昔の栄華に少しでも近づける努力が続けられています。
そして、平成20年、植栽100年を迎え「まきばのサクラ祭り」が復活しました。
今年は「サクラ祭り」復活2年目です。
牧場に咲いたサクラの花。一世紀を経た春。100年にもおよぶ盛衰を経て、ようやく昔の形を取戻しつつあるサクラが少しずつ大きく大きくなろうとしています。
たくさんの牛が遊ぶ牧場があるこの「まきばのサクラ」一帯。
後方には霧島連山のひとつ、標高1344.1mの夷守岳が控えその裾野は、昭和48年4月8日に第24回全国植樹祭が、昭和61年9月16日には第10回全国育樹祭が開催されました。
皮肉なことにこれらのイベントを契機に北霧島の整備が急速に進みました。
それらは、「ひなもり台県民ふれあいの森」として、森林学習展示館のほか、芝生広場、森林体育館、テニスコート、フィールドアスレチック、自然観察路などの施設が整い、さらには公園の一角にオートキャンプ場が整備され、夏のキャンプシーズンには県内外から多くの利用者が訪れる北霧島随一の憩いの里が展開されています。
また、霧島連山を背後に控え、大幡山や大幡池への登山口としても知られ、春の新緑、夏の清涼、秋の紅葉、冬の雪景を求めて訪れる人が絶えません。

これらの施設の先輩格として、今後「まきばのサクラ」の存在は、ますます大きくなっていくことでしょう。
都城市高城町・石山観音池公園の桜
観音池公園
少し前まで石山観音池公園と呼んでいましたが、最近は冠をはずして観音池公園と言うのでしょうか。
所在地は都城市高城町石山3966ですが。
まぁ、そのことは別にして、最近のこの公園の充実ぶりはすごいですね。
正面入り口から続く圧倒されるほどのサクラ並木、変化に富んだ観音池、観覧車やゴーカート、ボート、電動カーなど、数々の遊具施設、温泉などの健康増進センター、キャンプ場、オートキャンプ場、野外ステージ、流水プール、野球場、体育館、多目的広場、テニスコート、さらに広域農道を隔てた東側の小高い山には草スキー、スライダー、アスレチック遊具が揃っています。
二人乗りのリフトを上っていくと、遠く霧島連山や都城盆地などの絶景をを見渡せる展望台が設置してあります。
1日ではとても回り尽くせないほどの施設を持つ観音池公園。
ここはまさに都城のドゥースポーツの拠点的存在と言うことができます。
 3月下旬、国道10号線から公園へのアクセス道路に入りますと、満開を迎えたサクラの大木が覆い尽くさんばかりに道の両側からせり出していました。
太陽の光線をもさえぎる様はまさに桜のトンネルそのもので、訪れた人々を圧倒します。
このサクラ並木は正面入り口から約200mのところにあるT字路から両方向に延びています。
3月24日(火)、私が訪ねた日は、この公園もサクラがまさに満開の、一番の見頃を迎えていました。
観音池脇にある駐車場に車を停めて、池に出てみますと、そこはまばゆいばかりのサクラの花の楽園。
淡いピンク色をした花びらが池の畔を埋め尽くしています。
観音池の形状が変化に富んでいて、サクラの花をより一層引き立たせています。
例年ですと、サクラの盛期は3月の下旬ですが、開花時期がいつもより10日ほど早まったため、あるはずの露天もほんの数台程度。
訪れる人々も今は、まだまばら。
すべてはこれからですが、祭りが始まるまで花が何とか持ってもらうことを祈るばかりです。
ところで、観光協会によりますと、この観音池は、享保年間に灌漑用水池として築造されたもので、たびたびの堤防決壊により天保12年(1842年)に一大修復がなされ、今の形になったと言われています。
現在もその時の名残の水門と水神碑が残っています。
池には両岸を結ぶ橋が架けられていてその名も「虹のかけ橋」。
サクラの季節には絵のような写真が撮れるこの池のシンボル的な存在です。
サクラの木は公園内いたるところに植栽されていて、その数約3000本。
国道入り口から取り付け道路や観音池周辺は比較的樹齢の高い大木が多く、公園総合案内所を中心とした区域には比較的若木が、また山肌にも若木が植えられていています。
特に、山肌の植栽はまだこれからと言った状態ですが、植栽が終わる頃には山全体がピンクに染まるような素晴らしい光景を目にすることが出来るでしょう。
観音池公園の一番のセールスポイントは、一年中楽しめるその設備の充実さもさることながら、交通の便のよさ。
地元都城はもとより宮崎や小林、日南、鹿児島などからたくさんの人々が四季を問わず訪れます。


春の日南海岸から内海へ
 2009年3月18日(水)、この日は代休日。朝方から晴れていて暖かい日よりです。
すっかり春めいてきて各地から花の便りが届くようになって来ました。
宮崎県地方は16日にサクラの開花宣言が出ました。
早いところは6分咲きと、見頃が間近になっています。
例年と比べても1週間から10日くらい早い開花です。
今年は2月に暖かい日が続いたのが大きく影響して全国的に開花時期が早まっています。
これも地球温暖化が響いているのでしょうか。
ただ、サクラは暖かいだけでは開花が早くはならないと言いますから、これまた不思議です。
適度に温かい日が続きその間に寒い日が来て、ぬるま湯に漬かった状態のツボミに冷や水をかけて刺激を与えないと、いつまでもボーッとしていて、暖かくても逆に開花が遅れると言うわけです。
そんなことを考えながら、この日は、私もボーッとしていてどこに行こうか決らない状態が続いていました。
と言いますのも、丁度タイミングよくWBC(ワールドクラシック・ベースボール)の準決勝進出を賭けて、日本と韓国の大一番が正午から生中継される予定になっていたのです。
特に、今回の日本代表は、宮崎で直前合宿を張った関係もあり、いつもの大会より余計に思い入れがあります。
野球は観たい、しかし、身体を動かしたいと迷っているうち正午を迎えてしまいました。
試合開始です。
立ち上がりから韓国の闘志を燃やしたプレーが続いています。
そんな相手の気迫に遅れを取ったのか初回に先発・ダルビッシュが韓国打線につかまり3点を献上しました。
「よしッー出掛けよう!」
今日は負けと決め込み一回の裏の攻撃が終わったところで車に飛び乗りました。
    
       
         2008年3月20日の堀切峠の山ザクラ

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜

堀切峠の山桜
 既に午後の1時前。そんなに遠くへは行けません。
とりあえず、宮崎市南部の日南海岸沿いに向かいました。
今年は鵜戸神宮手前の山ザクラはなんとか満開時にカメラに収めることが出来ましたが、それも2月末の話しです。
その時はまだまだ県南の一部地域しか咲いていなかったのですが、それから2週間余り。
堀切峠周辺はタイミングが合わず行くことが出来ませんでした。
念のためのぞいてみましたが、当然のことながら既に終わっていました。
ここで紹介している山サクラの写真は、昨年の3月21日に撮ったものです。
まだ、見頃の状態でした。
ところが、今年はどうでしょう。出かけたのは3月18日です。
堀切峠の山ザクラにはもう既に花のカケラもありません。茶褐色の葉で覆われています。
昨年と比べて今年の開花がいかに早かったかがよーくわかります。
ところで、この辺りの国道沿いで最近よくサルを見かけます。
昨年まではほとんど見かけたことがなかったのですが、この日も子ザルが交じった十数匹の群れが国道沿いに出没していました。
山に餌がなくなり麓近くまで下りてきたのでしょうか。
国道周辺ですので、車で通る人が餌を与え、それに味をしめたのでしょうか。
はっきりしませんが・・・・。
ちゃんとしたルールが確立していれば問題ありませんが、そうでなければ野生の動物が人間さまの近くまで寄ってくること自体が決してよいことではありません。
時間はもう2時近く。
この日は久しぶりに青島から海岸線に沿って南隣に位置する内海地区まで南下し、そこから山に入って戻ってくる周回コースを選びました。
海岸べりに出ると結構風が吹いています。
ただ、南よりの風ですので寒さは感じません。
空は朝から比べ雲で覆われましたが、雨の心配はなさそうです。
南風にしては海もそんなには荒れていません。
水曜日にもかかわらず、岩場には釣り人が並んでいます。
この青島から内海にかけての一帯は、今の時期、チヌ(黒鯛)やクロ(メジナ)がよく釣れますので、こうして釣り人も三々五々集まってきます。海も春を迎えたようです。
そんなのどかな春の海をカメラに収めようと、デジカメを取り出しました。
ところが、スイッチを入れても反応しません。
良くみると、なんと電池が入っていません。
前日、充電器に差し込みそのままにして、つい忘れてしまっていたのです。
既に40分ばかり歩いていますので、車に戻ってコンビニにでも買いに行く時間的な余裕はありません。仕方なく前へ進むことにしました。
内海地区からは山に入ります。
春を感じるには山などの自然を見ると一目瞭然です。
枯れて褐色が目立っていた山々や原野から木の芽が吹き出し、道路沿いには草木が根を広げ次第次第に緑色のスペースが大地を覆っています。
ウグイスも春になった喜びを精一杯の美声で奏でています。
まだ、春はこれからですが、宮崎の春は短くあと1ヶ月もすると、辺り一面が初夏の装いに変わります。1年中で一番生命力を感じる季節です。
内海の山に入るころから、空がにわかに暗くなってきました。
雲も南から北に向かってかなりの速さで流れています。
どうやら一雨来そうな雰囲気です。先週の飫肥と同じような感じです。
まだ山の登り口近く。
例によって雨具類は全く持っていません。こうなったら「降れば降れ」の心境です。
とりあえず、雨粒が落ちて来ないうちに行けるところまで行くことにしました。海岸部からかなり入ったこの辺りの山の斜面にはまだ、白やピンク色の山ザクラが名残惜しそうに咲いています。
緑一色の山肌に白やピンクが交じると、より一層映えます。
そんな大自然を楽しみながら坂道を上っていたところ、冷たいモノが落ちてきました。
しかし、山の頂上部付近は雲が薄く明るさを感じます。ただ、私の丁度真上は黒い雲が覆っています。時間がたつほどに雨粒が大きくなってきました。
たまらず、近くの大木の下に身を潜めてしばし様子を見ることにしました。
葉が幾重にも重なり合ったこの大木の幹の部分にへばりついていますと、少々の雨くらいは、しのげそうです。
と、下の方から車が近づいてくる気配がしました。この道は日中でもほとんど車の往来はないのですが・・・・。
「折角の車なら乗せて行ってもらおうか。」「親切な人ならいいのだが・・・。」など勝手に想像していました。
ライトを点けた車が近づいて来ました。よく見ると、パトカーではありませんか。
こんなところで出会うのは初めてです。
まさかパトカーに乗せて行ってもらうわけには行かないし・・・・。
軽く会釈しましたところ、向こうも返してそのまま通り過ぎて行きました。
約30分大木にお世話になったでしょうか。小降りになりましたので、前進です。
雲の動きは相変わらずです。しばらくは雨も止み足も進みます。傷めている右ヒザも急な坂の割りにはなんとか持っています。
麓から1時間40分。やっと峠部に到達です。
結構見晴らしが利き雨上がりの素晴らしい景色が広がっています。
山ザクラもところどころにピンクの花を咲かせています。
こんな時に限ってカメラがないんです。仕方ありません。峠道沿いにはソメイヨシノが白い花を咲かせ始めています。
そんな花々を見ながらコースを一周、途中雨に降られましたが、5時を過ぎるころには薄日が差してきました。
冬場にはいくら歩いても汗ひとつかかなかったのですが、今日は下着までビッショリ。
久しぶりに良い汗をかかせてもらいました。
来週辺りは、例年よりかなり早くどこもサクラが満開になることでしょう。


宮崎県日南市飫肥の城下町散策
 2009年3月8日(日)、椿山森林公園をあとにするころから、空の色はその黒濃さを増してきました。
「通り雨で終わればいいのだが・・・・。」
しかし、天気予報は、「昼前からくずれ、夜は本格的な雨、明日は
1日中雨」と、全くあいにくの天気です。
折角、飫肥の城下町を歩くつもりでいましたが、やっぱり観光地。
どうせなら、スカッと晴れた太陽の下を歩きたいものですね。
ところで、今日はなんでも近隣各市やお隣の県などから人力車が集合して、春のたたずまいの城下町を練り歩く人力車サミットというイベントがあると聞いています。
また、小村寿太郎生誕の地近くで、県指定無形民族文化財の泰平踊りも披露されるということですが、雨が降ればすべて中止になってしまいます。
椿山から日南市の飫肥地区までは車で約30分もすると到着です。
飫肥城址大手門下には、観光客用の大型バスも何台も停められる大きな駐車場がありますが、今日の天気を考えますと、「ここでもいいかなあ」と弱気のムシが頭をもたげてきましたが、南下して日南市に入るころには少しではありますが、空も明るさを取戻してきたようで、しばらくは雨の心配は必要ないようです。
歩くと言っても、私にとっては健康増進の一環です。
雨の心配が遠のいたのなら、折角歩くのですから、プラスアルファを付けようと飫肥から国道222号線を西につまり都城方面へ約5kmほど車を進めて、酒谷地区というところの国道沿いの空き地に車を停めました。
ここから、飫肥の城下町に向かって後戻りです。
「雨は降れば降れ」とばかりに、帽子ひとつだけををかぶり、上着は脱いで車に置きなるべく身軽な格好でスタートしました。
車を置いたところからですと、城下町には1時間ちょっとで着くはずです。
周囲は、小高い山々と田んぼ、川に囲まれたいかにも田舎の、のどかな田園風景が広がっています。
田んぼに目をやりますと、満々と水をたたえ、代かきが済み、もう既に田植えの準備が整っているようです。
宮崎県南部地方は、超早場米の産地で、例年3月中旬になりますと、あちこちで田植えが始まります。
そして、本格的な台風シーズン前には収穫を済ませるのが一般的です。
2月中旬以降、雨の量が多くなり、国道と平行して流れている酒谷川も、いつもより水量が豊富でしかも珍しいことに濁っています。
道路のところどころには、鮮やかなピンク色の桃の花が咲き、その中に交じって、早くもサクラの花が咲き始めています。
まだまだ、3分咲きと言ったところですが、曇り空の肌寒い天候とは言え、既に3月も中旬を迎えようとしています。
春の足音が、あちこちから確実に聞こえてくるようです。
そんな沿道風景を楽しみながら歩を進めていましたら、いつの間にか飫肥の城下町に入ってきていました。

本町商人通り

本町通り商家

本町商家

 山本猪平邸

武家屋敷

武家屋敷
本町通り商家造り
本町通り商家造り

武家屋敷

昔風造り民家

昔風造り歯医者

旧梅村邸

旧梅村邸

旧梅村邸

昔風造り民家

旧飯田邸

旧飯田邸

旧商家造り
 国道222号線が、飫肥の城下を南北に分ける本町商人通りを貫いています。
この通り沿いには、商家資料館をはじめ、昔ながらの商家風の建物が軒を連ねています。
時折見かける人力車ですが、今日は天気がもうひとつ。
雨が降ってきたら中止と言うことで空車が目立ちます。
しばらく本町通りを進み、町を東西に分ける大手門通りを飫肥城址方向に折れますと、小村寿太郎の生誕の地があり、そこに隣接する山本猪平邸に観光客が鈴なりになっていました。
なにごとかと思い近づいてみました所、庭園で小規模の人数ながら、泰平踊りが舞われていました。
雨が降ったら中止と聞いていましたので、ここで踊りをカメラに収められたのは非常にラッキーでした。
その会場をあとにして、さあこれから飫肥を心ゆくまで歩くつまりです。
まずはじめに本町商人通りを東へ向かい、
JR飫肥駅の踏み切りを渡り、日南市のサクラの名所・竹香園を目指しました。
日南市にはよく来ますが、こうして歩くのは初めて。
もちろん、竹香園を訪ねるのも初めてです。
小高い山の麓が公園で、素晴らしく手入れの行き届いた日本調の池があり、そこに植栽されている鮮やかなピンク色の桃の花とともに、その華麗さは絶景です。
思わず何度も何度もシャッターを押し続けました。
サクラの名所は多分この小高い山の上と思い行ってみましたが、まだツボミは硬く閉ざしたままの状態でした。
桜園には郷土の偉人・小村寿太郎侯の銅像が隣接する日南高校を見下ろすように立っていました。
ところでこの像の表面に彫られた小村寿太郎侯の名前の部分が、逆向きに彫られているのには驚きました。
何かの謂われがあるのでしょうか。
周囲にだれもいませんでしたので答えを見つけることが出来ませんでした。

竹香園から、また飫肥の城下町方面へ向かって、テクテクと歩き始めました。
どうやらこの辺で、空から冷たいモノが落ちてきました。
「少しまずい状況です。」周囲も暗さを増してきました。
ただ、いきなり大粒の本格的な雨にはならないようで、シトシトと言った感じです。
そんな中で約
2時間かけて、飫肥の武家屋敷や商家が並んでいる街路をくまなく歩き、飫肥城下町の風情を感じながら、それらしき建物や風景を多数カメラに収めました。
ただし、私のカメラの腕とこの空模様が影響して、出来上がりはもうひとつです。
やっぱり、天気の良い日でないと、飫肥の城下町の良さは引き出せません。

幸い、飫肥まで来るのに時間はそんなにかかりません。
天気を選んで再度訪れ取り直したいと思っています。
人力車サミット
泰平踊り

泰平踊り

泰平踊り

竹香園案内板

竹香園の桃

竹香園の桃

竹香園の桃

竹香園庭園池

竹香園庭園池

竹香園庭園池

竹香園庭園池

飫肥町並図

本町案内板

小村寿太郎候

鯉の泳ぐ風景
竹香園 歴史 文化ゾーン 説明
市民の憩いの場としての竹香園も歴史は、明治4年(1907年)に飫肥出身の貴族議員・高橋源次郎氏の所有していた別荘や農地などを昭和26年(1951年)2月15日に、遺族高橋憲一氏より日南市に寄贈されたことに始まります。
寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合運動公園として昭和28年5月からグランド整備などに着手、昭和32年10月20日に総面積4、7ヘクタールの総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
竹香園は、日南市を代表するサクラの名所であり、昭和28年以降、「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩いの場として広く利用されています。
今後さらに市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動などの総合的な利用を目的として、歴史、文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている歴史、文化ゾーンの整備に平成9年度から着手しました。
このゾーンは、高橋氏の別荘地があった場所で、当時(明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費やした回遊式の純日本形式(桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石垣籠を取り込み、サクラや楓などを植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木などの繁茂が進み、庭園に接する法面が大雨などにより崩壊し再度崩落の危険性が危惧されていました。
しかしながら、今回の整備により、用事の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護などを行い、伝統文化、地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩いと交流の施設として利用できる空間の整備が完成しました。

伝統建物案内

武家屋敷

旧商家造り

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

武家屋敷

鯉の泳ぐ水路

武家屋敷
日南市飫肥伝統建造物保存地区   (重要伝統建造物群保存地区昭和52年5月18日国指定)
飫肥城下は、飫肥藩5万1千石の城下として、明治時代から昭和30年代にかけても南那珂郡の政治、経済の中心地として栄えました。
城下の形成は、天正15年(1587年)に飫肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられてから、本格的に建設が進んだと考えられています。
現代においても、江戸時代始めの絵図に描かれた街路がそのまま使用されています。
城下は飫肥城の南に、三方を酒谷川に囲まれた東西850メートル、南北900メートルの範囲で、南北三街路、東西七街路で方形に区画されています。
飫肥城近くから上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣の屋敷地となっています。
各武家屋敷は、飫肥石や玉石の石垣と生け垣に囲まれ、格式に応じた門を設けています。
屋敷地の広さは、上級家臣の2000坪から下級家臣でも、260坪ほどとさまざまです。
昭和52年(1977年)、地方における小規模な城下町の典型的なものとして、九州で最初の国の重要伝統建造物群保存地区に選定されました。
保存地区の範囲は、横馬場通り、後町通り、前鶴通りを中心に約19、8ヘクタールに及んでいます。

                                   (日南市観光協会案内板から)
県指定名勝 昭和8年12月5日指定 宮崎県教育委員会
勝目氏庭園

この庭園は、飫肥城下の武家屋敷庭園を代表する枯山水の庭です。
30坪余りとそんなに広くはありませんが、滝や橋、蓬英石、三尊石などに見立てた石組がみられ、宋の玉澗の山水画を模したと言われる「玉澗式」の庭園と言われています。
一説には、願成就寺第五世住持で、赤面法印と呼ばれた祐遍和尚(1650年頃〜1727年)の作と伝えられているが、様式的には江戸時代中期以降と考えられています。
同庭園を含む屋敷敷地1100平方メートルは、承応年間(1652〜1654年)に鈴木猪右衛門、天保12年(1841年)頃には藩医木脇隆敬が居住していました。
天保城下図によりますと、前鶴通りには藩医の屋敷が多く見られます。
昭和8年(1933年)の指定当時は寺岡氏の所有でしたので「寺岡氏庭園」と呼ばれていましたが、その後所有者の変更により「勝目氏庭園」と呼ばれています。
                                    (勝目氏庭園説明板より) 

武家屋敷生垣

武家屋敷生垣

武家屋敷生垣

武家屋敷生垣

武家屋敷生垣

武家屋敷生垣

武家屋敷

旧商家造り

旧梅村邸

旧飯田邸

勝目氏庭園

勝目氏庭園
飫肥城下町めぐりレンタルサイクリングコースNO20
本町商人通り

江戸時代には、士・農・工・商の身分制度があり、幕末には「本町」に約120の商家が数えられました。
「本町」は後町馬場と前鶴馬場の武家屋敷に挟まれた「商人町」です。
かっては、「本町駅」がおかれ、都城、志布志に通じる街道筋でした。
昭和54年から国道222号線の拡幅工事が始まり、「本町通り研究会」の人の努力によって城下町にふさわしい「商人町」の復元が完成し、白壁、日本瓦葺の町並が出来たことで全国の伝統的都市計画関係者より注目を集めました。                                
                                           (日南市観光協会)
小村寿太郎侯誕生之地
小村寿太郎は、安政2年(1855年)にこの記念碑がある場所に生まれました。
父は町役人(別当職)をしていた小村寛で、八石の徒士席という役人でした。
明治時代になって、小村寛は飫肥藩の専売品を取り扱う飫肥商社の社長に就任していましたが、その経営を巡る裁判によって小村家は破産しました。
その後、土地・建物は隣に屋敷を構えることになる山本猪平に売却されました。
そして、昭和8年(1933年)に山本家が土地を寄付するとともに飫肥藩関係者の寄付金によって現在の記念碑が建てられました。
記念碑の題字は、日本海海戦の指揮官東郷平八郎の揮毫、裏面は大学時代から親交のあった杉浦重剛の誌であります。
平成5年(1993年)、小村寿太郎侯の功績を記念して「国際交流センター小村記念館」が、飫肥城前に開館しました。
また、生誕の家と伝えられている建物は飫肥城近くに残されています。 

桜がほころぶ

桜がほころぶ

桜がほころぶ

桜がほころぶ
宮崎市椿山森林公園の椿まつり
 2009年3月8日、今日は折角の日曜日ではありますが、朝から空はどんより曇っています。
天気予報も昼から、ところによって小雨と、あまり芳しくありません。
晴れれば、春の陽光がまぶしい絶好の行楽日和になるところですが、三寒四温のこの時期は季節の変わり目。天候もよく変わります。自然には逆らえません。
それでも、新聞を開いたりテレビ・ラジオの情報によると、各地でいろいろな催しが行われているようです。
その中から、今日は宮崎市の南西部に位置する双石(ぼろいし)山系の椿山森林公園で椿のふれあい祭りが、前日から行われているとのことで足を運ぶことにしました。
この椿山森林公園は、加江田渓谷の西方の上流部に当り、車でも行けますし、自然美豊かな加江田の渓谷を楽しみながら、また、自動車道の途中から、何筋かの登山ルートを経由しても行くことが出来るなど非常に便利な所にあります。
例えば、加江田渓谷の入り口に当たる丸野駐車場周辺からですと約8kmほどの距離、車で上っても大体同じような距離にあります。
時間があれば、傾斜もきつくなくルート途中の設備も整っている加江田渓谷沿いに景観を楽しみながら歩を進めるのが一番ですが、この日はふれあい祭り、例年、家族連れやご高齢などたくさんの人々が車で訪れます。
白六角
春の台
菱唐糸
錦重
港の春
氷室雪月花
 丁度、一年前私は自動道を約3時間かけて徒歩で上りました。
ただ、昨年は何箇所も道路工事が行われていて、次から次に通過するダンプカーの巻き上げるホコリを思い切り吸わされた苦い経験があります。
したがって、今年は車で公園の駐車場まで行くことにしました。
予定では、椿の写真を撮り終えたら、そこから南下、日南市の飫肥の城下町のたたずまいをカメラに収めるつもりですが、ただひとつ雲行きが心配です。
県道宮崎―北郷線から椿山への入り口に入る分岐点には宮崎市の職員が出て交通整理をしていました。
そこから約200mほどで森林公園の駐車場ですが、途中から前へ進みません。
狭い一車線の道路ですので仕方ありませんが、椿が見頃、しかも日曜日とあってたくさんの行楽客が押し寄せているようです。
結局、30分ほど待って、奥の奥の駐車場に車を停めることができました。
天気はと言いますと、しばらくはなんとか持ちそうな感じです。
受付を済ませ園の奥に進むと椿が出迎えてくれました。
やはり目につくのはヤブツバキです。
真っ赤な紅日向、可憐な港の華・港の春、ドリーミー、桃色ヤブツバキ、桜貝、ト伴・・・・・。
ここまではスラスラ書けました。
何故なら花木に説明書きが付いていたからです。
それから先は、混乱してしまって何がなんだか、あまりの種類に立ち往生です。
もう少し説明書きがしてあると、より知識を深められたのですが・・・。
ただ、花木の挿し木展が催されていましたので、そこである程度までは花名を手に入れることが出来ました。
岩根絞り 明石潟 燕返し

酒中花

天目

有楽

エレガンス

花仙山

孔雀椿

タマグリッタース

ニライカナイ

楼蘭
 椿は、学名をCamellia Japonica(カメリア・ジャポニカ)と言い日本古来の植物です。
現在約4000種以上が確認されていますが、その内2000種ほどが日本種と言われています。
なんだか、イメージだけではありますが、佐渡のトキを連想してしまいました。トキも日本とは大変馴染みの深い鳥で、学名が確かニッポニア・ニッポンとか言ったはずですが・・・・。
同属にサザンカがありますが学名をCamellia sazanqur(カメリア・サザンカ)といいます。
良く似た親戚同士のような花木ですが、違いは開花時期が椿は春(1月から3月)に咲き、サザンカは秋(11月から12月)に咲きます。
椿の花には匂いはありませんが、サザンカの中には匂いがある種類もあります。
また、花が終わると椿は房がどさっと落ちますが、サザンカは花びらが散ります。
 

エスタモーン

羽衣

ヌチオジェム

ト伴

清香

吹上長者
 今年11回目の「椿山ふれあい祭り」と言うことで、かなり認知されたのでしょうか。
3月7日と8日の2日間は、素晴らしい椿の花だけでなく、野点(のだて)、地元農林産物・手作り工芸品の販売、抽選コーナー、ほだ木販売、椿の育て方ほか園芸相談、生琴の演奏、つばき油搾り体験、緑化用樹木の無料配布(先着順)、椿ボランティアによる公園案内などなど、いろいろな趣向を凝らした魅力的な催しが行われていました。
私の目的は、椿の花を写真に収めることですが、広大な敷地をすべて回り切ることは、ちょっと無理ですので、群生しているところを中心になるだけ形の整っている花をカメラに収めて回りました。
管理棟に聞きますと、ここの椿園は敷地が41、3ヘクタールでツバキの種類は約1000種、樹木は48000本にも及びます。
ツバキの種類、規模ともに日本いや世界有数のツバキ園と言うことが出来ます。

椿山森林公園

椿まつり
やぶつばき
紅日向

港の華

港の春

港の春

紅椿
 そして、平成15年3月には世界ツバキ協会の国際優秀ツバキ園(International Camellia Gerden of Excellence)の認証を受けるなど、椿園の規模・椿の種類及び本数において日本一の椿園を確立し、現在も整備が続けられています。
公園の管理は、通常公園管理課が行うところをこの椿園は宮崎市農政部農林水産課が行い、一般の公園とは一線を画しています。
宮崎市を中心に特に椿園の育成管理にいかに力を注いでいるかがわかります。
 また、園内には「殿様道路」という整備された歴史のある道が通っています。
これは、天正時代から慶長にかけて(1573〜1614年頃)、飫肥藩の伊東氏が参勤交代で江戸へ参上するときに利用するために敷設されたと伝えられています。
椿の花の間を縫って通る殿様道路、天気が悪いと若干、足元がおぼつきませんが、石畳に歩を進め、椿の花を眺めながらしばし遠い昔に思いを馳せるのも、またオツなものです。
 椿山森林公園は、もともと双石(ぼろいし)山系同様、原生林が生い茂り、特に椿山の名の如くおびただしいほどのヤブツバキが自生していて緑豊かな景観を呈していました。
ところが、戦後の杉の造林で周辺の山々は伐採が進み、椿山のツバキもその対象となり、山の頂上まで杉で埋め尽くされるほどになりました。
事態を憂慮した地元や宮崎市は、昔のようにツバキを再生させようと、市制60周年の記念事業としてこの一帯を世界一の椿園としてすべく昭和59年から事業に着手、そして平成2年5月に開園にこぎつけました。
椿の数や種類は今なお、記念植樹や米国バージニアビーチ友好使節団来園記念植樹など各種イベント、宮崎市・地元などの精力的な植栽で増え続けています。
ところで、椿山森林公園は宮崎市の南西部の標高300〜400mの山岳地帯から北郷町までを境界としていますが、この一帯は前述の杉の植樹で、見渡す限り特産のオビ杉の林で囲まれています。
宮崎市田野町から北郷町へ向かう日南―高岡線から見渡せるオビ杉の景観は大変素晴らしいものがあります。
途中展望所が設けられていて、そこから見渡せるオビ杉の景色は絶景と言えます。
また、道路沿いには、山ザクラやソメイヨシノのサクラの木が多数植栽されていて、既に山ザクラは峠を越えましたが、もうじき訪れるソメイヨシノの開花期はまさにスカイラインチェリーと言いますか、最高の景観を楽しむことが出来ます。
宮崎の県鳥コシジロヤマドリ

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