★宮崎の名所旧跡の旅

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宮崎の名所旧跡旅のページ


宮崎・日南海岸の夏

 
 このページは「宮崎名所旧跡旅三昧」とタイトルを付けていますが、広義に解釈すれば県の市町村を紹介することも名所旧跡の旅の範疇に入ると思います。
 コンテンツの数は、かなり多くなりましたが、直接宮崎を紹介するコンテンツが、これまでなく、今回新しくこのような形で設けました。
 宮崎の北部に位置する五ヶ瀬・高千穂から延岡、日向、入郷地区、高鍋、西都、宮崎、都城、えびの、日南、串間と宮崎県は南北に広く横たわっています。
 そのすべてを紹介しようとは思いません。
 なぜなら、あまりにも範囲が広く制約された時間で各地を回ることは、不可能に近いからです。
 したがって、用事で立ち寄った市や町などを時間のある限り散策して、それぞれの名所や旧跡を訪ねてテキストと写真を交えて紹介していこうと思っています。
 各地で行われる祭りや年中行事などは、それぞれのコンテンツで紹介していくつもりです。日常の風景、祭りや花々など他のコンテンツで紹介することのなかった出来る限り穴場的な情報があれば、積極的に出掛けて行ってアップロードするつもりでいます。名所旧跡と言う硬い題材にこだわらず、肩の力を抜いて宮崎のありのままの姿を紹介できればいいなあと思っています。
   

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                   このページの目次

1
、宮崎の奥座敷綾町の照葉樹林1/2/3
2、花でいっぱい。宮崎西部の法華嶽公園の魅力
3、宮崎県北五ヶ瀬川沿いを行く
4、国富町法華嶽北側一帯を訪ねて
5、必見五ヶ瀬春の白滝と、うのこの滝から高千穂の魅力
6、宮崎南西部野尻町をあっちこっち
7、西都詩南西部無名の三納から長谷観音周辺散策
8、真夏の綾南川をたっぷりと!
9、西都市から219号線そして迫力満点の一ツ瀬川

10、鹿が出てきて「こんにちは」一ツ瀬川支流をたっぷりと。
11、一ツ瀬川から新富航空自衛隊新田原基地を通って佐土原へ

12、魅力の町並日向市美々津を歩く
13、国富町の法華嶽から20年ぶりの釈迦岳へ

宮崎県南西部・「えびの高原」の紅葉
綾町のケイト畑 綾町のケイト畑 綾町のケイト畑 綾町のケイト畑
綾町のケイト畑 綾町のケイト畑 サルビア サルビア
 11月2日、つまり今日は11月4日ですので一昨日撮った綾町のケイトですが、少し寂しい写真量でしたので、今日の休みに、「えびの高原」の紅葉を収めに行く途中に、上のようにサルビアとともに撮ってきました。
 釈迦岳登山で、痛み出した右ヒザの状態は決してよくはありません。
 したがって、この日は見頃を迎えたえびの高原の紅葉に照準をあてて、あわよくば朱に染まった光景をカメラに収めるつもりでいました。
 実は、紅葉を意識して出かけたのは今日が始めてと言っていいでしょう。ですから人気スポットであるえびの高原のどこが、紅葉の一番見映えがするところか、予備知識もなにも持たずに出かけました。
 えびの高原への車での登山道路は、3ヶ所あります。
 ひとつは宮崎県の小林市からコスモスで有名な生駒高原を横目に登るコース、途中に白鳥温泉の上湯と下湯があるえびの市からのコース。
 そして鹿児島県側から上って来るコースです。

 今日はそのうち、小林市から上ってえびの市へ下りるコースを選びました。
 えびの高原は標高がおおかた1200mあります。その東にそびえる韓国岳は約1700mあります。
 平地とは特に朝晩を中心に温度差は10度以上もあります。
 本州中部から関東北部のような気候でしょうか。
 紅葉も当然、見頃の時機を迎えています。生駒高原を過ぎると、うっそうとした木々が、道の両側に迫っています。
 そして、少しずつ木々が色付き始めてきました。
 標高が上がるにつれ、紅葉や黄葉が徐々に鮮やかさを増してきます。
 7合目辺りからは、見事な赤松と調和しながら、道の両側が朱色に染まってきました。
 遠くから見てもなかなか分かりづらく緑色の方が目立ちますが、目の前に観る景観は素晴らしい紅色の世界が広がっています。

えびの高原の紅葉・・・もう少しか・・・?
小林からの道 小林からの道 小林からの道 小林からの道
小林からの道 小林からの道 小林からの道 小林からの道
 小林市から車で上がってきて、最初に目に飛び込んでくるのが鮮やかな青緑色(コバルトブルー)の不動池です。
 硫黄の影響でしょうか。普通の池では見ることの出来ない神秘的な水の色はとても印象的です。
 不動池の反対側を見ると、オオヤマレンゲで有名な硫黄山があり、その奥に霧島連山で一番標高のある韓国岳がそびえています。その韓国岳の中腹も紅葉で朱色に染まっています。
 霧島には多くの火口湖があり、その中でいちばん高い所にあるのが大浪の池です。火口湖の名前がそのまま山の名前になっています。
 火口壁の高さは標高1412メートル、湖面の高さは標高1239メートルで、直径630メートル、最大深度12メートルの円形で日本一高い所にある火口湖です。
 春のミヤマキリシマ・新緑・そして今の紅葉・冬には湖面が結氷することもあり、四季折々に美しい景色を楽しむことができます。
 大浪池は韓国岳の隣に位置し、池をまわって韓国岳へ向かう登山ルートはとても人気があります。
 不動池は車を降りればすぐその下に広がっていて、一番手軽にえびの高原の雰囲気を味わえる池でもあります。
 紅葉の季節に、えびの高原を訪れるのは、始めてと書きましたが、驚いたのは紅葉を見に来た車の多さです。この日は3連休明けの平日ですが、車が駐車場に入り切れず道路まであふれています。
 ここまで観光客、紅葉狩りの人々が多いとは夢にも思いませんでした。
 ひとつには遊歩道や登山道路が整備されていて気軽に登れる山ということもありますが、それより紅葉の鮮やかさが人々を魅了するのでしょう。
 特に池の水色と紅葉の朱色のコントラストは何物にも代えがたい美しさです。
 それらの池は整備された遊歩道や登山道を辿れば、比較的簡単に行く事ができます。
 不動池からは、白紫池や六観音御池へのコースが整備されています。
 ここに紹介している紅葉の写真は不動池の周辺を撮ったものですが、池めぐりをすればもっともっと素晴らしい紅葉を堪能することが出来ます。
 11月4日、私が訪ねたこの日はまさに序章。今、えびの高原が最も色づく時期を迎えています。
不動池の紅葉 不動池の紅葉 不動池の紅葉 不動池の紅葉
不動池の紅葉 韓国岳の紅葉 韓国岳の紅葉 えびの高原
 上に紹介しています不動池などを少し紹介します。
                     
六観音御池
 深さ14m、直径約400m、周囲1500m。酸性湖のためコバルト色をしており、数ある霧島火口湖群の中で最も美しい火口湖といわれています。
 この池の周辺はミズナラ・カエデ類等の広葉樹林の中にモミ・ツガ・アカマツ等の針葉樹をまじえた美しい天然林があります。
 紅葉が最も映えるところであり、池の色との対照はまさに写真のようです。多くの紅葉狩りの人々もこの池を目指します。
 池の周辺には春から夏のはじめにかけては新緑、秋は紅葉、冬はカモ類が多く飛来し、厳冬期には樹氷を見ることもあります。韓国岳、甑岳を背景に四季折々の変化に富んだ美しい景観が楽しめます。

                  
白紫池(びゃくしいけ)
 この池は、火口に雨水がたまった直径約250mの火口湖です。火口壁の一部が欠けているため、水深
 は浅く水量はあまりありませんが、この水はえびの高原の水源として利用されています。
 この付近は霧氷の美しいところでもあります。
 水深が浅いため冬には氷が張り、以前は厳冬期に天然のスケート場として賑っていました。
 30年前の中学・高校生時代には、この池でのスケート目当ての会員バスが運行されていて、週末はいつも満員状態でした。私もそんなバスに乗って真冬にこの池で滑った楽しい思い出があります。
 しかしながら、時代大きく変わりました。地球の温暖化が進み氷の張りもだんだん減ってきて、また娯楽の多様化などで現在は閉鎖されています。代わりに別の場所にスケートリンクが設置されています。

                    
不 動 池
 水深は9m、直径約200mのこの池は常に美しいコバルトブルーの湖色を呈しています。これは火山の影響により水の酸性度が強く、そのためプランクトンが少ないことで透明度がよいことと、適度な深さによるためといわれています。

えびの登山道 えびの登山道 えびの登山道 えびの登山道
えびの高原周辺 えびの高原周辺 えびの高原周辺
新燃岳に沈む夕陽
                えびの高原のいわれ
 「えびの」という名称の由来は、硫黄山から噴出する亜硫酸ガスのため秋になるとススキ野が一面葡萄(えび)色に変わる景色から名付けられたとする説が一般的です。
 その一方で、入り江(鹿児島湾)を望む火山(韓国岳)の裾野すなわち江火野を語源とする説もあり正確なところ、由来はわかっていないのが、本当のところです。
 10世紀中頃には性空が修行に訪れ、江戸時代にはしばしば島津氏が立ち寄っています。
 江戸時代以降、硫黄山付近で硫黄の採掘が行われるようになりました。
 1950年代に入ってから宮崎県が中心となって観光地としての整備が行われました。
 もともとは、硫黄採掘者のための小屋が存在する程度でしたが、1951年(昭和26年)、不動池付近にロシア風の山小屋が建設され登山客を集めるようになりました。
 1953年(昭和28年)には飯野町からの県道が開通するとともに県営宿舎が開業しました。
 1958年(昭和33年)には北霧島有料道路(県道1号)が開通しアクセスが改善されました。
 この道路の建設にあたっては当時の国会議員瀬戸山三男の尽力があったといわれています。
 また、宮崎交通の岩切章太郎氏によってえびの高原ホテル(当時の名称は霧島高原ホテル)が建てられ保養地としての整備が進みました。
 観光開発初期の知名度はあまり高くはありませんでしたが、当時の日本国有鉄道西部支社長がえびの高原を訪れ、準急列車の愛称に「えびの」を採用したことで日本全国に知られるようになりました。

                                 この項ウィキペディアから引用
宮崎の西隣、釈迦岳を歩く
見頃はまだ先 ランタナの花 ランタナの花 ウルシ類の紅葉
 2008年11月2日(日)、早いもので今年も2ヶ月を切りました。
 ウォーキングを始めて1年と少し。週1〜2と回数は少ないのですが、なるべく距離と時間をかけて、今まで見過ごしてきた所、身近にある名所旧跡に丹念に足を運び紹介しています。
 もちろん、健康を兼ねての散策を第一の目的にしているのは言うまでもありません。
 1度行った所でも季節が変わって訪れると、また違った趣きを発見することが出来ます。
 日本には四季があり、自然は、それぞれの季節ごとに異なった顔を見せてくれます。
 今日は、この4月に訪れた宮崎市の西方に位置する宮崎県東諸県郡国富町の法華嶽公園からその背後にそびえる釈迦岳を目指しました。
 車は前回訪れた時と同じく、綾町入野の運動公園駐車場に止めて、そこをスタートとして、法華嶽を目指しました。
 距離は約5kmちょっとですが、ずーっと上りです。時間にして約1時間はかかります。
 時期的に紅葉の季節を迎えていますが、今回、釈迦岳に登ることにしたのは山頂付近が赤く染まっていることを期待してのことです。
 スタートして約1時間が経過。予定通り法華嶽公園に到着しました。
 前回、来たのは4月始めで桜が満開の状態の時でした。
 それはもう見事なものでした。
 しかし、今の時期は春の明るさ、はなやかさはありません。
 家族連れを含めグラススキー客が10人ほどゲレンデを滑り、リフトが動いていますが、今日は日曜日。これでは人件費も出ないでしょう。
 公園周辺の木々は、さすが南国宮崎。照葉樹林が大半を占め紅葉どころか、どの樹も青々と繁っています。
 それでもところどころに黄色や真っ赤に染まった樹も見えます。
法華嶽公園 法華嶽公園 法華嶽公園 法華嶽公園
 公園横の急坂を上がること15分、法華嶽薬師寺横を過ぎて行くと、日本庭園がありますが、イチョウが黄葉している程度でモミジはまだ見頃には早すぎるようです。
 釈迦岳の登山口は、日本庭園を過ぎて少し歩いたところにあります。
 この辺りの標高は約300mくらいでしょうか。車でもこの近くまでこれます。釈迦岳の標高は800m余りですから実際に上がる高度は500mと言うことになりますが、私が車を置いた所は平地ですので、標高即ち800mを登ることになります。
 それでは、釈迦岳登山を紹介します。
 登山口まで車道が整備されていてバスも法華嶽公園まで通っていて遠方からでも来られます。
 標高もそこそこ、頂上は見晴らしが抜群で多くの人々が訪れる人気の山でもあります。
 山頂まで登山道が整備されていて老若男女、比較的気軽に登れる山でもあります。
 登山口からは山容は見えません。低い地点は道の両側とも杉林とシダ類が覆っています。
 道幅は広く5合目辺りまでは坂らしい坂もなく山道と言った感じですが、5合目を過ぎると少し急な坂道が現れます。
 周囲はカシ類や松などの雑木林に変わってきます。
 6合目にかかるところにベンチが設置してあり、ここから上は登山していると言う雰囲気の急坂に変わってきます。

6合目ベンチ

6〜7合目の急坂

6〜7合目の急坂

6〜7合目の急坂
 岩肌や木の根が露出して歩きにくくなりますが、ロープが張り巡らされ、時には階段も設けられていて助かります。
 この辺りから頂上までは少々厳しい上りが続きます。登山口から頂上までは約4qほど、時間にして1時間半から2時間もすれば頂上にたどり着くことが出来ます。
 道の両側は木々がさえぎりほとんど遠望は利きません。しかも、天から冷たいものが降ってきました。量的には知れていますが、このところのウォーキングは、うす曇りや小雨と、秋らしくない天気が続いています。
 この山に登るのは私にとって20数年ぶりのことです。
 当時は、時間があればよく登り、頂上直下の南に面した日当たりの良いところで、沖縄の米軍基地から電波に乗ってやってくる英語放送のFEN(極東放送)を短波ラジオで聴いていたものでした。
 そのころと比べるとかなり登山道も整備されている印象を受けました。
 ただ、ラジオを聴いていた場所は登山道から少し外れたところでしたが、木々が成長し、昔のイメージとかけ離れていて見つけることができませんでした。
 9合目を過ぎると頂上はすぐですが、この日は初老の3人連れと、単独登山が二人、それに親子4人の家族登山と、途中すれ違いました。これが全てです。
 車のあるところから出発して2時間30分、やっと頂上に到着しました。
 祠(ほこら)があり、お賽銭を入れて健康を祈願しました。雨はほとんど止んでいますが、残念ながら見通しがよくありません。
 天気がよければ、東は遠く宮崎市や太平洋まで、南は霧島の山並まで素晴らしい眺望なのですが、今日はどうやら無理のようです。
 頂上付近の紅葉を期待していたのですが、小ナラの紅葉をカメラに収めましたが、他はところどころにモミジの真っ赤な色が見えますが、カメラでは撮れないところばかり。
 時計は3時少し前、そろそろ下山しなくては・・・。
見頃はまだ先 山頂は視界不良 ナラ科の紅葉 ナラ科の紅葉
 登山口まで下りれば車が置いてあると言うのなら有難いのですが・・・・。車を置いているのはそこから5km先ですから。
 下りは登山口までほぼ1時間の道のりです。
 しかし、以前から傷めている右ヒザが、下りだして徐々に痛みだしました。
まだ9合目ですが、痛みはどんどん増してきます。
 左足でかばいながらソロリソロリと、腫れ物に触るように下っていきますが、この辺りはかなりの急坂、顔がゆがみます。
 まさに激痛。周辺に人は誰もいません。
 果たして無事に下山出来るのやら。標高830mの初級クラスの山ではありますが、不安が脳裏をよぎりました。
 8合目から6合目辺りまではかなり急な下り坂になっています。
 ロープや階段が設けられていますが、どうしても右ヒザをかばいながらの下山で激痛から脂汗が引きません。
 時間的には明るいうちに十分下りられる状況ですが、周りに人がだれもいないと言うのが不安を掻き立てます。
 何とか痛みに耐えながら6合目の休憩所まで下りてきました。
山頂の祠(ほこら) 山頂表示板 山頂からの眺望 山頂直下の山小屋
 「1度、病院で診てもらわないといけないな」ちょっと無理すると痛みだすでは満足なウォーキングは出来ません。
 6合目から5号目にかけて道の状態は大きく変ります。
 それまでの急で岩や木の根がゴツゴツした登山道から道幅が広くなります。
 足場はジャリが敷き詰められた感じですが、この区間も油断が出来ません。
 足場はよくなったものの長い長い直線の急な下り坂が続きます。
 ジャリで足を取られ、そのたびに右ヒザに激痛が走ります。
 山頂を出発してまだ40分ほどですが、もう何時間も下っているような感覚です。
 やがて5合目まで下りてきてやっと、道が緩やかになりました。周りの木々も杉林に変わってきました。杉の根元にはシダがじゅうたんのように繁茂しています。
 ところどころ、まだ、土が掘り返されたばかりの跡が見られます。
 おそらく、イノシシが山イモ即ち自然薯(じねんじょ)を口にするためにキバを使って掘り返したのでしょう。
 人間にとっても珍味で最高のグルメ、スタミナの源である自然薯堀りの技はイノシシの得意とするところです。
 季節的に今からがピークで至るところで人間とイノシシの競争の跡が見られます。
 3合目を過ぎた前方の道の脇から突然イノシシが2頭飛び出してきて、反対側の林の中に消えて行きました。
 今頃の季節には良く目にする光景です。
 ヒザの痛みは相変わらずですが、約1時間で登山口まで下りて来る事ができました。
 ホッと一安心です。
 しかし、車を置いているところまでは、まだあと5kmはあります。
 ここからは、自動車道ですが、まだ標高は300mほどあり、下りの坂は続いていきます。
釈迦岳登山口 身投げ展望台石碑 身投げ展望台 展望台のいわれ
 途中「身投げ展望台」と言う物騒な名の展望台に寄って休憩し、先を急ぎました。
 夕方5時前ですが、今日は曇り。辺りの暗くなるのもいつもより早いようです。
 そして、5時を15分ほど過ぎて車へ辿り着きました。
 車の横のベンチに座ると、ドッと疲れが出たように感じました。
 痛い思いをしながら何とか完走したのが最低限のノルマだったのですが、右ヒザがこんな状態ではあまり無理はできません。
 往き際、綾町の町全体の道端に植えてあるエンジや黄色のケイトが鮮やかで、特に綾北川沿いに植栽されているのがキレイで帰りにカメラに収めるつもりでしたが、辺りは暗くなってしまいました。
見事なケイト 見事なケイト 綾からの釈迦岳
 近い内撮りなおしに来るつもりです。
身 投 嶽 展 望 台
 平安時代の頃、女流歌人和泉式部が、悪病にかかり法華嶽薬師寺に参籠して大慈大悲の仏の御手にすがってひたすら読経を続けて平癒を祈ったが、少しも効果がなく、我が身の業を嘆き生きる望みも絶え果て「南無薬師諸病悉所除の願立てて身より仏の名こそ惜しけれ」と辞世の一首を残し、千尋の谷底に身を投じました。
 しばらく気を失っていた式部は、あかねの日かげに薬師如来の御姿を見て「村雨はただひと時のものぞかし己が蓑笠(身の瘡)そこに脱ぎおけ」の御返歌を賜り正気に戻ったとき、悪病は平癒して再び玉の姿となり、喜んで京へ旅立ったといいます。
 ここはその伝説が残された地であり、宮崎平野を一望できる眺望絶景の地です。
                                              国富町


宮崎県南西部野尻町の山間部をウォーク
 先週の日曜日、10月12日は仕事で動きが取れず、次の日は会社のソフトボール大会がありました。ウォーキングとソフトボール、同じ運動に違いありませんが、投げて打って走るソフトボールなど、つい何年か前まで軟式野球を毎週のようにやっていた私には、その時の感覚が身体に染み付いていて、軽ーく考えていました。
 まして、会社のレクリエーション。たいしたことはないとタカをくくっていました。
 ところが、チョットと打ってチョット投げただけで、翌日までその影響が残るのですから、軽いショックを受けました。
 そんな訳で翌日は代休に、雨が重なりゆっくり静養を決め込みました。
 で、今日10月19日に2週間ぶりにロングウォーキングに出かけました。
 このところ日南海岸や米良街道を主に歩いていましたので、今回は久しぶりに、県の南西部に位置する西諸県郡の野尻町、それも小林方面行きの国道268号線は、いつも通っていますので、そこは避け、野尻町の北部に連なる山間部から霧島連山の写真を撮るつもりで、コース設定しました。
 とはいえ、この方面は今まで行ったことが全くありません。
 どんな風景が待っているのやら行ってからのお楽しみと、いつもの行き当たりバッタリのウォーキングです。
 いつも出かけていくのが昼過ぎと遅く、目的地に着いてから歩き始めるまでに、無駄な時間を要していましたので、今日は少しでも早くスタートしようと、昼前に出かけて行きました。
 しかし、昼前ですのであまりいつもと変わりませんが・・・。
 宮崎市高岡町の一番西端に浦之名川が流れています。この川は大淀川に注ぐ支流です。
 この川沿いを上流に歩いたのは今年の春でしたでしょうか。
 上流に上って行きますと、ダムがあります。今日は、この浦之名川を渡りしばらくすると、野尻町紙屋地区まで国道268号線の上りが続きますが、その上りの途中から別れ、右折して適当な場所に車を停めてから歩くつもりです。
 右折してから杉林の上りが続き、なかなか車を停めるところがありません。
 1kmほど走って、ようやく駐車出来るスペースがありましたので、今日はここからスタートです。
 周りは杉林。前方は依然として上っています。
 道幅4〜5mの道路の所どころには高岡・奈佐木線と言う標識と距離表示がありました。
 歩き始めて10分もすると、杉林から雑木林へと変わり、ポツン、ポツンと民家が点在しています。
 バスの停留所まであります。駐車したところから「上って行けば、すぐに山の中」と、想像していましたので、この展開は意外でした。
 しばらくはこんな光景が続きます。そして、秋社(あきしゃ)と言う集落からいよいよ山へと道は向かいます。
 これから先は、先に紹介した高岡・奈佐木線と言う林道です。
 よく国道268号線を通っていて野尻町から北部の山を見ると、山の上部に道路を連想させるセメント壁が見えます。
高平山620m 野尻から小林へ 小林から野尻へ 須木の旧地名も
 果たしてこれから歩く先は、どうなっているのか、いつものことながら、初めて経験する道や地域は私の胸をワクワクさせます。
 もちろん、今回もそうです。道は割りと整備されていますが、普通車以上のすれ違いは、出来ないほどの道幅です。
 木々は道の上を覆っていて太陽の光は、所どころから漏れる木漏れ日程度。
 まさに林道の風格十分と言ったところでしょうか。
 そんな道路ですが、これも予想に反し、急な上り坂はあまりありません。
 緩やかな上りと急なカーブが延々と続いています。
 と、前方を1匹の大人のサルが横切っていきました。
 今年は、台風が来なかったので山には、クリをはじめ、エサは十分あるのでしょう。
 そう言えば2〜3日前のニュースで今日は、宮崎、鹿児島、熊本、大分の4県の県境付近でシカの一斉駆除が行なわれるそうです。
 木の芽や、農作物に大きな被害が出ているとのことで、4県合同での一斉駆除だそうです。
 私は山の中を歩き始めてちょうど1年になりますが、そんなにシカが増えているとは、分かりませんが、山道の至る所にメスジカ狩猟可と言う標識は見かけます。
 ところで、道は相変わらず木々が覆いつくすように、繁茂しています。
 山道に入って1時間以上経過しましたが、国道268号線から見えた尾根伝いの道には出くわしません。それどころか、前方には、高い山がそびえていて霧島方面とは全く逆の方向、つまり山の峠を越えて宮崎市の奥座敷綾町の照葉樹林の方に向かっているような感じです。
 歩き始めて2時間ちょっと。林道沿いに適当な場所を見つけて昼食を取ることにしました。
 メニューは相変わらず、おにぎり2個と、菓子パン1個です。
 そういえば、このところバナナは入れていませんね。
 でもこれで十分な量です。これに1リットル入りのペットボトルを携行しています。
 昼食時はただ、おいしく頂くだけ、食べ終わったらすぐに出発です。
 それにしてもカメラに収めるものが見当たらないですね。
 霧島方面の風景を撮ると言うプランはとっくに頭から離れています。
 やっぱり綾町方面に向かっているようです。
 と、前方で茶色の小さなヘビが丸くなっています。
 近寄っても、石を投げても動く気配がありません。色ツヤはいいのですが、今朝方の冷え込みで仮死状態なのでしょうか。
寒さで動けず 寒さで動けず 岩前の農村風景 高平山620m
 取りあえず写真に収めました。
 こんなにがてなものを収めなければならないほど被写体がありません。
 ずーっと林道沿いは木々が生い茂っていて見通しがききません。したがって、撮るものがないのです。道はいつの間にか少しですが、下っています。
 前方からせせらぎの音も聞こえてきました。
 やっと目の前の景色が見える場所がありました。ちょうど真正面に800mほどでしょうか、形の良い単体の山が見えます。
 下方を見ると、池のような水溜りが見えます。
 ここは一体どこなのでしょうか。山の麓には民家らしき家も何軒か見えてきました。
 しかし、私が立っている所はまだまだ山のかなり上の方です。
 もっと近づいて写真を撮ることにし、先を急ぎました。
 前方の風景がどこなのか気になりますから。
 しかし、パッと広がった景色は先ほどの場所だけで、また両脇の光景はほとんど見えません。
 ただ、せせらぎの音は相変わらず続いています。
 しかも、かなり前方へ移動したにもかかわらず、平行して続いています。どうやら川のようです。
 私の事前調査にはこの辺りに川や池のような水溜りはないのですが。不思議です。
 少しずつ下りながら色々頭をめぐらしましたが、なかなか飲み込めません。
 そして、先ほどよりもっと見通せるところがありました。
 結構、大きな川が流れています。
 この辺りでこんな川の心当たりは全くありません。
何と言う川か非常に気になります。
 ようやく平地らしき所まで下りてきました。川の対岸に民家があります。道も通っているようです。
 前方に橋が見えてきました。
 近づいてみると、岩前橋と書いてあり、驚いたことに川名は浦之名川と書いてあります。
 まさかこんな所に浦之名川があるとは。
浦之名川の渓流 浦之名川の渓流 浦之名川の渓流 浦之名川の渓流
浦之名川の渓流 クワガタ街道 広沢集落 広沢ダム湖
 一山グルリと周って流れているのでしょうか。
 とするとさっき山の上方から見た水溜りは浦之名川をせき止めて造ってある広沢ダムと言うことでしょうか。なんか不思議な感じです。
 かなり山奥まで入ってきているはずですが、割と開けた空間に民家が点在し、予想もしなかった川が流れている。
 普通に見れば、ありきたりの光景なのですが、位置関係などを考えると、頭がこんがらかりそうです。

 初めて訪れる所は、常にどんなところか想像を巡らせて歩を進めるのですが、今回訪れた野尻町からの行程はその想像が誤算の連続でした。
 霧島連山が見えるどころか、見えたのは野尻町の北部に位置する綾町の照葉樹林であり、山が連なった山奥の標高の高いところを進むものと思っていたのに、平地に下り、しかもそこには結構大きな渓流が流れている。
 この川には驚かされました。季節は過ぎましたが、歩いていて疲れたり暑さを感じたらすぐにでも飛び込める程度の水底で、魚影も濃いそうに感じました。
 道は岩前と言う集落に架かる橋のたもとで広沢方面から上ってきた道と合流して、さらに上流へと続いています。
 浦之名川を横目に見ながらのウォーキングは、楽しいものです。
 川をのぞくとハヤやウグイガ見えます。入水権と釣りのための鑑札を扱っている民家があるところを見ると、ヤマメなども釣れるのでしょう。
 車はほとんど通りません。山を越えて平地に下り20分ほど歩いたでしょうか、川を見ながら上流に向かっていると、1台のエビ茶色の軽のワンボックスカーが通り過ぎ、約10m位行ったところから私のところにバックしてきました。
 道でも聞くのだろうか、それとも車に乗せてくれるのでしょうか。まずそんな甘いことはありませんが、私の横までバックしてきて、やおら窓を開け、「こんな山奥で何をしょっとか?」と、ケンカ口調で聞いてきました。
 「ただ、歩いているだけじゃ!,それがどうした?」「なんだこいつ」こちらも応戦するように身構えました。
 と、「オレじゃが」と、くだんの男性はサングラスをはずしました。
 よーく見ると会社の同僚じゃありませんか。なんとなんと、こんな車も通らない山奥で会社の同僚に偶然バッタリ出会いました。
 もちろん、事前に話しをしたはずもなく、まさにまさかと言った感じです。
 かなりの時間歩いてきていきなり、強い口調で声を掛けられた時は何ごとかと思いました。相手もまさかと、興奮していたのでしょう。同僚とわかり大笑いです。
 聞くと渓流釣りのベテランで、暇を見てはあちこちの山に入っているとのことでした。
 彼は、この浦之名川筋にも良く出かけてくるとのことで大変詳しく、川や渓流釣りのことなど、いろいろなことを話してくれました。
 ただ、こちらも予め想定時間を定めていましたので、進む方向の情報を伺い、時間を見計らって分かれました。私もビックリしましたが、先方もかなり驚いていたようです。
 彼はこの辺りのことを詳しく話してくれました。
 その話しの中で「クワガタ街道」は、私の好奇心を掻き立てました。
 つい数年前までこの筋はクワガタムシの宝庫で1時間も採集すれば2〜300匹は採れていたと信じ難い話しをしてくれました。
 なるほど、周辺を見渡すと、確かにコナラ、クヌギなどクワガタやカブトムシが寄りそうな木々が、無数に繁茂しています。
 ただ、ここ最近は、業者が目をつけた樹の根の部分にいる幼虫を根こそぎ採集していき、数が激減していると話していました。歳はもう50代半ばですが、昔を懐かしみながら、よどみなく話してくれました。
 ところで、野尻の車を停めてきたところからこの辺りまで約2時間30分経っていますが、道自体はさほど悪くなく、折角ですからもう少し渓流沿いの道を上に向かい景色を楽しみ、来た道を引き返すことにしました。
雲の高平山 広沢集落
 時計はちょうど午後の3時です。
 先ほどの同僚が話していましたが、「この辺りは曇ったら雨は早いよ。」と言うことばが脳裏をよぎりました。
 広沢方面と合流した岩前集落の背後にそびえる高平山は標高620mほどですが、トンガリ三角形の山体は、自然の造形美と言いましょうか。麓の集落とよくマッチしています。
 往きの時点で一ヶ所キレイに写真に収められる開けたところがあったのですが、先を急ぐために帰りに撮ろうとやり過ごしました。
 往きはもちろん天高くと、素晴らしく晴れ渡っていたのですが、岩前橋を過ぎたころから、雨粒が落ちてきました。
 カサやカッパなどは用意していません。この橋のたもとから約2時間の上りに入ります。まだ、雨は小降りですが、辺りにガスが立ち込めてきました。
 これでは、いい写真は撮れません。往きに撮っとけばと後悔しても後の祭りです。
 上に上るに従い雨脚は強くなってきましたが、幸いなことに林道の大部分は、上空を大木やスギの樹が覆っていて思いのほか、濡れません。
 これには助かりました。そして、高平山が撮れる地点まで戻ってきましたが、案の定山の上部は霧がかかり、全体像を撮ることはできませんでした。
 「仕方ない。11月はこの辺りは紅葉がきれいだろうな。」時間があればまた来よう。
 雨に濡れるのを避けながら、足早に車に戻るころには、辺りは暗くなっていました。


宮崎・加江田から好隣梅方面へ

自生しているカンナ
 今週は、日曜出勤だったので、月曜日の休みは、人出が少なくどこでも気兼ねしないで歩くことが出来ると前々から楽しみにしていました。
 しかし、このところ秋雨前線が日本の南海上に横たわり、その上を台風が通過したりして、なかなか天気がはっきりしない日が続いています。
 この日、つまり2008年10月6日も午前中は、雨が降ったり止んだりのあいにくの天気になりました。そこで、はっきりしない天気が上がるまで、こちらは、はっきりし過ぎているサブプライムローン問題。
 これに端を発して銀行、証券などが次々と破綻や救済合併など、金融界が危機的状況に陥った、アメリカの株式市場を見て、日本の市場がどう動くか見極めるため、日経CNBCを観ることにしました。
 株価や金融にも少なからず関心がありますので、アメリカばかりではなく、日本やアジア各国、ヨーロッパなどのEU諸国と、全世界に広がり続ける金融危機は、まさしく他人事とは思えない私にとっても大きな問題です。
 昼前雨が止みましたので、市場動向を頭に入れ、自宅を後にしました。行先は、南の方角です。
 空は雲っていますが、雨は降っても大した量にはならないでしょう。
 今日は、久しぶりに加江田から、梅で有名な「好隣梅」の上部を経由して、林道を通り折生迫から青島を通って、再び「好隣梅」に戻ってくる周回コースを選びました。
 実は南斜面は2週間前、歩いたばかりで新鮮味に欠けますが、午前中の雨で遠出が出来ませんでしたので仕方ありません。
 それでも、このところ気温が上がらず、たった2週間前来た時と比べても、かなりの山の様子の変化に驚かされました。
 道をふさぐほどの勢いで、繁茂していた雑草はますますその勢いを増したように、思えますし、全く気配さえ感じなかった外来種のセイタカアワダチソウが、至る所で茎の上部に黄色い花を付けはじめていました。

セイタカアワダチソウ

ピラカンサの実
 この花が咲くと秋を感じます。
 次にいつ来るか分かりませんが、1〜2週間も経てば、旺盛な繁殖力からして、恐らく周りの景色は一変するほど、黄色の花が我が物顔で沿道を埋め尽くしていることでしょう。
 また、知らない内にピラカンサも真っ赤な実を付けていました。
 自然の世界の営みは凄いですね。
 季節が来ればそこにちゃんと芽を出し花をつけるのですから。
 そういえば、ススキもえび茶色の花を咲かせていました。
 実は先週、西都へ行く途中に撮るまで、パンパスグラスとススキを混同していました。
 宮崎の南西にエビノ高原と言う有名な保養地がありますが、ここのススキの群生は見応えあるとのことです。
 一説には、秋になるとススキの花で高原一帯がエビ茶色に染まることからエビノ高原と言う名前が付いたと言われています。
 残念ながら今回、私が歩いたコースには群落はありませんでしたが、女性の長い髪のようにきれいに伸びた様は気品に満ち溢れています。
 ところで「好隣梅」と言う位ですからここの山には素晴らしい梅の木がたくさん植栽されています。
 1月末から2月中旬になると、白やピンク色の花が咲き、たくさんの人々が梅の花を愛でに訪れます。この冬、私ももちろん訪れました。
アワダチソウ アワダチソウ ピラカンサ ススキ
 ここの特徴は一ヶ所に集中的に植栽されているのではなく、広範囲の、ちょっと大げさに言えば、いわば一山に渡って梅ノ木、花を楽しむことが出来るほどスケールが大きいと言うことです。
 以前、訪れた時は、坂が急で上まで上るのをためらいましたが、今回来て見て、長くて急な坂の上にもたくさんの梅があるのを知りました。
 ただ、体力の弱い人には、少しきつい坂ではありますが、展望台も備えられていて、青島から遠くシーガイアまで見渡せることが出来ます。
 道路のすぐ脇には駐車場が完備してあり、その横には子供の国へと注ぐ伊福川の支流の渓谷が道路に沿って下っています。
 梅の花に、小川に、メジロやウグイスなどなど、時季になるとまさに絵になる光景が目の前で繰り広げられます。

一 ツ 瀬 ダ ム 湖 か ら 中 入 谷 川 を 上 る
 2008年9月27日、北から寒気を伴った高気圧が日本列島に張り出してきて気圧配置が変わり、きのうとは打って変わって暑さが遠のき秋らしい1日です。
 今日の休みは少し距離を伸ばそうと少し早目の午前中から自宅を出て、西都から一ツ瀬川を上ってダム湖を横に見て、銀鏡(しろみ)隧道手前を右に曲がって、銀眼集落を目指すつもりでいました。
 その前に昨年から気になっているモノがありますので少々遠回りをしてカメラに収めることにしました。パンパスグラスの小山です。

パンパスグラスの小山

パンパスグラスの小山
パンパスグラス パンパスグラス パンパスグラス パンパスグラス
 これらの写真は西都市都於郡で撮ったものです。
 西佐土原から三納、三財方面に向かう道路沿いの小山を埋めています。
 以前はもっと山全体を埋め尽くしていたそうですが、高齢で手入れがなかなか出来ないと近くにいた方が話していました。
 パンパスグラスは、 (和名シロガネヨシ) で、イネ科 コルタデリア属の多年草の植物です。
 原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどで南米大陸の草原(パンパス)に群生しています。
 高さ2〜3m程度と大きく成長し、細長い葉が根元から密生して伸びていきます。
 8月から10月にかけて、垂直に立ち上がった茎に長さ50〜70cmの羽毛のような花穂をつけます。
 色はややピンクがかった白銀色です。
 大きく成長し、花穂をつけた姿は見栄えがしますので、公園・花壇の植栽や道路分離帯の緑化などによく用いられます。
また、花穂は活花やドライフラワーに使われたりします。
 主に株分けで増やすします。
 葉はススキと同様に縁が鋭いため皮膚を切りやすく、注意が必要です。
 手入れや伐採時には手足を保護できる服装が望ましいでしょう。

咲き誇るヒガンバナ

咲き誇るヒガンバナ
 さて、国道219号線は何度となく通っていますが、銀の鏡と書いてシロミと呼ぶこの地区には、まだ行ったことがありませんでした。
 今回選んだのは、それだけの理由です。 まだ行ってないから新しい発見がある。
 しかし、何もないかもしれません。
 私のウォーキングのポリシーは行けば何かがある。まだ行ったことのない所を訪ねる。この2つです。
 で、「確かに朝、早目に自宅を出て、一ツ瀬川沿いに車を走らせ銀眼隧道を目指す」と。
 まあ、ここまでは計画通りに進みました。
ダムが出来る前の一ツ瀬川には多くの支流が流れ込んでいたと聞いています。
 現在の巨大な一ツ瀬ダム湖にはそれら支流が水中に沈み迷路のように入り江がたくさんあります。
 それらの入り江を上っていくとキレイな谷川が流れています。
 銀鏡を目指していたところ、戸崎バス停と言うバスの停留所から入り江になっている光景が、どうも気になり銀鏡まで行かず、途中下車し、戸崎のバス停から入った所に車を停めて今日は奥へ続いている入り江沿いの道を歩くことにしました。
 この入り江もダムが出来る前は中入谷川と言う支流のひとつでした。
 一ツ瀬川に流れ込んでいたと言うことでかなり奥まで入ることが出来るはずです。

 いつもの事ながら、初めてのコースを歩き始める時は何があるか、何と出会えるかなどなど、気持ちが高ぶリます。停留所があると言うことは近くに民家があるのでしょう。
名前が不明 ヒガンバナ 中入集落 上は龍房山
 それがどこにあるのか何軒くらいあるのか分かりません。
 入り江沿いを奥へ歩いていると、意外に早く中入谷川が姿を現しました。
まだ、歩き始めてから20分くらいしか経っていません。
 「これはかなり早く行き止まりになるかなあ」」と言う思いが頭をよぎりました。
 道も舗装はしてありますが、車がやっと通れる幅しかありません。
 40分が過ぎました。山が迫り道も昨日の雨の影響でしょうか、落ち葉がたくさん落ちています。
 もちろん車とは出会えません。ただ、小さいながらも中入谷川は水量豊富に道と平行して流れ下っています。
 道沿いには、彼岸バナが結構咲いています。と言うことは上流部に民家か、お墓があるはずです。
 歩き始めて約1時間ほど経ちました。前方に彼岸バナの群生がみえます。
 民家も見えてきました。1軒、2軒、3軒・・・5軒ほどあります。
 小さな田んぼに稲が実をつけています。栗の木も植栽されていて、金網が張り巡らされています。
 聞くとイノシシやシカの害を防ぐためだそうです。
 その民家の脇を上流へ上って行きました。上の方にも民家がありました。
 ここにも稲が植えてあります。家人はいなく留守のようですので先を急ぎました。
 すると100mもしない内に道が切れています。行き止まりです。
 この辺りが中入と言う集落のようです。なんだか大相撲の名前のようですね。
 仕方なく引き返すことにしました。ただ、集落に入る前に右の方へ通じる道がありましたのでそちらに向かうことにしました。
どこに出るのか? かなりの急坂 上には遠くに道? 上り道は遥か下
 舗装はしてありますが、道幅は車が通るのがやっとと言った具合です。
 少し歩くと下へ向かう道と、上へ向かう道に分かれています。
 そして、上を見上げると遥か上の方にガードレールらしき白く長いものが見えます。
 迷わず上に向かいました。道は一段と細くしかも坂が急になってきます。
 身体を前に倒し気味に少しずつ上って行きました。それにしても、かなり急な坂です。
 しかも、道は先ほど見た上方のガードレールが見えた地点より、少しずつ離れていっているように感じます。
 直線でズーっと先まで急な坂が続いているのを見ると、ほんとゾッとする位のハードさです。
 時間も午後の2時を回りました。
 適当な場所を探して昼食を食べることにしました。
 メニューは「いつものおにぎり」です。なるだけ見晴らしの良いところを選ぼうとしましたが、昼なお陽の光の差し込まない木々が頭上を覆っています。
しばらくして、なんとか少し開けたところを見つけて昼食にありつきました。
 食べながら上方を見ると、少し白いモノとセメントを塗りつけたガケが見えます。
 しかし、先ほど、見かけたところとは、位置的に全く一致しません。「別に道があるのだろうか」なかなか山の中に入ると、しかも初めてのルートは、全く先が分かりません。
 食事を済ませ、また急な坂を前進です。
 この道に入ってかれこれ40分は経ったでしょうか。ほとんど急な上りが続いています。
 そして、突然前方が明るくなり近づくと、なんと立派な道に出くわしました。
 なんと言うことか。こんな山奥にこんな立派な道とは。「何故だろう・・・・・?」・・・・・・。
 よーく考えて見ました。すると、心当たりにぶつかりました。
 「そうだ。この道は尾八重〜銀鏡線だろう。」5月に「有楽椿の里」を探して尾八重から上ってきて遠すぎて断念したあの林道に違いありません。

林道銀鏡・尾八重線後方は龍房山

龍房山直下から尾八重方面左へオサレ山
 それにしても立派な道路です。車は全く見かけませんが。
 とりあえず右折して、上って行くことにしました。
 そして、標識を見つけました。そこには「尾八重ー銀鏡林道平成9年完成」と書かれていました。これで謎が解けました。
 右折してから約25分位でしょうか、やっと頂上まで辿りつきました。
 ここは約1時間前、下から見上げた所です。
 上から見上げた地点を見ると、原生林の真っ只中に少しだけベージュ色の道が見えます。なんと遠いことでしょう。
 道路は、ここを境にして下っています。
 その前に、この頂上付近から南を見ると、遠くに一ツ瀬ダム湖の一部が見えます。
 上を見上げると霧島の山々がかすんで見えます。
 ただ、逆行ですのでカメラでは捉え切れません。
 西方には、龍房山や烏帽子岳が鮮やかに見えます。
 少し下って見ました。すると、道は遥か遠くまで続いています。尾八重地区までは相当ありそうです。
 そんな山奥ですが、所どころに伐採の跡が見えます。
 この周辺には、何本も一ツ瀬ダム湖に流れ注いでいる支流がありますが、これでは保水力が弱くなるのは当然でしょう。
 一般の人々はこんな山奥まで来ることがないでしょうから、山奥で行なわれている伐採など知る由もありません。
林道の標識が 龍房山1021m 烏帽子岳1126m 霧島方面
 この周辺は原生林もかなりまだ残っています。しかし、この貴重な自然も近いうちに、なくなっていくのでしょうか。
 そう思うと、悲しくなってきます。
 そうこうしている内に時間がだんだん過ぎていきます。
 今日はこの辺で後戻りすることにしました。
 約2時間ほどで車までたどり着くことが出来るはずです。
 尾八重ー銀鏡林道に別れを告げると、例の急坂が延々と続きます。
 転んで下りた方が早いような気がします。
 右ひざが悲鳴を上げています。
 出来るだけゆっくり、そして道端に落ちていた木を杖代わりに使って何とか車まで辿り着くことができました。
 ダム湖に注ぐ支流はたくさんありました。
 大き目の支流は深い入り江となり、ダム湖には何本か橋が架かっています。
 その造りはユニークでこの山奥を走るドライバーの目を楽しませてくれます。
 その一部を紹介します。
中入谷川橋 中入谷川橋 米良大橋 米良大橋
米良稲荷橋 米良稲荷橋 糸郷谷橋 糸郷谷橋

宮崎県日向市美々津周辺散歩
       その前にちょっと台風13号日南方面の被害を紹介
 2008年9月20日、台風13号は宮崎県沖の太平洋を北東に進み被害は農作物の一部が冠水、収穫期直前の水稲が倒れる被害が出ました。
 また、日南海岸を通る国道220号線は鵜戸神宮の先の小吹毛井地区でかなり大規模な崩落が起き、全面通行止めとなっていましたが、今日20日夕方に復旧したようです。
 このような崩落がどこで起きるか分からないのがこの道路のアキレス腱です。
 崩落時、日南市の油津地区では1時間雨量が80mm近くあり、崩落現場付近も100mmほどのの猛烈な雨が降っていたと推定されています。小規模な土砂崩れは、国道220号線の崩落現場とは海を隔てた鵜戸神宮への参道道でのものです。直線距離にして2km程度でしょうか。その他にも小規模な土石流などが発生しています。下の写真は9月21日に撮ったものです。
日南崩落現場 日南崩落現場 鵜戸灯台裏手 鵜戸トンネル出口
鵜戸神宮周辺図 鵜戸神宮周辺 鵜戸神宮周辺 奇岩説明看板
サンメッセ周辺 サンメッセ周辺 あれっ方角が? あれっ方角が?
最近の台風やゲリラ豪雨の降り方は尋常ではありませんね。だからトンネルがどうしても必要になってきます。
 ところで、今日20日は昨夜、延岡で飲み会があった関係で県北を歩くことにしました。
 で、日向市南部のリゾート温泉施設サンパークに隣接する「道の駅日向物産館」に車を停めて国道を南へ目指しました。
 実は、5月でしたか、ここに車を停めて、美々津から太平洋に注ぐ耳川を渡って上流に歩いたことがあります。
 旧跡もいくつかありましたが、そのままになってしまいました。
 今日はこの耳川右岸に開ける美々津の町並をカメラに収めようとやってきました。
 普段は国道を通り過ぎるだけで実際に自分の足で歩くのは今日が初めてです。
 耳川に架かる美々津大橋を渡ると信号があり、そこを左折すると美々津地区を象徴するような江戸から明治時代を再現した商家が立ち並んでいます。
これ目印です 昔が蘇ります 昔が蘇ります 昔が蘇ります
昔が蘇ります 昔が蘇ります 昔が蘇ります 昔が蘇ります
昔風共同井戸 昔風公衆トイレ 昔風消防車庫 昔風お寺
歴史民族資料館 左の建物の説明 美々津町並紹介 石敷道路の紹介
美容室 典型的民家 典型的民家 典型的民家
 
 信号のカドに「美々津町並保存地区」の大きな看板が掛かっています。美々津は遠く神話の時代、神武天皇東征の時の船出の地として知られ、それにまつわる多くの伝説や遺跡が残っています。
 江戸時代は、高鍋の秋月氏の支配下にあって、藩の重要な港として藩船碇白泊となり、海上交通の要地でした。中町は現在も町並みがよく残されており、中央付近の東側に「元回船問屋旧河内屋」があります。
 もとの持主が、土地・屋敷ともども日向市に寄付し、昭和55年に市有形文化財に指定され、改修して「歴史民俗館・資料館」として有料(大人200円)で一般公開されています。
 中庭や蔵などは、当時の商家をそのままに再現されています。
 箱階段や虫籠窓、京格子と京都や大阪の町家造りを取り入れた建物内では、大福帳やそろばん、文机など商売で使われていた道具類も見られます。
 回船問屋だっただけに、2階からは美々津の海が見えるようになっています・・・・・・・・・・・・。

 ほどなく四差路があり、左折すると耳川方向です。まずそちらに歩いていきました。
 目の前に飛び込んできたのは細長くて10mほどの碑です。
 碑には「日本海軍発祥の地」と書かれていました。まさに「ヘェーッ」と言う感じです。
 傍らに大きなイカリが展示してありました。日本海軍は、天皇が統治された海軍で有りました。
 このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、発進した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。
 碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたものであります。
 この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたのであります。                                         
(この項、碑文の説明から引用)
立磐神社 立磐神社 立磐神社由緒
保存樹クス
海軍発祥の碑説明 イカリの説明
海軍発祥の碑
由緒あるイカリ

 その碑の奥には、立磐神社(たていわじんじゃ)があります。この神社が耳川河口にあり、神武天皇と住吉三神を祀っている神社です。
 「都農一宮神社の先で、天孫瓊々杵尊もお通りになられた大御神社手前に耳川という川が流れています。
 その河口の水深は深く、近くには山々が迫り、船を造るための木材が豊富にございます。
 そして、腕のいい船大工や水夫も沢山いて、村人も素直で勤勉なものが多いと聞いております」それを聞いた神武天皇は「そうであれば美々津を出発の港と定めよう」といったような評議があったのでしょう。 神武天皇は、美々津に到着して「神の井」(新町の八坂神社内)に行宮を造り、出港までの住まいとしました。耳川の河口から上流約2.5kmの所に余瀬という土地があり、そこの神立山から木材を切り出してきて、匠ヶ河原で船を建造しました。
 神武天皇は立磐神社の境内にあって、今は御腰掛岩というようになった岩に腰掛けて、あれこれ指図をしていたそうです。
 軍船も完成して港に集まり、水軍の訓練も進み、いよいよ(旧暦)8月2日を出港の日と決めて、遠見の山で凧を揚げて風の方向を調べたり、船を沖合いに出して潮の流れを調べたりしていました。
 (遠見山では今でも秋凧といってこの時期に凧を揚げる習慣があります。)
 ところが、予定より一日早い八朔の四更(旧暦8月1日の午前2時)の頃に遠見山の見張り番が、風向きも潮の流れも今がいい、との報告があって急に出発すことになりました。 
 それを聞いた村人達は、「おきよ、おきよ、出発されるげな」と家々を起こして回ったそうです。
 村の男達は出発の加勢に出向き、女達は献上する予定であった団子をつくる時間もないままに、その材料の米粉と小豆を混ぜ合わせて、捏ねて、蒸して、臼で搗いて、団子らしきものを作って差し上げました。
 このときに、御腰掛岩に立って進み具合を見ていた神武天皇の衣服のほころびを見つけた少女に、天皇は立ったままで繕わせたそうです。
 それ以来、美々津のことを「立ち縫いの里」というようになりました。
 夜明けに立磐神社と向こう岸の湊柱神社に武運と航海の安全を祈願して、いよいよ出発することになりました。
 神武天皇の軍船団は美々津のすぐ沖の七ツ礁(ばえ)と一ツ神(かみ)の間を通って東征に向かいました。
 それ以来、美々津ではこの二つの礁の間を「お舟出の瀬戸」と呼ぶようになり、以来この間を地元の人は通らないようになりました。
 二度と帰ってこない人にならないように縁起を担ぐようになったからです。
 
 以前はよく、私もこの七ツ礁に釣りに出かけていましたが、船頭からその話は何度も聞かされていました。
 プレジャーボートはともかく、漁に出る漁船はそうした昔からの言い伝えを守っています。
 その後、美々津では、8月1日に「おきよ祭り」が行われるようになります。
 急ごしらえの団子は「つきいれもち」と呼ばれる美々津の有名なお菓子として、今も受け継がれています。
 郵便ポストも昭和を思い出しますし、個人宅のポストや新聞受けも昔風に作られ、それら整然と整備された町並を見ながら歩くと、昔の栄えていた頃の様子が脳裏に浮かびます。
 町の南端の駐車場にある公衆トイレも茶色と白色で造られ趣きを醸し出していました。
 ただ、町中を歩いていて気づくことは若い人がいないと言うとことです。小中学生も見かけません。
 縁側に座っているのはおばあちゃんやおじいちゃん、「歴史民俗館・資料館」のガイド・案内もかなり高齢者です。
 この地区も過疎とともに高齢化が進んでいるのを痛感しました。

 
美々津の町並をひと通り周ってから南へと歩を進めました。
 国道10号線に架かる石並川と言う小さな川を渡り、国道から離れて海沿いを南下します。
 この辺りに来るのは何十年ぶりでしょうか。以前はブロイラー工場があったはずですが・・・・・。
 日本で有名な大きなハム工場を筆頭にいくつか工場が操業していました。
 ブロイラー工場もありましたが、こんなんだったかなあと、記憶とは違っていました。
 国道から別れて20分ほど歩いたでしょうか、道の西側に並ぶ工場の隙間から大き目の建物が見えてきました。
リニア実験塔跡 リニア実験線跡 実験線と日豊線 実験線と日豊線
実験線と日豊線 実験線と日豊線 実験線と日豊線 風洞実験施設跡
 カベにはJRの大きな文字が見えます。その下に「鉄道総合技術研究所」の文字が見えます。
 そうこれが、あの有名なリニアモーター式鉄道の研究開発の基地だった建物です。
 1977年(昭和52年)に、ここ日向市美々津から東都農までの約7qの間で実験線が開設されました。 当時は、実験が成功すれば未来の夢のリニアモーターカーが宮崎を走ると県民こぞって賛成したものです。
 何しろ当時の国鉄の技術は世界の最先端を走っていてリニアモーターカーも将来の高速鉄道として大きな期待を背負っていました。
 そんな施設にはたくさんの研究者や政治家が視察に訪れたり、たくさんの一般の人々が見学に訪れたものです。
 実験は順調に進みトンネルを想定した風洞を取り付けた区間や人を乗せて走行する実験などが行なわれました。
 しかし、風向きが変わってきたのは昭和60年を過ぎた頃からです。
 まず問題になったのが単線であること、交差する時の影響が実験できません。
 それから実験線の距離です。7qでは十分なスピードを出す距離が短すぎるなど、将来の営業線として使用するには色々な弊害が出てきました。
 それからなんと言っても大きな影響を与えたのは政治家です。
 昭和63年に訪れた石原慎太郎運輸大臣は、視察を終えた後の記者会見で、「近代的な乗り物がブタ小屋や鶏小屋の中を走るのはなじまない」なんて、のたまい宮崎からの撤退を示唆しました。
 また、当時権勢を振るっていた自民党の金丸信氏の存在も無視できません。
 こうして、平成8年に宮崎での実験が終わりを告げ、新しい実験線は山梨県に設置されました。
 写真のように実験線の軌道や実験基地の建物は今もそのまま残っています。
 遠くから見ると、軌道が新幹線の高架に見えてしまいます。
その下を日豊本線が平行して走っていますが、電車の乗客は、「これ何?」と、尋ねるほど今は昔のことになりました。
季節は彼岸 季節は彼岸 季節は彼岸 季節は彼岸

久しぶりに青島ー内海 日南海岸
 台風13号が先島諸島をウロウロしていて、どうも気になります。
 動きからすると完全に夏の迷走台風です。
 台湾に上陸して向きを180度変えて南シナ海に後戻り、そしてこんどはゆっくりゆっくり沖縄方面に向かって北上を開始。
 ただ、暴風雨半径も消滅するほどに衰えましたが、周辺海域の海水温が27度と高いので海面からエネルギーを補給して少しばかり発達して北上すると、天気で予報しています。
 9月16日(火)、3連休が終わった直後の日南海岸を歩きました。
 この道はいつ以来でしょうか。たしか5月の連休以来ですから4ヶ月ぶりです。
 青島漁港先の白浜海水浴場近くの駐車場に車を停めて海岸線を6km先の内海まで南下して、山間部の林道を通って加江田に下りて、「こどものくに」、青島を横目に戻ってくる周回コースです。
穏やかな日南海岸 穏やかな日南海岸 穏やかな日南海岸 穏やかな日南海岸
 ところで、海上は予想と違い穏やかです。ウネリもありません。
 台風13号が南海上にあるので、かなり波があるものと思っていましたが、全く穏やかです。
 まだ距離的に遠いのと勢力が衰えてきたせいでしょうか。
 通常、この辺りを歩きますと平日でも多くの釣り人が竿を並べているのですが、今日は全くだれもいません。連休が終わったからでしょうか。
 それとも台風による海の荒れを予想してのことでしょうか。いずれにしても珍しいことです。
 確かに空は厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうな感じです。
 しばらくぶりにこのコースを選びましたが、釣り人以外あまり人が通らないので道沿いは草や潅木の天下です。
 よくもこんなに繁茂しているなあと感心してしまいます。その生命力の力強さに驚かされます。
 もっとも、誰も刈る人がいないので生えるに任せた結果がまるでジャングルのようになったのでしょう。 今まで夏や初秋に来たことがありませんでしたので少しビックリです。
 海岸線沿いは約1時間30分程度でしょうか。海から分かれる所が内海と言う町なのです。
 ここは港町で約2000トン程度の船まで接岸できます。石油の貯蔵タンクなどがあります。
 沿岸漁業も盛んで、ちょうど今の季節は9月1日に解禁された伊勢海老漁で賑わっています。
 海岸線から山間部へ向かう途中に長さ約100m程度の内海トンネルがあります。
 7月の中旬まで、観光客の車やトラック、バスがひっきりなしに通っていて渡るのもひと苦労していた観光道路でした。
 このトンネルの北方に日南海岸の一番の名所の堀切峠や道の駅「フェニックス」があり、道もこの1本しかなかったので観光、産業道路として非常に交通量が多かった道です。
 そんな観光名所をあざ笑うかのように、7月下旬に堀切峠手前から内海まで「堀切トンネル」が、開通しました。
 この新トンネルを通れば、観光の名所の堀切峠や道の駅「フェニックス」は通りません。
 トンネルを造った最も大きな理由は、自然災害対策です。
 今までの海岸線の道路は、台風や大雨が降ると土砂崩れが発生したり、一定量の雨が降れば通行止めになって沿線に暮らす住民の生活を、脅かしてきました。
 これで住民にとっては一安心と言ったところですが、宮崎県の観光面から見ると、大きな打撃でもあります。
花の名前は? 花の名前は? 花の名前は? 雑草の凄い繁殖力
 内海に堀切トンネルの出口があります。手前に前述の内海トンネルの出口があります。
 少し時間がありましたので、通行量を見ていました。
 やはり、新トンネルを通る車の量が圧倒的に勝っています。
 「道の駅は大変だろうなあ」と率直に思いました。
 いずれマスコミも開通後何ヶ月の通行量を新聞、テレビで発表するでしょうが。
 この内海からより西へ西へと進んでいきます。何とか空は持ってくれそうです。
 そして上り。かなりきつい上りです。
 歩き始めた頃は、ここの頂上までの最後の2kmは死ぬほど苦しかったのですが、こうやってウォーキングを曲がりなりにも続けていると、足が自然と前に出ます。
 体重も11kg減りました。今、歩いているのはほぼ週に1回です。
 それでも身体に効果が出てきています。本当は週3〜4回自宅周辺を歩きたいのですが、以前、夜にジョギングしていて石段につまづき膝と腰を強打し、腰はその時の後遺症で半年ほど痛みが取れず、ジヨギングはそこで辞めて、歩けるようになった1年半後の昨年10月にウォーキングを始めました。
 そろそろ1年ですか。しばらくはこのパターンで行こうと思っています。
 ところで昨年始めた当時の体重は82kgありました。

また、一ッ瀬川で恐縮ですが・・・・・・・。
 一ツ瀬川と言えば西都市、西都市と言えば渓谷。いままでの私の行動パターンです。
 しかし、今日2008年9月14日は、国道10線を北上し、一ツ瀬川に架かる一ツ瀬大橋の手前にある駐車場に車を停めました。
 ここは宮崎市佐土原町です。ここのところズーッと山の中ばかりを歩いていましたので、たまには平地を歩こうと思い、この駐車場を利用することにしました。
 と言いますのもこの横の一ツ瀬川沿いにサイクリングロードが通っていてここからだと西都市の西都原古墳まで整備された自転車道が続いています。
 距離にして約13km程度です。川沿いですが、川が大きすぎて流れはほとんど見ることは出来ません。堤防の上を何の変哲もない道がズーッと続いているだけで、退屈この上ありません。
 空は今にも降り出しそうです。川の右岸を西都市に向かって進んで行きますが、日曜日にもかかわらず、人っ子ひとりいません。
西都は花のマチ 西都は花のマチ 西都は花のマチ 西都は花のマチ
 すれ違ったのは親子4人のサイクリング家族のみ。周囲を見渡しても、のどかな田園風景が広がっています。草刈機の音がどこからともなく聞こえるだけで、あたりはシーンとしています。
 時折、カラスやハトの鳴き声が聞こえる程度です。道路は両側とも草が背の丈以上に茂っています。足元には名前を知らない花が咲いています。
 歩き始めて1時間ちょっと空から冷たいモノが落ちてきました。そんなに大粒ではありませんが、しばらくは濡れながら歩くことを余儀なくされました。
 10分ほど歩くと、水門があり天井がせり出していて格好の雨よけ場がありましたので、しばらく雨宿りをすることにしました。
 今年は台風が1個も上陸はもちろんのこと、接近もしない珍しい年です。
 まさに今が台風シーズン真っ只中なのですが、現在、南西諸島に台風13号があり自転車並のスピードで北上を続けています。しかし、発生から1週間以上を経過し、勢力も今日かなり衰えているようでたとえ接近、上陸したとしても心配ないはずです。
 今日のシトシト雨もその南の海上の台風の影響によるものです。
 雨宿りも20分を過ぎて雨もほとんど上がりましたので先へ進むことにしました。
 間もなくして道路が見えてきました。国道219号線です。
 この道路の下をくぐりぬけて100m先で西佐土原方面から続いている自転車道と合流です。
サイクリングロード 国鉄妻線跡 国鉄妻線跡 国鉄妻線跡
 この道は以前国鉄が通っていた所です。
 国鉄妻線は佐土原駅(当時は広瀬駅)から西都市内を通り米良街道の入り口の杉安駅までの間で運行されていました。
 昭和20年代から40年代は米良の杉が杉安に集められてここから貨車で運び出されていました。往時は大変賑やかだったと聞いています。
 しかし、40年代後半から、杉がバッタリ減り、道路事情も良くなり乗客もガタ減りし、いの一番に国鉄の赤字路線、廃止対象路線にリストアップされ、たしか昭和59年の11月で、廃止され約70年の歴史に幕が下ろされました。
 現在は、その跡地がサイクリングロードとして市民や愛好家に利用されています。
 上の合流地点の濁川橋のたもとには当時走っていたディーゼルカーの車輪が飾られています。

 歩き始めて2時間が経過しました。
 このサイクリングロードは、西都市内に入った途端整備が行き届いていて、沿道には花々やサルスベリの花、桜の木などが植栽されています。下の写真少しボケていますが、れっきとしたサクラです。

9月のサクラ

9月のサクラ

9月のサクラ

9月のサクラ
 そう言えば、何本も植えてある桜の内1本の木だけに花が咲いていました。
 もう1回書きますが、今日は9月14日です。以前、10月下旬に咲いていた桜の花を「狂い咲き」と書いたら花の愛好家の方からメールでおしかりを頂戴しました。
 桜には桜の事情があり桜も一生懸命生きているのだと。なるほどそう言うことなのでしょう。自然界は奥が深いと思いました。

 西都は西都原古墳が有名です。このサイクリングロードも、もちろんコースに入っています。
 しかし、今日はそちらには行く予定はありません。10月中旬でしたらコスモスが見事なのですが・・・。  途中から自転車道路から分かれて、もう1回一ツ瀬川に戻ろうとおもいました。
 何しろ初めてのサイクリングロードでしたので、いつの間にか彼の川が遠くに離れています。
 夏が終わっても川や海を眺めるのは私にとって、安息のひとときです。
 この一ツ瀬川も西都市内では川幅の広い雄大な流れです。
 しばらく、堤防を上流へと歩を進めました。ただし、今日の予定ではここまで。あとは白紙です。
 そういえば、途中少し回り道をすれば巨田(こた)神社があったのですが、ここまでくると後戻りはチョット無理です。
 この神社の水は海水と繋がっていて潮の満ち引きと同じ動きをする不思議な神社ですが、いつか訪れた時に紹介します。

 もう既に西都の北部まで来ています。
 ここまで来たら帰りは、一ツ瀬川を渡って高鍋方面か新富町経由と言うことになります。まず難関は川を渡ってすぐのところに、待ち構えている急坂です。
 結構、長くて力の弱いクルマはエンジンを目いっぱい吹かして上って行きます。
一ツ瀬川の堰 空自新田原基地
 上り切れば後は割と平坦地ですが、右に曲がるとかなり遠回り、真っ直ぐ行くと明るい内には車に辿りつけない。
 と言うことで斜めの道を選ぶことにしました。つまり新富町経由です。
 現在、台地の上を歩いていて、山はありませんが周囲はカンショでしょうか。
 たくさん植えられています。
 遠くに大きなパラボラアンテナがふたつ見えます。そうです。この新富町の台地の上には航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地があります。この基地の周回道路を通って進みましたが、歩くのは初めて。 基地のスケールの大きさには閉口です。
 結局、今回は時間にして6時間、距離にして27km歩きました。特別何もありませんでした。
 そういつもいつもハプニングと言う訳には行きません。今週は3連休です。
明日、あさってはどうしようか。問題は南海上の台風