★北海道★宮崎

北海道,宮崎

北海道★宮崎の片田舎から

            北海道と宮崎のページ

北海道と言っても正直なところ、 宮崎生まれの私には、縁もゆかりもない遠い北の大地くらいにしか思えません。だからこそ、そんな 北海道のいろいろなことを知りたくなりました。

私達 宮崎人は、暖かい気候にどっぷり漬かって、性格がおっとりしていて県全体にのんびりムードが、漂っています。

大自然の厳しさ、壮大なスケールの未知なる大地に魅せられ、南国宮崎の片隅から彼の地についてより知識を深めたいとの思いから、このサイトを立ち上げました。あらゆる方法で、知り得た北海道の情報を収集したいと思っています。

もちろん、宮崎育ちですので宮崎や九州のことにも触れていくつもりです。
ご訪問いただいた方々に少しでもお役に立てば幸いです。

関係する情報がありましたらよろしくお願い致します。

旧 北 海 道 庁
   

北海道を宮崎から紹介〜top

久しぶりアメリカ再上陸【前編】

久しぶりアメリカ再上陸【後編】

宮崎の立体魚拓


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宮崎・名所no5

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宮崎の高校野球2

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宮崎の植物をランダムに紹介
 
宮崎は花がいっぱい!

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宮崎2016春夏花物語

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北海道って聞いてどんな所と思う?
ごく一般の宮崎の人々が、北海道に対して持つ印象を集めてみました
1、北海道は 広々していて気持ちが良い。
2、 寒そう
3、 ヒグマが怖そう
4、 北海道ミソラーメンが美味しそう。
5、 過疎が進んでいる。
6、 北海道にはアイヌ民芸ガ多い
7、 北海道にはスキー場がたくさんある。(スノボー)
8、 北海道の魚(特に鮭)やカニが美味そう。
9、 北海道には有名な温泉がたくさんある。

10 北海道の高校野球は強い
2016年3月26日北海道新幹線開業!!

北海道新幹線H5系車両
 北海道は昨年4月、先進国首脳会議(サミット2008)が決定してから、将にサミット一色に彩られています。
 さらに、今年に入ってからその北海道サミットへ向けての盛り上がりは大変なものです。
 2月に開幕する北海道最大の冬の祭典「サッポロ雪祭り」のメーンは、サミットに関連したものになるはずです。
 今年7月7日から3日間、洞爺湖を見下ろす風光明媚で、しかも警備には万全の体制が敷ける「ザ・ウインザーホテル洞爺」を主会場に、G8(米国、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、ロシア連邦、日本)首脳及びEU委員長が、一同に会した「先進国首脳会議」が、日本の北の台地・北海道で行なわれます。
 今年の主要テーマは、1.環境、気候変動、2.開発・アフリカ、3.世界経済、4.核不拡散をはじめとする政治問題です。
 日本での開催は、2000年7月の沖縄・九州サミット以来、8年ぶりです。前回のサミットでは、首脳会議を沖縄・名護市の万国津粱館(ばんこくしんりょうかん)、外相会議を宮崎シーガイア、そして蔵相会議を福岡市博物館と、分散しての開催でした。
それまで日本で開かれていたサミットの会場は、大挙して訪れるVIP警備に地方では自信が持てないと言う理由で、すべて東京で開催されていました。

鏡のような水面の北海道・洞爺湖
 しかし、この数年前からサミットに対する各国の開催場所は、静かな森の中や景観に優れた地方都市に誘致する傾向にあり、日本開催時も、その流れを模索していましたので、宮崎が早くから名乗りを挙げていました。
 当時、宮崎は日本有数のリゾート施設「シーガイア」を切り札に、誘致を官民挙げて推進していて、土壇場まで本命の福岡に一歩リードしていると言われていました。
 ところが、開催場所が、沖縄に決って一番ビックリしたのは、私たち宮崎県民でした。
 ほぼ宮崎に決まっていたのに何があったのか?その頃の大方の見方は、沖縄県知事選挙の結果で与党候補が勝利し、森首相が大きく沖縄に舵を切ったと言うものでした。
 宮崎の再生を願い、当時宮崎を引っ張っていたのが松形祐暁知事と、盟友の実業家・佐藤棟良氏でした。特に、佐藤氏は、ふるさと宮崎をこよなく愛し、「南海の楽園・シーガイア」と言うリゾート施設を立ち上げ、昭和40年代の新婚ブームの再来と、宮崎県の景気浮揚を図るのに必死でした。
 松形祐暁知事も行政の立場から、佐藤氏を全面的にバックアップ、二人三脚は、ほぼ順調に船出したかに見えました。
 事実、巨大な施設が完成、入社式は水着で全国的な話題を呼び、オープニングには、飛ぶ鳥を落とす勢いのイギリスのロックグループ“ポリス”のリーダー・スティングを呼び、CMも全国規模で大々的に流し、「シーガイア」の名は、瞬く間に全国区にまでのし上がりました。
 と、ここまでは良かったのですが、運が悪いことに、丁度バブル崩壊と重なり、ともに夢見てきた「ばら色の楽園」が音を立てて崩れ行き、年を追うごとに赤字の額は膨れ上がっていきました。
 2人の中には、何とかして再生させねばと言う強い気持ちが日に日に大きくなっていきました。
 そして、「サミット誘致」を起爆剤に再建を図るつもりだったのでしょう。
 結局、サミットは外相会合までしか誘致できず、翌2001年2月、負債総額3261億円と言う第3セクターで過去最大の負債を抱え会社更生法を申請しました。
「サミットが誘致できれば大きなインパクトを全国に与えることが出来る。」両雄には、そのことで頭がいっぱいで、サミットまで2年も引っ張り、その間に赤字は膨らむ一方。
しかも、サミットも期待していた首脳会議は沖縄に持っていかれ、残ったのは巨額の借金だけでした。


洞爺湖の眺望が素晴らしいザ・ウィンザーホテル洞爺
 さて、サミットですが、いつ始まったかと申しますと1975年です。
1970年のニックソンショック(ドルの切り下げ)や、第一次石油危機など混沌とした時代、問題が起きるたびにその都度集まって話し合うより、世界の首脳同士が1年に1度定期的に集まり常に意見を交換し合うのは大事なことと、フランスの当時の大統領・ジスカール・デスタン氏によって提唱され第1回目が、1975年フランスの緑豊かなパリ郊外のランブイエ城で始まりました。
 日本は、これまで4回開催、前回の沖縄・宮崎・福岡の地方開催以外は、すべて東京で開催されていました。北海道が5回目となりますが、地方開催は2度目のことです。
 因みに始まった当初は、文字通り先進各国の首相、大統領の『サミット』の集まりでしたが、1998年のイギリス・バーミンガムから首脳会議の前に、外相会合と蔵相会合が行われるようになりこれらを合わせて、現在はサミットと言われています。
 このサミットですが、発足当初からすると、参加国や外相・蔵相会議など世界のリーダーが一同に会し、さらに各国の会議に関係する官僚、政務・実務担当者・通訳などのほか世界中から報道機関が集まり、規模は大きく膨らみました。
 また、これら世界のリーダー達を警護するために全国から選び抜かれた警察官が動員され、まさにしらみつぶしの如く厳重な警戒をします。
 宮崎で行なわれたのは外相会合だったのですが、それでもウンザリするほどの検問攻めと渋滞で閉口したことを覚えています。
 北海道サミットは、同じホテルで各種会合が開かれるようですから、恐らく3ヶ月位前からは、関係者を除いてホテル周辺へは全く行くことも出来ないことと思います。
 特に、日本の場合の警備は各国での開催時と比べ群を抜いて厳しいことで定評がありますので、地元の人々は、おめでたい反面、不自由な生活を強いられることにもなります。仕方ないことかも知れませんが。・・・・
 また7月は、全国から観光客が押し寄せる北海道の観光の季節。部分的に売り上げが落ちることも覚悟しなければならないでしょう。
 また、交通機関も飛行機、鉄道、バス、タクシー、ハイヤーなど、一時的に不便なこともあることでしょう。
 逆に、当然北海道の名前は、世界に打電され、美しい洞爺湖をはじめ北海道の素晴らしさが、毎日毎日、世界に向かって発信されることでしょう。
 とかく、夕張市に代表されるように、暗く沈みがちな北海道の経済に計り知れないインパクトを与えるのは、間違いのないところです。

北海道洞爺湖サミット道民会議シンボルマーク

北海道洞爺湖サミット道民会議    URL http://www.do-summit.jp/
 「おもてなしの心」を持って「北海道洞爺湖サミット」を歓迎する取組を促進するため、北海道民会議の活動コンセプトを明確化した北海道らしいデザインのシンボルマークを公募により作成しました。
 北海道洞爺湖サミット開催に向け、オール北海道による歓迎・おもてなし気運の醸成を図るために是非ご活用ください。
                     『e笑顔で、おもてなし。』

 北海道の素晴らしさに自信をもって“おもてなし”をしたいとの想いをこめて、上向きのユーモラスなキャラクターでサミットへの期待感を表現しました。

マーク全体でecologyの「e」と北海道の大地の「みどり」、海の「青」をイメージしています。

                           (郷古幸恵さん(札幌市在住)の応募作品です。)

 
 このシンボルマークは道民会議の設立の趣旨に賛同し、「おもてなしの心」を持って北海道洞爺湖サミットを歓迎する取組を促進することを目的とするものであり、シンボルマークを使用する者の事業あるいは、それらに係る商品の品質やサービス等の内容などを保証するものではありません。
                                 北海道洞爺湖サミット道民会議事務局


      北海道洞爺湖サミット道民会議シンボルマーク使用取扱要領

 第1 趣旨
この要領は、北海道洞爺湖サミット道民会議(以下、「道民会議」という。)が定めた「おもてなしの心」を持って北海道洞爺湖サミットを歓迎する取組を促進するためのシンボルマークを使用する場合の取扱いに関し、必要な事項を定めるものとする。

 第2 使用目的
道民会議の設立の趣旨に賛同し、「おもてなしの心」を持って北海道洞爺湖サミットを歓迎する取組を促進することを目的とするものであり、シンボルマークを使用する者の事業あるいは、それらに係る商品の品質やサービス等の内容などを保証するものではない。

 第3 使用基準について
 (1)次の場合はシンボルマークを使用することができない。
・ 北海道洞爺湖サミットの意義、重要性が損なわれたり、同サミットを推進する上で支障の生じる恐れがあると認められる場合
・ 道民会議の信用又は品位を害すると認められる場合
・ 消費者の利益を害すると認められる場合
・ 特定の政治活動、宗教活動や個人の売名行為に関すると認められる場合
・ 公序良俗に反すると認められる場合
 (2)シンボルマークに関する著作権は、北海道洞爺湖サミット道民会議に帰属し、使用者がシンボルマークを自己のものとして使用することはできない。
 (3)使用に当たっては、基本デザインシステムに沿って使用することとし、シンボルマークの形状、配列、間隔や色調などは加工しないこと。

 (4)商品パッケージ等に使用する場合は、シンボルマークが商品名として消費者に誤認されないようなデザインとすること。
(5)商品の表示、安全性に関する事項については各種法律に基づき、使用者が全て責任を負うものとする。

 (6)各種印刷物等並びに商品にシンボルマークを使用する際にかかる費用は、使用者
が負担するものとする。
第4 使用申請手続き
 (1)シンボルマークを使用しようとする者は、道民会議事務局へ別紙様式1「北海道洞爺湖サミット道民会議シンボルマーク使用申請書」を提出しなければならない。
 (2)申請書には、使用デザイン案を添付することとする。
 (3)申請書は、原則として使用開始の2週間前までに提出することとする。

 第5 審査及び使用承認通知
 道民会議事務局は、申請書の内容を審査の上、使用の可否について、申請者へ文書で通知をする。

 第6 不適正な使用に対する措置
 使用を承認した場合においても、承認後に、虚偽の申請、承認の条件に反していることが発覚した場合には、道民会議事務局は直ちにその是正を命じるか、もしくは承認を取り消す。
                     附則
                        この要領は、平成19年10月19日から施行する。
 聞くところによりますと、今回サミット会場となるウィンザーホテルですが、開業したのが1993年6月、エイペックリゾートとして700億円の巨費を投じて、デベロッパーのカブトデコムが手がけて華々しくオープンしたとのことですが、これに融資した銀行が北海道拓殖銀行と来れば先が見えています。
 カブトデコムについては、当時、物凄い勢いで株が上がっていましたのでよく承知していました。ただ、内実が火の車と言うことは知る由もありませんでしたが・・・・。
 ウィンザーホテルは、開業後の1998年に倒産の憂き目を見ましたが、遠く宮崎に住んでいますと、全くの「対岸の火事」。よその国のことくらいにしか関心はありませんでしたね。
しかし、カブコデコムの破産にはさすが驚きましたが・・・・。
 ウィンザーホテルは、誰も買い手が付かない「北海道・バブル崩壊の象徴」として、最高の立地に最悪のカタチで醜態をさらすこと2年半。
 ようやくセコムグループからの支援で再建に乗り出しましたが、買取価格は創業時につぎ込んだ金額700億円の1割にも満たない50億円とのこと。どこかの巨大リゾートと良く似ています。
 ただし、この「ウインザーホテル洞爺」の魅力は、「ホテルを見下ろしても素晴らしい。ホテルから見下ろしても素晴らしいロケーション」と、北海道観光の目玉・支笏洞爺国立公園内にあり、美の象徴「湖」(洞爺湖)、「グルメの象徴」海(噴火湾)、「壮大さの象徴」山(有珠山)とあらゆる要素を含んでいることにあります。
 さらに少し北に足を延ばせば、羊蹄山の雄姿を眺望することが出来、冬は周囲にスケールの大きいパウダースノーのスキー場が数多く点在しています。もちろん温泉は一級品。
これら魅力的な要素だけでも、十分観光客を呼べるのに、世界最大の政治イベント「サミット」が加わればこれ以上何も欲するものがないほどです。
 この前、朝日新聞を見ていたら、このホテルの総支配人は、なんとなんと若干40歳の女性と知りたまげました。(ビックリしました。)
一従業員として、このホテルで厳しい時代を経験したとのこと。
 この堤田美穂さんが、九州の西の果てから日の出が一番早い北海道へ。これも何かの縁なのでしょうか。
「一流のホテルをつくれば一流の人に会える」・・・・・
サミットで会える人は、世界を動かしている超VIP.。まさに一流、いやほとんどの人が会うことも許されない超一流。
ふとしたきっかけで人間いくらでも変わることはありますが、私など、こんな大きなきっかけは一生に一度もあるはずがありません。
昨年、一躍「時の人」となった堤田さん、会議の成功は、まさに貴女を日本から世界へと飛躍的に高めることと思います。



札幌大通り公園とテレビ塔
 サッポロ大通公園は、見ての通り緑豊かで季節感たっぷりの観光名所です。サッポロに行ったことがなくても、この公園と時計台は、北海道いや全国から世界にかけてまで、多くの人々が知っています。大通公園が作られたのは明治4(1871)年だそうです。当時は「こんな馬鹿デカイ無駄なものに大金をかけてどうする」と、非難の声があちらこちらから上がったそうです。その大通公園が「邪魔者扱い」されてから約130年。当時の「お荷物」は、見事なまでに札幌のまちに溶け込み、札幌市民の憩いの場として、また様々なイベントの大事な舞台として、札幌のまちに欠かせないシンボルになりました。冬のイルミネーション、サッポロ雪祭り、夏の「よさこいソーラン祭り」などをはじめ、イベントも大小盛りだくさんに行われています。広々とした公園では、ボール遊びに興じたり、昼寝をする人、トウモロコシを食べる人、ただ散歩をする人、芝生で寝っ転がってビールを飲む人等々それぞれ思い思いに公園で楽しんでいます。
春のライラック祭りに始まり、よさこいソーラン祭り、夏のビアガーデン、北海盆踊り、秋のふるさとフェア、冬のクリスマス市などなど、1年中楽しめるイベントが目白押しです。つい4〜5年前まで、台湾、香港、中国の日本旅行は九州中心でした。しかしながら、雪を見たことのない彼の国の人たちは、こぞって白い世界に憧れ、北海道へ北海道へと向かっています。今や台湾・韓国・中国からの観光客が年々増え続けています。そんな素晴らしい観光資源が北海道にはたくさんあります。


ちざきバラ園から見た札幌市街地

北海道庁旧本庁舎(赤レンガ)
 北海道赤れんが庁舎が出来上がったのは、1888年、約120年も前のことです。因みに明治に直すと明治21年のことです。以来、新庁舎が完成するまでの80年間に渡って、北海道の拠点としての役割を担ってきました。建物の設計は、平井晴二郎を中心に北海道の道庁の技師・職員が携わり、米国風ネオ・バロック様式のれんが造りが採用され建築材料のれんが、硬石、木材などは地元北海道で調達されました。
 「赤れんが」の愛称で道民はもとより、広く日本人に親しまれている北海道庁旧本庁舎は、建築後120年経過した今でも1年中、赤く映え美しい姿を見せています。もちろん、当時は、国内でも有数の大建築物であり、このこと自体当時の建築技術がいかに優秀だったかを端的に物語っています。恐らく周囲を圧倒するスケールだったに違いありません。
建物は、幅が60m、奥行きが36mあり、一番高い所は、10階建てのビルに相当する33mもあります。建物の頂上には、八角塔がそびえています。この塔は、1873年に米国人開拓使ケプロンの計画で建てられ、6年後に消失しました開拓使札幌本庁舎の八角塔を模倣して造られたと言われています。
 赤れんが庁舎は、1909年の火災で内部を消失しましたが、赤れんがの壁は、不幸中の幸いで消失を免れ、翌年、庁舎の修復工事が施され19911年に完成しました。
 その後、は長い間、北海道開拓のシンボルとして君臨し続けました。そして、北海道百年を記念して1968年に、草創当時の姿に復元され、永久保存の工事が施されました。日本中を見渡しても、ここまで完璧な、しかも大規模な明治時代の洋風建築物は珍しく、1969年、国から重要文化財の指定を受けています。
 
                 
   インフォメーション
               
               所在地:札幌市中央区北3条西6丁目
               電話番号:011-231-4111
               開館時間:午前9時00分〜午後5時00分
               (尚、入館料は無料です。)                     

                 
                  20.北海道遺産 「スキーとニセコ連峰」
                                (北海道遺産構想推進協議会より) 
 東山、ひらふ、アンヌプリのコースマップ  豪華な滞在型リゾートホテル(プリンス東山)
   
       ニセコ東山ほかニセコの代表的なスキー場

スキー場の代表格が昭和初期から知名度の高かったニセコ連峰。娯楽が多様化した今日、ウィンタースポーツだけではなく、四季を通しての新しいアウトドアスポーツの拠点となっている。
最上の粉雪と雄大なスケールで世界中のスキーヤー、スノーボーダーの聖地として名高いニセコ。そのニセコの中で最大の規模を誇るニセコひらふを運営してきたニセコ東急リゾートとニセコアルペンが統合され、「ニセコマウンテンリゾート グランヒラフ」として新しい歩みが昨シーズンより始まりました。 ふかふかの粉雪で山に遊び、世界中から集まった人たちと過ごすベースタウン。グランヒラフには、今までの日本のスキーリゾートにはない楽しみが待っています。
ニセコは大きく分けて3つのスキー場から構成されています。「東急系のニセコひらふ」「西武系のニセコ東山」「中央バス(JAL)のニセコアンヌプリ国際」です。それぞれのスキー場が頂上付近で接続されていますので好みのコースを攻めることが出来ます。
3つのスキー場の中で、一番リフト数、コース数が多いのは「ひらふスキー場」。その為学生達にも大変人気になっており、ゲレンデ周辺には、格安ホテルが何件もあります。
全山共通券を買わないと、全山利用する事はできません。ホテルとセットになっているのは、基本的にホテル前のゲレンデのみとなります。
スキー場からは正面に羊蹄山を目の前に迫りそのスケールには圧倒されます。緩急の変化に富んだコースレイアウトは、スキーヤー・スノーボーダーにとっては最高のシチュエーションです。
東洋のサンモリッツと呼ばれるゲレンデは、標高差940m、最長滑走距離5600mのビックなスキー場。多彩なコースバリエーションで、初級者から上級者まで心行くまで楽しめるスキー場です。
             

             北海道遺産
羊蹄山                               (写真はK'sさんご提供) 
北海道後志支庁にある南北海道を代表する火山。北海道遺産に指定されているニセコ連峰の東に位置し連峰の主峰ニセコアンヌプリから真正面に見えます。富士山に似た美しいコニーデ型の独立峰で成層火山で姿形が美しく蝦夷富士、後方羊蹄山(しりべしやま)とも呼ばれています。北海道西南部随一の海抜(1898m)を誇っています。この山には呼び名がたくさんあり、アイヌ名ではマッカリヌプリまたはマチネシリと呼ばれています。整った円錐形を示す死火山で生成は約1万年前といわれています。最初に羊蹄山に登った人は蝦夷地の探検家松浦武四郎と文献に書いてありました。寛永五年と記録に残っているそうです。登山コースは真狩、喜茂別、京極、比羅夫の4つのルートがありいずれのコースも良く整備されています。登山道にはメリハリがなく単調で、少々長く感じる登山になるかもしれません。かなり高い独立峰ですので、頂上からは360度のパノラマを見ることが出来ますし、下界からも素晴らしい眺めを堪能できる山です。麓は北海道名産のじゃがいも畑が広がっていますし、初夏にはきれいなシバザクラが咲くスポットも有名です。
18.積丹半島と神威岬
積丹半島の全長は約30kmありますが、平野部分が少なく積丹岳や余別岳が丁度、背中のように横たわり、結構厳しい地形です。沿岸部も変化に富んでいて風向明媚な景観を呈し、ニセコ積丹小樽国定公園に指定されています。その半島の先っぽに神威(カムイ)岬があります。岬の先端には、灯台があります。北海道開拓時代の1888年に鉄製で完成、点灯しました。高さは11.8m、海面からの高さは81.6mあります。そう大きな灯台ではありませんが、快晴の時は約40km先まで光が届くそうです。岬は、日本海に面しているので比較的風の強い日が多く、強風に悩まされることもおおそうです。岬には駐車場に車を止めて遊歩道登ったり下ったりして、崖の上を這うように進んでいきます。その先端に灯台が位置しているわけですが、ここからの眺めはまさに絶景です。日本海のどこまでも透き通った海に突き立った神威(カムイ)岩と、左手には半島のつけ根に向かって高さ約100m前後の断崖絶壁が続いています。一方、右手の方には積丹岬が見えます。ここからの眺めだけで疲れも吹っ飛ぶことでしょう。
そんな、最近まで人を寄せ付けなかったこの周辺には、オオワシやオジロワシ、ハヤブサなど大型の鳥類や海にはトドがやってきます。また、海は魚介類が豊富でヒラメ、イカ、ウニ、スケトウダラなどが名産品として多く生産されています。その昔は、留萌などと比較されたニシンの宝庫で一帯はソーラン節の発祥の地でもあります。
北海道遺産
14.開拓使時代の洋風建築(時計台、豊平館、清華亭)
豊平館(ほうへいかん)は、札幌市の中島公園にある建物で、1879年に現在の大通りに面する位置に高級ホテルとして、開拓使営繕御用掛の安達喜幸が設計を担当、大岡助右衛門が建てました。工期は約一年を要しました。当時、日本には西洋式のホテルはほとんどなかった時代です。
最初に利用したのは明治天皇と言われています。以後要人の宿泊、祝賀会各種大会などに使われました。その後は公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後はアメリカの進駐軍に接収されました。1958年に中島公園に移設され、以後は国の重要文化財では極めて珍しく結婚式場として利用されています。
左の写真の時計台は、札幌市民ののシンボルとして札幌の歴史とともに歩んできました。市の中心地にあって開拓時代の様子を今に伝える札幌市民とは切っても切れない深い縁で結ばれています。もちろん重要文化財に指定されているこの建物は、正式名称を「旧札幌農学校演武場」と言います。三角屋根の上に大時計を載せ、札幌市民に時を告げていますが、実際のところ高層ビルの建ち並んだ現在は、時計台の周辺部くらいしか鐘の音が聞こえないのが実情です。ただ、市内の小中学校では鐘の音を録音して流している学校も数多く見られます。
清華亭は、札幌駅の西側、北海道大学のクラーク会館の道路を挟んで南側に建っています。明治13年6月、開拓使の貴賓接待所として建てられた清華亭は、翌14年明治天皇が札幌に行幸の際、休憩された由緒ある建物です。設計・監督は、開拓使工業局が担当し、札幌に初めて出来た「偕楽園」と言う公園の中に作られました。建築様式は、米国風ですが、内部には洋間に隣り合って和室も作られ和洋折衷の建物となっています。札幌市は、清華亭を一時期職員の住宅として使っていました。1961年に明治時代の和洋折衷様式を示す歴史的建築物として、札幌市が有形文化財に指定しました。1977年から78年にかけて、元の姿に戻す復元・修復工事を施しています。    
    


聞いた相手は、知人が20名、仕事関係45名、街中を歩いている人55名の120名。
知人や仕事関係は、ほぼ100%答えてくれました。しかし、街中の逃げるように過ぎ去る人や
相手にしてくれなかった人の回答(あるはずがありません。)は、除いて正味120名の回答が、上の通りです。

ランダムに紹介しましたが、実はもうひとつ答えがあったのです。
それは、無回答つまり何も浮かばないと言うことです。その回答が120名のうち、33名
27.5%もあったのです。


もちろん、この数字は私自身が行った独断と偏見に基づくもので、何の公的機関の協力もない個人的なものですので、その点は誤解のないようにお願い致します。

         北海道遺産ってなあに?
宮崎に住んでいる人に訊いたことはありませんが、「北海道遺産? 『世界遺産』の間違いやろう」と,答える人が、おそらく約9割を超えると思います。

私自身、北海道遺産構想推進協議会などの趣意書などを読んで趣旨は良く分かりましたが、どこに何があるのか、どんなものが遺産に登録されているのか、これから勉強するところです。

平成9年、当時の知事が打ち出した「北の世界遺産構想」を元に、遺産の選定、遺産として残す意義、啓蒙活動など、始まりは官主導でしたが次第にその輪が広まって行きました。

環境破壊、地球温暖化など限られた地球で暮らす私たちにとって、一度破壊してしまったものは、二度と戻ってこないし、屯田兵の時代から脈々と流れる文化やアイヌの習慣、歴史的な建物などの遺産を後世に残そうと言う運動は、観光客を巻き込みまさに日本の最先端を走る素晴らしいアイデアと言えます。

北海道遺産構想推進協議会によりますと、
「『北海道遺産』は、次の世代に引き継ぎたい北海道の大切な宝物です。豊かな自然はもちろんのこと、北海道に生きていた人々の歴史や文化、生活、産業など有形・無形の財産の中から、道民参加によって選ばれました。

平成13年10月に第1会選定分25件が、平成16年10月に第2回選定分27件が決まり、52件の北海道遺産が誕生しています。」と、話しています。

そして、北海道遺産構想は、 まちの宝物を探し、それを守り、磨き、活用する過程で、まちの元気や魅力の種を育み、新しい魅力をもった北海道を創造していく運動です。

北海道遺産の多くには、北海道遺産に深く関わりながら活動する「担い手」の市民が存在し、官主導ではない構想の象徴となっています。

すでに、北海道遺産が所在するまちでは様々な活動が展開されているとともに、企業によるツアーや北海道遺産関連の商品開発も進み、この構想は着実に歩み始めています。

                            
北海道遺産
8雨竜沼湿原地理的には道央北西部。札幌圏からは十分日帰り出来る距離に位置しています。雨竜沼湿原は、正直なところ今まで聞いたことがない名前でした。北海道言えば釧路湿原があまりにも有名ですから。標高850mの台地に東西4km、南北2kmにわたって広がる日本有数の山岳型高層湿原で大小100以上の池が点在し、夏は多くの高山植物が咲きます。湿原には木道があり、高山植物や池をながめながら周遊できるまるで尾瀬のようです。いや尾瀬よりスケールが大きい日本有数の湿原でしょう。西端から急勾配の道を登ったところにある展望台からは湿原が一望でき休憩に最適です。登山口から展望台までのコースは往復5時間。南暑寒岳までは登山口から往復7時間。南暑寒荘等で前泊し、時間に余裕を持って行くと楽しめます。

40「ワッカ/小清水原生花園」北見市清水町にあり、「龍宮街道」と呼ばれる日本最大の海岸草原です。オホーツク海とサロマ湖に面し、春から秋には300種以上の草花が咲き誇ります。車の乗り入れ規制や地元漁協による植林など先駆的な試みを展開していることでも有名です。小清水原生花園は、花が衰退した時期もありましたが、関係者の努力で見事立ち直りました。6月から8月にかけてエゾスカシユリ、ハマナス、エゾキスゲなど約40種の野生の花々が咲き誇ります。
39「野付半島と打瀬舟」(別海町、標津町)全長26kmの日本最大の砂嘴(さし)で、擦文時代の堅穴式住居も見られます。江戸時代には国後へ渡る要所として通行屋が設けられ、北方警備の武士も駐在しました。トドワラ、ナラワラの特異な景観や、春と秋に野付湾に浮かぶ打瀬舟の風景が多くの人々をひきつけいます。北海シマエビ漁に用いられる打瀬舟は野付湾の風物詩として知られ、霧にかすむ舟影は幻想的的な雰囲気を醸し出します。
※トドワラ立ち枯れたトドマツの残骸が湿原上に立ち残り、荒涼とした特異な風景を形作っています。 砂嘴上のトドマツ林が、海水面の上昇ないし地盤沈降によって枯死したものと見られています。1954年の洞爺丸台風が枯死を加速したとも言われ手います。ほとんどは樹齢100年前後のトドマツですが、それよりやや古いエゾマツも混じっています。 年々風化が進み、腐朽したトドマツが消滅しつつあるため、あまり遠くないうちに何もない湿原と化すものと予想されています。
※ナラワラ同じく野付半島すぐ近くには、まださほど腐朽の進んでいないナラの木の林立地・ナラワラもあります。こちらはまだ緑が残っていて、しばらくは楽しむことができます。
いずれも原因は海水による壊死と見られていますが、霧にかすむ様はなんとも不思議な光景です。周囲は北海道特有の花々が咲く貴重な原生花園で、木道が設けられて散策可能です。
野付湾を挟んだ対岸の別海町尾岱沼から船で渡ることもできます。6〜9月が花の見頃です。


しかし、それにしてもあまりにも回答なしが多過ぎます。

宮崎から見ればそれほど、縁がないのかと悲しくなってしまいました。
恐らく、逆に北海道で宮崎の印象を聞いて見ても五十歩百歩でしょう。

まあ、致し方ないことです。

次に、回答していただいた方にもう少し突っ込んで、北海道のどこが(どんな食べ物が)好きか、印象にあるか聞いてみました。

               北海道と聞いて何が頭に浮かぶ?

答えてくれた順に写真を交え紹介します。あっそうそう。同時に宮崎のなんとなく似ていそうな所も北海道の人たちに紹介します。
北海道 宮 崎(九州)

「静」北海道遺産摩周湖

「動」:宮崎の夏の風景
 阿寒国立公園の原始の自然に囲まれた「神秘の湖」は世界有数の透明度として美しい乳白色の霧の風景で知られています。摩周湖には流入河川も排水河川もありませんが水位は一定しています。その景観は、北海道の湖沼と山岳の複合景観として最も代表的なものです。摩周湖および周辺環境の保全に向けた「摩周湖宣言」に集約される地域住民の取り組みは高く評価されています。  まるで原爆雲のようなこの風景は8月下旬、宮崎の日南海岸を通行中に撮ったものです。周辺からは稲光がしていました。中央部分は夕立が降っています。約10分くらいして陸地も強いにわか雨に襲われました。太平洋高気圧の渕に位置し大気が不安定な状態だったために積乱雲が発達して、このような鮮やかな雲が出来上がりました。2〜3分で形は崩れました。もう少し早く通っていたらもっと形の良いモノが撮れていたことでしょう。

北海道積丹半島

日向岬馬ヶ背
 積丹半島開発の歴史は古く、ニシン漁の旧大漁場として発達しました。切り立った断崖とシャコタンブルーと形容される神威岬の海岸美は絶景。貴重な自然と産業の古い歴史に加え、明治から昭和初期に栄えた旧ニシン場の遺構として番屋、揚場跡、袋潤、トンネル、旧街道などが保存されています。神威岬の全面禁煙など景観を保護する活動も始まっています。  宮崎県北端の北浦町から続く「日豊海岸国定公園」の南端に位置する日向市の海岸は白砂青松の砂浜と柱状節理の断崖絶壁の全く異なる2つの顔を持っています。中でも圧巻は、日向岬先端の細島灯台の真下に位置する「馬ヶ背」の絶壁です。奥行き200m、幅10mの海水路の両岸に高さ70mの断崖がそそり立つ様はまさに迫力満点です。日向灘の荒波と谷底から吹く荒れる風に足元がすくみます。

サッポロさとらんど1

洞窟内にある鵜戸神宮
 「サッポロさとらんど」は、運営者の「さとみらいプロジェクト」が、つどいの場・ふれあいの場・まなびの場と役割を3つの機能に整理・集約し、それぞれの目的を明確にして、利用者が農業に親しみながら楽しめるように設計された都市と農業をつなぐ田園テーマパークです。ここではいかにも北海道らしい風景や乗馬、場所の乗り合いなど体験することが出来ます。  鵜戸神宮は、日南海岸国定公園の風光明媚な日南市鵜戸の日向灘に面して、自然の神秘な洞窟の中に、ご鎮座されています。
 この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ1千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがあります。太平洋の荒波によって削られた奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に位置しています。

サッポロさとらんど2

日南海岸景勝地「道の駅なんごう」
 札幌市東区丘珠町の36ヘクタールの広大な平原に、ふれあい牧場や体験農園、レストランなどを備えた農業体験交流施設です。冬はバターやそばなどの手作り体験を楽しむことが出来ます。馬や牛、羊などとふれあうことができます。ちびっ子牧場ではロバやミニチュアホース、ラマなどがみんなを待っています。冬は雪祭りの会場として使われています。隣接して20世紀を代表する芸術家イサム・ノグチ氏が設計し美しいモエレ沼公園があります。    宮崎から、フェニックスロードパークを南下すること約1時間20分で「道の駅なんごう」に到着します。リアス式海岸が続く日南海岸の中で、1、2を争う景勝地です。前面の蒼く透き通った海はもちろん、後背部には、宮崎県の亜熱帯作物支場や植物園があり、フェニックスや椰子の木、ソテツをはじめ、1年を通して亜熱帯性の花々が咲いています。ここは、雪はもちろん霜も降ることはまずありません。有名になりました完熟マンゴーもたわわに実をつけています。

北海道夏の花スズラン

亜熱帯植物ジャカランダの花
 スズラン(鈴蘭)は、ユリ科に属するスズラン属の多年草の総称です。花言葉は「幸福が訪れる」、「純潔」「純粋」で非常に人気のある花です。主に北海道の高地に多く自生する多年草ですので、北海道を代表する花として知られています。地下茎は横に這い、地上に茎を伸ばします。葉鞘の筒が直立し、その先端から楕円形の葉が二枚くらい展開します。葉は緑色で柔らかく、わずかに粉を吹きます。。春から初夏にかけて芳香のある鈴のような白い花を複数個、葉の下側に隠れるようにつけます。花は壺状に丸まって下を向き、花の名もこれを鈴を下げたものと見立てたものと言われています。  ジャカランダは、ハワイやフロリダ、オーストラリアのブリスベーンなど、亜熱帯性の主な都市では街路樹として親しまれています。大きい樹になりますと、高さが15m、幹の周りが1mを軽く超すほどにもなります。6月に薄紫色の花をつけます。前述しました外国の都市では、何qにも渡って道の両側や並木道を紫色に染める様は、例えようもない鮮やかさで、「世界三大花木のひとつ」と言われています。上の写真は、「道の駅なんごう」の『ジャカランダの森』で撮ったものです。残念ながら諸外国の大樹と数の多さとは、比較にもなりませんが、それでも「森」と言うだけの量の木々が植栽されています。
 北海道と言えば、ドラマ「北の国から」のイメージが強く、実際エコロジカルな家など、たくさんの建物や資料館が、今尚人気を博しています。私たち九州に住んでいてもあのドラマの風景は強烈で、北海道の自然に触れてみたいと思ったのもこの頃です。(美瑛町・美瑛の丘)  遠くに見えるのは霧島連山です。左の一番高い山が主峰高千穂峰で、天孫降臨の神話で名高い山です。写した場所は、約50q手前の都城市。霞がかかってはっきりしませんが、美瑛町から見た大雪山に良く似た遠景のようにもみえます。春の霧島へ替えてみました。
北海道の花と言えば、富良野周辺のラベンダー畑が余りにも有名です。遠景は、十勝連峰で主峰の十勝岳は噴煙を上げています。美瑛町から占冠村までつづく、国道237号線。沿道に、ファーム富田、町営ラベンダー園など、たくさんの花畑があり花人街道と呼ばれています。 霧島えびの高原に通じる国道沿い。標高540mに位置する生駒高原には、100万本のコスモス畑があり、10月中旬には観光客が押し寄せます。上の写真は、6分咲き程度でしょうか。少し早かったです。また、春は35万本の菜の花、初夏には15万本のアイスランドポピーが咲き乱れ訪れた人々を楽しませます。
知床半島は、新第三紀の火山活動による海底火山噴出物の基盤上にその後の陸上の火山活動による第四紀溶岩のより半島の骨格が形成されたと考えられています。これらの火山活動により、半島の各地に知床五湖、羅臼湖等の湖沼群を形成しました。写真は二湖で湖面はまるで鏡のようです。 島の火山によってできた池で周囲4.3km、深さ103mと、火口池としては日本一深い湖が御池です。その御池沿いにあるキャンプ場が「御池キャンプ村」です。ここはバードウォッチングやボート遊びが楽しめる憩の場所です。フィッシングもでき、コイやフナ、ニジマス、ブラックバスなど豊富な魚類に恵まれて絶好の釣り場となっています。
夫婦滝と呼ばれている銀河・流星の滝。層雲峡観光の名所。断崖絶壁を並んで流れ落ちる二本の滝。日本の滝百選にも選ばれている名瀑。与謝野晶子がこの地を訪れた時に詠んだ歌が「流星は、地に近づける名なれども、女身の滝の銀河めでたし」と歌い絶賛しました。 平成元年に日本の滝100選に選ばれた関之尾の滝は、大滝、男滝、女滝の3つの滝からなっています。滝の上部には甌穴群と呼ばれる穴が見られます。小はビール瓶から大は2〜3mくらいまで。石ころ流れてきた石ころが穴のなかで回り侵食したと言われその規模は世界一といわれています。(所在地、都城市庄内)
富良野の夏といえばラベンダー。しかし、ひまわり畑もドライバーを和ませてくれます。美瑛町から占冠村までの国道237号線は、そんなお花畑が続き、花人街道と呼ばれています。野や山にひっそりと咲く可憐な花々を愛でるのも富良野の豊かな自然を感じる大きな魅力です。花畑周辺にもルピナスやフランス菊が自生しています。 秋に可憐な花を咲かせるコスモス。この写真は霧島の生駒高原で撮ったもので、満開しているのもありますが、全体的には6〜7分咲きといったところでしょうか。100万本のコスモスの満開の様は圧巻です。10月の体育の日を含む3連休辺りが満開です。ただ、駐車場が大きくなく、高速道路まで車が繋がるのが悩みの種です。
北海道の中央、十勝・大雪山連峰の雄大な眺望のもと、 良質の雪とバリエーション豊かなコースが魅力です。素晴らしいゲレンデは初心者・ファミリーから上級者の方までスキーの醍醐味を心ゆくまでお楽しみいただけます。スノーボードも全コース滑走可能です。(ふらの観光協会提供) 宮崎県は、南北約400kmに渡って太平洋に面していますので、海のレジャーは盛んです。中でもサーフィンは1年を通してすることが出来ます。県の北の延岡から南の串間まで、波のあるなしや来る方角によって、場所が決まっていて台風以外はほとんど楽しめます。写真は上級者向きの大浦海岸です。
野生の動物に食べ物を絶対やらないでください。至るところに目につく看板。山菜採りに行って熊に襲われたり、観光中に遭遇したり、本州では、ツキノワグマが人家まで現れて食べ物を漁ったり時には人を襲う報道がなされています。自然の破壊が進むにつれ日本に住む動物たちも住みにくくなっているのは確かです。 山に入ると鹿の多さに驚かされます。見えないまでも辺り一面、においが立ち込めすぐにそれと気づきます。九州山地の奥深くに住んでいるニホンカカモシカを見る機会も多くなりました。原生林の伐採が進み、食を求めて人が残した食べ物漁ったり、新たに植栽した若木や木の芽を食べたりとここでも自然と人間の共生が崩れかかっています。
大雪高原温泉:石狩川の上流、24kmに渡り柱状節理の断崖絶壁が続く渓谷。また、 紅葉の時期には、大雪高原温泉や銀泉台のすばらしい大自然の燃えるような紅葉が楽しめます。高原温泉は緑岳、白雲岳へ縦走する基地となる他、「高原温泉沼めぐり」のスタート地点でもあり、紅葉時期は銀泉台と並び大変人気のある場所です。(層雲閣様ご提供) 大分県の北部から福岡、熊本までまたがる広大な面積を持つ自然公園・「耶馬溪」の地名のおこりは、頼山陽がこの地を旅したとき、その息をのむ景勝を「耶馬溪山天下無」という詩と、「耶馬溪図巻記」という絵入りの本を著したことによります。 荒々しい岩峰と樹々の葉色、裾を流れる渓流のなす四季折々の趣きは、まさに耶馬溪ならではのものです。
厳しい寒さをやり過ごすためには、そばでもうどんでもない、栄養たっぷりの濃厚スープと、ボリュームたっぷりの縮れた黄色い麺のラーメンが、北海道人の心をとらえた。「札幌・みそ、旭川・しょうゆ、函館・塩」のタイトルが踊るようになった。札幌ラーメンの特徴は「中太の縮れ麺は歯ごたえが強く、もやしに負けない食感。野菜とスープを中華鍋で炒めてから、麺の上に降り注ぐ調理法が札幌流」。旭川ラーメンは「水分の少ない細縮れ麺。縮れているためスープがよくからみ、水分が少ないので、スープがよくしみこむ。魚介類を使っただしが多い」。函館ラーメンは「縮れの少ない中細めんは澄んだ塩味が主流」とある。 (北海道人から) 食はなんでもそうですが、見た目が美味しそうなものは、お腹が鳴り食べてみたくなります。宮崎のラーメンは、知名度においてどうしても劣りますが、豚骨をベースとした味で、こってりした感じがなく比較的あっさりした味が主流を占めています。ここ数年、テレビの影響でしょうか。かなり店数が増え、行列の出来るラーメン店もかなりあり人気商品のひとつです。宮崎県のラーメン屋さんは、基本的にとんこつスープです。今まで福岡ラーメン、熊本、鹿児島と違い宮崎ラーメンというブランドがありませんでしたが、ここ最近少しずつ宮崎のラーメンが全国的に認知され始めています。学生時代通った「再来軒」のラーメンの味は、いまだに忘れられません。あれ以上のものはないと思っています。
北海道に行ったら毛ガ二が食べたい。食の話になると、必ず出てくるカニの代表。短い毛とトゲで覆われている甲羅は石炭化が不十分であまり硬くないのが特徴です。朝鮮半島、ベーリング海からアラスカまで広く分布していますが、北海道の沿岸が主産地となっています。味は飽きのこない旨みが特徴で、特に「かにみそ」は最高級の風味と味わいがあります。乱獲で漁獲高が減少したため、現在は網ではなくカゴを使って漁を行うそうです。 宮崎県の沿岸は9月1日に伊勢えび漁が解禁になります。県内のホテル、旅館、料亭などはこぞって「伊勢えび祭り」を開催します。中でも毎年10月に、会社の同僚と利用させていただいている県南の北郷町の温泉旅館・「丸新荘」の料理は格別です。まさに伊勢えびづくしで量、種類ともに食べ切れません。伊勢えび1匹と言ったケチなものではなく3匹分はあろうかと言う量。値段も手ごろでリピーターとしてはまるのは間違いなしです。
グルメやスイーツ好きのブロガーの間で話題になっている『れあメル』。生キャラメルという新しいカテゴリーのスイーツです。「生」というだけあって、舌の上でとろけるような独特の食感が特長です。札幌市内の小さな菓子工房『札幌めるへん』で開発され、大手菓子流通業者のナシオによって、本格的に販売がスタートしました。 なんじゃこりゃ・・? まさに「なんじゃこりゃ大福」です。外から見ると少し大きめの大福餅ですが、中を開いてみるとびっくりです。つぶあんを主にイチゴ、栗、チーズが入った宮崎市のお菓子の日高自慢の一品です。初めて食べるひとは、「なんじゃこら!」.発想豊かで多くの人々が買い求めています。最近は、シュークリームにも同じ発想で「なんじゃこらシュー」があります。
日本一大きな国立公園「大雪山国立公園」の中で最大の観光拠点として有名な層雲峡。層雲峡温泉街の高台に位置し、最上階大浴場から眺める大雪山系の四季折々に表情を変える大自然に抱かれた「層雲峡プリンスホテル 朝陽亭」。
季節ごとに表情を変える壮大な層雲峡。その絶景を眺めながらの入浴はまさに至福の時間です。今では年間約300万人もの観光客が訪れます。

日南海岸観光の拠点、青島に位置する白亜のリゾートホテル。地価1200mより湧き出る源泉の湯を完備。全室オーシャンビューの窓から太平洋を一望でき、日頃の疲れをリフレッシュできる空間があります。宿泊するお客様は隣接する「こどものくに」の入園が無料で、館内の温泉、アスレチック、温水プールも無料で利用できます。青島や日南海岸観光の拠点に位置するホテルです。(南薩観光様提供)

鮭が遡上(そじょう)している標津町忠類川 。アイヌ語で標津の標(シベ)は貴重な食料の鮭、津(ツ)は居る場所(川)を意味します。  冬、鮭は川で産まれ、春になると稚魚が川を下り、四年の歳月を経てアラスカ沖で育ち、 1万数千kmもの長い旅をして、秋、産卵のために産まれた川に戻ってきます。 そして、産卵・受精後、力尽きた鮭は産まれた川で生涯を終えます。 これ何と言う魚と思いますか?体長は65pあります。色からするとヤマメのはずです。しかし、大き過ぎます。実は20年前に作った虹鱒を材料に作った立体魚拓です。作った当時と色、形とも変わらず元気に玄関?で泳いでいます。
立体魚拓については、なるべく近いうちに作品など紹介するつもりでいます。上の写真は川魚ですが、イシダイなど迫力のある魚を紹介するつもりです。
知床半島(しれとこはんとう)は北海道東部、斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがり、オホーツク海に長く突き出た半島である。2005年7月14日に南アフリカ共和国ダーバンで開催されていた第29回ユネスコ世界遺産会議において知床として世界遺産(自然遺産)への登録が決定され、2005年7月17日に正式登録された。名前の由来は、アイヌ語の「シルエトク」 (sir etok) (大地の果て、大地の突き出た所)から。陸から行く事ができないため豊かな自然が残っている。((Wikipedia)から クルスの海は、柱状岩が波の浸食で東西200m、南北220m、高さ10mにわたって裂け、地元では「十」の字に見えることから十文字と呼ばれている。クルス(ポルトガル語で『十字』の意味)の呼び名は、細島で民宿を経営、馬ヶ背の観光地化に尽くした故原田一郎さんが名付けた。遊歩道も隣接の駐車場からと、近くの長ハエ展望台からつながる2コースを整備した。 展望デッキに建設中のクルスの鐘は、高さ2m50cm。
 今後、観光協会とも連携してクルスの海にちなんだ商品やグッズ開発も手がける予定。
 夕張岳鉱山植物群落、蛇紋岩メランジュ帯
現在の北海道の形の基本は、中生代白亜紀から新生代第三紀にかけてプレートの沈み込みにより東西北海道が接近し、衝突することにより形成されたといわれています。この衝突の過程で、地下数十kmの深さにあったカンラン岩に水が付け加わり蛇紋岩となる。上昇する蛇紋岩は、様々な時代の変成岩や堆積岩を礫として取り込んでいき,やがて蛇紋岩メランジュとして地表に到達しました。夕張岳やガマ岩などは取り込まれた礫そのものです。(写真は夕張市教育委員会から)
     やっこそう(延岡市天然記念物)
宮崎県延岡市の天然記念物に指定されているやっこそう。椎の木の根に寄生する一年草で子供が手を広げたような、両手を広げた「やっこ」のように見えることからその名が付いたと言われています。毎年、10月中旬ごろから花を咲かせ11月いっぱい楽しませてくれます。自生地は延岡市の熊野江神社裏山の一角。足元を注意して探すとすぐ見つかります。大きさは3p程度です。ただ、虫を媒体にする花で上の写真のように、常にスズメバチがウロウロしていますので、刺激しないように注意が必要です。



ところで、私自身の北海道観と言えば、私のような宮崎の片田舎に住んでいるものにとっては遠い遠い外国のような存在。イメージ的には都会的な、洗練されたスケールの大きい土地柄とでも言ったところでしょうか。


以前は、北海道−宮崎間に、JAS(現JAL)が週2〜3便就航していて、互いの観光協会を通して、春に宮崎から桜が、初夏には北海道からスズランが、贈られたりしていたのを覚えています。

しかしながら、利用客がだんだん少なくなり現在、就航している直行便はありません。
北海道に行こうとするなら、福岡、鹿児島、大阪、東京、名古屋などで乗り換えなければなりませんので、接続便がうまくいかないと片道4〜5時間かかってしまいます。

それだけに、「北海道に旅行して来た」宮崎人に出会うと羨ましく思えます。もっとも「行って来た」と言う人にほとんどあったことがありませんが・・・・。

宮崎からですと韓国や台湾、中国に行く方が距離的にも時間的にも北海道に行くより近いですから、そちらの方面に行った人はたくさんいますが・・・。
加えて情報量も豊富です。

わたしにとっては、時間に余裕があって、その上お金にゆとりがないと、なかなか行くことの出来ない未知の大地と言うことになりますね。
 
現在は、地元のデパートで「北海道名産市」、「北海道どさんこ市」、「北海カニ三昧」等と言った催しが開かれますが、珍しいだけにいつも盛況です。私も出掛けてみて、少しだけ北海道の雰囲気を味わったりしています。
 
ところで、何で宮崎人の私が「北海道観」か、と申しますと、昔むかしの大昔、私が小学校5年生の時、3軒隣に住んでいたおじさんが仕事の関係で、2ヶ月に1回位の割合で北海道に出張に行っていて、帰ってくるたびに土産物をくれたり、熊と遭遇した話しや温泉、大雪などの話しをしてくれました。
 

話しがうまく臨場感があり、子供心に想像心を掻き立てられ、よく行ってみたいと口にしていたのを覚えています。その時、頂いた熊の木彫りはいまでも実家に飾っています。
 
ですから私の小さい頃の記憶の大部分は、東京、大阪ではなくて北海道のことで占められていたのです。 
 
ただし、その後、今日に至るまで北海道を訪れる機会はありませんでしたので子供の頃
聴かされた記憶と現在の彼の地の知識とは、ほとんど差がありません。

言い換えますと、私の北海道に対する情報量はゼロに等しいのです。
そこで一念発起して北海道について調べて見ることにしました。

その前に、私が住んでいる宮崎の特徴について触れておきます。

地元紙に観光や商用で訪れた人々に「宮崎の印象」を聞くコラムが毎日連載されています。
  それによりますと、

1.   空港周辺や街の中心部の景色がいかにも南国的
2.   太陽が刺すように痛い
3.   さすが冬でも暖かい
4.   冬、なかなか陽が沈まない(1月の日の入りは午後6時前)
5.   空が広い(高いビルが少ないから)
6.   道路が広い(通っている車が少ないから)
7.   食べ物(野菜・魚介類)が新鮮
8.   物価が安い(給料も安い)
9.   人情豊か
10.  人が親切
11.  車がのろい(歩くのも遅い)
12.  性格がのんびりしている
13.  競争心にかける
14.  根気、粘りがない
15.  引っ込み思案の印象を受ける
 
などなど、大方は好意的な意見を頂戴していますが、中には厳しく後進県から抜け出せない根本原因をズバリ突く訪問者もいます。

 ある日、北海道のことを調べようと、宮崎市内で大型と言われる書店をのぞいて見ました。
ところが、北海道についての紹介本がほとんど見当たりません。有名テーマパークや東京、大阪、京都、福岡など主だった都市の紹介本ばかりで
北海道に関する観光本が一冊も見当たらないのには驚きました。

店員に聞きましたところ、売れ筋中心の品揃えを行っていてそれ以外は電話注文で対応しているとのこと。
いかに「北の大地」との接点がないか痛切に感じました。 


キタキツネ

日南海岸堀切峠
 
一方、皮肉なことに地元宮崎について紹介している書籍も、タウン誌を除くとほとんど置かれていません。

意外と地元の人より県外の人の方が良く知っていて、「○○○のステーキは安くておいしい」、「△△△のラーメンはスープが最高」、「○○○は巨人の○○選手のいきつけの店だよ」なんて話しはしょっちゅう耳にします。

                                                           
また、「△△△ホテルから見える眺望は最高。料理もセンスがあって素晴らしい」と、言われても、地元に住んでいれば、ほとんど地元のホテルに泊まる機会がありません。

目的を持って訪れる人は事前に準備したり、旅行会社やインターネットで予備知識をふんだんに蓄えて訪れるので、かえって地元に住んでいる人より穴場や観光スポットに精通しているケースが多くあります。


そんなわけで、私にとり「未知なる大地」を情報量の少ない中で書籍やインターネットを駆使して紹介していきたいと思います。合わせて私のふるさと宮崎についても関連して紹介していきます。


情報の少ない部分については、猛勉強して可能な限り内容を濃くしていきたいと思っていますので、いつでも気軽にお立ち寄り下さい。

   延岡市と佐呂間町の、たつ巻被害
延岡市のたつ巻被害
 17日午後2時過ぎ、宮崎県延岡市緑ケ丘沖の海上で竜巻が発生し、市の中心の北西方向へ移動しながら住宅が倒壊、屋根が吹き飛んだほか、特急電車が横転するなど広範囲に渡って大きな被害がでました。2004年、2005年と2年続けて台風の大きな被害に遭っている同市にとって、まさかたつ巻でこれほど大きな被害が出るとは予想出来ず、被災者はショックを隠せない状況です。
 空を舞う鉄板・瓦、砕け散るガラス、引っくり返る車、横転する電車。竜巻被害を目の当たりにした住民は、口々に恐怖を語っていました。
たつ巻が発生した地点に近い延岡市立南中の教諭は、校舎1階の窓から一部始終を目撃していた。「突然、海の方から強い風とともに巨大な竜巻が現れ、東から西へ移動していった。50メートルほど離れた体育館のはるか上を、木切れや鉄板が舞っていた」。と話していました。
暴風は1分半ほどでやみ、急いで竜巻の方向にあった自宅に向かったところ、向かいのアパートは屋根が飛び、けが人が救急車で運ばれていました。
               
                                         (宮崎気象台提供)
                    宮崎県の竜巻は3か所
 台風13号が接近した17日(日)に、宮崎県内で発生した竜巻について、大き な被害を出した延岡市以外にも、日向市と日南市でも竜巻が発生していたこ とが、宮崎地方気象台の調査で分かりました。
 日向市の竜巻は、17日13時半から14時ごろに、日向市幸脇遠見(さいわき とおみ)地区から平岩原(ひらいわはる)地区に向かって移動したものと見 られます。被害地域が幅約200m、長さ約3kmと細長い帯状であったことなど から、竜巻と判断されました。
 一方、日南市の竜巻は、17日12時10分頃、日南市油津2丁目から1丁目に 移動したものと見られます。こちらも、被害地域が、幅約80m、長さ約350m と、細長い帯状であったことなどから、竜巻と判断されました。
 宮崎県延岡市は20日、台風13号に伴う竜巻によるけが人が計140人だったと発表しました。同市はこれまで、救急搬送された病院への調査から負傷者は107人としていましたが、市内の全病院を調べたところ、けが人が拡大したとのことです。
 内訳は重傷3人、軽傷137人。これにより同市内での人的被害は死者3人を加えた計143人になりました。
一方、同市は住宅被害について18日に行った調査に基づき765世帯と発表していますが、現在、2次調査を続けており、拡大する可能性があると言います。
また、竜巻の強さを表す「F(藤田)ピアスン・スケール」については、延岡市で発生した竜巻については「2」、日向市、日南市で発生した竜巻についてはそぞ れぞれ「1」とする報告が宮崎地方気象台より発表されました。
また、宮崎気象台によりますと、9月21日の追加調査を加えた被災範囲幅150〜250m、長さ約7.5km、約5分間、時速95kmで駆け抜けたことになります。

宮崎県延岡市のJR日豊本線延岡駅〜南延岡駅間(南延岡駅構内)で、別府発宮崎空港行特急「にちりん9号」が、台風13号の接近によって発達した積乱雲に伴う竜巻にあおられて、先頭2両(が脱線転覆し、乗客と運転士合わせて6人が負傷する事故となりました。

この列車は、津久見〜日代間、宗太郎〜市棚間で台風による強風のため徐行運転し、定刻より40分遅れでひとつ前の延岡駅に到着しました。
ここで五ヶ瀬川橋梁の風速計が警戒値に達したため南延岡駅で運転打ち切りとなる予定で延岡駅から南延岡駅に向けて時速25kmの徐行運転中でしたが、南延岡駅手前で架線にトタンが引っかかっているのを発見した運転士が非常ブレーキをかけ、停止した直後に、列車が浮き上がり横転したとされています。

この事故を引き起こした竜巻は、移動速度が時速100km以上、竜巻の威力を表す6段階のFスケール分類では、風速50〜69mのF2か、1ランク上の風速70〜92mのF3規模であったことが後の気象庁の調査で判明しました。
F3クラスの竜巻は今まで国内で数例しか確認されてなく、今回のものは国内最大級だったとみられています。
また、この竜巻では3名が亡くなりましたが、気象庁が1961年に調査を開始して以来、1つの竜巻で3名以上の死者が出ることはこれまでなかったと言います。

事故当時、周辺各地にも突風が吹き荒れ、事故現場至近のアパートの屋根も吹き飛び、停めてあった乗用車が風で吹き飛ばされて民家に突っ込んだり、ホームセンターに吹き付けた突風が入口の窓ガラスを粉砕した上に店内の商品棚をなぎ倒して犠牲者が出るなどの被害が発生しています。

列車は停止状態(もしくは極めて低速)での脱線・転覆であったこともあり、脱線事故で負傷した6名はいずれも軽傷だったのが不幸中の幸いでした。このとき、地元消防署が竜巻の直撃で行動不能になり、負傷者の搬送には南延岡駅職員の自家用車及び警察車両が使用されたとのことです。

                 佐呂間町のたつ巻被害
 北海道の佐呂間町で7日午後、竜巻とみられる突風が発生し、9人が死亡しました。
プレハブ小屋は、ほとんど跡形もなく壊れ、周りにはひっくり返った車、事務用片、ガレキや 鉄くずが散乱しています。
現在も行方不明者がいないか、ショベルカーでガレキを一つ ずつ取り除く作業が行われています。
竜巻とみられる突風は7日午後1時過ぎ、佐呂間町にあるトンネル工事の事務所を襲い ました。作業員がつめていたプレハブ小屋が吹き飛ばされて倒壊し、中にいた作業員が 下敷きになりました。

現場には当時、100人ほどの作業員がいて、鹿島建設の橋本義信さん(52)ら作業員 9人が死亡、21人がけがをしました。

 倒壊したプレハブにいた 斉藤文博さんは、「目の前でガラスが私に向かって飛んできました。爆発でよく映画のシーンで人が飛ぶ シーンありますよね、あんな感じです。7、80メートルくらい、少なくとも5、60メートルは 飛んでると思いますね」と話しました。
発生したのは11月7日午後1時20分ごろで、場所は北海道佐呂間町の若佐地区です。
猛烈な突風を発生させた竜巻は、付近の国道333号「新佐呂間トンネル」工事を請け負っていた大手ゼネコン「鹿島」(東京都港区)など3社の共同企業体(JV)のプレハブの工事事務所や宿舎、一般住宅などを次々になぎ倒しながら移動しました。
北海道警と北海道庁の発表では、倒壊した建物の下敷きになり、9人が死亡、負傷者は23人(重体1人、重傷6人、軽傷16人)です。現在は病院に収容されているようです。
 気象庁の発表では、竜巻の被害としては、統計のある1971年以降、最悪の死者数となっているそうで、被害状況などから、専門家は、藤田スケール(F)2〜3で国内の竜巻としては最大規模という可能性を指摘しています。
竜巻の大きさは(F)藤田スケールで表示していますが、(F)藤田は、提唱した人の藤田哲也教授の藤田からきています。
竜巻自体の幅は十数メートル程あり、南西から北東方向に通り抜けていき、被害は、最大幅100メートル、長さ約800メートルの範囲に及んでいたようです。竜巻の被害に遭い亡くなった9人の死因はいずれも脳挫傷のようです。
 今回の竜巻は、死者が集中した若佐地区の工事事務所から南西約300メートル付近の地点で発生した模様です。
降り始めた雨がさらに強くなってきています。ガレキを取り除く作業は、夜を徹して行われる予定です。

北海道佐呂間町若佐地区(上空その1)

北海道佐呂間町若佐地区(上空その2)
                                    (写真は北海道開発局提供)
佐呂間町役場の若佐支所の職員は「支所の建物全体からバーンという音がした。 屋根のトタンがはがれ、飾り窓のガラスが割れた。若佐地区の住宅の中には『1軒が 跡形もなく飛んでいった』との報告もあった」と話していました。 竜巻は狭い範囲にエネルギーが集中し、予想をはるかに越える突風を伴います。それだけ被害を受けた住宅は深刻なダメージを受けます。当り年と言う言葉は適切ではないかもしれませんが、この冬の記録的な暖冬といい、竜巻の度重なる発生も地球温暖化に起因しているのでしょうか。
       竜巻は時速80キロ、1分で通り過ぎる…気象庁が調査
 建物被害(北海道の報告)全壊33棟
 住宅15棟・事業所など18棟半壊8棟一部損壊21棟(すべて住宅)
北海道佐呂間町で起きた竜巻で、死者9人が出た同町若佐地区は、距離で1キロ、最大で幅200メートルの細長い帯状に、大きな被害が集中していることが8日、気象庁などの現地調査団の調べでわかった。
竜巻でトタン屋根や木の柱の一部が巻き上げられ、600メートル以上離れた丘の高さ約100メートル地点で発見されるなど、突風の威力を改めて見せつけた。
会見した同庁によると、住民からの聞き取りや住民が撮影した映像の時刻などを総合すると、竜巻は7日午後1時20分から30分の間に同地区を南西から北東方向へ通過した可能性が強い。気象レーダーがとらえた積乱雲の通過の様子から、竜巻は時速約80キロで、現場を1分足らずで通り過ぎたとみられるといいます。
佐呂間町では、「多数の住宅の屋根がはぎ取られた」、「自動車が吹き飛ばされた」などの被害状況から、竜巻の強度は藤田スケールで2以上と考えられると、発表しています。

 平成18年11月8日札幌管区気象台・網走地方気象台 気象速報

                                          

北海道佐呂間町若佐地区(地上その1)

北海道佐呂間町若佐地区(地上その2)
                                     (写真は北海道開発局提供)

北海道佐呂間町は、オホーツク海沿いの漁業と農業の町です。たつ巻が、この町の40近い世帯の生活を一瞬にして破壊してしまいました。
住宅の補修まではなかなか手が回らない中、厳しい冬が迫っています。住まいを失った人たちの不安は募るばかりです。。
 9日朝の同町の最低気温は2.7度。前日よりは2.5度下がるなど、これからのことを考えると、「家をどうするかも、どこで冬を越すかも、先のことは分からない」 と被災者は言います。

屋根が吹き飛ばされた一人暮らしの女性は「冬は嫌い。今年は本当に気が重い。屋根の工事を頼んだけれど、年金生活には修理費がつらい」と話し、シートに覆われた屋根を見上げていました。。

 佐呂間町に近い網走市では1日に初雪ガ降りました。年が明けると、オホーツク海に流氷が押し寄せるてきます。
気温が零下30度になることもしばしばです。2004年1月には2階建ての屋根に届くほど雪が積もりました。 被害にあった住宅では、窓枠に木の板をはめこんで応急措置する光景があちこちで見られます。

事務所の屋根に穴が開いた鉄工所の従業員は言いました。
「雪が降ると足場が悪くなり、修繕作業は非常に難しい。応急処置で冬を越し、本格的な修理は春まで待つしかない」
同町の堀次郎町長は「住民が不安を感じないようにしたい」。
被災地の視察に訪れた冬柴国土交通相も「住宅の復旧には前向きに取り組みたい」と語りました。      
そのまんま東氏が宮崎県知事に
 いやあー、今回の宮崎県の出直し選挙にはびっくりしました。地元の新聞も、「晴天のへきれき」なんて失礼なことを書くほど予想を大きく違える結果に終わりました。開票が始まって3分も経たないのに、NHKは当選確実を打つ素早さ。他局も続けて当確を打ち、早々と東氏の知事就任が確実となりました。テレビでの画面では、保守の有力候補が得票数を伸ばし東氏を徐々に引き離しているのに、一方では勝利の万歳と記者会見。「さあこれから」 選挙結果を観ようとテレビの前に座った事情を知らない人は「なんで?」と、いぶかるまさかまさかの、そのまんま東氏の電光石火の圧勝選挙でした。
                    
              宮崎県知事選得票
       当 そのまんま東 266,807  無  新
          川村秀三郎 195,124  無  新
          持永  哲志 120,825  無  新
          津島  忠勝  14,358  共  新
          武田  信弘   3,574  無  新

                     (1月22日午前0時15分最終)
任期は同日から4年。投票率は64.85%で、前回03年7月の59.34%を上回った。当日有権者数は93万2127人。天気曇り時々雨

当選を決めて会見するそのまんま東氏



今回の選挙は、2005年の台風14号の被害を受けた橋の架け替え工事受注に関する官製談合や収賄容疑など、金にまつわる不祥事で辞職した前知事の後を受けての出直し選挙でした。

自民党が、地盤や人脈などのしがらみにどっぷり浸かった高級官僚出身の有力候補を一本化できずに分裂した状態で選挙戦に臨まなければならなかったことが、保守敗北へと繋がりました。

ただ、東氏に対しては、最初から支持が集まっていた訳ではありません。
むしろ、「タレントに何が出来る」、「東が知事になったら宮崎は終わり」、「知事になったら宮崎の恥」等など、東氏の、過去の週刊誌「フライデー」襲撃事件や児童福祉法違反容疑、後輩への暴力と言うマイナスのイメージばかりが取り上げられ報道されていました。

一方、地元の県議は「宮崎県政最大の危機で、次の知事は責任重大。タレントに務まるとは到底思えない」と、不快感をあらわにしていました。

なるほど、東氏にあるのはタレント経験30年の知名度だけ。

大学で地方自治を学んだと言っても机上の論に過ぎず、行政経験は皆無で知事候補としては全くの未知数、いや県民はむしろ冷ややかな目で見ていました。

告示前のテレビの討論会では、カタカナ文字を頻繁に使い、「談合は必要悪」などとと発言、物議をかもすと、翌日、「舌足らずだった。」とあわてて訂正するなど、話題性が先走って危なっかしい面ばかりが目立っていました。


告示前は、表立った行動はせず、控えめな挨拶周りや、数人の同級生と街頭に立っても演説はせず、ビール箱の上から、通り過ぎる車にただ手を振るだけ。

その傍らを下校する小学生が「ヒガシ、ヒガシだ」と冷やかして帰る、そんな心細いスタートでした。

告示後の序盤戦も、まだまだ地味な戦いは続き、選挙慣れした参謀が揃う保守候補に後れを取っていました。

東国原英夫(そのまんま東)知事を迎え、今や全国一話題豊富な宮崎県庁

しかし、日が経つにつれ、タレントに見切りをつけ退路を絶っての参戦と、芸能人の応援を一切受け付けなかった姿勢が受け入れられるようになり、また、しがらみを嫌う有権者の思いにも変化が見られるようになり、風向きが少しずつ東側に変わるようになりました。

また、独自に策定した80項目を超える「そのまんまマニフェスト」を街頭演説や立会い演説会、政権放送などで披瀝。具体的な数字を示しての宮崎県政刷新を分かりやすく説き、時には過去の自分をさらけ出して笑いを誘ったり、「このままじゃ宮崎は夕張の二の舞いになっとです。

どげんすっとですか」「宮崎を変えんといかんとです。」「しがらみのないわたしがせんで、だれがすっとですか」「金が欲しけりゃ芸能界のほうがよっぽど儲かっとですよ」など、宮崎弁をふんだんに織り交ぜ熱弁を振るう姿が、単なるパフォーマンスだけでなく「意外と真面目、本気だ」「話しが面白くて内容が分かりやすかった」「しがらみがなくてクリーン」と、聴衆の心にも響くようになり、遊説の先々で勝手に応援する勝手連が自然発生的にできていき、終盤になると演説会場が超満員に膨れ上がるまでに盛り上がりを見せました。

そして、選挙戦最終日には、繁華街で得意のランニングを披露して17日間に渡る選挙戦を終えました。
今回の選挙結果を見て驚くのは、共産党を含む特定政党支持者のかなりの部分がそのまんま東氏に入れたこと。自民党はもちろん、公明党の支持者でさえも東氏に投票しています。

これは、この選挙自体が金にまつわるしがらみ・不祥事からスタートして、県民は汚職は二度と要らないと候補者に意思表示したことを鮮明に物語っています。

「そのまんまマニフェスト」の中で、私の「思い」と題した項目があります。
原文の通り紹介させていただきます。



今、宮崎県政が危機に瀕しています。県行政の不正と醜態が全国に晒され、一宮崎県民として、私も恥ずべきことだと感じています。県政は県民の生活の根幹を成すもの。県政がぐらつけば、県民生活もぐらつきます。県政への不安は、県民福祉の低下、地域経済への悪影響に直結する重大な問題に繋がりかねません。


「宮崎はこんままでよかっちゃろかい?」
「そのまんまマニフェスト」の中で、私の「思い」と題した項目があります。原文の通り紹介させていただきます。

今、宮崎県政が危機に瀕しています。
県行政の不正と醜態が全国に晒され、一宮崎県民として、私も恥ずべきことだと感じています。
県政は県民の生活の根幹を成すもの。
県政がぐらつけば、県民生活もぐらつきます。県政への不安は、県民福祉の低下、地域経済への悪影響に直結する重大な問題に繋がりかねません。

宮崎を故郷に持つ人間として、私は宮崎の現状をこのままほっとく訳には行かない。
宮崎のために私ができることを、とにかく全てやりたい。

「宮崎をどげんかせんといかん」
「何とかせんといかん!」

私がこれまで培ってきた経験やスキル(手練)を今こそ宮崎に還元し、宮崎の宮崎による宮崎のための活動を県民の皆様と一緒に協働・共有したい。
私の持っている全てのエネルギーやマンパワー、ネットワークをフルに活用し、この豊かな宮崎を日本国中・世界中にPRしていくことで、宮崎再建・宮崎自立に尽くしたい。

本気で宮崎人の底力・ポテンシャル(潜在能力)を引き出し、皆で協力し合って、郷土の更なる発展と活性化、県民の最大幸福に資する覚悟をもって、そのまんま東は宮崎に帰ってまいりました。


また、「そのまんまマニフェスト」を
★「そのまんまマニフェスト」について
★ 政策理念
で総論を述べた後、
1、「宮崎がんばいよ」宣言!  「将来」の生活向上への投資
2、「宮崎どげんかせんないかんが」宣言!  「今」の暮らしの充実化
3、「宮崎は変わらんといかんが」宣言! 「過去」からのしがらの一掃
 の3項目ついて具体策をまとめ宣言しています。


当選直後の現在は、話題性が先行して全国的なニュースやワイドショーで大々的に取り上げられています。宮崎がどこにあるのか判らなかった人々も、少しは(九州のどこにあるか)判ってくれたことでしょう。
それだけ宮崎に目が向けられたことだけでも大きな意義があると思います。


権力を乱用して利権をむさぼる、何も宮崎に限ったことではありませんが、権力を手に入れた人が欲に目がくらみどれだけの政治家が政治生命ばかりでなく人生を棒に振ったことか。
この種の事件は奥が深くなかなかなくなりません。

ですから、今回の出直し選挙は、大政党のしがらみを避けて宮崎を本当に良くしたいと訴えた東氏の心の叫びが、見事効を奏したと言えます。

さらに、意外だったのは暴力や性的犯罪に嫌悪感を抱く女性の有権者が圧倒的に東氏を支持したことです。確かに、選挙前や序盤戦は拒否反応のほうが、かなり上回っていました。しかし、東氏のしがらみのない行動や訴えが本物と共感を覚えたこと、過去の事件を笑いに替えて正直に話すことに好感を抱いたからでしょう。


いずれにせよ、東国原知事は荒海に魯を漕ぎ出しました。
船倉やデッキまで人があふれ、荷物が山のように積まれています。
その東国原丸に乗船した人々は、船長の舵取りを固唾を呑んで見守っています。

そんな小船に対し、巨大タンカー・自民党の元重鎮は批判的なコメントを出していますし、オール野党の県議会議員も、しばらくは批判的な目でお手並み拝見と言ったところだと思います。

また、これまで官僚出身や県庁OBの知事に仕えてきた当の県庁職員も戸惑いを隠せないのが表情から見てとれます。
今はマスコミの格好のネタです。翌朝のテレビは、「朝ズバ」のみのもんたから宮崎と結んで中継を入れたのを皮切りに地元のテレビ、ラジオも知事戦の話題一色と言った感じです。

どの番組もほとんど好意的に取り上げ、行政手腕は未知数ですが、宮崎県政が変わるきっかけになることを期待した意見ばかりです。

しかし、いずれマスコミは冷めていきます。一刻の猶予も許されない県政刷新への舵取りはもう始まっています。ただ、県議団のお手並み拝見と言うのも情けない話しですが・・・。

孤独で厳しい戦いはむしろこれからが始まりです。
地元宮崎県民は、しがらみのない同知事に県政を託した訳ですから、荒波にもまれても向こう4年間は東国原丸と言う小さな船に乗船しなければなりません。

小船が沈没しないよう宮崎県をどう変えるのか。宮崎県がどう変わるのか。マニフェストで公約した事柄にどう取り組んでいくのか、中立の立場でじっくり見ていきたいと思います。

東氏は、今後本名の東国原英夫で知事職に専念されるとのこと。
当選の喜びもつかの間、23日からは県庁に登庁し公務が始まります。

選挙期間中、多くのマニフェストを掲げ、選挙戦を勝ち抜きましたが、マニフェストの大部分は財政再建と福祉の充実、雇用、景気振興策など。

数字は具体的ですが、かなり荒療治をやらないと達成が困難な数値目標ばかりです。

しかも、県議会は、すべてが野党。孤軍奮闘を余儀なくされるのは目に見えています。知事をはじめ職員の給与カットなど、問題解決には議会とどう折り合いをつけていくか。

この点が知事としての真価が問われる一番のポイントとなるでしょう。

長野県の田中康夫前知事は議会と対峙し結局、脱ダム宣言はしたものの不信任案があっさり可決し失職。再選は果たしたものの3選目であえなく落選しています。

12年前誕生した、東京、大阪の故青島幸男氏や横山ノック氏も途中で頓挫しています。
東氏には、選挙中訴えた「宮崎を変えんといかんとです」を是非実現してもらいたいと強く願っています。

オーシャンドーム わずか14年で幕

ギネス認定の巨大屋内遊戯施設「オーシャンドーム」 宮崎市塩路
宮 崎 シ ー ガ イ ア
  総合保養地域整備法、堅苦しい名前ですが、手っ取り早く言えば「リゾート法」。
 (1)ゆとりのある国民生活の実現
 (2)当該地域の振興
 (3)国民福祉の向上
 (4)国土や国民経済の発展
 などを目的に、昭和62年(1987)5月成立した法律です。
 宮崎シーガイアは、この法律がすべての始まりです。
 当時の宮崎は、新婚旅行の行き先を沖縄やグアム・サイパンに取られ、観光産業が不況のどん底にあえいでいました。
 この法律では、リゾートの事業に関わる道路・交通・下水などや公共施設の整備などのリゾート施設設立に対しては、地方自治体による援助があり、農地転用、林地開発などの規制が緩和されました。
 宮崎県は、この法律適用指定を受けるために真っ先に立ち上がりました。
そして、昭和62年三重県とともに第一号指定を受けたのです。
 宮崎県、宮崎市はもちろん、県民こぞってこの法律によるリゾート開発に大きな期待を寄せ、新婚旅行ブームの再来など、宮崎の将来にばら色の夢を描きました。
 一方、このリゾート法の制定を受けて、全国の自治体から膨大な数の開発計画が提出されました。宮崎シーガイアもその中に組み入れられました。まさに全国有数の大型開発計画です。
 全国的にも欧米並みのリゾートを合い言葉に、超高級リゾートが計画され、そして相当数が建設されていきました。既存の観光地、名所の開発もありましたが、何もない広大なエリアを使った開発もありました。
その多くが複合的な施設開発でした。
 宮崎シーガイアは、宮崎市の一ツ葉海岸の幾重にも連なる貴重な松林を、「リゾート法」による宮崎再生の美名のもとに、大規模な伐採を敢行していきました。
 時はバブル全盛の時代。当初予定した計画から建設費の高騰が続き、経費は当初見積もった額の2倍とも3倍とも言われています。それでも、宮崎県知事を筆頭に、県幹部や建設主導の旭洋・佐藤棟良社長は成功を信じて疑わず、「これをやらなかったら、宮崎には何も残らないとの思いで取り組んだ。必ず世界が注目してくれると思う」と、構想実現に突き進んでいきました。
 そして43階建てのホテルに、全長300メートル、幅100メートル、高さ38メートルの、世界最大級の屋内型ウォーターパークが平成5年(1993年)7月、バブルがはじけた後、オープンしました。
 水着入社式や英国の有名なロックシンガー・スティングを招き、全国的なCM放映などユニークかつ派手ななパフォーマンスで日本中の目を宮崎へ引きつけました。
 テーマパークに程近い宮崎市住吉には、4階建ての大規な男女独身寮が建てられ、入社仕立ての若者たちで熱気と、将来への希望に満ち満ちていました。
 ただ、当初の計画にドームの建設はありませんでした。当然でしょう。ドームから歩いて10分もすれば、太平洋つまり海があるのですから、普通に考えても海の側に巨大な泳げる施設などナンセンスそのものです。
 当時二人三脚でリゾート開発を進めた松形祐堯・元知事は著書の中で、「モデルはカナダにあり、会社関係者が視察、帰国したその足で東京の大手企業と早手回しの契約をした経緯があった」と、述懐しています。このカナダの施設は確かに、会社関係者が視察に訪れた際、多くの客で賑わい、潤っていたのは事実のようです。
 しかし、決定的に違っていたのは、施設が海から遠く離れていたのと、施設がある所が夏でも冷涼で施設が温水で客に受け入れられていたと言うことです。
 カナダの成功を宮崎にそっくり当てはめること自体に無理がありました。しかも、ドームだけで最終的な経費は500億円近くまでになっていました。
 そして、オープン。宮崎市に住んでいるので行こうと思えばすぐにでも行けます。
 当初、採算性からドームの入場者は、1日平均7,000人、年間250万人と弾いていました。
 大人の入場料は、確か4,200円だったと思います。入場するだけでこれだけの金がかかります。
 しかも、ドーム内のアトラクション施設を利用するのにまた金が必要で、その上、弁当などの持ち込み禁止のため、食事の際は場内のレストランや食堂を利用しなければならない入場した客からは取るだけ取るシステムになっていました。その上、レストランなどの高くてまずい料理は評判でした。
 隣りのホテル45にしても状況は同じようなもの。「全室海向き」をうたい文句に豪華絢爛のホテルでしたが、宿泊料金も絢爛豪華で地元宮崎人の収入ではとても泊まれる価格設定ではありませんでした。
 オーシャンドームといい、ホテルといい、ゴルフ場といいシーガイアの顔は、東京、大阪などの大都市を向いていて宮崎人など全く相手にしていなかったと言います。(実際、勤めていた管理職から聞きました。)
 そんなオーシャンドームでしたが、アトラクションの充実や1度は行ってみたいと言う客などで、開業2年後の平成7年(1995年)には入場者が120万人(結果的にはこの年がピークになりましたが)に達し将来に明るい展望が開けました。
 しかし、これでも黒字化にはメドが立たない数字です。
 あくまで開業時設定した1日7,000人、年間250万人の入場者がなければ黒字化は達成不可能なのです。
会社は、恐らくこれほどの規模の施設。1度訪れたら2度、3度と訪れる、いわゆるリピートを収入の中に弾いていたのでしょう。
 しかし、会社の思惑とは違い、リピーターの数は極めて少ないものでした。リピーターを誘導するには、魅力あるアトラクション施設を増設していくのはこれらテーマパークの常道。
 しかし、開業までに当初をはるかに上回る経費を使った関係上、高額な施設の増強はそもそも無理な話し。
 そこは何とか、一度訪れた客が、口づてに親戚、知人に伝えて再度、訪れてくれる。そんな会社側の甘い思惑もありましたが、もろくも崩れ去りました。
 それどころか、「1度行けば十分。2度と行きたくない」と言う声を県内のあちらこちらで聞きました。ドーム経験者が、セールスマン的役割を担うところが、現実はアンチドーム派へ。
 入場料や場内施設使用料の高さ、料理のまずさ、品祖な土産品など、楽しく遊べるはずのテーマパークなのに、夫婦と子供2人で訪れると、とんでもない出費が家庭を圧迫する結果となりました。
平成7年をピークに、入場者は下降線を辿ります。
 慌てた会社は、県内在住者の入場料金を半額に下げたり、小中学校に無料招待券を配ったりとようやく県内に目を向け始めました。
 しかし、時既に遅し。年を追うごとに累積の赤字幅はふくらみ、もはや立ち行かなくなるところまで追い込まれ
ました。
 そして、2001年2月には第3セクターとしては過去最大の負債3261億円で会社更生法の適用を申請した後、米国ファンドのリップルウッド・ホールディングス
に二束三文まで売り叩かれ、シーガイアは外国資本の手に渡ってしまいました。
 買収された後、シーガイアは存続するものの、米国式のシビアな経営で徹底的な合理化のもと、再建へ向けて営業努力を図ってきました。
 しかし、オーシャンドームは、一時休止をはさみ営業を続けてきましたが、あまりに巨大な施設ゆえ採算が取れず、とうとう平成19年(2007年)9月30日を持って、開業してからわずか14年で閉鎖と言う悲しい結末を迎えました。今後、オーシャンドームがどのような末路を辿るのか、今のところ会社側からの説明はありません。

ギネスブック認定の室内最大のウォターパーク
もう見られない光景 最後のアトラクション 多くの人で盛り上がった
 
シェラトン・オーシャンリゾート オーシャンドーム玄関1 オーシャンドーム玄関2
オーシャンドーム玄関3 オーシャンドーム1 オーシャンドーム2

 平成19年9月30日、オーシャンドーム閉鎖の日にもかかわらず、閉鎖1時間前の午後4時の玄関前は人影もまばら。あまりにも寂しい。午後5時から始まった最後のアトラクションは、別れを惜しむ多くの観客で賑わったが、それでも日曜日と言うのに入場した客はわずか5,400人。まさにオーシャンドームに対する県民の見方が反映した数字とも言えます。
 折から、オーシャンドームのすぐ脇では、サクラが別れを惜しむように花びらを開いていました。                         
                                      
宮崎の県鳥コシジロヤマドリ

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